「うわあ、すごくできた息子さんね。こんな子が欲しかったわぁ」
と、スーパーマーケットで褒められた。
福助は買い物を手伝うのがうまい。
子供用カートから買う物をかいがいしくレジ前に並べ、カートをさっさと片づけて、袋つめもすれば袋を持つのもやってくれる。
その姿を見ていた知らないおばちゃんに突然頭を撫でられて、びっくりする福助。でももうフリーズはせずに、恥ずかしそうにうつむく程度だ。知っている人から抱きしめられてさえ、パニックを起こしていた福助が。
買い物は教材だった。人の指示が聞けるようになれば、福祉枠でも就職ができるはずだと思って、スーバーには必ず同行させた。
「きゅうりをください」
最初は私がクレーンのように福助にきゅうりをつかませる。
「物には名前があるのよ!」
気分は、サリバン先生である。ヘレン! うぉぉぉぉぉ。
きゅうりをカートにいれるまで、何度でも何度でもくりかえす。
指示が聞けるようになったら、今度は何本。何個と課題を強化する。
それができるようになったら、何個、もとい、何個戻す。という訂正の指示出し。
札の文字を読ませる。値段を確認させる。
もちろんうまくできれば頭を撫でて大絶賛だ。
野菜コーナーで野菜を買います。角を左に曲がります。レジではお金を払います。と、いちいち行動を言葉にして、言葉をたたき込む。欲しい物をひとつだけ買ってあげるのだが、OKなものとNGな物があり、どんなにダダをこねようと、指針は絶対に揺るがない。ダダをこねつづければおかあさんは彼を店の外に放り出し、置いて先に帰るということになっている。ダダはこねない方が得ということがじきにわかってくるのだが、わかるまではそれはもう……。
その特訓道場で「こんな息子が欲しかった」とまで言われた。
なんとなく、「合格よ」といわれたようで、うれしかった。
格闘の末、手に入れた素晴らしい息子である。
でも、それは表面的なことだけで、要は社会適合性があるフリ、真似の部分だ。
昨晩は、「つるの恩返し」よひょうとつうVer.をお送りした。寝る前のお話タイム、これは福助のリスニングトレーニングである。
これは一度舞台を見ているので、夜の寝る前ストーリーにしては熱演だが、同じなぞるにしても素人落語よりはずっと楽だ。
話を聞かせることに意義がある。だから、常動運動が始まったときには、福助にむかってお芝居をしなければならない。短めのわかりやすい言葉で。それも迫真の演技で。気分は北島マヤである。
他の方には決してお見せ出来ないあたりは、つうの気持が痛いほどわかるわ。
福助、寝る前クイズは満点で気持ちよく就寝……と思ったら、娘の感想を聞いていて、自分も感想を語り始めた。
「怖かった。でも、つうがお空に行って、さみしい気持になった。よひょう、さみしい」
そしてなんと、ぽろぽろ涙をこぼすのだ。
「共感」ではないか。苦手と言われる共感が、彼の身に生じている。人と人のコミュニケーションの根幹。これは真似だけではどうしようもない部分だった。
以前から、ひょっとしてこいつは共感しているけれどもただそれを言葉にできないだけなんじゃないかと思っていたのだが、やっと「表現」することがわかったのだと思う。聞き言葉から意味を探る力が、やっと追いついてきた。
これまた合格、と、どこかで鐘が鳴っている気がする。
今夜はオズの魔法使いにしようかな。
心のないロボットのように思われている福助の病気だが、誰よりも心が欲しかったのはロボット本人だったではないか。オズに行くことで、彼は心を手に入れる。勇気はサッカーで培った。智恵はくもんがなんとかしてくれる。
おうちほど素敵な場所はない。福助の旅は、終わりに近づいているのかもしれない。
「ごんぎつね」の朗読で泣き出した私をにやにや笑って見ているお人の悪いP子、もとい客観的かつ冷静さを旨とするP子よりももしかするとずっと、感受性が豊かに育っている福助を見ていると、困難だった昔を忘れてしまいそうになる。
孤独な子育てに陥りがちな発達障害児を抱えるおかあさんたちに、努力を強いる気はない。だって本当にイヤになることもたくさんあったもの。
でも、イヤになって、自分もわーって泣いて、泣いて泣いて、出口が見えないことに苛立って、当たり散らしたり、やけ食いしたり、お酒がんがんいっちゃったりしても、ちゃんと寝て、ちゃんと食べたらまた元気が湧いてくる。わーってパニックな時には見えなくても、少し冷静になって見れば、すぐそばに必ず一緒に闘ってくれる仲間や、支えてくれる人がいる。
夢は大きく目標設定は低めに。そして、まずはあの場所まで。そこについたら、次はあの場所まで。そうやって、オズを目指してもいい。天竺でもいい。
行くだけ行ってみようと思ったら、その旅を楽しもう。苦行や修行のためにバックパック背負う人はいない。楽しむために行くのが旅だ。見えなかったことが見え、わからなかったことがわかり、その子育ての旅は母親をピカピカに磨いてくれる旅でもある。
そうこうしているうちに、きっと、とりあえず設定したゴールには近づいてくるはずだ。
診断名があるために、小僧にはいつまでも病気がつきまとう。でも、そんなこと関係ないぐらい、小僧は今、健全に生きている。
ちゃんと六才児として合格だ。
親ばか高下駄をはかせている気もするし、別にここがゴールというわけでもなかったんだが、いいのいいの、私の中では立派に合格気分なので、満喫だ。
一歩一歩、前に行こう。焦らなくても、一歩分は確実に、前に進んでいる。
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