2010年09月25日

幸せについて考える。

コーナーキックからのセットプレイ、その一瞬に泣く。
その痛みは、いい経験になったと思う。

専任ゴールキーパーの親、というのは、ものすごくドキドキするものなんだなと知った。
責任の重さがね。
小僧がゴールキーパー職を希望すればもちろん応援するのだけれど、できればフィールドプレーヤーでいてくださいと正直思った。
私はどうも、ちっちゃいなあ。体だけゴージャスで、心はミゼラブルだ。

でも、素晴らしい先輩方といっしょのピッチに立てたことは誇りだし、指示ばかりするコーチの多い中、ただひとりマイペースなうちのコーチの「大切なことには自分で気づきなさい」という姿勢には改めて感動したし、小僧が鬼の形相で好セーブをするのは見ごたえもあってとてもいい時間だったと、素直に思う。
「負けて悔しかったけど、すごくすっごく、面白かったあ!」
帰りに小僧は近所の公園でサッカーをしていくーというので、置いていった。
常に上には上があり、見通せないほど高いその境地に届きたいと頑張る息子と、その現実に、親の思いは複雑だけれど……夢は叶えるためにある前に、その夢にえ向かって走れることこそが幸せなんじゃないかと思ったわ。すでにこれほど打ち込めるものがあることだけで、小僧の人生、上々だろう。
社会的な成功とか、それに伴う経済活動なんてことは、子供の娯楽には関係ないものなあ。
スポクラ入試とか、大学推薦入学とか、J下部組織からJへ、とか。
すぐに将来につなげようなんて考えがちらつく私の発想が、どうもケチ臭くていけねぇ。
それがサッカーであれ、なんであれ、頑張っている姿で親を感動させてくれるだけで、親孝行この上なし。

帰宅したら、女子中学生たちがリビングで百人一首をしていた。
今頃、かるたの市民大会。
まだ帰宅しないところを見ると、誰かは予選通過したのかもしれない。今朝起きたら疲れはててしまっていて、さすがに私は同行できなかった。おべんとうに心を込めて、私は久しぶりに二度寝した。
仲良し女子中学生たちは、何をしていても楽しそうだ。彼女たちは遠慮無く、人懐こく、なにより自由でとてもいい。親に大切に育てられている、子どもらしい子どもたちが、ゆったりとした時間の中で雅やかな世界を遊んでいる姿は、なかなか心地いい。
なんの役にも立たないことが、案外豊かさとか幸せに直結していたりするのよな。

さて、冬布団をだそう。それにくるまれているときが、ものすごーく幸せなことを、幸せだと思える日々に感謝しよう。
そして先週のスクーリングを乗り切ったように、今週も頑張ろう。私の頑張りはとりたてて誰にも感動を与えはしないが、講師や学友たちが与えてくれる、新しい知識や出会いのひとつひとつが、これまたとってもいいのよねぇ。ってことは、私の存在が誰かに与える影響もまた。
人は関わり合っていきていく。
その関わりと感動が人を変えていく。
贅沢な時間を過ごしていることを自覚して、苦しいことも乗り越えていこう。


2010年09月25日 18:03