pretending=ふりをする。
ミスター・プリテンディング福助は、健常者のフリがとても得意ですが、やっぱり一緒にいっぱい話をすると、ほころびがあります。そのほころびは、家族という団体では「笑い」となって、鈴木家の爆笑王として君臨していますが、1対1で「何か」について語るとなると、サッカー以外の話題は厳しいなあと思いました。
じーっと精悍な瞳で見つめられると、我が子ながらうっとりするんですが(親ばか)、ぐっと押さえてちょっと真剣に話をさせてみました。
都合が悪くなると、話題を変えてしまうんだな。
もう一度強引に戻すと、機嫌が悪くなる。
福助は表情がとても豊かなので、楽しいか眠いのかおなかがすいているのかどうか、子猫よりもわかりやすいです。
私はその辺りの彼の感情をコントロールできますし、気分のかえ方もお手の物ですが、これ、初対面の人が敢えて苦手な所をつつきだしたら、反応としては最悪。きっと感じ悪く思うよなあと思いました。
そうか、これでひっかかったんだ。
と、私なりに納得してしまったわ。昨日、学区は違うんだけど、何はともあれ、情緒学級の先生にアポをとり、たっぷりお話してきました。そこで集団適応出来ているのにチェックされたとすれば……という話を伺い、なるほど、と。
上手に「フリ」を特訓してきたけれど、初めての場所で全く違う他人とお話するなんて訓練は、私ではできないもんなあ。やられた!(って、勝負か?)
まあ、男の子なんてそんなもんでしょう、という思いこみと、いや、もしこれを通級の個別対応で大きく変化させることが出来るのなら、という想いと。
得意科目だけをビカビカに磨き上げ、不得意分野に目をつぶって世渡りしてきた私は、「じゃあ初対面の人と話すような仕事に就かなければいいんじゃん?」と思ってしまうわけですが、それでは彼の可能性が伸びないわな。
「できなくてもいいんだよ、でもやってみようよ。できないって言ったらできないから、どうしたらできるか考えようよ」って、口癖。
何度となく福助に言い聞かせながら、実は私自身がその言葉に癒されているのだと思います。できないこと、多すぎなんだよね、私。
だから出来ないことを強要されて泣きたくなるような気持ち、よくわかります。逃げたい気持ちも。
私は要領よく、できる部分とバーターにしてもらうという、商人のような生き方に進化しました。夏休みの宿題、何枚風景画と読書感想文をかいたか。その代わり数学のドリル、英語の宿題はキレイに仕上がって返ってきます。
寮にいたときには、先輩の宿題、特にレポートは得意中の得意でした。字の形や使う言葉まで真似して書き、それで家事関係の当番を代わってもらっていました。
結果的にそういうのが仕事になったんで不都合は感じなかったけれど……でもまあ、うまーく逃げていたんだということが、今になってわかるわ。
そもそも男の子なんてみんな人の話は聞いてないし、自分の狭い得意分野でしか語れない生き物のように思っていました。おしゃべりな相方の方が例外で。
相方にしたって、べらべらよくしゃべるくせに、話題はたいてい理系だし、決して愛を語らない。まったく「オトコってやつは! 」と日常、くさくさしているんですが、飲んで帰ってきたときにコンビニで何か買い物をしたついでなのでしょう、なにげに「デカビタC」を買ってきてくれたりすると、なんかこう、それだけで千のアイラブユーよりどでかい愛を感じたりするから、それでいいのかと。
……ああ自分が安い女で、いやになっちゃうわ。
叶姉妹だったらハナで笑うわね。テーブルの私の席にどでんと置いてあるのがダイヤモンドだったりすると、もっと喜びは大きいのかしら?
でも、ダイヤ、食べられないし。
小僧も、そういう愛想のふりまき方は上手いんだから、何も受け答えの練習までしなくても……けど、やっぱりプリテンディングだけじゃ一ヶ月つきあって終わっちゃうだろうし……なんて、不器用な男が花婿学校に行く前の母親の気分に近いわ。こんなので情緒学級を考えるのは不謹慎かしらねぇ。
でも、実際は、大人になってからオタク(サッカーから離れた途端に、確実にアキバ系になるだろう福助は!!)を艶雄(アデオス)に変身させようと画策するより、今ココでがっちり人とのコミュニケーションを学んでおいた方がいいに決まっている。そして、通級の先生にはその力があるのだと、情緒学級の現場の先生と都合四時間語り明かして、確信するに至りました。
やはり、現場の先生はすごいよ。工夫の力もさすがプロだし。
手作りの教材を見せて頂き、感動しちゃった。
そもそも、学区外の私の話に、二日間に渡り、ものすごい時間を費やしてくれるエネルギーと溢れる慈愛に打たれます。
情緒学級って、そうか、要は人間関係の補習校と考えればいい。
そこが苦手でもなんとかなるかもしれないという考え方もあるけど、補習は楽しかったなあともまた思うわけです。
例えば私、数学に関しては赤点ギリギリでした。でね、一年時の穂刈先生と三年時の豊田先生は個別指導をやってくださったんですね。マンツーマンだとするするわかる。なんかとっても数学って面白いわけです。
そうはいっても、完璧に下駄はかせてもらって卒業したクチなんですが、一年の時には夏休みの補習のおかげで二学期学年上位に躍り出ちゃったし、三年の最後の最後のテストでは、泉ちゃんと二人きりの補習、最後に高得点をとったときには抱き合って喜んだものでした。(この結果だけで、一、二学期のテストをチャラにしてくれた豊田先生は偉人でした)。
そんなわけで、苦手な数学、今は加減乗除しか使いませんが、補習は楽しかったという記憶が、現状どうやって指導しているかの記録ビデオを見ながら、蘇ってきたのです。
補習は受けるチャンスがあるなら、受けた方がいいに決まっている。ギリギリセーフ!!という人を羨ましく想う気持ちが、今の情緒学級判定を不服とする感情に似ているのかもなあ。でも、ギリギリだったヤツより豊かな数学の時間を知っている自分たちの方が、ラッキーだったよねと泉ちゃんと負け惜しみとも本音ともつかない話をしたことまで、思い出しました。あの頃好きだった、グラスに入ったレアチーズケーキの味と共に。
学習塾もいいんだけど、もっと人間関係を学ぶための塾があればいいのにと思います。ギリギリセーフで補習を受けない人用の、人間関係を学ぶ私塾。
それは数値に表れにくいけど、人間力をつけるみたいな。
コミュニケーション能力を謳う本はたくさんあるのに、そういうのが産業になっていないのはなぜだ?
自閉症の子どものための私塾はちらほら、都内に出来ているようです。ああ、私に資格があれば、乗り出すんだがなあ!! と、今頃になって中退したことを惜しむわ。福助が一段落したら、再び自分のキャリアを活かせる道を探しましょう。それまで、もってくれ、この体! 伊能忠敬だって、50歳から地図作りを始めたんだし!!
あと、約8年後、歩き出せるようにしておきましょう。
有り難い出会いがあって、またひとつ、自分の閉ざされていた目が開かれた想い。
普段滅多にいわれない褒め言葉も、情緒学級の先生はふんだんに使うのね、慈愛の人だから。それで、心のコリもほぐれた感じ。
そういう場所が大人にもあればいいのに。
……あ、それがホストクラブなのか。殿方用にはお手軽なスナックもあるな。今頑張っている自分がイイコイイコしてもらえる場所。……8年後は、チイママか? おっと別にもう若くも小さくもないんですけど。
あっちに揺れたり、こっちに揺れたりだけど、蛇行しながらも要所要所で収穫があって、ちゃんと目的地に近づいている確信が持てているのが、とてもうれしいです。頑張ります。そうだよ、私の取り柄のもっとも自慢出来るところは、頑張りがきく。それだけなんだもの!!
できなくてもいいんだよ。
でも、できないっていったら、できないからね。
どうやったらできるか考えよう!
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