2008年12月05日

スイッチオフ

大掃除モードに入っている勢いがとまらず、娘の部屋をみっちりやっつける。
なんかこう、出てきちゃいけないものがザクザクでてきて、泣きたくなる。
泣きたくなる程度でよかったとする。これが青ざめたり、赤面したりするものだったら、大変だ。

でも、いつか来るんだろうなあ、そういう日も。
そういう将来のためにも、彼女は私に四の五の言わせないぐらいは整理整頓したらいいと思うよ。

娘の本棚の奥においやられている、私が読ませたい本を、大変作為的に、ブックエンドに立てておく。
ものすごい量の漫画は読んでいる気配ありありで、私にとって神様たちの本が帯をはがされて装丁までくしゃくしゃにされて、その陵辱ぶりに別の意味で泣きたい気分だが、できれば今はもうちょっと違う傾向の本にも興味を持てるといいなと思う。本に悪書なし!と思う身としては、どんなものもアリだけどね。ところで、
「この参考書を買ってほしい」
とねだられて買った参考書が新品で、ちょっと中を見たら広告だのアンケートだの、一度も開いていない状態だったので引き上げ、リビングに置いて、私が読むことにした。で、時々クイズを出してやろう。
誰かが面白がっていると、人は、なんとなく読まないと損だという気持ちになるものだ。
教育とは心理学の応用なのだなあと、最近つくづく思うわ。
「やりなさい」ったって、やりっこないし、強制的にやったものは、成果なんかでないし。
強制的にやってもちゃんと成果を出しているお子を持つ方は、そのお子の能力の高さを褒めてあげるとよい。
うちの娘は、自分からやろうと思ったこと以外、動かない。
公立の中高一貫を希望してから作文マラソンの伴走をしてきたが、この期に及んで、残念ながら成果なしだった気さえする。あと二ヶ月では到底追いつけない。これはもう、自分から望んで書くのではなく、徹底的に走らされた感があったんだろうな。漢字や原稿用紙の使い方は少しマシになったけれど、娘の作文は読むたびに、泣ける。そういうと、まるで「いけちゃんとぼく」(西原理恵子著・絶対泣ける本ナンバー1)のようだが、あまりのふがいなさに、親として泣けるのである。もう書かなくていいよとさえ思う。
この難局をどう乗り切るか……。奥の手の「万能作文」を教えるか……。でも、それを覚えると、きっともう自由に書けなくなる。書くことを嫌いになってほしくないから、雛形を覚えこむのはもう少し後にしたいなあ…って、「江川の中国針」か。古いか。
止まらない、教育ママごん(死語?)モード。

教育も大掃除も、ひとまずスイッチを切って、お昼ごはんにしよう。
この冬は落ち着かなくてイヤだ。小僧は絶対に、ご近所の公立中学にしてもらおう。……って、ヤツはヤツで、クラブチームのセレクション問題がぁぁぁぁ。

ああ、早くばあさんになりたい。

2008年12月05日 11:27