2008年10月07日

ヘブン

もし、あなたの目の前に、小さな命があって……。
しかしその命は消えかかっており……。
死を回避するためには、著しく難しい、苦痛を強いる手術があったとして……。
あなたはその手術を、小さな小さな体に施しますか。

生きて、ただ生きてくれれば、他には何もいらないから。
ねぇ、一緒におうちに帰ろう。
せっかく生まれて、何もいいことなくて、死ぬなんてダメだよ。
そういい続けて、毎日通った病院への道。
最初の子どもが瀕死の状態で……。
傍から見たら、一生懸命で、かわいそうな、お母さんだったかもしれません。
でも、すべてすべて、ただのエゴだったように思います。
生まれてこのかた、ずっと機械につながれて、苦痛以外何も知らない彼のために、私が選ぶべきは、手術ではなかったのに!
私のために生きてくれと願っていました。
彼のためにどうすべきかではなく。
死期を早めてもいいから母乳を、砂糖水を、せめて末期のおいしい水を、飲ませてあげればよかったんだ。そこにある命は私のものではなかったのに、あまりにも小さかった彼の命に対して、私は不遜でした。

何もいいことなんかないまま、彼は五ヶ月の命を閉じました。
死んだとき、やっと、彼は少し笑っているように見えました。
苦痛から開放されて、やっと。
眉間にしわを寄せて、求道者のような顔でした。深く目を閉じて。唇に薄く、笑いを浮かべていました。

ちゃんと生んであげられなかったのは、私のせいです。
妊婦としても、母親としても、あまりに覚悟がなかった。
生んだ後、私は不幸な運命に押しつぶされそうなかわいそうな新人ママだったけれど、本当の母親なんだから、自分の痛みなんかよりももっと、もっともっともっと、彼自身の痛みを考えるべきだった。

今日、教会から一枚のはがきが届きました。
逝去者記念のお知らせです。
13日の命日は、休日だけど、私は教会にもお墓にもいけそうにありません。
忙しく動き回る母を、天国の息子はどう思っているでしょう。
……かあさん、相変わらず勝手だな。
と、眉間にしわよせて、ニヒルに笑っているのでしょうか。
……死んだ子より、生きてる子のために動くのさ、かあさんはね。
そして、私が天国で君にもう一度会うとき、君にいっぱい、お土産話を持っていくんだ。
君のために使えなかった時間と、体を、私は君の妹と弟のために使っている。こんな風に、あんな風に、楽しい毎日。
間違いなく、君がいてくれたからこそ、気づけたことだ。
ありがとう。
君に会えてよかった。
私が天国に行くまでの間、もうしばらく時間があるだろうけれど、もうちょっとだけ待っていて。
お葬式の日に約束したよね。
天国でもう一度、君を抱きしめる。
そして、そのときから、私は、君のために、生きるんだ。
ちゃんと、君のおかあさんになりたい。

13年前のあの日が昨日のことのようです。
あっという間、夢のような。

明日もあさっても、今週も来週も、ずっと娘ちゃんと小僧がらみの予定でいっぱいです。
忙しいってことは、幸せってことだね。
ずーっと、ずっとね。
そのうえ、天国に行ってからもスケジュールはいっぱいみたいたから、ずっと続く幸せってことだよ。

2008年10月07日 21:41