福助に勧められた情緒学級を見に行った。
そこがどんなところかはよく理解している。
コミュニケーションに問題があれば、オーダーメイドの贅沢な課題づくりがなされ、1対1で最高の指導を受けられる。
知的に問題はないが、人づき合いでつまづいた人にとっては、「悲しけりゃここでお泣きよ」という失恋レストランのような憩いの場所だと思う。
福助に、特別な何かに対する苦手意識、自己評価の低さ、特に運動機能が劣るという特徴が顕著に出てしまっていたなら、私は一も二もなく、通級を希望したと思う。
しかし、今の福助はどうだ。
失恋していないのに失恋レストランが必要なのか。
サッカーで自信に溢れて不遜なぐらいだ。特別な苦手意識を抱く部分もなく、しかし弱点は弱点として克服に努めている。
「僕はにらめっこが弱いんだよ」
とか、
「マラソンはどうしても三位なんだよなあ」
とか、笑いながら言える。サッカーで負けたときだけはまだ泣いてしまうが、その後の鬼気迫る100本シュート(補習)で溜飲を下す方法も知っている。
客観的にどう考えても、今の段階では必要ないように思える通級。
でも、どんなに親がそう叫んでも、診断名はいつまでもついてまわるのだ。
見知らぬ人はその診断名で、福助を想像するのだろう。例えば、うまく言葉では伝えられぬはずだ、本当はたいした運動能力ではないのだろう、たくさんの違和感を抱えている風変わりな子なのでは。
そんな目で福助を見ている人がいる。
お願いだ、先入観を捨ててくれ!! その先入観こそが、福助の敵なんだ。
どんな個性も尊いと教育現場はお題目をとなえながら、病気の持つ個性だけは特別扱いなのがつらい。
新一年生のための就学相談。フタを開ければ相談などではなく、単なる検査と、理由のわからない通級判定の結果だけが重くのしかかり、私は相談しにいったことを正直、後悔している。
「障害は治らないが克服は出来る」という前提に立っていない福祉の姿勢が、障壁になる。障害者の障害になる。
特別支援の対象となる部分、例えば特訓中の「聞いて理解する」ことが劣る点は配慮をお願いしたい。具体的に弱点も逆によい部分も客観的に先生に知っておいて頂きたい、そのための資料を揃えて学校に提出するために、就学相談に来たということを、私は教育委員会に再三言った。
けれど希望に反しての判定が出て、それならば納得のいく理由が欲しいと思った。納得がいけば、迷うことなく通級させることができるからだ。
まず、私に偏見があったことをこそ、指摘して欲しかった。
失恋レストランを、失恋経験者たちの修道院のように勘違いしていた無知ぶりを叱られるなら猛省もしようが、失恋は癒えて腹も減っていないのに「失恋レストランにやれ行けそれ行け、行かないのは親のエゴ」と叱られても困る。
情緒学級が何をする場所か、涙ふく専門のハンカチがあり、愛が壊した君の心を優しく包む個別のイスもあるということを、教育委員会はしっかりと説明すべきなのだ。
偏見は無知の産物だ。
身障も通級も、それがどんなところでどんなメリットがあるのか、そういうことを相談の時にしっかり解説しないで何が相談だ。
結局情熱をもってあたって、自力で現場の先生たちに会い、保護者達にあい、結果的に素晴らしい出会いと私の見識を広めてはくれたが、本当にずたずたに健常児の中でハートブレイクしている最も必要な子どもに、そんなことで支援の手が届くのか。
判定に従わないのは親のエゴだといわれるのを承知で、私たちはその信念と直感だけで、福助をオアシスから遠ざける決心をした。
これは、エゴか? 本当に福助にとって素晴らしい場所はどこか?
通級の先生方が「課題」とされる数々のこと。これが出来ればこの学級は卒業ですとおっしゃる課題を、既にクリアしている福助に、なぜここが必要だといわれたんだろう。
なぜ、専門委員会は誰も認めてくれなかったのか。
一人歩きする診断名。自閉症の福助ではなく、六歳の、ただの福助を見てくれ! そこに障壁を作らないでくれ。
あるいはひょっとして、やはり私たちには見えない何かがあるのか。私たちに見栄はない。福助にとって一番いいこと、決心はしてもずっと揺れていた。
直に接している幼稚園の先生方は、問題ないとおっしゃる。
だが、幼稚園と小学校は違うから、と福祉センターも教育委員会も言う。
就学児健康診断は、公立の小学校に通う子なら誰でも受ける健康診断だ。
体重身長測定、内科外科、耳鼻科眼科歯科で検診を受け、聴覚と視力をはかり、最後に個人面談と親子面接をする。
友達と一緒にこれを受けた福助、校長先生の面談だけ別の日にお願いした。
校長先生にはすべてを正直にお話しし、学校としては教育委員会の判定に従えというのかどうか聞いてみたかった。
「どうして僕だけ別の日にもう一回、先生に会うの?」
「福ちゃんはサッカーが上手だからだよ。サッカーではまだ幼稚園生なのに小学生の部でいつも得点する。そんなことは誰にでも出来る事じゃない。そういう特別ないいところがある分、ちょっと駄目なところもある。例えば、お話がちょっと下手だ。寝る前クイズもいつも100点じゃない。それでも小学校にはいれますかって聞いておけば、安心だからね」
と言うと、ふうーんという。どこまでわかっているのかはわからない。が、サッカーが彼を支えてくれていることは絶対的な事実だ。
大人でさえ緊張する初対面、そして校長室という場所。
その直前まで公園サッカーで泥まみれになっていた福助は、シャワーを浴びるのがやっとで、私は私で慣れないお化粧をするので手一杯で、1分遅れで校長室についたときには、私はまだその過失に気づいていなかった。
つづく
2006年11月07日 15:14HOME |
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