2008年07月24日

ザリガニその2

三軒先からでも我が家がわかる。
ザリガニ臭がするからだ。
今日我が家にはお友達が遊びに来るのだが、ランドマークを聞かれてザリガニの匂いと答えておいた。覚悟して、来るはずだ。

スーパーバリューでエアポンプを買い、水質改良材入り砂を敷き詰め、水草を入れて、水をたたえ、水槽のひとつは完璧に無臭化に成功した。
ついでにうちのビオトープ(完全放置型水蓮鉢)からタニシとメダカをもってきて、泳がせてもみた。
目にも涼しげ。
ついうっかり、20分も見入ってしまったわ。

問題は浅い洗面器状の容器に入ったザリガニ夫妻だった。こっちは仲良く交尾なんかしていて、今、卵を抱えそうな雰囲気なのだ。そんな敏感な折、あまりの匂いにじゃかじゃか砂を洗ってしまっただけでも申し訳ないというのに、さらに狭い水槽をあてがうのはどうかと思われた。そこで、歩きやすいように砂を敷き詰めて汲み置きした水を半分だけいれ、烏に狙われないように黒い布をかけて、ベランダの日陰に置く。
もう、ザリガニのことなら何でも聞いて。
小僧が暗記するほど読んだザリガニ読本を私も徹底的に読み込み、さらにネットで調べて万全である。

翌朝、メスの方がいなくなっていた。布をかけた程度では、簡単に逃走できたのだ。
ベランダを見る限り、どこにもいない。ベランダには石が敷き詰めてあるので、ひょっとしたら故郷を思い出したのかもしれない。しかし、目立つ体で動いていれば、烏にやられる。思いやりが裏目に出た。かわいそうなことをしたなあと思う。
逃げないように包囲をさらに鉄製の網にする。
だが、その日の夕方、オスもいなくなっていた。この時刻、烏は来ない。ひょっとして……と、ベランダにある物置小屋をあけてみる。ここには燃えないゴミがビニールに入って収集日を待っているのだが、そのひとつを外に出すと、メスが真っ赤な体で、丸まっていた。……動かない。硬くなっている。あ、もともと硬いんだな、彼女は死んでいた。
こんなごみの山に身を隠して、君は何処に逃げるつもりだったのか。そんなにも自由がほしかったか。「おかあさん、オスはまだ生きてると思うよ。まだちょっとしか時間がたってないよ」
小僧と一緒にゴミを出してみると、一番奥の隅の隅で、彼は大きくはさみを振り上げて何度も威嚇した。

小僧にひょいと摘まみ上げられて、脱走兵は元の家に戻る。その家にもう、彼女はいない。
「駆け落ちしたのね!」
と、娘の妄想が暴走しているが、私の妄想も止まらない。
ダンボールを使って、蓋をきっちりする。もう二度と脱走しないように。
そんな装置を工作しながら、私はどこぞの首領様になったような気がして、心が痛んでいた。

生き物を飼うというのは、残酷なことだ。
どんな境遇に適応させるか、そのときにどんなにそっち側に立とうとしても、結局は飼う側の事情が最優先される。
子育ても、実は同じような気がした。子どもは親を選べない。そして、子どもにとって親は、飼い主同様、絶対的な存在だ。

だが、子どもが幸いなのは、大きくなれば脱出、もとい、自立することができることだ。
小さな力と小さな体では、ゴミの山に隠れて目的を見失って死んでしまうけれど、大きく知恵あるものに成長すれば、堂々と自分の場所を探して一人で生きていけるようになる。
環境が整って、大きく知恵あるものに成長させてもらえる子は、ラッキーだ。
けれど劣悪な環境でも、サバイバルする子は、大きく知恵もあり、さらに強くなろう。
生きてこそだ。
一人で生きていけるようにする、それが親の唯一の仕事のような気がする。
それがどんな形の、わかりにくい愛であれ、わかりやすい愛であれ、飯を食わせて、眠らせて、子どもを生かし続けることができれば、親はその仕事を全うしたといえるのではないかと思う。

子ども時代の私は、逃走を続けたザリガニのようだった。
当時の私に、完全無欠の愛ある環境などなかったけれど、今では、あの親のエゴさえも愛だと思える。とりあえず飯を食わせてくれて、18まで雨風はしのげた。私がどうしたいかより、彼らがどうしたいかがまず先にあった。それを恨んだりすることもあったのだけれど、どんな思いやりをもった環境づくりをしてくれたとしても、それが私に届いたかどうか、わからない。
ただ、生かしてくれた。
実は、そんなもんで十分だったんじゃないかなあと、ザリガニを世話しながら思っていた。


2008年07月24日 10:25