百姓をなめるな

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世田谷の外れを歩いていると、無人の野菜販売をよく見かける。
これが意外にたくさんあって、ジョギングコースを頭でなぞって数えるだけで15は超える。
新鮮な野菜が産地でちょっぴり安く買える。ということで人気があるのだろう。午前中にたくさんあった野菜たちが午後には半分以上なくなっている。
無人で野菜がおいてあって、欲しい人は横にあるお金入れに小銭をほうりこんで勝手に持って行くというシステムだ。システムとか横文字で言うとなじまないが、こんなしくみがまかり通るのは、日本だけではないかと思う。それが東京の真ん中で行われているのだから平和な世の中である。
と、簡単に終わればいいんだが、ちょっと気になる看板がある。
「お金を払わないで持っていく人がいます。この野菜は自分たちが精魂込めて作った野菜です。お金を払ってください。勝手に持って行くのはドロボウです」ここまではまあいい。その後に太い筆の文字でこってりとこう書いてある。
「百姓をなめるな!」
それを何度となく目にしているうちに、なにかもやもやとした嫌な気分がわき上がってきた。自分が盗人になってしかられているような気がする。
ちょっと考えてみると、たしかに黙って野菜をかっぱらっていく行為は良くない。盗人と言われても、百姓をなめるなと言われてもそれは仕方ない。だが盗まれるような場所においているのはあなたなんじゃないのか。とも思う。
誰もが持って行ける場所に置いておいて見張りもたてず、勝手に持って行きやがったなこの野郎と怒っているのはおかしいんじゃないだろうか。いくつかの無人野菜販売所は、飲み屋の靴箱のようなロッカーに入っていて、お金を入れないと開かないしくみになっている。これをこじ開けて持って行ったら立派な犯罪だが、そこまでする人間は少ないだろう。
机の上の皿にのせて、ご自由にどうぞとばかりにおいてあるだけだから取ってしまうのであって、本来ならそんな犯罪をするつもりがなかった人を誘惑して、犯罪を助長させているともいえる。
つまり、取られたくないのならそれなりの投資をすべきなんである。見張りを立てれば人件費がかかり、カメラやロッカーには設備投資がいる。
それをまったくしないで机の上に出しっぱなしにしていてですよ。盗まれたらえらいこっちゃこのやろう百姓をなめるな、と切れる。
それを目にする人の不快感など気にもしない。
一言いうよ。
この都会のいなかもん、消費者をなめんな。