私は料理が下手だ。
本当は太ゴチック30級ぐらいの、巨大な文字で叫びたい。
私は、ハンパなく、料理が下手だーっっっ!
なので、誰かが来るときのおもてなし料理は決まってカレーである。
玉ねぎをきつね色になるまでじっくり一時間いため、たりはしない。
隠し味など、ない。
メーカーこそが神である。「こう作ったらおいしいよ」という裏面表示を厳守して作るので、毎回失敗しない。
すばらしい。失敗しないということが、すばらしい。誰が作っても、本当においしいカレーの出来上がり。特にZEPPINという名のルーは、おもてなしに恥じないうまうまのルー。ご家庭でちゃっちゃと作る普段食のときには、安売りまとめ買いのルーで、誰かがきたり、特別なときには決して安売りされないZEPPIN
のルーを使う。
それが、唯一の工夫である。
私は高度成長期に生まれ、国家と共に成長期を迎えたクチだ。
最初は貧乏だから、コロッケの毎日。共働きになって、母ヨシコのご商売の書道塾が隆盛を極め始めると、今度は忙しすぎて、店屋物の毎日になった。私の中に夕食メニューのバラエティーはない。もし給食がなかったら、私は多分世の中にこんなにたくさんの食べ物があることを知らずに大人になっただろうと思う。
そんな私にとっては、うれしい手作りご家庭の味というのが、まさしくカレーなのであった。
何も足さない、何も引かない、ただのカレー。硬い豚肉と芋とにんじんと玉ねぎだけの。それでも、ごはん山盛り二杯は軽くいっちゃう、カレー。家族四人が、どこかで競い合って食べるせいか、なんとなくこう、一丸となって、ハイになるのだ。
小学生の私は、カレーができるまでの間、ちょっとだけうきうきしながら、学校であったことを母にしゃべったりする。まだ若かった父は、お風呂から上り、丹前に着替えてビールを一本だけ。後にカレーが控えている日は、あまりつまみもいらない。
テレビはアニメか何かをやっていた。ぬるい水が水差しに汲まれている。蛍光灯なのにどこか薄暗かった昔、それでも、狭い部屋のちゃぶ台に並んだカレー、弟とどっちの皿がいいかで喧嘩しながら、食べ始めると家族揃って、明るい笑顔になった気がする。
あら、今、昭和を語ってるわ、私。
温かい家族の思い出がいまひとつ途切れがち、昭和の食卓カレー編にいたっても数えるほどしか記憶がない私にとって、それこそカレーは「一家団欒の味」でもあった。
というわけで、カレーが大好きだ。
太ゴチック35級ぐらいの、巨大な文字で叫びたい。
私は、ハンパなく、カレーがすきだーっっっ!
数少ない失敗しない料理にして、大好きなものとなれば、当然頻度が高くなる。
新妻だった頃、我が家では、週に一度はカレーだった。子ども時代の記憶に照らし合わせて、まあ、それが世間の相場だと思っていた。アシスタントさんの来る日にも決まってカレーだった。何かうれしいことがあればカレーにした。元気のないときには、カレーにカツを漬けて、喝を入れた。あとはたいてい外食だった。
するとだ、相方が、あろうことか、カレーに、飽きてしまったのだ。そんなことじゃ、りっばなインド人にはなれないぜと説得してみたが、相方は特にインド人になりたいという希望もなかったので、以来カレーは我が家ではまずめったに出てこないメニューになり果てた。悲しい。心から悲しい。
今日、原稿を仕上げた相方は、お出かけしてくるねと黄金のマイマイクを持ち、いそいそ出かけていった。夕飯は、いらないという。
やった!
じゃあ、今日はカレーだ。夕飯は、カレーに決定だ。ちょうど、食べたかったところなのだ。うれしいな。
本当は、一家揃って楽しいカレーというのが子ども時代の切ないトラウマを埋める理想の姿なんだが、まあいいや。どんな状況であれ、カレーはおいしい。カレーがおいしい、ということが、すばらしい。良くぞ日本人に生まれけり。
本当に、カレーはすばらしいよっっっ!
2008年05月02日 13:18HOME |
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