2010年03月29日

虚勢

手紙と写真、全部棺に! あるいは可燃と書かれたビニール袋に入れて一緒に! と言うわけにもいかなかったので、半分ほど、自宅に持ち帰りました。
で、今整理していて……。
若い頃の私は、期待していないはずの父に、手紙では怒ってるし、文句も言っているし、こんなにこんなにがんばっていると目一杯背伸びし、羽を大きく広げて見せているし、なんだかあまりに今の心境とかけ離れていて、びっくりでした。
エアメールがやたらと多いのも、きっとそういうことなんだな。半分、見栄だな。
そんなにがんばらなくてもよかったのに。と、昔の私に言ってあげたいわ。
読むほうも疲れるんだよ、「私はこんなに、やってまーす!」ってのは。第一、面白くない。
十代の頃、二十台前半の頃、父に宛てたカードや手紙は、読者=読み手としての父を全く意識していないもんなあ。つたなくて、恥ずかしい。
でも、あんなふうに虚勢を張っていなかったら、戦い続けられなかった仕事でもあったよなと、なつかしくも思うんだけどね。
丸くなったなあ、私。性格も、体格も。
何でも受け入れちゃう。艱難辛苦も、思い出も、ビールも、チョコレートも。

一通だけ、読みかけて封筒に戻していない手紙がありました。
三枚目ぐらいで、それ以上めくられていない。
強く握り締めた跡があったので、何を書いたのかと読み返してみれば、それは最初の小僧の、今まさにこれから死んでいく様子を克明に描写したシーンでした。
読み進めたら、死が待っている。
それで、これだけは、最後まで読まなかったんだ。読み返さないですむように、奥に入れてあったんだ。……でも、捨ててなかったんだ。
父の中では、初孫の双子のの小僧は死んでいなかったのかもしれないと思いました。ああもー、本当に臆病だなあ、父。
そろそろ天国で、ご対面しているかしら。
宗派違っても、会えるものなのかしら。

今日はいよいよなーんにも考えずに、一日のんびり家事をして過ごしていました。
昨日、実は事故りそうになったときに無意識に力を入れたせいでしょう、全身、見事に筋肉痛。
それもあって、どこにも行かずに、ひたすらぼーっと。ごろごろしたりもし。
いいの、いいの、がんばらない。
教科書、まるで読めなくても、死ぬわけじゃない。
そうよ、命までとられるほどの、たいへんなことなんて、さほどないって。多分。
やるべきことがない、というのは、年末の温泉以来。考え方によっては、贅沢な時間の過ごし方だなあ。
こんな日もあってよし。

2010年03月29日 00:52