2011年12月31日

2011年も終わりますね

2011年も終わりに近づいています。
年末、がっつり風邪を引きましたが、概ね元気に過ごせた一年でした。
日増しにご来訪者も少なくなってきた昨今ではございますが、いかがお過ごしでしょうか。
最近は自己規制、自己規制で、自分で書いてていまいち切れ味が鈍い文章に、もうなんだか公に発表するまでもナイんじゃないか的な、申し訳なさ全開みたいな気持ちでもあったのですが、先日忘年会でお会いした敬愛するある紳士に「読んでます」と言われて、また背中を押された気分です。
人を動かすのは、人だなあ。
そして、継続は力なり・・・こんなブログにも、ひょっとしたら続けることに意味があるかもしれないと思い、地道に続ける決心を固めました。
なんとなく、お時間のあるときに遊びにきてくだされば幸いです。

私自身は、甲状腺も、卵巣も、なんとなあ〜く怪しくて予後観察といいつつも、大したことない病気でした。不発の花火みたいなもんですが、派手に花開いちゃうよりはありがたい事で。
問題の頚椎は問題なんですが、こればっかりはもううまく付き合っていくしかないんだなあと覚悟を決めました。
母ヨシコの病気は小康状態です。
娘も小僧も相変わらず風変わりな人ですが、親があんなんだったりこんなんだったりするんだから、しょうがないです。
それなりに頑張っていて、それなりの成果で、十分に親孝行さ。
相方の仕事は、消える前のろうそくが一番燃え盛るらしく(本人談)、今年1年ご多忙感謝でございました。できるだけ長くマンガを描いてほしいなあ。私は多分、ダンナの一番のファンなので。

ちょっと思う処あって、来年早々、いろいろなことを一度全部クリアにしてみようと思い立ちました。
年末から少しづつ少しづつ、手を引く計画を遂行中。
好き好んで忙しすぎて、大事な友達や家族をどうも蔑ろにしている気がして。
ただ忙しいだけならいいんだけど、それで壊すものがあるなら、これは、「忙しさ依存症」です。
私は小僧のチームの応援に一番行けてない親で、先日は娘の大会のそろそろ決勝という時間に出かけていったところ、初の予選通過ならずという・・・もう一番大切な所で何の役にもたっていない親でした。何しにいったんだ、という。
今年、私は相方に優しかったでしょうか。
家事はとんでもないことになっていて、靴下はいつも行方不明です。
母ヨシコの介護に関わった時間の短さといったら。
大切な友人との約束を反故にしたり、約束そのものができなかったり。
頑丈さに甘えて、体調管理もずさんでした。このままでは・・・という、恐怖の呪いの言葉が、あらゆる病院のお医者様から告げられています。
何が大切で何が大切じゃないか、目先の忙しさにうかれてはしゃいで、わからなくなっている自分を、少し戒めたいと思いました。

3月まで、全力で走りぬき、4月からちょっと立て直しを。
今年は48歳になる年女ですから、少し早めに人生振り返っていくのも佳いかもしれないです。
断捨離は、物だけでなく。
ことも、ひとも。
いや、むしろ人との関係は切らずにすむように、こととものを整理していきたいと思っています。

私が必要とされる「おかあさん」というプロフェッショナルパートは、多分あと少ししかない。
小僧も思春期を迎えます。
少年期のサッカーは、来年がおそらく最後です。中学ではゆるやかな部活に行くのかなあと思うと、私としても悔いのないサポーター生活を送りたい。幼稚園でサッカーに出会ってからの、いわば集大成を迎える気がしています。第一章、完。みたいな瞬間に、ちゃんと立ち会いたいです。

娘は義務教育を終えます。
本人としては本気の弓道、果たしてどこまでいけるのか。突然医学部を目指したいとかおめでたいことを言い出しやがって、適性からして全く違う気がするというところから、私はどうサポートすべきかを考えないといけない。
ああ、早いなあ。楽しかったなあ、子育て。
でも、ずっとそこにとどまってはいられない。もう、あまり子ども扱いするわけにもいかないしなあ。

2011年は、あっという間に過ぎて行きました。
あまりに早くてビックリだよ。
去年の今頃、今年の一年間は想像もできなかった。
悲しいことも、怖かったことも。
うれしいことも、楽しいことも。
来年はもっといい年になりますように。
私にも、もちろんあなたにも。
よいお年をお迎えになりますよう。

そして、良いお年をお迎えになった後、ご来訪のあなたには、
「あけましておめでとうございます」を、謹んで。
天皇杯見て、箱根駅伝見て、寝正月の鈴木家の、ごろ寝リビングより、気持ちだけは謹んで。
てへ。


2011年12月31日 00:41