2006年10月20日

夕焼けを見よう。

三流女子大中退の私に才能が一つだけあるとすれば、それは幸せを知る才能だ。
それだけは決して枯れることがなく、誰かと競うこともなく、益々精度をあげることすらできる、無敵の武器だ。
夕焼けがきれいだと、小僧は私を大あわてで呼びに来る。
私が何を喜ぶのか熟知している小僧は、まるで忠犬ハチ公のようだ。
そして二人で、娘が帰ってきていれば三人で、私たちはただ夕焼けを見るためだけに広い公園に行く。手をつないで、歌を歌ったりもする。だらだらしゃべり続ける子ども達のエンドレスな、時にわけがわからなくなるおしゃべりは、耳に心地いい。目の前には大空のレビュー。
暗くなってくると、子ども達は私にくっついてくる。
そしてまた、手をつないで家に帰るのだ。
さあ、おうちに帰ろう。おうちに帰って、みんなで一緒にゴハンを食べよう。
これは、誰にでも平等に与えられている、一日の終わりのご褒美だ。
相方と結婚したときに、私は夕焼けがこんなに美しいことを初めて知った。
忙しくて夕日を眺める暇など、なかったから。
一緒にいくつもの夕焼けを見て、ただ何も話さずに暗くなるまで、手をつないだままそこにいる。なんのために生まれたのか、この先どこに行くのか。ずっと漠然と不安だった生きている意味の答えが、そこにあったのだと思った。
たいそうな意味など、ない。という意味。
ただ私がここにいて、幸せだという感情。
存在する、それだけでありがたいと思う感覚。
それが一番大事。ただ、私がいること。ただあなたがいること。太陽は昇り、また沈み、また明日がくるけれど、何も不安がることはない。今日のように、きっと明日もただ幸せな私がいて、その幸せを分かち合うあなたも、きっといつもそばにいてくれるのだから。
晴れた日は一緒に夕焼けを見よう。
そんな安上がりな幸せが、子どもにも伝わっていけばいいと思う。
どんな時でも、どんな境遇でも、地球が終わりでもしない限り、夕焼けはそこにあって、ただ一緒に夕焼けをみるだけで私をしあわせにしてくれた、それぐらいアナタの存在には大きな意味があって、アナタは私にとって誰よりも大切なんだよということを、子ども達が覚えていてくれたらいいなと思う。

心ない人が、小僧に対して差別的な発言をしていると聞いて、悲しく思う。
そんなこと、私に言わなくてもいいのに。
聞こえないものはないこととして生きていけるのに、と、申告してくれた人の親切心も少し疎ましく思う。
娘が、どんな思いで小僧の病気を友達に告知しているか。小僧が入学してその場で生きて行きやすいように、娘は娘なりの判断で友達をひとりひとり味方につけようとしている。
自分の子どもが、小さな弟のために死にものぐるいで笑顔を作って、しゃにむにがんばっていたら、どうだ。そんなことが出来る娘を、私は誇りに思う。そこまで想像できれば、きっと娘の話から小僧の病名を聞いておもしろおかしく変なことを言って平気な親たちは、やがて自分を恥じるだろう。
「周りには告知する方がいい、その方がみんな絶対に、私のことも福助のことも助けてくれるから」
と、堂々と人の善意を信じて行動する娘の意志を、周囲の大人がわかってくれたらいいと思う。
そしてP子と福助のために、私には何ができるのか、一生懸命考えよう。

今日は夕焼けがなさそうだけど、曇りの日もあって、晴れの日がある。
晴れたらまた夕焼けを見よう。
私たちは最強だ。どんなことがあっても、おかあさんはP子と福助と、おとうさんを愛している。


2006年10月20日 14:33
コメント

挫けそうになった時、鈴木家のブログをみています。

悲しいことも多いけど、幸せなことも気づければきちんとありますよね

家族ってやっぱいいすね

僕らも味方です、鈴木家は最強です

鈴木家の味方もきっと最強です

Posted by: やすだ : 2006年10月22日 02:42

わ。ホントだ、最強だ。
ありがとうございます。
ありがとう、ホント、嬉しいです。

Posted by: ゆう子 : 2006年10月24日 12:32
コメントする











名前、アドレスを登録しますか?