2006年10月02日

観光とは光を観ることなり。

迷ったときには、まずどこにいるかを確認しよう。
そして、目的地がどこだったかを思いだそう。
深呼吸したら、その目的地にたどり着くための、最大の努力をしよう。

註)またしても長文になってます。
活字マニアでない方、すみません。私のゆるゆるな「学校観」について語ります。

アジアを相方と、ぬる〜く放浪したことはあるが、そこで暮らしたことはない。
一人で出かけた海外は、長くてもせいぜい1ヶ月かそこら。
友達の家だったり、サービスアパートだったり、ホテルだったりしたが、すべて「そこ」に住むための手続きなどは不要だった。
まあ、ふらふらと、バブリーなおねーちゃん(165センチ・53キロ・ナイスバディ)が留学もどきで遊んでいたわけで、ひと皮ふた皮むけて巨体になった今でも、私は海外旅行が大好きです。

んでね、何が言いたいのかというと。
これって、ものすごーく、今福助の置かれている状況に、似ているなあと。

海外に行っているとき、私は同胞を避けて、現地人と友達になりたがった。
現地で遊ばなければ時間が惜しいとすら思った。
同じ寿司バーでも、日本人が握る江戸前のいい仕事がしてある寿司より、韓国人が握ったファニー寿司を食べたいし、そこでみそ汁の汁椀を持ち上げて飲んで「行儀が悪い。汁椀は置いて、顔を近づけてスプーンで飲め。まったく、マナーを知らないな」などと叱られてビックリしたのが嬉しかったりするのだ。
異文化コミュニケーションだよね。
どこにいっても中国人と間違えられる団子っ鼻のYukoだから、日本人じゃないフリも楽しかったし、日の丸をみるとちょっときゅーんとしたりするぐらいにはホームシックにもなったりし、それはそれで日本人を噛みしめたりもした。

数々のハンディーがあるから、パーティーでは完全な仲間には入れてもらえなくても、そこで暮らすわけではないのだから構わない。
その適度な距離感が、私を閉塞感から救っていた。
さらに、仲間として誘ってもらえたら、それはそれで嬉しい。
特技が何かひとつあれば、すぐに友達ができることもそのときに覚えた。筆ペンを持参すると、たいていのパーティで人気者になれた。日本の伝統や歴史に興味をもったのもその辺りが遠因だ。

福助の学校生活って、私の海外生活と同じようなものなのだろうとどこかで思っていた。
自閉の国からやってきたちょっとチャームな王子様は、適当に異文化を楽しみ、ときどき健常のフリしたり、やっぱりアイデンティティを思い知らされたりしながら、馴染めないときもあるけど、基本的に楽しく遊んで学べばいいやと思っていた。
マイノリティーで、ハンディがあって、そこがすべてにはならないスタンスで。
だけど、楽しいから、大好きな場所。
学校が、そんな風なところであればいいなと思っていた。
まあどうしても水が合わなければ、帰ってくればいいんだし、渡航先を変えて仕切り直せばいいんでしょう。ぐらいの気持ちでいた。
逃げ道がないことぐらい、つらいことはないもんね。
間違えたら、何度でもやり直せばいいんだよ。

家庭と、もうひとつふたつ、居心地のいい自分の好きなことや場所。
そんなのがあれば、充分ハッピーに生きていけるだろう、と思っていたからこそ、私は最初の診断の告知にもそんなに落ち込まなかったんだ。
ドクターが言った「おとうさん自由業ですか!  福助君が育つには最高の環境です。もうひとり、アーティストがいると思って、大切に育ててください」という言葉も、ずーっと私を支えてくれていた。
私も相方も、学校にはそんなに重点を置いていない。
アーティストに学歴は要らないし、勉強はしたいときにすればいつからだって間に合う。
そして学生時代には見えなかった面白い学問が、社会に出てからはたくさん存在していて、学びたいことでこの世は満ち満ちているからだ。
面白そうな、夢中になれることがひとつでもみつかれば。
海外(=普通学級)に行って最低困らない程度、できれば楽しめる程度には英語を学んでおけ、とばかりに、療育を施してきた。まずは入国管理局がOKを出す方向で、気軽に旅行を楽しめることを前提に、おかんは時にスパルタで、あるいは忍耐強く、準備は万端だったんだが……入管でちょいとひっかかったね。

家庭と、もうひとつふたつ、居心地のいい自分の好きなことや場所、と書いた。
それが、通級かもと思ってみたり、すでにサッカーがあるんだからいいんじゃないのと思って、迷ってみたりだよ。

で、考えていく内に、どうしても私にとって、通級が「日本人会」や「日本人街」みたいな存在なのだと気づいた。
もちろん、暮らすならそういうコミュニティーが必要になるのも、仕事でも海外行ってるから、よく知ってる。
いいところだったりすれば、当然暮らすことも想像するからね。想像はタダだ。
定期的に自国語が話せる環境は必要不可欠だろうなあ。マイノリティーが言葉もろくにできないのに、一人で何もかも背負うのは無理だよなあ。偉大なる先人の切り開いてくれた道を行くのが懸命ってもんだと、女一人生きていくなら「日本人村」の居心地のよさをきっと再確認することになると思うのだ。
ほら、通級と似ている。
マイノリティーが、自分たちの言葉を理解しやすく、それが大きな息抜きになり、同時にそこで生き方を学ぶあたりも。
しっかり手続きとらないと入れてもらえないところも。
ふらりと一見さんでも運が良ければいい人に巡り会えるなんてところも、実際に素敵な人がたくさんいる辺りも。

学校だけに、「暮らす」のことを考えないといけませんな。
って、大喜利か?

だが、福助にとって学校という存在が、第二の祖国状態になる場所とはやっぱり思えないんだ。
そんなにがっちり根ざすことはないだろう、と思えてならない。
入学して生徒になると言うことは、地域も込みで行動することになり、学校は生活の一部あるいは全部になる。
つまり、旅行者が現地人のフリをするようないい加減なことではなく、ちゃんと手続きをとって在外日本人として保護されるべきは保護されつつ、生きていくということなのかもしれないんだけれども。
それはP子の経験でよくわかっている。
P子はそれでいい。顔も十人並みのマジョリティーの権化だから、学校によく馴染み、成績もよく、友達とも上手くやっていて、この先も学校で多くを学ぶだろう。学校を第二の祖国として、第一の祖国、我が家同様、居心地のいい場所として楽しめばいいと思う。
だが、福助は……。
がっちり、日本人会へのご挨拶や決まり事もあって渡航するとなると、私ならつまらない。
同胞とつるむことは、とけこむべき、新しい異文化への壁となる場合もある。
どうしても困ったときの駆け込み寺として日本人会があるのは実に心強く有り難いが、企業の赴任地として渡航した経験がないものだから、海外に行くなら、「そこでやるべき仕事がまっているから効率よくこなそう」というよりは、「自分に向いていそうな何かへの出会いの場」であって欲しいのだ。
困ったときの通級でいいじゃないか。学校で出来ない仕事があっても「しょうがない、でも、ボクにはサッカーがあるからいいや」で、いいんじゃないか。あるいはサッカー以上の何かがみつかれば、多少人間関係でしくじるのもまた、試練を知ったということで、価値がありはしないか。

自閉症と知ってから、学校とはその程度のあっさりした関係だろうと思いこんでいた。
平均的に優れた人間を作るラインに乗ったら、福助の個性は輝かない。
普通においしい、って「それってほめ言葉?」にもあったけど、普通においしいだけじゃ食っていけないのが自由業なのだ。
そして、自由業っていうのは、自由業しかできないから自由業をやるんであって、福助は多分、「それしかできない」何かをもった、自由業系の人なのだ。
たいていの自由業者が学校にうまくフィットしなかったように、最初からそこには期待していないから、がっちりシステムに乗っかるのが腑に落ちなかったのだ。
ああ、なんか整理できて、ちょっとさっぱり。
方向を間違えている感じというのは、自分の主軸がぶれたからだったのか。
私ははみ出し者を恥じてはいない。だから、はみ出し者をはみ出さないようにするつもりもない。
腹の肉ですら、堂々とはみ出させている中年女である。怖いものはない。見苦しかったらごめんなさい。福助がおこすかもしれない問題を、菓子折もって謝りに行く覚悟なら、いつでもできている。
そして多分、いまのところその懸念がないことが、自由旅行へと誘うのだ。

命に別状がない病気なのに、告知されると真っ暗になっちゃうのは、きっと「きっちりふつうにおいしい」人生を送ってきた人だからで、それ以外のサンプルがないから不安になるのだろうが、自由業には自由業の、気楽さと楽しさが待っている。
もっと安心していいんだよ。
全部会社が請け負った上でタイに赴任したがノイローゼになり自殺した人がいる一方で、ふらふらとタイに自由旅行してそのまま住み着いちゃう人もいる。だから、学校という異国との関わり合いが、人によってまるで違うという前提は踏む必要がある。
ただ、ものは考えようで、前者のようなものごときっちり考えるタイプでも、自分の子どもだけは「特殊能力が備わった、天才かもしれない人」として生を受けてしまった以上、何の因果か、その「人類史上大事なお子を育てる」勇者として選ばれちゃったのだと思えば、こんなに面白い冒険もない。

そうやって育ててきたんだから、とりあえず学校は「適当」でいいような気がする。
……さすがにそんな結論だけ見たら、それでも親ですか、と言われるかもしれないなと思う。
自信を持って、「それでも親なんです。福助のことを誰よりも愛しています」と答えよう。


2006年10月02日 01:14