2007年11月18日

今週末の鈴木家

週末、娘が左ひざの半月板を損傷するというアクシデントがあり、病院だ整骨院だ彼女自身の予定変更だ習い事の送迎だ、ついでに週末の学校行事だ、そのために私の一連の予定変更、中止、延期、遅刻などの連絡だけで目が回った。
小僧のサッカーまで手が回らないので、お父さんもフル稼働。
育児参加、とか言うレベルでなく、つまり「参加」なんてお客さん扱いでなく、片輪を担ってもらう。
主だって育児は私の担当だが、かわいいとこどりは許されない。
っていうか、うちの子たち、忙しすぎだよ。と、アクシデントで気づいた。
それでもやりたいことの半分だという。いったいどれだけやりたいことに満ち満ちているんだ! 子どもの持つエネルギーの大きさって凄いなあと思う。相方は働けど働けど首が回らない状態だが、この際だからかじりにかじられるスネ、弁慶も弾き飛ばすほど、強くなってくれ。
子どもにとっちゃ、かじってナンボの商売だ〜。

娘と相方は、ドライで現実的ですごくアバウトに生きているところがそっくりである。
一方、小僧と私は、暑苦しく一生懸命一途に不器用に生きているところがそっくりである。
コンビを組むには、似ていないほうがいいのだろうが、一緒にいて楽なのは俄然似ているほうだ。
ところが、私は先週末から娘と過ごす時間が多くなっており、この人の自分と真逆な部分が、どうも共感できずに、説教モードに入ってしまうことがしばしばなのである。ちなみに、相方は相方で、小僧の考えていることや行動がさっぱりわからないと苦悩することが多くあるらしい。あんなに、わかりやすいのにぃ。
今、ここに娘が学校に提出する作文がある。
ご近所のくもんお教室始まって以来のごぼう抜きで昇級した娘は、小1レベルからはじめる見事な遅れっぷりだったのが、一日30枚の宿題をこなし続けて、あっという間に追いついた。そういう崖っぷちのがんばりは持っているので無能ではないのだと思うのだが、時々私には彼女がわからなくなる。
珍しく気張った提出物なので添削してくれとおいていったのだが、添削を前提に手を抜きまくっていることが透けて見えて、なんというかこう、非常に腹立たしい。
どうせ直すのだから、と、それはそれで合理的なのだろうが、漢字も消しゴムも使わず走り書き。お父さんのネーム(下書き案)か?  熟練の編集者しか読みこなせないぞ。その上、仕上がりはネームと微妙に違っていたりするあたりまで、雰囲気をなぞっているのである。遺伝子って、遺伝子って。
なぜ全力でみっちり書いたものを見せようとしないのだ、娘よ。熱い気持ちがあるのなら、それを鉛筆にこめ、文章にのせずして何の作文だ。
ものすごーい、下手だし。
……なので、添削なんかしないことにしようと思う。
「これでいいんじゃーん」
と言ったとき、彼女がどういう顔をするのか、出方をみる。おかあさん、ヘトヘトなんだもん。こんな宿題は、自分でやれ。と、思う。
しかし、彼女は知っているのだ。私が不器用な熱血母であるがゆえに、このヘタヘタ作文に口を出さずにいられないことを。ああもー、そういう見透かされ方がイヤだ。ホントに知らないったら知らないんだ。

少年サッカーの交流試合はいつもどおり大変楽しかったが、周りの子達が順当に成長してきて、小僧がすでにあまり目立たなくなっていた。別のチームの監督に名前を聞かれていたようだが、私がオシム監督なら代表に小僧は選ばないだろあと思ったりもした。(ああ、オシム監督ぅぅぅぅ!心配) 
毎回、自分なりに考えたポジションどりと戦略があるので、黙ってみているわけだが、今日はシュートの精度も欠いていた。一応、終了後ビデオを再生して小僧の解説を聞くのだが、今回は言い訳が多くて、つい熱血かあさんは説教モードに入ってしまった。
男が言い訳するとは何ごとぞ。ここは素直に反省!と、鬼軍曹に変身するのである。
ああ、ここんとこの疲れはまだ取れていないんだな、どうも怒りっぽくてイヤだ。
最後の最後にサッカーを続けられるかどうかは熱い気持ち次第なんだと思うのだが、そこのところだけ小僧は私と違い、気持ちを語らない。これは父親譲りであろう。
父親である相方は、余計なことはよくしゃべるし、日々笑いに満ち満ちた会話は軽妙洒脱であるが、大事な「思いを伝える」分野で、何かが著しく欠落している。小顔になった私に「気のせいだ」という男である。いや、実際気のせいだとしても(以下きりがないので省略)。
小僧は思いを伝える代わりにサッカーを見て、サッカーで表現する。
ピッチで派手なアクションをして審判に訴え、コーチに「福助、ヨーロッパリーグ見すぎなんだよ」と失笑されるほど、欧州リーグとサッカーを愛している。
この、見ようによっては痛いほどの愛の炎が消えることなく、その切ない愛が、どうか何らかの形で成就しますように。
ついでのようでなんですが、オシム監督が早く回復されますように。
心から祈っちゃうのである。

疲れには睡眠。
私が疲れをためて、説教モード切替ボタンがバカになってしまうと、主軸のブレが子どもたちに影響する。いかん、それはプロの母として、やってはならないことだ。
自分以外の人がみんな立派に見える。
誰もが、ものすごい疲労感をきちんと処理して、金になったりならなかったりするそれぞれに与えられた取替えのきかない仕事に、きっちり挑んでいるのである。
私ごときが、忙殺忙殺などといってるのはちゃんちゃらおかしいほど、まさしく死ぬほど忙しい人はいるはずなのだ。
それでも、ちゃんといろいろなものを溜めないで、あるいは溜めても見せないで、がんばっている。
お疲れ様です。さあ、週の始まり。今週もまた忙しいはずだが、がんばっていきまっしょい。

2007年11月18日 23:58