2008年06月02日

消えた日記分

mixiにも同じ日記をのっけていたのでバックアップになりました。
プレミア会員になったほうがいいのかなあ。
しかし原因不明。相方いわく、老化現象だそうで。
私じゃなく、PCのな。
相方の時間ができたら、また新しいブログにしてもらおう。(基本他力本願)。

6月1日
うえっ、うえっ。
泣きながら、今私は暖かい場所にいます。
本当は今すぐ車を走らせて代々木までタオルと着替えを届けたい。
しかし、泣きながらも、そうしないのです。
今頃、娘はずぶぬれで、新宿の街を歩いているはずです。

先ほど、電話がありました。
びぇびぇ泣いていて、最初は強姦でもされたのかと思いました。
私のレインコートをなくしたという報告でした。
よりによってブランド物の、私が案外大事にしていたヤツです。
娘は次々レインコートをなくす常習犯で、今では百円ショップの合羽しか与えていませんが、今日は英語劇団のお稽古日、どうしても合羽ではイヤだったのだと思います。
そもそも欠席届は運動会だからと出してあったので、今日は休めばいいといったのですが、聞きません。自転車で行くから、交通費は自費でもいいからと言うので、仕方ないなあと了解しました。で、せめてコートを貸してあげたわけですね。
絶対になくさないでねと念を押しました。張り切ってる彼女は、かわいく髪を結って、意気揚々と自転車で出かけていきました。
で、びぇびぇに続くわけです。

着替えは持っていません。
かさを買うお金も持っているのかどうか。
ずぶぬれでスタジオについて、その後どうするのだろう。
なくしてしまった罪悪感もあるだろう。
咳き込んでいたのに、風邪を悪化させないか。
考えると、ホント切なくてすぐにでも飛んでいきたくなるわけです。

でも、行かない。

うちの娘さんの一番の問題は、凡庸なところです。
自分から何か疑問に思うことがなく、強い欲求はないのです。だから、自分探しの旅に出たくなっちゃうわけでね。それは、不満や不足がないからだと、相方はいいます。
つまり、夫婦の会話の中で、母親の過保護を指摘されたばかりなのです。
あれが欲しいというと、全部私が情報を選りすぐって、いくつもの選択肢を並べてみせた。
これはなぜ?というと、考えさせる前に専門的なところまで踏み込んで答えを教えてしまうから発展しない。(私は十分考えさせているつもりだったので最初は反論したけど、確かに学習効果は出ていないので、うなずかざるをえない)。
かといって、いやなことは無理強いしないから強いストレスもかからない。結局、我が家にはたくさんの会話があるようでいて、実は母親の独壇場で、彼女はただものすごい温室でぬくぬく育っている状態なのではないか。これでは、創意工夫の力が育たない。
本気で困れば、自分で動く。本気で困る経験が人を育てるのだと、相方は力説しました。
……それはそうだ。確かにな。
相方にはもう一つ、痛いところをつかれました。
自分がされて辛かったことを回避したい気持ちはわかるが、理想の母親像を実践しようとして自己満足しているのは、実は、お前の癒しのためであって、娘のためにはなっていないぞ。

このままでは、指示待ち型のどうしようもない大人になってしまうかもしれないね、では、なんとか谷に突き落とす機会があれば這い上がってくるのを待ちましょう。という結論で落ち着いたのでした。
で、いきなりの試練がこれですよ。

先回りして小言を言って、トラブル忌避するのが一番楽。
次いで、トラブルを解決してあげちゃうのが楽。
トラブルの渦中にいるのを、見守るのが一番辛いわけです。

雨にぬれても、せいぜい、風邪ぐらいだ。ソレもまずめったにひかない。
これで人から借りたものをなくした罪悪感、その後の処理の仕方と責任の取り方、万一の時の保険のかけ方を学んでいるなら、安い痛手だ。と相方から言われて、私は見守ることに決めたのですが……。

ううう。つらい。過保護な母としては、つらいです。

5月31日
運動会、中止かなあ。
中止だろうなあ。
正直、福助体調不良で病院行ったりしてるものだから、中止だとありがたいなあ。
ええいもう、この際、中止って方向で!
♪雨雨降れ降れもっと降れ〜フレフレ白組ゴーゴーゴー。僕ら〜は白い稲妻だ〜♪
なんかもう、休日モード満載ですよ。
宝焼酎ハイボール、ドライ、500ml150円(広告特価)なのにすっげぇうまいしさー。

HDにたまっていた放送大学をちょっとと……映画とドラマと語学番組をたっぷり見る。
実は、ちょっと酔っ払って、外国映画や外国ドラマ見るのがすごく好き。
字幕読むのが面倒になるから、ストーリー半分ぐらいしかわかんないんだけど、そこがまたいいの。
語学番組見るのも、大好きなんだ〜。
今更しっかり記憶して使おうという気はない分、気楽で、すっかり旅先にいる気分になるから、えらく安上がりな娯楽。
夜は長いなあ。
気分上々、さーて、何して遊ぼうかなあ。

とかいってて、……もし中止じゃなかったらどうしましょう。

っていうか、普通に学校?!お弁当あり?!
うわああああ。

5月29日
ゲームをめぐる小僧の問題があった。
いやぁなに、いろんな考え方があって、どれが常識なのか何が正しくて何が間違えなのか、わからなくて混乱しただけなのだが、わからないときには専門家に素直に聞いてしまうのが吉。
メールで質問を投げかけてみたところ、子育ての現役やら、ゲームのプロやら、生き方の師匠やら諸先輩方の助言などがあり、ちょっと開眼してしまった。
たとえば、私がみたことのない景色は想像することができないから、どうしたって視野狭窄になってしまう。
だが、たくさんの人がその目と記憶と言葉を使って多角的に理論構築してくれると、見えない事情もすんなり理解できる。これが「人」の、すごいところだなあ。
って、実際の問題解決策じゃないところに感動してたりもするんだが。

おかげさまをもちまして、問題解決のための私の経験値も、結果的にずいぶん増えたと思う。
なるほど!と得心が行くことは、自分の成長の糧になる。
くだらない問題でしょんぼりしていたり、くたくただったりしたはずが、やっぱり考えるってわんだほーなことだなあと、清清しい気持ちになった。

いっぱい考えて考えて考えた先に何が待っているかまだわからないけれども、先輩方の話だと、なんかこう、素敵なことになっていそうだ。
迷いの森を抜けたら、快適なおうちがあるのだと思えばこそ、迷うだけ迷って森を知り尽くそうという気になる。人によっては最短距離で走り出すのかもしれないが。近道を探すもよし、茨の道をいくもよし。
私の敬愛する友人たちのすごいところは、それぞれ到達した場所から、声をかけてくれたことだ。その場所がやがて私の目的地になっていくのだろう。行く手に光が見える。それはなんて素敵なことだろう。
地図のない迷いの森には、道がないのだから、間違えもないのだった。
ただ先達が作ってくれた手作りマップは心強く、毒の沼の正確な位置を示してくれた人がいたり、おいしい木の実や安全な泉を教えてくれる人もいた。そのどれもがそれぞれ正しく安心できて、どれを選んでも、行く手にはいろいろな形の希望があるよと教えられた気がしたから……さあ、もりもり前進しようと、思いっきり清清しい気持ちになっているのかもしれない。

私の場合は子育てが何よりの趣味だが、創作が趣味なら創作で、運動が趣味なら運動で、あるいは仕事が趣味なら仕事で、その一番大事なところで、人は、迷って迷って迷って迷う。
座り込んで顔を伏せたらきっと迷いの森は深くて怖いが、目を凝らしてよく見て考えることで、救いを求めて人と関わっていくことで、きっとどこに行けばよいかがわかってくるんだなあと、改めて寓話みたいなことを思った。

間のよいことに、昨日は、創作活動に力を入れている二人のエネルギッシュな女性と、これまたエネルギッシュな町かっぱ橋を散策するという日でもあった。
こういうイベントはいい。めちゃめちゃ、いい。特に視野狭窄になってくよくようつむきそうなときには、全く違う専門分野を持つ、気の合う仲間がいる幸せを痛感する。
半日歩いて、それもしゃべりっぱなし、笑いっぱなしで、子育てとは関係ない刺激をたっぷり受けて、戦利品は両手にずっしり重く、これまたものすごーく幸せな気分になっていたのだった。この話は、また後日たっぷり。

まったく、人と関わるぐらい、素敵なことはないな。

2008年06月02日 13:19