2006年10月04日

友情<青臭い警告>

大量にお弁当を積載し、ちょっとふらつくおばちゃりで、小僧を後ろに乗せたまま暗い道を行く。
「あ、あの人は」
と、後ろに積んでいた小僧が、その女性を抜かす間際、叫んだ。
「あ、ほらやっぱり、戸沢さんだ。戸沢さーん!!」
後ろを向いて手を振っている。まるで、青春ドラマのように。あたかも、旧知の方のように。さもなくば、幼稚園のお友達のような気安さで。
戸沢さんは相方のアシスタントである。今回で三度目のお目見えである。小僧は、前二回、ご挨拶をちらっとしただけに過ぎない。

「歯が抜けてさー」
と、五万回、幼稚園のママ友をつかまえては一人一人に繰り返した話を、併走して一緒に家に向かう戸沢さんにもする。
戸沢さんがいい感じに受け答えしてくれるのがうれしくて仕方ないらしく、弾む会話。
すごいなあ、人見知り、しないなあ。なんでだ? 戸沢さんが小僧のタイプなのかな?
買ってきたお弁当、普段は決して食べないおでんのゆで卵にも手を出してみたりして、それなりに男らしさをアピールしているつもりなのがおかしい。いつもなら、コレ食べられない。と言うのに、今日は私に目配せして、食べられないゴメン!と手刀で訴えている。お、高等テクニックだね。お弁当で好き嫌いをするのはかっこ悪いことと徹底教育されている園児なので、なんかこう、男を張りたかったのだろう。
大人であったら、「まずはお友達からお願いします」と、握手を求めたかったのだろう。

夜のおとぎ話。といっても夜伽のことではなく、毎日の読み聞かせ、本日の演目は「裸の王様」。
ワハハ本舗の「ダンス王」初演の日に、ちなんでの。
ああ、ファン愛である。
ワハハに直接興味はなかったが、ポカスカジャンのタマちゃんが音楽を担当したとか、のん様も痛い肉離れを押してぎったんばっこん踊っていらっしゃると思うと、応援の力も入るというものだ。
最近、私の創作編はキャラの作り込みとして、王様や殿様がバカっぽすぎると相方からだめ出しが出ていた。そこで、今日はチョイ悪オヤジっぽさを出して、イメージとしてはジロラーモさんにしてみた。家来のキャラは濃いめ、インチキ商人は意外にもスマートなキャラに立ててみたら、案外ウケちゃう。笑ってもらうと例え子どもでも嬉しくなっちゃって、寝る前クイズ込み1時間近い大熱演になってしまった。その場で勧進帳なものだから、際限がない。二階では戸沢さんがコツコツ仕事をしてくれているというのに、私ったら深夜に、何、腹式呼吸で、声色変えて、汗までかいて。
明日は通常どおり、何か無難な、きちんと書かれた童話を二冊、音読するにとどめたい。でも、おもしろくないと読んでいても、つまんないのよね。

昨日から始まった朝のテレビ小説「芋タコなんきん」が抜群に面白い。
私は藤山直美さんを心の底から敬愛しているので、彼女の出るテレビは必ずチェック、舞台も時々見に行っているのだったが、今回はすでに初回から、がっちり心を握られてしまった。
この人の番組は見る、という役者さんは、阿部寛さんとか香川照之さんとか、まあいるにはいるんだけれども、最近は時間なのかトシのせいなのか、ドラマそのものを見続けることができなくなっている。
映画なら全部見るけれども、そもそも映画があまり好きではないので、大ヒット上映中か、役所広司さんとロビン・ウィリアムスとトム・ハンクスとフォレスト・ウィッタカーの出る作品ぐらいしか、チェックしていない。
音楽は洋楽を話を合わせる程度にしか知らないし、好きなライブはお笑いライブとか寄席ばかり。お芝居は逆に歌舞伎から学芸会まで、何をみても楽しい。ある意味、とっても偏ったかっこ悪いンターテイメント趣味であるから、レビューは一切書かないのだが、「藤山直美はいい」。これだけは、もう、絶対に。
あんな女優さんになりたいか、と聞かれると、畏れ多くてとんでもないが、あんな人と友達になりたいか、と聞かれたら、友達なら、さぞ楽しく、さぞ自慢だろうなあと思う。

自慢の友達、なんてさりげなく書きながら、友達ってどこまでが友達なんかなあ。と、ちょっと思う。
テレビの中の人は全く別世界の人か、というと、俳優さんにこそ知り合いはいないけれど、友達と呼んでも多分相手も怒らないだろうという人たちが、普通に時々、テレビに出ていたりする。
このあたり、距離感が難しい。恋人なら、二度目に致したらもうつきあっているといっていいみたいな指針があるが、友達というのはハグした数では計れないからなあ。
例えば、お仕事を一度させて頂いてから、私はタマ伸也さんを「お友達」だと思っている節があるが、メアドは知っていても(仕事だからね)、もちろん住所などは全くしらない。6日に「ダンス王」を厚生年金会館に見に行くつもりだが、当然そこでは全身全霊、ファンである。
mixiというソーシャルネットワークでは、ともだちを「マイミク」と呼ぶが、そういえば本名も知らない「友達」がたくさんいることにも改めて驚く。それでも何人かとは精神的距離がぐぐっと近づいていたりするから、ネットって不思議だ。
ここ万華鏡のD面さんのコメントで、「西原理恵子さんが復縁かな?」と知っても、彼女のファンとしてよかったなあと心で手を合わせるぐらいで(こらこら、黙祷してどーする!)、わざわざ「うわあおめでとうございます、私もうれしいです」と申し上げるのも、紅白まんじゅう持ってお尋ねするのも、こう、何か出過ぎた真似な気がする。
相手が有名すぎるから萎縮しているというよりは(それもあるけど)、優しく礼儀正しい西原さんが、私がひどい落ち込み状態にあるとき、元気づけてくださる贈り物があり、感激した私がまたつまらないものを送って、みたいなことが何度かあった程度で、感激している私の度合いは本人だからわかるけれども、サイバラさんが私に感じる友情など鼻くそほどかもしれないなあと思うからである。実際お目にかかったこともない。例え、私が彼女に感じる敬愛が韓国あかすりエステでこぼれ落ちる全身の垢ほどだったとしても、である。
だってビッグネームだもの、常に友人に対し全身の垢の量をキープしていたら、肌がずるむけになるだろう。鼻くそもまた、よし。

小僧の世界に、なぜすんなりと戸沢さんが入り込んだかは謎だが、友達になりたいと思うのは偶然の波長なのかもしれない。
ただ、その友情をキープして、友達でいるためには必然がなければならないのだなあと思う。
二十年近く前に偶然友達になって、長いこと必然的に友達だったのに、ここしばらくなぜか音信不通になっていたアメプロ業界の第一人者・斉藤文彦氏とmixiで再会した。
彼は相変わらずハッピーかつヒッピーに暮らしていて、それがすごくうれしかった。
うれしかったけれど、彼の近況を、全然知らない人から聞いたのは、寂しかった。
なつかしいね、また会いたいね。と、お互いにメールを交換しても、実際に会ったら、夜通し一緒に遊ぶみたいなことは、大人だからもうできない。
当時、一緒にフラフラ遊んでいた友達Agは、気がついたら社長になっていて、ここ烏山からどうやら自転車で行ける距離に家を買ったらしいのだが、決して会おうとはしない。
Fumiとも、そのAgとも終生、友達だと想うけれど、友達というのは、どこからが友達で、どこからが知り合いなのかが難しいなあ、などと、青臭いことを考えている。その度合いはうまく計れない。まあ、そんなのもあり。
こっちが好きだから、それでいいか。

小僧がこれから行く小学校に、小僧の最も仲良しなクラスメイト数人は通わないことを、福助は今日、知ってしまった。ボクもその子と一緒の学校に行きたい!と言いだしていて、ややこしい。
その事実で小僧は少ししょげていて、そんなときに戸沢さんをみてなぜか元気を取り戻していて、今日はなぜだか私の友達について想うところも多く、おかんはぼんやり「友情」について考えていたのであった。


2006年10月04日 01:43
コメント
コメントする











名前、アドレスを登録しますか?