2009年10月11日

楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜

NHK芸術劇場で、『楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜』を見ました。チケットは発売直後に売り切れ、オークションでは高値取引されていたものです。
http://www.siscompany.com/03produce/23gakuya/
チケットが取れなかったとき、
「私たちがやった『楽屋』が最高だったということで」
と、演劇部仲間にメールしました。
『楽屋』は、見つければどんな小さな劇団の作品も全部見に行っていましたからとても残念でしたが、まさか一番見たかったこれをテレビで見られるとは。
NHK、受信料を払い続けてきてよかったよ。
テレビで見る演劇は別物でキライなんですが、これはさすがに一言一句忘れていない愛する作品でしたから、勝手に見えない空間を頭が補ってくれて、とても魅力的な一時間半でした。

高校時代、私はこの芝居の演出をしました。稽古は四ヶ月間の、大げさではなく、死闘でした。
ないもの尽くしの部でしたから、工夫だけが勝負で。
部員がいないから、ありとあらゆる戯曲を読み漁って、登場人物の少ないこの作品を選び、一時間半の芝居をコンクール規定の一時間にするために割愛した台本を作って作者にご承諾いただき、部費がなく大道具小道具を使えないので、台ひとつ、椅子三つの舞台で、あとは演出とパントマイムでなんとかするという、苦肉の策……。
鍵を握る音響と照明は、後輩のセンスが光りました。衣装も凝りました。すばらしいプランと呼吸をぴったり合わせてくれる裏方があって、その後ファンがついたほどの同輩の演技力があって、激戦を勝ち抜き、県大会に進んだ、思い出深いといえばあまりにも思い出深い作品でした。

生瀬勝久氏の舞台演出は私の作ったものとよく似ていて、もちろんそれは勝手な思い込みなんですが、高校生の芝居がプロの演出家、女優さんに叶うはずないなりに、テレビを見ながら演出意図やせりふの背景や配役の妙が伝わってくるようで、重ね合わせては、嬉しくて楽しくて、仕方ありませんでした。
30年前のタイムカプセルを、こんな形で開ける日がくるなんて、想像もしていなかったなあ。
結果が出せなかった当時は、高校生の力量に合った作品を書き下ろせばよかったのかもという悔恨の情が少なからずありましたが、歳月はすごいね。今、まさにこんな悦びが待っていたとは。
いや、長生きはするもんです。

地区予選を圧勝した高校生の私たちは、しかし、埼玉県代表校にはなれませんでした。
部費も人員も豊富な喜劇を上演した、後に全国大会審査員特別賞を受賞する秩父農業高校が、客席を爆笑させていた時、「ここには勝てない」と一人、一番後ろの客席で、私は悔し涙を流していました。
大好きな演劇で笑えなかった自分になっていたこと、演劇なのに勝ち負けに捉われていたこと、そして私よりすごい演劇人がゴマンといる現実を知って、演劇に身を投じるのをやめようと決意した、私の大きな転機でした。
そして、芝居には関わりながらも、芝居にのめりこむことはなくなりました。
『楽屋』という芝居は、私にとって、生涯ただひとつの恋だったのかもしれません。

それでも今も、馬鹿みたいに夢中になって苦しみもがくのが好きで、どんなつらさも苦い涙も、かならず幸せにつながっていくんだと信じています。一瞬のアプローズのためにがんばれるのは、あの舞台が完成したときの麻薬的な快感を知ってしまっているからかもしれません。

一生懸命、生きていこう。
がんばろう。
やった分は、いつか必ず報われる。
三十年経て、こんなステキな一時間半を過ごすと、また明日からもやるぜやるぜ、という気持ちになるのです。

2009年10月11日 09:27