いやー、帰ってきました、下田から。
24日、10時15分に、家を出た。
ところが駅までの道で福助がどうしてもこのバッグがダメだとダダをこね始める。肩ひもが食い込んで痛いと聞いては道中私が荷物持ちになるのは必至、一度家に戻ってバッグの詰め替え。そしてこのロスタイムを取り戻すには、おそらく小田急を使うより、東京駅から踊り子またはスーパービュー踊り子に乗った方がよかろうと思い直し、まず吉祥寺に出たのが諸悪の根源だった。大急ぎで土産を買うには勝手のわかった吉祥寺は便利だ。タワレコもあるし、ビレッジバンガードも王様のアイディアもある。この辺りはむしろ知らない新宿や東京のデバ地下より手早いはずだったのだが、誤算はなじみの吉祥寺で、子どもたちのおなかが減ったことだった。
手早く食べられる麺類の店に入り、ものすごいスピードで食べたものの、それでもここで更にロスタイムは加算される。電車の中で駅弁が正しい姿勢だったのに。
さて、JR吉祥寺駅ではみどりの窓口にてチケット並びの列を待つ。あと五人ぐらいのところで、JRの社員に個別に声をかけられ、自動券売機が早いですと勧められて列を離れた後、社員が自動券売機で作業してくれるのだが何度やっても踊り子に嫌われ続け、挙げ句の果てに「すみません、やはり窓口で……」ともう一度振り出しに戻る無間地獄のような事態。長蛇の列の尻に並ばされるのは納得がいかないといったものの、既に私の後ろに並んでいた人はチケットを 窓口で購入している真っ最中で、そこにも戻れず。結果的にチケットを購入するまでにはらわた煮えくりかえりながら40分近くもかかった。次善の策としてさっさと東京にいってしまえばよかったのだ。あちらの職員の方が鉄道オタク度が高いに決まっていて、何かといろいろスムーズなはずなのだ。しかし、一度動いて失敗すると人は動けなくなるモノなのである。やっと私がチケットを申し込む頃には踊り子はもうすっかり出払ってしまったので窓口係員に勧められるままに新幹線に乗ることになり、たいした説明も受けなかったので「のぞみ」と書かれたチケットを持ってすっかりのぞみにのるつもりでおり、気づかなければそのまま熱海で降りられずに名古屋まで行っていたかも知れず、全くチッチキチィやで、乗るべきは「こだま」なのであり、それに気づいたのは、子どもにねだられて銘菓ひよこのために東京駅、わざわざ階段を下りてまで二個入りを買い求めたところ、その間に新幹線こだまが発車してしまったためだったりした。結果は塞翁が馬なのだろうが、気分は泣き面に蜂。(説明詳細省略、またはらわたが煮えくりかえるわ)。
何のために午前中に家を出たのか、グアムだってドアツードアで6時間もあれば充分なのにグアムより遠い下田がそこにはあった。時速250キロの新幹線ですら、私の気持ちには追いつかない。
どうにもこうにも、病院の最寄り駅に着いたのは夕方で、お見舞いのための花屋を探したが、その駅付近には花屋が全く見あたらず、もういいやととりあえず小型タクシーに乗ったところ、ワンメーターで行くはずと教えられた病院は1000円以上かかった。
そんなわけで道中は踏んだり蹴ったりだったけれど、おじいはちゃーんと重篤を脱出していて、ちょっと安心したのだった。よかった。いろんな意味で。もう、これがあったから救われたようなもので。
っていうか、これ以上はない展開。そうだとも!!
見舞いの時間はたっぷりあったので、P子は一通り近況報告をし、いろいろと耳元で渡米の抱負などを述べ、またおみやげの話などをして、おじいはそれに答えるように目をあき、唇をふるわせるのだったが、福助はただ「生きててねっ!!」とだけ大声で言って、見舞い終了、すたすたと病室を出て行き、廊下の待合いイスに座っているのだった。それは何か違うようにも思われたのだが、鈴木の血は義父も相方も、そして小僧にも脈々と受け継がれている「冷血なまでに無駄がキライ」な家風のようにも思われ、それはそれでいっそ小気味よいということにして、もういいやと思う。精神的に疲労が増すと、私の場合は、てきめん、頭がフリーズして言葉がうまくあやつれなくなる。この時点で相当疲れていたような気がする。
山の奥の奥の、更に奥。バリ島のウブドゥにもよく似た緑の濃いぃぃぃ匂いがする相方の家に着いたのは、とっぷり日もくれた頃だった。何?なんでこんなに時間が? ブラックマジックにかかっていたのではないかと疑ってみる。
実家での飲み会は義母と義姉、大人になりつつある姪達とはしゃぎっぱなしのうちの子ども達だから、楽しくないわけはないのだが、何しろ今日は運気最低の日、よりによって義兄は大変無邪気に私の地雷を踏んだのだった。
義兄と私は、この家の中で血縁に寄らない鈴木という、共通の立場である。腰痛持ちで薄毛で自画自賛体質でお人好しの、共通項も多いのである。言ってみれば、大変に可愛いタイプの男性である。いつもなら、案外楽しく飲めるのだが、どうしてなの、今日に限って、私の間違って入っちゃった大学の話と、私の母・ヨシコの話題という、私の二大鬼門話に触れられたものだから、泡立つ気持をなだめるために泡立つ飲み物をガブ飲みしてしまい、おそらく私としては初めてかなり語気荒く、くってかかってしまったのだった。ついてない日というのはとことんついていない。人間ができていないといういい方の方が正しい気もするが、ツキのせいにして逃げたい。
ま、そこはそれ、義兄の寛大さに甘えて、なかったことにしてしまおう。単純に気が合う友達みたいな義姉とは大変楽しく話が進んだので、よしとする。ごめんね、義兄。
そして、飲み過ぎが祟り、夜中に腹痛で目を覚ましたのだった。とりあえず、客間に相方の伝説のような粗相をしなくてよかったと、前向きに物事を考えながら、大雨の降る夜明け、もう一眠りしようと努めたのだった。
明けて下田を観光する。
寝姿山ロープウエイで汗だく。目的地の巨大迷路はなんの告知もなく閉鎖されてい留事を山頂で初めて知る。温泉もらい湯は最終に間に合わすために大急ぎで慌ただしい湯浴み。列車の中でP子が床にぶちまけたジュースと、寒すぎる踊り子車内、爆睡する子ども達にありったけの衣類をかぶせて、その横で震え続けた数時間。そして乗り継ぐ京王線は人身事故のため戦時中か何かのような人の群れで(経験はないけどね)、私は何かこう今回の帰省に運の悪さで疲労困憊したような気がしていたのだが……今こうして冷静になって振り返ってみると、仕事中だというのにサポートしてくれた義姉のおかげで、かなりラッキーだった部分があったのではないか。車での移動といい、無節制な飲み会といい、義姉がいたからこそ助かった。試験日がどうとか言ってた忙しい平日に、いい迷惑だったのではないか。ごめん、義姉!
そして更に、誰がなんといったって、一番苦労しているのは義母じゃないか! と気づく。
自分の子どもに嫁いできたのは、似たような婿と、似たような嫁。しかも嫁、ここのところ運気最低。この飲み始めたら全く動かない二人が飲み食いする端から、義母、次々、うまい料理をつくり、酒を運び、さらに孫達の面倒を一手に見て、病み上がりなのに、家事万全。ツキのない嫁が来るのに合わせたかのように何故か突然壊れた冷蔵庫の対応もバッチリすませて、まさしく休む暇も無し。
主治医が外国人になってしまった途端、体調が悪化した自分の夫のことだけだって十分すぎるほど、大変なはずなのにさ。
ああ、ホント、ごめん、義母!!
明日からは、なんとかツキを上げていきたいよ。
2006年07月26日 01:51| HOME |
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