2011年01月29日

泣いた母親

泣いた赤鬼、ごんぎつね、マッチ売りの少女は、私の3大涙ツボである。
一瞬で、泣ける。
10秒で泣いたら100万円!みたいな挑戦をするテレビ番組がバブリーな時代にはあったものだが、この三つのどれかひとつでも携えていけたなら、勝てる自信があった。
空想でも呼び覚ませるのだが、感情失禁状態になってしまうので、普段は固く封印してある。

で、この「泣いた赤鬼」が道徳の教材に使われるというので、万障繰り上げて学校に向かった。
しかし、情緒的なことを理解するのが困難な小僧には、今ひとつ訴えかけるものがないようだ。
劇化して感情移入させてみたり、発言から友達の存在や大切さを測ってみたり、先生の授業はなかなか素晴らしいのに、小僧はずーっと教科書から視線をはずさなかった。多分、わからないのだ。
指名されたときには、国語的には満点の答え方をした。
くもんで徹底トレーニングされた、どの部分を読んで、どの部分を答えればいいのかはわかるのだ。
けれど、「どう考えるのか」に応えてはいない。
これはどうしたらいいのだろう。オズに行って、「心」をもらってこい!と思う。

とりあえず、自分に置き換えて作話してみよう。心に届きやすくなるはず。
小僧には今、一緒に全国制覇したいと信頼をおいているサッカー仲間がいる。
ところが、監督が話しているのを小僧達は立ち聞きしてしまった。
小僧は多分選抜チームに漏れることが確定したというのだ。シュートが地味なFWなどいらないという。
それを聞いた仲間が、選抜のかかった試合で、自分がシュートできるときにも常に小僧にパスを送り続け、小僧がとにかく目立つようにお膳立てしてくれた。
その結果、小僧は選ばれた。しかし、その子の名前はなかった。一緒に行こうと誓い合ったのに……。
というストーリーならどうだろう。

いや、多分勝負の世界では、やさしいその選手が「負け」なのだ。
だめじゃん!

そもそも、青鬼が優しすぎるからいけないという考え方はできないか。あまりにも突発的な考えで行動しすぎ、自己犠牲といえば聞こえはいいが、結論を考えてのことだったのか。早計に過ぎる企画で、大切なモノを失った。その経験は青鬼の将来に生かせるのか。
むしろ、赤鬼との関係を断ちたいと願っていた、渡りに船だったという推理は成立しないか。
赤鬼が抱く、余計な夢についてはどうだ。その夢を実現させようとするための努力が立て看板一つ。それも一度ばかり悪口を言われて、看板を壊す短絡ぶり。赤鬼は人に理解されるためにもっと努力をすべきだったのではないか。努力の方向性が間違っていたのだと反省し、違う形で青鬼に協力してもらうこともできたのに、野心に対して、アイディアがあまりにも貧困ではないか。
村人にも問題がある。
村人がくだらない偏見を持たず、新大久保の外国人街のように全てを受け入れる心の広さを持っていたら、「鬼と仲良し村」などとして町おこしし、観光資源化も考えられた。
「お菓子もお茶もあるって。行ってみようか」と思わない、保守的な考え方は非難されるべきではないか。原宿でこんなブースがあれば地方から来た18歳未満はみんなチラ見程度は試みるだろうし、巣鴨でこんなブースがあったら、ジジババたちは列をなすだろうに! 村人、好奇心なさすぎじゃないか。

泣いた赤鬼で、別の意味で泣いている母親が、ちょっと八つ当たりしてみた。
それでも青さんの最後の手紙、「心からの君の友達、青鬼」の一文に、やはり涙を抑えきれない母なのであった。

2011年01月29日 11:55