2008年01月31日

ご近所サッカースクール事情

いわゆる名門サッカークラブチーム付属のスクールを複数見てまわり、福助の意向で「ここだ!」というところに申し込みました。
ウェイティングがおよそ20人。……これ、小三までに、スクール生になれるんでしょうか。

小学三年生の二月は、サッカー少年にとっての第一関門です。
クラブチームに所属するためのテストがあるからです。
クラブ付属のスクールからしかエントリーできないところ、付属スクールにいたほうが有利になるところ、まったく関係ないところなど、それぞれなんですが、小さな全日本代表候補たちは、みんな日の丸を背負うのと同等の負荷を背負って、テストに挑むようで。
日本のサッカー、強くなるわけだよなあ。
福助の少年団の、福助憧れの先輩も、先日、受験のために少年団を後にしました。
練習試合で彼のドリブルを止めた日には、日本がブラジルに勝ったよりもうれしく、サンバのステップで帰ってくる福助でしたから、その彼が退団することは大きなショックでした。
背水の陣で挑む尊敬する先輩には、何がどうしても希望のチームに入ってほしいものだと思います。
そういえば、学校の入試も今、真っ盛り。
学校でも、六年生の教室をのぞくと半分以上が欠席している毎日です。
中学受験だけでなく、高校、大学も。
子どもたちは、それぞれの分野で真剣勝負、命がけで闘っている季節。
もちろん未来がたっぷりある子どもにとって、その試験は決してゴールではないけれども、それでも頑張った子は、頑張った分だけ、ちゃんとベストが尽くせるといいな。

福助のサッカーは、地元少年団で週二回。
さらに幼稚園時代から所属しているお楽しみサッカーのチームがもう一チームあり、週三回のサッカー生活です。
しかし、「もっとうまくなりたいから」といい始めたため、チームを地元少年団一本に絞り、お楽しみサッカーチームを辞めて、かわりに技術力アップのためのスクールを検討し始めました。
冒頭の名門チーム付属スクールは当分順番が回ってこないので、それとは別のところに入部申し込みする予定です。体験入部して、本人もノリノリ。
ただ、ちょっと遠いのよなあ。車での送迎が必須です。
「福助君のサッカー、ぜひ大切に、大事に、育ててください」
と、チームやコーチが変わるたびに必ず言われた言葉を胸に刻んで、しかし私のような中途半端に教育ママな、いい加減な者が、加熱しているサッカー産業に飲み込まれて大丈夫なんだろうかと、不安も覚えています。
お楽しみサッカーの方の退部届を書きながら、幼稚園生の頃、まともにボールを蹴れなかったところからご指導くださった先生方の顔を思い出し、涙が出そうになりました。へたくそなドリブルが、今も携帯の画像に残っています。今、普通に走るのと同じぐらいの速さでドリブルコントロールする福助を見ると、3年の歳月は偉大だなあとしみじみ思います。

選手にはなれなくても……。
今はまだ、プレミアリーグに行く夢を語って赦される年ですが、あと数年たてば、過当競争のサッカーという種目、現実に目を向けなければならなくなることも知っています。
ぶっちぎりで早いけれどすでに故障しがちな脚は、プロのサッカー職人のそれではないだろうことも、なんとなく見えています。
それでも、例え選手にはなれなくても、サッカーというチームプレイに特化した好ましい性格やサッカーで学んだ機微や能力の役立て方が、きっと福助の財産になるだろうとは思います。
サッカースクール加熱地帯に暮らしていると、スクールはプロの夢に直結してしまいがちですが、それは福助が二年後以降のセレクションなど岐路で決めていけばいいこと。
まずは、ここまでがみっちり楽しい思い出の詰まった三年間だったように、この先もまたサッカー三昧にはなるのだから、母としてはそれをお楽しみにするのが正解でしょう。

少なくとも、私は福助がサッカーをするところを見ているだけで幸せ。
本当に真剣に、本当に楽しそうに、友達と一緒にサッカーをする姿は、代表戦を見る以上の喜びです。
少年団のサッカーを見ながら、プレイスタイルを、それぞれ日本代表選手やバルサの選手に例えてみたりするのも、面白い遊びです。あ、うちの小僧のプレイスタイルは、G大阪の遠藤選手に似ていて、バルサだと、ロナウジーニョですかね。ええ、ええ、もちろん親ばかメガネをかけて見た、大胆な仮説ですが。
私の趣味、少年サッカー。
さあ、春からのスクールも、はりきって行こうと思います。

2008年01月31日 16:52