2008年04月11日

アメックスのカード

初めて取得したクレジットカードはアメックスだった。
丸井も、セゾンも、ぜひぜひ申し込んでくれと再三勧誘されて、いつも保証人のところでひっかかっていた。
1980年代の話である。
私は若い女の子で、持ち家などなく、フリーランスで仕事をしていたから、親が保証人にならなければ駄目だったのだ。
しかし、18で家を出て以来、アパートを借りる以外、親には世話になっていない。
両親も自営業だから、保証人にはなりたがらないのだ。たがか部屋を借りるだけで、いろいろややこしいことを言い出す両親に、つまらない話を持ち込みたくはなかった。
こちらからカードが欲しいと申し込んで審査で駄目だったなら納得が行く。
だが、ぜひぜひともみ手で近づいてきて、保証人がいないから審査に通らない、親がいないのか片親か、実家は持ち家か田舎はどこかなどといちいち問われるのは大変腹立たしく、絶対にカードなんか作るものかと心に決めていた。そもそもローンで物を買うのが間違いだ。すぱっと現金、いつも財布に三万円。
ところが海外旅行に行くようになって、特に先進国ではカードがないことが大変に不利益なのだった。まずまともなホテルに泊まれない。
そこで私は駄目もとでアメックスに申し込んでみた。
1988年のことである。
確定申告書か、通帳の写しなどを提出したかもしれない。よく覚えていないが、親が保証人にならなくても申請できたのだけは、はっきり覚えている。
私を、「若いフリーターもどきの女の子」という見てくれだけでなく、初めて「きちんと経済的に自立した大人」として扱ってくれたカード会社だった。
それからアメックスは生保、海外での支払い、国内での買い物に大活躍だった。世の中はバブルに浮かれていて、私もたくさん消費し、カードを切るたびに誇らしい気分になったものだ。
ただ、勢いに乗って、別のゴールドカードを取得し、その金色が海外とくにアジアでは大変威力を発揮することも覚えてから、アメックスはだんだん控えになっていった。
結婚してからも、個人的な買い物は自分の口座から落としていた。アメックスのゴールド切り替えの勧誘も頂いて、それは大変魅力的だったが、お高くなる年会費を考えると二の足を踏み、グリーンカードのままだった。年会費がアメックスとほぼ同じの別のゴールドカードでたいていは事足りて、だからただ金色のカードにするだけにしてはコストがかかりすぎだと思った。
それでもアメックスのカードを廃棄しなかったのは、初めて手にしたカードの喜びのせいだ。アメックスのフェアな精神がうれしかったからだ。あのグリーンのカードは、いつも私のもうひとつの身分証と命綱だった。
当時、海外でカードをなくしたときに即日発行してくれたのはアメックスだけだったのと、海外での支払いトラブルが一度もなかったのもまたアメックスだけだったので、海外旅行が趣味だった私としては、アメックスだけはお守り代わりとしても手放せないと信じていた。
実際、先進国に行くときだけは控えから頼もしい先発になる。そんなカードだった。

でも、先進国に行くこともなくなった今、ほとんど使わないカードに年会費を支払い続けるのはつらくなり、お付き合いも20年目、アメックスさんにご恩は返せたような気がして、更新をせずに解約することにした。
担当の方に、簡単な事情と、丁重に感謝の言葉を述べた。裁断することを約束して、電話を切ったがこのカードだけはずっととっておきたいと思う。
私の自立の、一番の記念品だ。
アメリカンエクスプレス、長い間、精神的な支えを、どうもありがとう。


2008年04月11日 01:02