2008年07月23日

ザリガニその1

福助が飼いたいと言い出し、我が家にザリガニがやってきた。
ところがザリガニたちご一行様四匹が大挙してやってきた初日、私たちは下田に赴くことになっていた。
「なんのおかまいもできませんが」
と、とりあえずつまみのあたりめを浮かべて、玄関において鍵をかけた。

ザリガニは生きているだろうか、と、下田でずーっと考えていた。
生き物は生きてこそだ。
さて、それが目的だった、おじい(舅)の見舞いに向かう。
もう目を開けなくなったと聞いていたが、その日おじいはしっかりと目を開き、さらにはおじいが一番かわいがっていた孫、私たちの姪の名前を出すと、腹の底から振り絞るような声で
「うぉぉぉぉぉぉ」
とシャウトした。おじい、植物状態でも、演歌聴いてても、生き方はロックだ。鉄道員しても、兼業農家でみかん作っても、趣味で炭焼き小屋作って炭やいてても、自分を曲げることなく、(だから時々息子ともぶつかったりして)、半端なく生きてた。とんでもなく力持ちで、麦藁帽子と作業着が、パンクで、すげぇ、かっこいい人だった。
生きることに真摯だったから、寝たきりになっても、五年、頑張ってきた。ただそこに生きているということ、その存在だけで、ちゃんと周りに希望を持たせることができる。これは、それまでしっかり生きてきたからこそある存在感だ。尊厳死という言葉が薄っぺらに見えるほどの、壮絶な尊厳生だ。チューブがついていようが、入れ歯がはずしてあろうが、生身の、尊厳がそこにある。

「おじい、またくるからな。それまで死ぬなよ」
病院の見舞いで、福助がその祖父にかけた言葉だった。
生きているおじいに会うのはこれが最期と思って、なんかいろいろ話しておきたいこともあったような気がしたけれど、私も結局出てくるのはいつもの言葉だった。
「じゃあまたね、また来る。車、混んでないといいな。気をつけて帰るから大丈夫だよ」

そして日の高いうちに東京に戻った。渋滞も避けられた。
気がかりは、ザリガニだった。
ドアを開け、ガーン。大ショック!
家がドブ。
ドブ スーパーリッチ!とかつまんない駄洒落が口をついて出て、笑った途端、肺の中までドブの匂い。ドブドブドブ。すごい、ドブ。びっくりするほど、ドブ臭い。
それから、二個のザリガニ小屋の大掃除と、玄関周りの大掃除。
ファブリーズ半分を気がふれたように撒き散らす。温泉に入ってきたのも忘れて、シャワーで手をマクベス夫人のように洗い続ける。
生き物は生きてこそだ。生きてれば臭いのだ。ソレもまた生きることなのだ。わかっちゃいるけど……。
っていうか、福助、お前がやれ!お前がくさいくさい言ってると、腹が立つだろうが!

「太平の眠りを覚ますザリガニだな、たった四匹で夜も眠れず」
と、相方がうまいことを言う。下田で、ペリーの像、ペリーの顔、ペリー饅頭、ペルリって名前になってるのもあった、いやってほど見たわ。

生きてこそ。
ロングドライブは運転手、帰宅後はお掃除隊。
ぐったり死んだように眠った、その晩であった。

2008年07月23日 10:58