2010年10月18日

お世話されることについての考察

年を重ねると、人に甘えるのが下手になる。
特に前線でバリバリやってきた女性は、甘え下手だと思う。
依存と依頼は違う。
頭で分かっていても、自立しようと頑張った自尊心が、多分邪魔をする。

すごくありがたい申し出があった。私の苦手な家事労働をちょっこし手伝いに来てくれるという友人がいたのだ。
永遠に友だち!と涙が出るほど感謝したね。
時間があわなくて、断念したけれど、本当に大歓迎というか、是非お願いしたいと思ったの。
そうやって、将来に備えたい。
苦手なところを甘え会える関係を、女友達と作りあげて置くことは、40代50代の必須課題だ。
依存せず。
依頼しあう。
その頃合いが難しいから、今のうちから遠慮のさじ加減を学ぶのだ。身内同様、すぐ仲直りできる喧嘩なんかもしておきたい。
離婚している友達、死別している友達、夫と折り合いがわるい友達、逆に仲良しすぎて夫に遠慮しがちな友達。私が出来る時には、できることをさせてもらいたいと思った。
今、福祉を本格的に学んでいる私は、制度そのものも扱えるプロを志している。
学ぶほどに、つくづく、福祉の世界は専門的な分野なんだなあと痛感する。私に家事能力はない。悲しいほど、レベルが低い。その分、友人たちが共に年老いたときに、制度フル活用できるぐらいの手だれになって、ぜひともお役に立ちたいと思った。
あとはマッサージの技術だね。小僧をマッサージするために本格的に勉強し始めているので、これも老人には役立ちそうだ。
弱っていく肉体に、頑強な精神を宿らせるのだ。
それが、今後の課題である。
私は、女友達に恵まれている。そういう意味では、大資産家だと自負している。
ありがとう。

さて、軽い家事の介助から、本格的な介護について考えてみた。
これはもう、現場の声から学んだね。
「全面的に委ねて感謝するのがいい」それ以外はない。
自立を諦めろとか、わがままし放題と誤解されると困るんだけど、迷惑をかけないように生きよ。という日本の常識は、私は間違っているといつも思っている。
迷惑なんて掛け合いじゃん。
だから、かけられた迷惑には笑って対応しようと思う。
できない人を責めない。
やらないことを責めない。
若いうちにさんざんいろんな人の迷惑の尻拭いをしておけば、自分ができなくなったときにも安心して迷惑をかけられると、そんな形で帳面を合わせる。
そのほうが、迷惑かけまいと個人で頑張ってるより、ずっとしなやかだと思う。
下半身が緩んでしまったら、率先しておむつをする。
おむつを変えてもらうの、恥ずかしがらない。
それは、緩んだ人を別になんとも思わないから。病気や老化なんだから仕方ない。
おむつ変えるのも、ちょっとめんどうだけど、特にいやな作業じゃないしね。
それぐらいのスタンスでいられるので、介護も多分介護されるのも、そんなに大問題だとは思っていない節がある。
ま、相方に介護されるより、相方の介護をする方が気楽だけどな。
「白日のもとにさらされる下半身」なら、多分男性の方がユーモラスだろうし。時々、はじいて遊んだりもしたい。

しかし、いざ自分が寝たきりになった想像をすると、ちょっとしんどい。
MRIで見た私の頚椎はしっかり4つの骨がヘルニアで、とげとげがかなりとげとげしている。しかも神経を束ねる管がひどく狭く、今すぐスポーツはドクターストップなのだった。衝撃を受けたら簡単に脊椎損傷してしまう程度の髄液の量って、どれだけ細いのか専門家じゃないからわからないけど、クッションがない状態はヤバイんだろうなってことは素人にもわかる。
神経管がミニバス程度なのに、しっかり神経がすし詰め状態な部分のMRI写真を見て、大型バスみたいな肉体なのに。と嘆きたくなった。どこまで忙しいのが好きなのか、そんなに満員電車を愛していたのか、私。
そこにとげとげ。しびれちゃったり、痛かったりするはずなのである。
これは老化してもびろーんと広がるわけでもないので、いやむしろ出来ないことが増えてしまうはずなので、手術がベターかもしれないなあと思いつつ帰宅した。
安全な手術だとしても、首の骨をいじるとなれば、万に一つの「寝たきり」の結末がよぎる。
相方の股間をはじく予定が……と思うと、割と切なくなる。
いや、はじくのは別に元気なうちにさんざんはじけばいいのでいいのだが、ブログが書けなくなるのがつらい。小僧の試合を見にいけなくなるのがつらい。娘と一緒に遊べなくなるのがつらい。タイに移住できなくなるのがつらい。あらあら、辛いことばかり。
保存療法もあるだろうし……と思いながら、大学病院に転院するのはやはり不安も大きい。まだ現実的ではないので、のほほんとしているが、ショックを受け止める覚悟だけはしておこうと思う。

こんな時、病魔に立ち向かって果敢に頑張った女友達のとびきり明るい顔を思い出す。身近なところでは、姉も義母も母・ヨシコも、闘病中だ。
これは、すごい救いだ。
友人の不安はいかばかりだろう、それでも超かっこいい闘病ぶりなのだ。ガンから蘇り、確固たる考え方と、生きる姿勢が素晴らしい。
今は日常をしっかり満喫している。子どもたちとの関わりも最高に愛情深い。もちろん彼女は今後も一病息災で生きていく。生きるということはどういう事なのか、私は彼女から学ぶことだらけだ。
こういう女友達も、実にまたありがたい存在である。
実は彼女が大変なとき、私は想いが至らず、彼女のために何も出来なかった。
でも、彼女は上手に「この係仕事は今は免除してください。でも、元気になったらぜひ」と爽やかに甘え、上手な「依頼」の方法をみんなに教えてくれた。
まずは、病状を隠さずカミングアウトすることだ。理解は相手に委ねる。それをどう感じてくれと押し付けるのでなく、どう思ってもいいですよ、私は今こんな状態で、これができてこれができない、という。ここをこう助けて欲しい、という。これには強さが必要だが、その強さは、周りに良い影響を及ぼす。
検診をみんなに勧めた。あの時彼女と知り合ったママ仲間で、実際に検診を受けた人はたくさんいたと思う。私もそのひとり。そして発見された、命に別状のない、婦人科系の病気とうまく付き合っている。別状があるような事態になれば、早期発見できる。
ありがたいことだ。
関わりの中で、人は学んでいく。
自分の辛さは、うまく使うと、別の人の幸せに変えることができるんだなあと、私は彼女から学んだ。
そして、実際に元気になった今、自分自身の趣味を実践し、子どもたちとの関わりを自分の生きるお楽しみの一つにしている。なんて豊かなことだろうと、彼女の生活ぶりをみていて思う。
彼女のようにはなれなくても、彼女を少しだけ模倣することはできる。私も、カッコよく戦いたい。
今は、ちょっとしびれてちょっと痛いけど、まだまだ元気だ。
私には、今、私にできる誰かへのお世話の仕方があるはずだ。
いっぱい、貯金しておこう。それは、お金ではなく、愛情と友情を。
そしてどんな状態でもその存在で役に立てることはないかを考えよう。失う機能を嘆くより、その現実から何かできることを考えよう。
さて、今、何ができるか。

……掃除、かな。

2010年10月18日 11:39