深夜、相方が叫んだ。
「なんだこりゃー。水浸し、水浸し」
右足を引きずりながら声のする廊下に出てみると、室内なのに一面池になっていた。
え。なんじゃこりゃー。床上浸水?!
現場は玄関横のトイレだった。
子ども達のどちらかが手を洗った後水を出しっぱなしにしており、飾っておいた貝殻が排水口にフタをして、どぼどぼ流れ出ていたのだった。
最後に娘が寝てから二時間はたっている。
トイレの床は一面水をたたえ、そこからさらに決壊した鉄砲水が、一気に玄関に向かい、玄関では靴が浮いていた。廊下には川が流れている。
貝殻のオブジェはやめろと相方には言われていたのだった。
これは私の責任でもある。
というわけで、スクイーパーで水をかき出し、スポンジモップで水を吸っては絞り、最後はからぶきまで、相方とふたりで深夜の大掃除になった。フローリングの廊下がひとたび水を吸ってしまったら、床がほにょほにょになってしまう。作業は時間との闘い、人足は多い方がいい。
結局、廊下はなんとかぶくぶくの土左衛門にならずにすみ、トイレの床はピカピカになり、玄関もなにやらきれいになったが、私の右足と左胸は悲鳴を上げていたのだった。
なんでこんな時に……。ううう。
学芸会の代休で、娘が本日、いちにちおかあさんをやる。と言い出した。
ところが日頃の仕込みが悪いので、何をどうしたらいいか手順がわからないという。指示を出し、観察していたが、その家事能力の低さに驚く。
それはそうだ、普段母親の仕事ぶりなど観察しているはずもない。
福助は料理も手伝うし、掃除の仕方も徹底して教えた。買い物はもちろん、洗濯機の使い方も、母・ヨシコに指導したのは福助だった。それがいつか身を助けるかもと思ったからだ。
だが、考えてみるとP子には、多分就職も結婚も難なく進む前提で、簡単な掃除と洗濯物をたたむぐらいしか、具体的な家事指導をほとんどしていないのだった。
不熱心だった。いかんいかん。いびつになってしまう。
仕方なくマンツーマン指導をして、午前中を終えた。
福助のお弁当作り実演、ダイニングとリビングの掃除と片づけ、台所の片づけだけなのに、こんなに疲れるとは。ふう。
ひとりでやった方がずーっと楽、という現実は、私の左胸に突き刺さる。ああ、サボったなあ、仕込むべき時に仕込まなかった私が悪い。このまま大人になったら、私のような家事ダメ人間になってしまう。あわわわ、大変。
それにしても、である。
幼児がやるぎこちない作業は、忍耐強く待ち絶賛もできるのに、半分大人みたいな女の子がものすごくひどい家事をやるとハラワタが煮える。……自分だってできないくせに、である。
「どうすればいいのよッ!」と言われるたびに、なぜ指示ばかり待っていて自分で考えたり工夫しようとしないのか、何が必要か考え、それを探すか作り出すんですっ!と、鬼教官のようになってしまう。
ただ指示を出されるのを待っていたのでは、仕事など出来る人間にはなりませんよ、仕事は自分で創り出すものなのですっ!……気がつくと、新人社員教育の様相をたたえるのである。どれだけ仕事好きなんだ、私は。
そしてきわめて簡単な指示が実行出来ないのだ、うちの娘は。コマンドが3つでフリーズするのだ。
ああまったくもー、「なぜそうするか」の理由までたたき込んでいるのになぜ指示が思い出せないのか、なぜ簡単に出来ないのかと、やけに腹が立ちまくる。
その上、きかない体で結局やってみせることになるので、半端なくつらい。
いつもの担当である洗濯物たたみをやってもらっている今は、かなり楽だ。
と思ったら、いつの間にか、積んである洗濯物の山の間で、本を読んでいたりする。
娘よ、そんなところばっかりおかあさんに酷似しているのではいけないのだ。君にはもっと家事能力の高い素敵なお母さんになってほしいのだ。……遺伝と環境、そのどちらからみても、とてつもなく不利な状況を、どうやって克服するかが問題である。
そして、私の肋骨は果てしなく痛むのだ。
うううー。
子供は両親の特徴をそれぞれ半分づつ頂いている。
持論がまた現実に。
教育の基本は反復練習、ようするにいつもいつもの繰り返し。
どんまい、どんまい、お母さん。
えー、どうか痛みが早く取れますように。
HOME |
Topページにもどります |
![]() |
![]() |
AFFILIATE |
![]() |
![]() |