2010年03月10日

介護日記04 皮膜

朝起きたら前歯が痛い。
口の中に違和感があり、よくよく観察すると、前歯と上唇をコネクトする部分、あの水かきみたいな皮膜部分(上唇小帯、というらしい。体の部署にはちゃんと名称があるのね)が、切れていた。
ナニがあったんだろう。
こんな、あってもなくてもいいような部分の小さな変化ですら、初めての出来事だとこんなにおたおたするわけで、頭の中がなんだか皮膜に覆われたような感覚を持ったらもう、おたおたじゃすまないんだろうなと、母ヨシコを想う。

西原理恵子さんの「人生画力対決!」に、アニマルセラピーが出てきた。
猫の職業は「かわいい」だとあり、ああもう、なんてよくわかってるんだ!と身もだえする。心の師だ。
昔の彼氏の母親が更年期うつ病に陥ったときに、私の飼い猫を泣く泣く人身御供に出したら、すっごく回復したっけなあと思い出す。事情があって飼えなくなりました、助けてくださいと持っていけば、その気はなくてもペットを抱かせることは可能だ。抱かせてしまえば、こっちのもの。ふぉっふぉっふぉっ、そちも悪よのう。
この際、母ヨシコに猫を与えようかと思うがどうかと、娘P子に相談してみる。
「んー。賛成できないな。多分、かわいいと思わないんじゃない?私もいまいち、猫はダメ。そこ、大事だと思うよ」
とあっさり却下されて、玉砕。
この世に、猫の魅力にひれ伏さない人がいるなんて!と思うが、仮にホモだったら、どんなに美女がプロ魂全開で誘惑しても、いまいち乗っかりたいとは思わせられないように、動物嫌いの母ヨシコにとって、猫、効果なしなんだろうなあ。確かに。

それでも、少し先の見通しが明るいかもしれない。
絶対検査はイヤだ、針を刺されるなら死ぬと潔癖な少女のように未だ粘りまくっているので、まだ認知症の「疑い」のままだが、見込み処方していただいた薬が、とてもいい感じで功を奏している。
功を奏するということはアレかしら、とも思うんだが、もうソレがナニであれ、本人がじめじめしていなければよしとしたい。幸せのハードルは低くしたほうがいいに決まっている。
一時的な記憶障害だと本人は思っているようだし、多少整合性のないところは以前からの特徴でもあったのか、まわりも「元気になってよかった」と言ってくれるので、言葉の持つ力でますます調子付く。
いいことだなあ。ひところの「死にたい死にたい」状況からは完全に脱却したかのように見えるだけでも、肩の荷は軽くなるよ。
自分で多少なりとも体調管理が出来るようになってからは、運動療法としての散歩に余念がない。
でも、アニマルセラピストとしての犬を与えられないのは、母ヨシコが杖ナシでは歩けないからで、楽観はできないけどもね。
もともとがんばりやさんだけに、切ないぐらいの努力でよたよた歩いていく。
よく転ぶのは老化ではなく、脳萎縮のせいかもしれないのだが、「老化退散!」とばかりに、とりあえず毎日時間を決めてお日様の下で定期的に歩いているから、食欲も増す。
三度ごはんを食べて、薬を飲んで、よく眠っていれば、まあそんなに進行は早まらないかもしれない。
これで断酒が出来れば完璧だが、それは週一の休肝日どまりというのがご愛嬌。
ルーティン化している仕事は問題もなく、事務処理だけ別の者が担当すれば、長年のキャリアはまだまだ活かせるみたいで、これまたメシの種でもあり、生きがいでもあるので、ありがたい。
家事補助のために予定していた時間も、
「洗濯はできたし、来なくてもいいわよー」
と電話で言うものだから、弟とも話し合って、とりあえずの小康状態を互いに寿いだ。
介護のとき、ポジティブな言葉はそのままストレートに受け止め、ネガティブな言葉は「夢の人」扱いする、仕分け能力が大事だ。もう裏の真意なんかくどくど考えている時間がないのは、案外、幸いなコトと思って、前進するのみ。
それにしても、うわー、やっと捻出できる自分の時間だ。
多少、母の家の家事が停滞していても、今すぐ死にはしないはず。こっちが命削ってまで、無理して所沢に通わなくても、危機的境遇はとりあえず脱却したのかもしれない。
大丈夫なところは信じて任せよう。
で、こっちで、この時期に、やれることをやっておこうと思った。教科書を読んで、レポートを書いて、試験をきちんと受けて、できるだけ単位をとっておこう。
小僧のサッカーとバスケと、くもんにも宿題にも、ちゃんと付き合おう。PTAもやっちゃおう。
娘ちゃんの思春期にも向き合おう。それから、今までの定期テストで勝ち得た彼女の戦利品もちゃんと提供していかなくちゃ。100点で、回らないお寿司と、フレンチフルコース。今回のあわび尽くしは、果たしてゲットなるのか。……食いしん坊JCに、ちゃんと付き合おう。
今しかない母親としての子育ての喜びやせっかくの課題を、介護のために逃してしまうのはあまりにも惜しい。
介護は、絶対に自己犠牲の上に成り立ってはならないと、大学の友人は教えてくれた。
福祉系の資格を選択したのも、先見の明かも。
プロ中のプロたちは、今の私の必要なことをみんな知っていて、欲すればたくさん教えてくれるのだ。心の師は、こんなところにも。
相方の仕事の合間のつぶやきはツイッターさんが担当してくれるが、地下室で一人篭って、他にしゃべる人もいないので、拝聴係は私がしっかり担当しよう。食事係もね。

皮膜の切れた口は、まだ痛い。
でも、いつか治る。
いままでも、そうやって痛みを治してきたんだし、きっとなんとかなるんだよ。なるように、なる。

2010年03月10日 17:30