2008年04月09日

初めに言葉があった。

雨の中、私立小学校の入学式やら中学高校の入学式があったようで‥‥
関係者各位、おめでとうございます。
ざんざん降りの雨だったのがこう、とても気になりましたが、無事ご帰還、何よりでした。
雨降って地固まる。前途洋洋の学生生活になりますように。

雨降って地固まるって、こういう「おめでたい日に天候が悪い」ときに、とっても便利な格言ね。
それ以外で使ったことがない言葉でもあります。むむむ。

桜も散っちゃった。
この横殴りの雨の中、小僧はそれでもお友達の家に出かけて行き、時間通りに戻ってきました。
「楽しかったよ。ピタゴラ装置を一緒に作って遊んだんだ」
と言い、もくもくとくもんの宿題を始めたので、それはよかったねぇなどと気にも留めず、お友達の家にありがとうメールを送りましたところ、ちょっとしたトラブルが勃発していたという報告を受けてびっくり。
小僧をもう一度尋問します。‥‥割と、深刻な話なんじゃない? 君、そんな扱い受けて、怒らないのか?
「いいんだよ、傷つくことを言われたけど、それはちゃんとヒロシ(仮名)にもイヤだといった。ヒロシのおかあさんにも話した。僕はヒロシが好きなんだし、楽しかったんだ。嫌な言葉は忘れちゃえばいいんだから、いいんだよ」

ホントに、君は自閉症なのか? 
言語に問題があるとずっと言われていたのに、巧みな言葉を操るようになった。駄洒落のうまさといい、むしろ言語感覚が面白い方向に伸びてきた気がする。
いろいろな言葉を面白がって質問して、すごい勢いで吸収しているのがわかる。
けれど、彼が決して質問しない言葉がある。
我が家では普通に使われている、「自閉症」という言葉だ。うすうす気づいていて、避けているのだろうと思うから、私も無理には押し付けないし、最近ではその名詞をあまり出さない。
ネガティブに使うことはない。自閉症は天才の別名だ!ぐらい、超ポジティブに捕らえているのだが、それでもそこに流れる微妙な空気を、福助は感じているのかもしれない。
「嫌な言葉は忘れてしまえばいい」
私も、そうありたいと思ったよ、福助。
病名を気にしすぎているのは、私の方かもしれないね。

あるいは自閉症だから、自分で記憶をコントロールしようとしているのだろうか。
彼なりの適応の方法なのかもしれない。でなければ七歳でこんな発想はできないように思う。
正直、すごーく昔に言った言葉や、すごーく昔に行った場所、何かのときの状況やそのときの服装まで、福助は記憶していることがある。ふいに、三歳で受けた知能検査の時に出された問題と答えが飛び出してきたこともある。このままこの人は飽和量に達するまでいいことも悪いこともどうでもいいことも記憶し続けて、そんな風に生きていくのは苦しくないかしらと思っていた。
でも、最近は本当に上手に忘却するようになっている。相変わらず顔の記憶は鋭くて少しの変化も見逃さないが、身近な人に限定されるようになってきたし、名前の記憶もサッカー選手でキャパを使い果たしている気がする。
自分にとって楽しいことだけを覚える。それがまた、喜びを生むと、わかったみたいだ。
普通の人の振りをしていたら、本格的に普通の人になってきたようで、デイブスペクターの血中日本人度と同じぐらい、日本になじめてきたように思う。
記憶コントロールも、異星陣福助・日本人化の一環だ。
福助は悪いことや嫌なことを日記に書きたがらない。彼の日記は、楽しいこととうれしいことに満ちている。日記に反省文を書かせようとしたとき、ものすごく抵抗したのも、きっと記憶の定着と忘却のコントロールができなくなるからだったのではないかと、私が反省する。

ここまで書いてきて、ひょっとして担任の先生の言葉なのかもしれないと思った。
彼女は若いのにものすごい力技で、クラスを母子ともども温かく魅了している。
使う言葉に魂を吹き込んで、子どもたちの生きる根幹を鍛え上げる。
たとえば「このクラス、やるときは、やる!」と、わかりやすく短文のスローガンにして、クラスに貼り出す。目で見せて確認させ、何度も声に出させて、子どもたちに訴えかける。
子どもたちがどんなにふざけていても、すぐには押さえつけず、余裕である程度騒がせた後、
「じゃあみんな、いくよ。このクラス、やるときは?」と呼びかける。子どもたちは「やるー!」と応えて、即座に「やるときはやる」体勢に入るのだ。
そうなるまでに一体どんな魔法を使っているのかは知らないが、この指導を見たとき、名人芸だ‥‥と思った。
たくさんの言葉が、福助とクラスメイトに降り注げばいい。言葉が気持ちを決めるのなら、素敵な言葉をたくさん使える人になれと願う。
そしてできれば、どんな言葉にも、愛がこもればいいと思う。
「自閉症」という単語が、ただ異星人のような理解しがたい嗜好と思考を持つ人を指す「ラベル」だけではなく、その人の個性の入り口として認識されるぐらいになったら、この世の中はまたさらにちょっと生きやすくなる気がするんだけどな。

ところで、ヒロシはその後、福助を傷つける言葉を反省するに至ったそうで、ちゃんとママからメールが来ました。
もしかすると福助がヒロシを不快にした可能性だってあるから、私もそうだったらごめんねメールを送りつつ、それでも悪い言葉なんかじゃびくともしないほど福助がヒロシを好きだという事実は変えがたいのだからと、そこに私は安心しているのでした。
言葉の持つ愛の力と、言葉によらない愛と。
今日、七歳児に学んだことでした。


2008年04月09日 00:47