2009年11月04日

いいもの見ちゃったな

先日、突然小僧が右腕に痛みを訴えた。上腕二頭筋である。はて、面妖な。
スローインで痛くなるほどスローインの練習をしているでもなし、第一右腕だけと言うのが怪しい。
思い当たる節をたずねても、「ない」の一点張り。「筋肉痛だからいい」……しかし、右肩をあげるのがつらそうだし、第一右腕だけ筋肉痛って……。ついでの折、整体の先生にその旨を申告、チェックしてもらう。
「シキ」
小僧がこそこそ、先生に事情を話している。隣のマッサージベッドで電気をかけられている私に聞こえてしまった。「シキの練習したから」

なんだ、シキって!?

そして今日、小僧のミニ音楽祭に行ってきた。
きょうびの学校は、いろいろなことをしてくれて、親へのサービスが大変によろしい。
小僧は立派に指揮者を務めていた。
登場のとき、周りの男子から「がんばれよ」と声をかけられ、顔が完璧にこわばった。右足と右手が一緒に出ているではないか。
台に乗り、客にお辞儀するのも忘れて、ぎこちなく四拍子を振りだした。賢い女の子数人が、特訓してくれたのだろう、母のようなまなざしで、小僧と一緒に首の角度でエアタクトを振る。おかげで、多くの女子が、まるで指揮を見て歌っているようなかっこよさである。
長い一曲だった。だが、このたった一曲の指揮のために右手が上がらないほどの筋肉痛になったのかと思うと、ちょっと目頭が熱くなって、その時間はあっという間に過ぎてしまった。

普通の子が普通に、あるいは簡単に出来ることが、とても難しい。
それは、小僧の特徴である。
しかし、小僧はそのおかげで、きっとたくさんの人の厚意をすでにめいっぱい知っている気がする。
小僧の作る「三題噺」は、たいてい初手から逆境にある主人公が、人の助けによって艱難辛苦を乗り越える話ばかりなのだ。つまりそれが、小僧の人生なんだなあと思う。
マイノリティーということは、ただ生きていくだけで、意外に大変なのね。
それでも、小僧はきっと、マジョリティーなら見過ごしてしまうはずの、人の優しさだけは、誰よりも痛感して、仲間を心から信じていると思う。
それを豊かな人生といわなくて、なんと言おう。
欠けた部分を嘆いてばかりいたら、きっとこんな笑顔はなかったと思うんだ。
「よくも悪くもこれが自分」と開き直って、個性を伸ばす、出来ないところは人様からのご恩を感謝して受ける。
そうすることで小僧は活かされており、そんな小僧でも活躍する場もあるんだということを学校が定期的に、きちんと見せてくれていて……
ありがたい。
本当に、有難い奇跡みたいな日々だ。
不器用すぎる小僧を見ていると、いつも「不思議な情みたいなもの」に包まれている温かさを感じる。小僧を授からなければ私にも見えてこなかったものだと思う。
うちのクラスのママたち、こんなにいい子たちに育ててくれて、ありがとう。と、言いたい。
去年の担任の先生から「君たちは世界一の小学二年生だ」と表彰状を頂いたが、小僧の学年を見ていると、本当にそうだなあと思えてくる。
「やるときはやる」「やればできる」
と、徹底的に、時には自らが模範となってやってみせる姿勢で熱を与えてくださった去年の担任の先生の薫陶は大きい。大事な時期に、子どもたちは太い根を張った気がする。そして、礼儀とルールを重んじる今回の担任の先生が、今、丁寧に葉を剪定してくださっている。
いい学校に出会えたんだなあと心から思う。
いい人との出会いがたくさんあって、いい時期を過ごしていると思う。

さあ、懸案の指揮も終ったことだし、今日は本領を発揮して、サッカーの練習がんばれ!

2009年11月04日 10:42