2009年03月21日

前略、大坂先生。

小学校の卒業式のことをはっきり覚えている。
9号サイズの白いスーツを着た。
謝恩会の出し物で大熱演、うっかりワンピースを破いてしまったからだ。
謝恩会では、先生方に笑っていただけるよう、みんなで遅くまで練習に明け暮れた。
先生にサプライズプレゼントを用意し、先生を喜ばせようと必死だった。12歳の私たち。
新任だった大坂先生は、初めてのクラス担任で、それはそれは情熱的な毎日だった。学級文集を毎日発行して、掲載されてもされなくても、提出した作文への感想はいつもみっちり書かれていた。
皆、大坂先生が大好きで、大坂先生も全員の事が大好きだったと思う。
その最後の日である卒業式に、先生は、卒業証書を渡すために名前を呼ぶのに、名簿を見なかった。
眼を真っ赤にして、涙をぬぐおうともせず、マイクも使わず、一人ひとりの名前を、一人ひとりの顔を見つめながら、大声で呼んだ。
生徒は、一人残らず、とてつもなく大きな声で返事をした。泣きながら笑顔で、証書を受け取った。
いいクラスだった。

娘が、今その時点にいるのだと思うと、とても不思議だ。
「こんなことをしたいと思うんだけど、おかあさん……」と、相談されると、それは昔の自分からの問いかけのようで新鮮だ。
いいと思うことをやったらいいと思うよ。
大坂先生は私に言ったんだ。
「出る杭は打たれるけどな、出すぎたら誰も打たなくなる。出過ぎるためには力がいるけど、先生は鈴木なら絶対にできると信じているんだよ」
だから、娘にも出る杭でいいと私は言うのだ。
出る杭がなかったら、引っかかりなく漂流するばかりだ。誰もなりたがらない出る杭が、人の役に立つなら、がんばればよいと私は思う。
大坂先生の、「先生は鈴木なら絶対にできると信じている」は、いつも私に力をくれた言葉だった。
運動会のリレーも、生徒会の選挙も、入試も。結果はいつも勝ち続けたわけじゃなかったけど、負けたときには一緒に泣いて、勝ったときには一緒に喜んでくれる、そんな先生だった。
先生はいつも笑いながら、「今はダメでもいいんだよ。いつか、必ず、絶対にできるようになるから」と、未来に希望を持つことを教えてくれた。

前略、大坂先生。
お元気ですか。私は先生の薫陶を受けて、常に汗ばんで走り回る、常夏体質の熱血漢になってます。
たぶん娘もよく似ています。
先生から頂いた言葉を、娘にも伝えます。
今、娘が六年生です。もうすぐ、卒業します。
先生と出会えてよかったです、本当にありがとうございました。

娘は、学校が、世界で一番好きな場所だという。
友達が、世界で一番大事なものだという。
いい出会いがたくさんあって、本当によかった。娘に関わってくださった方々、本当にありがとうございました。

2009年03月21日 18:32