2010年01月12日

2010年所信表明

一年の計は元旦にありとはいったもので、ズルズル体調不良を引きずっています。
元旦に婚家で二日酔いの寝正月というのも大胆な始まり方でしたが、弱っている私に、どこまでも寛大な姑の、その器の大きさが身に沁みた毎日でした。
かくありたし。

松の内に、義理姉を入院先の病院に搬送するため、朝八時に下田を出発。他愛ない話で笑いながらすっ飛ばしていると、本当にあっという間で。
さらに、東京まで、とんでもなく空いた道を飛ばせることに気づきました。いつも混んだ時間帯に帰っていたから、下田はグアムより遠かったようですが、考えてみれば国内、同じ関東圏だったよ。
早朝の出発なんて早起きがつらいし、絶対にイヤ!と信じきっていましたが、体にも、燃費の上では地球にも、ずっとやさしかった。意外な盲点で、生きていきやすくなる。この年でも、まだ発見があるわけで。

なんか2010年、私の中でコペルニクス的変革の年かも!←相変わらずオーバーなのは変わらない。

今日は12日、もう姉は退院しているはずなんですが、無事退院していればまた携帯が圏外の山の上に。
正月いっぱい、相方が嬉々として組み立て調整していたPCの方に、後でメールしてみよう。
自分がげろげろ、吐き続けたものですから、姉の体調不良がいきなり他人事ではなくなりました。心配しているつもりでも、実際の痛みを知らなければ、想像で補うにしても、感覚的には乖離しているんだよね。
わからないんだもの。
軽い病気は、想像力を強化するために、いろいろやっておいたほうがいいのかもしれないな。この体調不良からも、学ぶことはあるわけです。

なんてことをぼーっと考えながら、昨日、午前中は試合に行かなかったので、小僧とくっついて、小僧のベッドで横になってウトウトして過ごしました。幸せの具現化。
体重は自分史上、妊娠期をのぞいて最大値になっていますから、体はスッキリしませんが、睡眠がたっぷり取れたおかげか、復調の兆しが。
高校サッカー選手権の決勝を見て涙した後、録画していた映画を小僧と一緒に見て、夜はディスカバリーチャンネルを見て、かなり元気になってきましたよー。

今日は午後から、親子で整形外科に行きます。
この痛みの敵の姿を知ろう!と思ったら、病院も怖くないわ。怖くないわ。怖くないわ。100回繰り返せば、嘘も本当になるわ。

人は死なないと思ったら死なないのだ。と、私は思っていました。ちょっとオバカさんっぽいですが、仕事柄たくさんのお医者さんとお話してきて、数値的に無理なところからも生き返ってくる話や、同時に死ぬときが来たら自然に死んでいく話を聞くにつけ、もはやそれは信念に近い。
死なないと思えば死なない。だから、死ぬときには死ぬんですがね。
でもって、気力には絶対的な自信があったので、私の健康はとことん保たれているのだと信じていました。多少の風邪なら気合で治す。怪我なんか、ツバつけて治す。野生。
でも、去年まで「私はマグロのように自足80キロで泳ぎ続け、止まったときは死ぬときだ」と思っていたのに、ほんの少しの体調不良で気力がまったくわいてこなくなるというのをこの正月にがっつり体験し、やりたいこともやらなくちやいけないことも目の前に積まれていくのに、体も心も動けない焦りを感じる日々でね。友達に手紙を書くことすらできない。
考えてみれば、気力だって、健全な肉体に宿っているわけで、気力だけががんばってもダメだよね。
更年期も近いしね。
ドラクエは全部「がんがんいこうぜ!」のバカ押しだった私ですが、今年は猛ちょっと工夫をして、「いのちだいじに」。
復調の兆しは、種火のようなものですから、しっかりほこるまで、無理せずに体と相談しながら。そして、楽に生きて行ける盲点を探したり、工夫をしたりして、今年を乗り越えていきたいと思います。

今、痛いところを抱えている方、あせらずゆっくり、一緒に少しだけ、がんばりましょ。

2010年01月12日 09:06