2011年10月20日

生きたい。

ハードルがうまく飛べた。
それだけでスキップしながら帰宅する小僧。
ミニゲームで2得点。練習後、夕飯でうれしそうに語る小僧。
まだほんの11歳なんだなあ・・・。

私の父は10歳の時に両親を亡くして、児童施設などない時代に親戚を居候としてたらい回しにあい、時代的にありがちな辛酸があって、それには性格を歪めることで適応しなければならず、どこかに子供時代を押し込んだまま、ちょっと困った大人になった。
誰も彼の苦労を理解できなかったし、また高度成長時代に生きる私たちは、共感のしようがなかった。
お嬢様で苦労知らずに育ち、これまた別の意味で子どものまま大人になった母と恋愛の末、結婚に至ったところでとうまくいくわけがなく、結果的に「家庭」を壊して自立することで、少しづつ二人は大人になったんだと思う。

こんな小さな小僧の年齢で、今日はともかく、明日安心して眠れる場所と食べる飯がないかもしれない不安。弟と妹を抱えて、それは大変だっただろうなあと今、切実に思う。
父が生きていたらなあ。
今なら、話を聞いてあげられたかもしれないのに。
カウンセリングの基礎を徹底的に仕込まれてるのに、大切な人の話をきくことには活かせなかった。
母の記憶が混濁する前に、できるだけ話を聞いてあげよう。
思っているときに行動しないとね。

ところで小僧はタイからファンレターを書いて送っている。
鈴木みそ先生に対してだ。
先日は、友達に「いや、一番面白い漫画はオレのお父さんが描いたものだから」と威張っていた。
真剣に尊敬しているというのがすごい。さすが小学生である。
私には言えなかったセリフだ。
おそらく私の父も、僧侶であった父を尊敬していたと思う。獄中死するほどのインテリゲンチャだったことを誇らしげに語っていた。優しい母親を理想としていた。
それでも、死んでしまったら守れない。
父の父も、父の母も、どんなにか無念だっただろうと、今なら痛感する。47になろうとしている私ですら、子供たちを残してまだ死ぬ訳にはいかないもの。
がんばろうと思う。元気でいなくちゃね。がんばろうと思える。まだ無邪気な小僧を見ていると、本当に頑張ろうと思うよ。

全身筋肉痛、程度なのに、なんか末期患者のようなオオゲサな言葉をつぶやいてて、すみません。

2011年10月20日 10:20