2009年02月12日

ボランティア終了

誤解したい人にはさせておけばいいのだが、皆で協力し合ったほうがずっと効率がいい局面で、なぜ攻撃してくる人がいるのだろう。

私が所属しているボランティアの会で、私のプロジェクトは大変うまくいった。
反省は多々あっても、ボランティアだ、まずはイベントが成功したことを祝いたかった。
が、なぜか非協力的だったある人が、真っ先に反省すべき点を指摘し続け、感情的な責め言葉まで飛び出すのだった。
士気をそぐのでその話はやめようといってみても、ダメだった。まあね、感情にふたはできない。
失敗点を続々指摘する彼に、でも、それって、こんなところがあなたのミスだと思うんだけどなと反論したい気持ちはあったのだが、それは大人のすることじゃない。火に油を注いで喧嘩になるだろう。
ミスは責めない。
これは私が先輩に学んだボランティアの極意だ。だから、私は口を閉ざし、エスカレートしそうな局面でだけ、最低限の反論だけ試みる。
人を責めている暇があったら、自分の仕事をすればいいのになあ。
そして互いに成果を寿げたら、それが一番いい形なのに。
私は彼ができないことを責めていないつもりだったが、私の態度のどこかに、彼をいらだたせる何かがあったのかもしれない。
いや、途中で彼の心が離れてしまったのはいかにも私の不徳なのだ。仕事には適量がある。そのつもりはなかったのだけれど、押し付けすぎてしまったのかもしれない。
私の出した宿題は彼には難しすぎたのかもしれない。理解できる設定を高くしすぎていた。やってくれるという期待値が高すぎ、お任せしすぎてしまったのかもしれない。
すまなかったと思う点を一応お詫びしてみたのだが、吐ききっちゃうまではいいたいよね。
確かに、私はそのプロジェクトの責任者だったから、聞かなければならないだろう。彼が、あとで自分の吐いてしまった言葉を、冷静になったときに恥じないですめばいいと思う。
そして、このボランティアサークルが、イベントごとに、こういう言葉で終わるようにならないといいなあと願うばかりだった。
戦いより、融和がいい。ひとつの目的があってのイベントなのだから。

そのボランティアの会で得た仲間は最高にいい人たちだったので、それが自己満足であっても、結果オーライだ。自己満足、上等。だって、ボランティアの報酬って、まさしくそれだけだもの。
学んだこともたくさんある。
ボランティアターたちの力強さと、ものすごい働きっぷり。
それによって楽しんでくれる人がいるという相互互助。そう、相互互助。
ボランティアは困っている誰かのためにやることだと勝手に思い込んでいたのだが、これは自分自身のためにやることなんだと、実際にやってみて始めたときの傲慢さに気づいたのだった。
いろいろな場所に詳しくなった。
今まであったことのないタイプの人たちともたくさん会った。
楽しいサークル活動だったと思う。

でも、もうそろそろ、手を引いてもいいのかもしれないな。
世代を超えた集会は楽しかったけれど、私の年齢は中途半端すぎ、私のキャリアはここでは活かせない。文字を書くぐらいしか。
この辺で、報酬を笑顔や人脈だけに求めず、きちんとお金になって返ってくる、プロの仕事に戻ろう。
また、いつか、きっと心の豊かさを求めて、ボランティアもしちゃうと思うんだけど。
そのときには、もっと成長していて、もっとうまくやれるといいな。


2009年02月12日 23:53