2009年02月08日

鼻セレブ

娘ちゃんが私立に行くことになり何かと物入りだというのに、私は贅沢にも鼻セレブを買ってしまった。
ものすごーく手触りのいい、うっとり系のティッシュである。
鼻なんか、かんだら捨ててしまうものなのだから、テレクラの手渡しポケットティッシュで十分なのだと思いつつも、この上品な手触りの誘惑は大きい。
定価は一箱380円である。信じられないほど高い。そんなにゆとりがあるなら、豚のコマ肉を買え!ティッシュは食えない!と叫ぶ私の中の餓鬼をぶっ飛ばして、私はセレブしてしまうのであった。

「さあ、いつでも来いやーっ!」
と、鼻セレブの白い箱を小脇に抱えて待っているのだが、なぜか一向に花粉症が来ない。
普段なら、二月の声を聞く前にジャンジャンバリバリ目のかゆみも滝のような鼻水も始まっちゃって、それはもう大当たりのパチンコ台並みに、出ました打ち止めまでお楽しみください状態なのに……治っちゃったんだろうか。
奇跡か?
これは、目が見えない人が見えるようになったり、立てない人が歩けるようになったりした、あの、奇跡なのか?
私に奇跡をおあたえくださるなら、それもこんなプチ奇跡をおあたえくださるなら、世の中のもっと困ってる人に奇跡をおあたえくださいと、大胆にも神様に対してクレームをつけてみる。
鼻セレブ、使いたいの。

ところで、昨日吉祥寺時代のママ友から久しぶりに電話があり、懐かしさに震えた。
娘ちゃんがまだヨチヨチしていた頃に、しょっちゅう一緒に遊んでいたお友達だ。旅行なんかにも出かけちゃった。育児相談から何から、何でも話せる聡明なママ友だった。
当時最も親しかった大切なお友達も、私自身の引越しや、彼女の引越しなどで、いつしか音沙汰がなくなっていたのだったが……。
そのママ友と話しているとき、私は自然に、実に自然に丁寧な言葉遣いになっていたと思う。
吉祥寺の方言みたいなものだ。
「では、ごきげんよう」
みたいな言葉が、平然と日常、大家さんなどご近所で交わされていた土地柄だったのである。いや、マジで。
そんな場所に、結婚前から数えて10年以上暮らしていたのだった。
そういえば、ここに引っ越してきて、吉祥寺の友達をこちらの友だちに引き合わせたときに
「ゆう子さん……言葉遣いが違う」
と、双方から指摘されたことがあった。大げさに言えば、外国に長く住む日本人の日本語が危うくなっているような感じだろうか。飾り気のないこのあたりの文化も好きだし、上品な吉祥寺の文化も好きだった。
わずか数キロの距離で、ちゃんと地方性が出てくるのだから、「地元」ってすごいのね。
もうこっちに暮らして9年目の春。

電話を切った後で、久しぶりに使う「丁寧な言葉」に、ちょっとした高揚感を覚えていた。
この刺激が、鼻セレブを使う高揚感に、ちょっと似ていると思った。


2009年02月08日 09:37