2010年10月15日

アートな人・ヨシコ

うちの母・ヨシコはアートな人だったんだ。
と、再認識をした。
昨日はおびただしい数の洋服を整理し、とりあえず、和室の畳が一部見えるところまで。押し入れまでの獣道を確保する。
老人の一人暮らしで、この数の衣装管理は不可能である。
丸半日かけて、全行程の1/5程度だが、これはまだ着る、もう着ないの判断をさせながらゴミ袋につめ、洋服ダンスにしまっていく作業は意外なことに、案外楽しかった。
多分、母が死んでからの遺品整理だったら「趣味、変!」で終わったものが、このピカソの絵みたいなのはいつ着たのか、このミレーの絵のようなドレスはどうしたのか、このドラクロワのような色味のスカートはいくらだったのか、いちいち聞けたのが悪くなかったのだ。
あとは同じような黒い服、大量。オーガンジー、ジョーゼット、シルク、ベルベット、コットン、レースなど素材が違うこれらと「変!」を組み合わせていたわけね、と納得したが、黒も、ありすぎ。
これはもっていっていいわよタンスから、黒いツヤツヤの、マツコ・デラックスのようなコートと、今の時期に汎用性の高そうな紺のジャケット、冬場に便利なオリーブ色のしっかりしたジャケットを一着ずつ、戦利品としていただく。
オリーブ色の上等なジャケットのポッケには安いアメがくっついて内側にシミを作っており、即クリーニング出す。
ああ、母・ヨシコらしい。
そして、私も同じDNAを受け継いでいると思うわ。
「そんな地味なのでいいの?! 若いんだから、こっちを着なさい。あ、それはどう?」
と母ヨシコが勧めるのはことごとくとんでもない色柄で、学校にそれを着て行ったら「どうしたの、ゆうこさん。いったい何があったの?」と言われること必至だ。
假屋崎省吾様こそ、私のファッションのストライクゾーンど真ん中を自負する私だが、母ヨシコの超越した趣味はさっぱり理解出来ない。
でも、そういう「変」なのを、割と上手に着こなしている人だったんだなあとも、改めて感心した。
帽子とスカーフとバッグのぎっしり詰まった大型衣装ケースは今回は触らなかったし、夏物用タンスには風を通しただけで、下の方にぐっちゃり山積みだった服は一括して大型衣装ケース2個に詰め込んで、たくさんの衣装ケースを重ね、上からタオルケットをかけて見えないようにした。
見えないものはないもの、という便利な鈴木家ルールである。
立派すぎる和ダンスは見ないことにする。開けたところで虫干しするスペースなどない。
あの大島や、あの振袖や、色無地は無事なのだろうか。大きく穴の開いたセーターがいくつも出てきている。いや、見ない。この和室には、和ダンスなど存在しない。

そうなんだ、和室だと思うから腹がたつのだ。
ウォークインクローゼットだと思うから、ウォークインできねぇよ!と苛立つのだ。
ここはアトリエなのだ。ほら、混沌の中に、カラフルがいっぱい。

見舞いで送られてきた三本立ちの胡蝶蘭を、骨董品がみっちり並ぶ茶室の床の間に飾ってしまうような母・ヨシコだけど、コンクールで賞をもらった「日々是好日」のでっかい掛け軸には、かなりいい感じで合っている気がした。
誰かが決めたワビサビの法則なんか破壊する母の「美」意識。まだまだ続く果てし無き戦いに、これはパンドラの箱を開けてしまったのかと後悔もしたけれど、その最後に、希望が残っているといいな。


2010年10月15日 10:56