2006年10月10日

就学相談2

痛い。
いやそれは私の寒いギャグではなく、私の全身の、こってりした脂身に大事に包まれた、筋肉がね。
特に、右足の太ももが、かるーく、肉離れっている。
「ああん、おとーさん、太ももが、太ももが」
と言ったら、
「お前の体で太くないところはないのだから、太ももがと敢えて太いを強調しなくてもよい」
と言われてしまった。太い首、太い腕、太い足……波にちゃぷちゃぷ浮かんでる♪
って、歌わなくてもいいんだわ(「カモメの水兵さん」より)。
それにしても、この腿には湿布程度じゃどうにもならん。でもこんなことで病院に行くのは恥。
ちょっとかけずり回っていたのよね、小僧の運動会。会場仕切る係で、嬉々として園庭を走りまわり大声を出してストレス発散していたの。
父兄参加競技で張り切りすぎたのも原因のひとつ。知らないお父さん(もちろんソッコーで好みのタイプとペアになったさ)の手をしっかり握るチャンスは逃さない。そして、もちろん全力疾走。ふっふっふっ。
しかしこういう競技を考え出す先生方もなかなかのモノである。のちのち恋が芽生えたりしたらどうするんだ。……ありえないか。

そんなわけで、片足を引きずりながら、教育委員会に行ってきた。
そして、今後の療育のために、通級の判定基準となった問題点を伺って……ええーっと、うーん、伺うも何も。
なんというか、まあ病名があって、将来的にそういう事態も予測される、と。
んー。……それだけ? 
どうやら、それだけらしい。
いや、もっともなんですが。もっともなんですよ、今後、そりゃどうなっちゃうかわかんないんですよ、完治する病気じゃないから。
見立てとして、福助は気分の切り替えが下手、大人がコントロールすれば従えるが、基本的に自己主張が強く、これが友人関係での障壁にならないとも限らない。ということだった。集団の中でその部分をチェックされたわけではなく、つまりは診断名と知能検査の結果から見た、いわば憶測、未来予想ってとこだなあ。
学務課の話っぷりでは、今、急を要するというのでもなく、どうも転ばぬ先の杖、というやつだったようで、ある意味、手厚くてとてもありがたい。幼稚園が大変目が行き届いているために問題が見えていないが、学校はそうはいかない、というのも根拠らしく、まあ公立はなかなか厳しいもんね。それはそういう病気だから先に保険かけておいて吉、というのは充分ありだし、うん、やっぱり有り難いよね。

隣の区では、問題が表面化してから初めて情緒学級に通級というシステムが発動する。
通級の専門家先生方は、在籍校を参観してからその子の受け入れとメニューを決めていくから今申請しても10月からだといわれて、私はそれが理想だと思った。
何しろうちの区は、なんでもかんでも即座に通級通級、診断名がついている以上子どもにとっていいのは通級通級、言われたことに従わないのは悪い親です通級通級、という雰囲気で持って行かれる。どうもそういう雰囲気に、私は感情的な反発を覚えていたのだと思う。
けれどそういうシステム上のバグみたいなところに目をつぶれば、選択肢が増えているのだ。個別の特別指導を、隣の区なら朝から4時限みっちりのところ、うちの区はわずか二時間/毎週だけだが、受けられるのだ。有り難い支援の一つではある。
来年2校、さらに再来年2校、情緒学級が相次いで開かれるそうだ。ニーズはうなぎのぼりとのこと。有り難い支援は今後、少し門戸を開いて、得やすくなるのかも知れない。

だが、福助にとってはデメリットもある。
なにぶんにも、小学校に入学して慣れないうちから、もうひとつ学校に通わなければならないというのは、新しい環境に慣れにくい彼にとって逆効果である。
5月からと言うことになるらしいが、週5日のうち1日を休むのは、学業の遅れこそ取り戻せるとしても、友達関係はあまり好ましいとは思えない。ましてや、福助には体育や算数などの得意科目がある。その自信が今の彼を支えている。それをつぶしてまで……という気もするのだ。
「そこはなんとも言えませんね。お子さんによっても違いますし。行ってみないと正直、わからないですね」
その、行ってみないとわからない事態のために、私は寝ずに情報収集していたのかと思うと多少、徒労感もあるのだが、なんのなんの、経験値が増えたことは大変によいことである。

ここで就学相談の要点をまとめてみよう。
このwebに、迷えるおかあさんがひっかかってくれたらいいなと思う。この部分だけはコラムにもしておこうと思う。
私の経験が誰かに生きれば、それは何よりの喜びだ。

1)就学相談は、自分の療育自慢をするところではないと知ること。
私はこれでミスった。あまりにも正直に赤裸々に生育歴などを問われるままに語ったために、病名が一人歩きし、本来の子どもの能力よりも低く想定されたと思う。現状を見てもらうことが大事。

2)就学相談前に、できれば通級や身障、養護をしっかり調査し、自分の行きたい進路をある程度設定しておくこと。
私は「行かない」前提にあったので、全く調べておらず、後手に回ったため、相談時にはっきりと意志を伝えきれなかった。
ただし、情緒通級は、ある意味、コミュニケーションが難しいタイプの人間にとってはオアシスであり、障害に限らずいつでもそういう場所があることを、健常者の保護者も広く理解しておけば、自信喪失や鬱などの二次障害、不登校、いじめ、自殺などの命綱にもなりうると確信した。

3)就学相談では、目的を明確にすること。
私の場合は、自分の行きたい学校にデータを渡し、特別支援を受ける場合の注意点を促したいだけなので通級は全く希望しないともっとハッキリ、再三わかりやすく言うべきだった。その時点で、情緒学級について知っておけば、より説得力を増したはずだった。
あるいは人によっては強く希望するかも知れないので、そんなときには遠慮無く、強く希望と言った方がいい。彼らだって忙しいから、保護者の心の裏までは読み切れなくても当然だ。

4)通級を勧められた保護者の方は、それを妙な烙印とは思わないこと。
私は説明会の時にひどい説明を受けたため、通級に対して偏見を抱いていたが、たくさんの経験者の方からのご意見で、そこを修正するに至った。偏見は、教養のなさの露呈なので、恥ずかしい限りだ。
通級判定は、特殊学級に行けという命令ではない。選択肢がひとつ増えたという程度の認識で十分だと思う。教育委員会や判定委員会も、ものすごい本気で、ものすごい根拠をもって勧めてきているわけではないと知った。地域差はあるかもしれないけれども。
それよりも直に幼稚園の先生に日頃の問題点を聞いて、客観的に判断する指針にするとよいと思う。ただし幼稚園の内申書は教育委員会から提示してはもらえないため、幼稚園がどういう判断をしているか、本音を知るのは難しいかもしれない。園とよりよい関係を築いていることが前提になる。

5)別の可能性も探ること。
例えば、普通学級に不安があれば、通級ではなく身障も焦点にいれてみるぐらいの柔軟性を持つといい。私は通級にひっかかるはずがないと自信を持っていたために、意図が違うところにある判定を目前に、パニックを起こした。
普通で、通級は必要かなあ…と思ったら、身障も。身障でいけるかなあと思ったら養護もチェックしておくことをお勧めしたい。
そして偏見を捨てて、案外きめ細かく療育して頂けるかもしれないなど、利点をしっかり探しだそう。それぞれの学校では先生の力量が違うため、その辺りの情報収集も徹底して行いたい。

5)-b あるいは、必ずしも公立ではなく、障害に特化した私立もあるかもしれない。不登校になったときのためにフリースクール、プライベートの教師、私塾なども調査しておくとよいと思う。
私は今回、突然思いついて例えば国立の受験、私立の受験というのはどうなのかと想い、徹底的に調べてみた。福助に特に問題がないと確信しているのに、支援を頂かなければいけないと発想するのは、公立の人数の多さと、カリキュラムの不安定さと、一律の指導要綱、その割にバラエティーに富む級友を見越すからだ。
はなから少人数教育を謳う学校、特殊能力を活かす学校、知能指数を重視する学校なら適応できるのではないかと検討し、意外と特技さえあれば適応出来そうな学校や、上手く受け入れて能力を伸ばしてくれそうな特色ある学校も多いと知った。
今年のお受験に対応していなかったので今回は見送るが、そういう手もあったかと発想の転換が遅かったことを悔やむ。先行して兄弟を入学させるという戦略もあった。中にはまるっきり抽選という学校(国立)もあるので、できるなら引っ越すというのもひとつの方法かも知れない。
今から就学までに何年かある人は、自分の子どもの伸び方を想定して、学校を国立や私立に絞ってみるのもありかもしれない。

6)決定したら、なるべく早く、所轄の学校に行って、子どもに合ったメニューを作って頂くこと。
私たちは情緒学級も見学した後、おそらく今年いっぱいは様子を見たいという意志をお伝えすることになると思う。そこに通うべき決定的な理由が見つからないからだ。在籍校には、その理由も含めて、すべての情報を開示する予定で、即座に支援して頂きたい部分を話し合う手はずを整えた。
もしこの先、決定的な理由を自分たちでみつけたり、あるいは別の形で納得して、通級することになったら、やはり即座にそこの先生方と話し合いを持ちたいと思う。今回情報収集中に、特別支援教育に携わる先生とお話しして感じたのは、「包み隠さずに何でも話せば、相手はプロ中のプロである、必ず解決の糸口が見つかるのだ」ということだった。大収穫である。

助けて欲しい、というのは恥ではない。できないことは、人間なのだから、だれにだってあるぐらいの気持でいよう。そのかわり、私ができる部分で、学校に貢献しようと思う。もちつもたれつで、世の中は動いているんだ。

というわけで、まだ片足を引きづっている私は、子ども達に買い物袋を持たせ、相方にたたんだ洗濯物を二階まで運んでもらっている。家族にはかなりもたれっぱなしだが、な〜に、これも、何かでお返しするからいいの。もちつもたれつだ。
運動会が終わってしまい、この問題も終焉に向かっている。
うーん、つまんないなあと思っていたら、この秋はサッカーが待っていましたよ。ふっふっふっ。
来週から続々練習試合や大会で、スケジュールみっちみちだった。
もう別の異性とお手手をつなぐような嬉しいイベントはないけれど、やっぱり走り回り叫びまくるチャンスはあるのだ。ああん、太もも痛めてなんかいられないわ〜。頑張らなくっちゃ!

2006年10月10日 20:53
コメント

私が小学4年から高校卒業まですごした吉祥寺のM学園、私のいた頃は情緒障碍の子や知能が遅れ気味の子や全盲の子や小児まひの子など結構いてなかなかいい環境だったのだけれども、去年息子の就学のため覗きに行って校長先生と話したら、今は身体障碍の子しか受け入れてない、と言われてがっかりした。
学校の都合で、はじき出される子どもが増えているのかなあ。それって、つまらないけど、先生たちの限界なのかなあ。
小さいうちに色々な子と会う事は、人生を豊かにするし偏見をなくすと思う。たまたま私の息子は今のところ障碍を持たない子どもだが、彼にも私と同じように色々な子どもと共に育って欲しいと思う。
そんな風に思ってる親もいるのだ、と子どもの障碍に困ってる親に伝えたい。

Posted by: けんた : 2006年10月10日 22:09

子どもを見ないうちから、病名だけで判断してほしくないっていう気持ちはとてもよく分かるのです。
がんばってきた自分の療育を、否定されたような気になられたのかなぁと思いました。

でも、私は入学時にこそ情緒学級の手助けがあればいいなぁと思っています。
全ての環境が一転し、ひとつひとつルールを覚えなくてはいけない4,5月の時期こそ
週一回の情緒学級や、たまの加配が
いい効果を表すのではないかと思います。

その先、彼が慣れてきてから通級を減らすことも相談できるのではないかと思います。
あまり詳しくもないのに生意気言って、すみません。

小学校に関わる者として
U子さんが、教育委員会との一件から見事に気持ちを切り替えておられることを嬉しく思っています。

Posted by: じゅんこ : 2006年10月10日 23:09

けんたさん
ありがとう。M学園、いい学校だよね。そして、いい学校で育った人は、本当にいい人になると、私は思います。
すごく悩んだのは、療育がうまくいって、病名を隠せるほどになった場合、私立受験にその診断名は要るのだろうかということ。私はそれをどこかでアンフェアだと思うんだけれど、しかし小僧が小僧の人生において、持病をどう捕らえるかは小僧自身の問題であり、中学受験で、高校受験で、果たして小僧は告知義務のないその病気を、どう扱うのか。今回、どう考えてもまだ答えが出ないままです。しばらく悩みそうです。

じゅんこさん
図星です。判定は、療育の否定だと思いましたし、どんなに頑張っても一生続く茨の道なのか、じゃあ何を目標に育てていけばいいのと、思い知らされた瞬間でもありました。
そうですか、入学時こそ、必要と。今日、強くは勧められなかったので、あまりメリットについては考えていませんでした、盲点の指摘、ありがとうございます。
なるほどなー、逆に最初だけ使わせて頂くようなつもりで。というのも、ありでしょうか。取り急ぎ、指定された学校に行き、その点を情緒の先生とみっちりお話ししてみます。とても興味深いです。ありがとうございました。

Posted by: ゆう子 : 2006年10月10日 23:30
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