2007年11月12日

〔くさい警告〕友情

うれしいことがあった。

例の加害者少年は、今日、ちゃんと公園で突き飛ばした子に謝ったという。
軽く怪我をした方の友達の母親から、その旨メールをもらったのだ。
「ゆう子さんの言葉が彼にちゃんと届いていた、うちの子にとっても学ぶチャンスになった」という文字が、とてもうれしかった。
またあの公園に行けば、彼は福助にも謝ってくれるかもしれないが、私はあいにく、器量が小さい。
そして、正直、まだ怖い。
でも、その彼女を筆頭に、私の周りには丁寧な子育てをしているママ友達が大勢いるのだ。
大丈夫だ、きっと大丈夫だ。
福助の窮地は、きっとそういう大人にしっかり育てられた周りの友達によって、助けられるだろう。
たくさんのアドバイスを、日記を読んだ別の友達や読者の方からもいただいて、世の中、そうそう捨てたものではない、信じていいのだと思った。
善意は、悪意に勝る。
言葉に乗せた善意が、簡単にすぐに手元に届く時代に生きているということが、すでにちょっとばかり、うれしかったりした。

これは、考えるいいきっかけになった。
落ち込みは、もう十分だ。
さあどう展開しよう、時間はまだまだたっぷりある。
いいアイディアが浮かびますように、ちゃんと形になりますように。
まだ今は何も見えないけれど、きっと何か方法はあるはず。

それから、加害者の彼も、将来ちゃんといい大人に育ちますように。

今日、いいことの二つ目は、相方が娘のサッカーの試合に応援に来てくれたこと。
娘はかつてないほどに力を発揮していた。といっても、まあ、とほほではあるし、第二試合では、なんだかすっかりいつもの彼女に戻っていたけれども、いいのいいの、泥だらけでがんばったのだから。
子どもを見守る父親、応援する父親の姿は、私の夢の一つなので、それはうっとりするほどうれしいものだった。……安い女だなあ、と、ちょっと思うけどさ。こればっかりはね。

もういっちょ、うれしいことは、その娘のチームに、私の親戚みたいな旧友の娘さんが入部するらしいこと。
で、今日は雨だというのに試合をわざわざ応援しに来てくれたし、その後いっぱい話もできて、なんだか心がほくほくしたのだった。
友達は偉大だ。
ちょっと前、やはり大切な友人と他愛ない話をしたスタバの、座っているそこはちょっと木枯らしで冷たいのに心だけがぐんぐんあったかくなっていく感じが、妙にうれしかった。ハグして別れて、なんだかちょっとジーンとするぐらい、そのハグがぬくぬくだった。
私の友達は、そのまま福助のよき理解者だ。
福助はこんなにも理解者がいるんだ、何をひるむことがあろうか。と、確信する。友達を信じる強さで確信するのだから、これは強固だ。

好きだったけど突然別れを告げられちゃう、そんな友情もあったし、大切に思っていてもなかなか会えなくなってしまった友達もいる。友情はいつもいつもやさしいばかりではなかった。
でも、それはそれできっとお互いに密着を必要としなくなった成長の証かもしれないな、なんて、今までの友達を思い出しながら思う。
出会ったり別れたりしながら、これからも続いていくのだ。
ええーっと、こんな熱血でいて単純な、器量の小さな私ですが、今後ともなにとぞよろしくお願いします。>各位

ああなんか、連日生真面目な日記を書いているわ。
めっきり来訪者も減った昨今、のんびりやっていきまーす。

2007年11月12日 01:04