2006年07月11日

通常営業、再開。

朝起きてご飯を食べさせ、P子に「いってらっしゃい」を言う。これはどんな心持ちでも玄関まで行く。P子がフキゲンならひとまず笑わせてから、送り出す。
それから、福助とボールを蹴りつつ幼稚園まで送る。
そこだけを見れば、私はとってもいいお母さんだ。

余力があるときには、幼稚園から遠回りして近所の畑に行き、今朝とれた野菜を無人販売所で買う。
大きな鍋に、ごった煮のようなみそ汁だ。野菜は捨てるところがない。
あとは簡単なおかずを1、2品。納豆があれば、子ども達は文句も言わない。いやもう、あきらめの境地なのだろうな、親ができることには限りがあって、うちの母は料理が下手、こればかりは仕方ないのだ。

子どもなら誰でもわかっている。親には高望み出来ないこと。
ああせめて、ハンバーグを一緒につくるような母親が欲しかったなあと思っても、叶わない夢だ。
だからP子は、できればこのメーカーのよりこっちにしてね、と銘柄指定を強化する。
福助に至っては、「マクドナルドが一番オイシイ」と公言する。
子どもの適応力はことほどさように、素晴らしい。
「ありもの」の親をどう活かすか、よーく知っている。
なのに私ははどうして子どものありのままを認められないんだろうなあ。
ああP子がもうちょっと整理整頓ができたなら……とか、もうちょっと集中力があったなら……と、気がつくと高望みしている。
福助、自陣の前でたらたらドリブルするなー!! そこまでドリブルで持って行ったらシュートだ、シュート!! 何人抜いたってシュートかアシストで終われなきゃ意味がないんだよ!! と、自分は五分も走れないくせに、六才児に何を望むか、と思う。
大人の方が、子どもみたいに「あなたにこうしてほしいのだ」とダダをこねたら、可能性の塊の子どもは、自分のために使うべき可能性を、親のために使わなくちゃならなくなる。それは、誰のための人生か。幸せになるためには、自分でまず幸せの形を描けなければならないのに、私は私の幸せの形を押しつけてはいまいか。
P子は、私に、「おかあさんがもうちょっとこうだったらいいのにな」みたいなことを決して言わない。「学校に来た時、同級生の前でだけは、もうちょっと、笑いに走らないと助かる」といわれたことはあるが、あとは基本的に全面肯定してくれている。今は、まだ。
子どもが注いでくれる無償の愛の大きさに畏怖する。子ども達のことが大好きなのは、私の野生がそう叫ぶので間違いない。しかし、隙あらば条件付きの愛になってしまいがちな、現金な自分がいたことを、もう一度、戒める。

母・ヨシコからもらった手紙を読んで、しみじみ考えたこと。

さあ、W杯も終わったし、本日より通常営業でございます。
ジダンはそんなに「ハゲ」を気にしていたんだろうか、と相方が真顔で言ったので、ちょい悪イタ公を許す気になった。ま、マセラッティが何を言って頭突きされたのか、ジダンは黙して語らないから、想像でしかないんだよな。私は、試合中にヒドイ誹謗中傷をしたヤツがどの面下げてワールドカップを手にしてやがるんだと、どうにも後味が悪くて、すっげぇむかついていたんだけど。
どんなことがあっても手を出したらいけないよ。という、小僧にとっては最高の、大変教育的なエピソードとして、フル活用させて頂きました。ジダン、最後までありがとう。

2006年07月11日 10:44
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