2011年12月13日

もの忘れ

一日にやるべきことはせいぜい5つまでにしておく。
本当に大事な事を5つだけ。
チェックリストをつくって、チェックしていく。たくさんの仕事はこなせないけれども、確実にやらなければならないことは潰した、あとはまた明日。という感じがいい。

ところが最近、5つではとうてい追いつかなくなってきた。
大きな約束は手帳に予定として書きこめば大丈夫なはずだった。
ところが、最近、ころっと忘れたりする。本当に、情けないほどの鳥頭である。三歩あるくと本当に大切なご用も忘れている。
「私はなぜ、ここにいるの?」と階段を登り切った所で思うぐらい虚しいことはないが、これがまだ自宅だからいい。
突然ワープしたみたいになって、どこにいるかわからないのに、どこかにいたときには、認知症を覚悟しなければならない。しかし、今も記憶は時として斑であり、言った言わないは全く自信がないし、お財布の中にはいつもお金が無い。あ、これは前からだった気もする。

やることが細密化すると、私のようないい加減な人間にとっては、やることが激増したように思われて、軽くうんざりする。
重要なメールが来るときには、メールチェック。何日までに、何を。
一番厄介なのは、チェックリストに書いておいて、朝、チェックして尚、綺麗に忘れていることだ。
今、話していたことはなんだっけ、ということも少なくない。
ネットの英語の実力審査をしたら、とてつもなく悲しい結果になっていた。毎日歯を磨くように英単語をさらっていて尚、これはない・・・。おー、まいがー。
タイ語検定にも落ちている。何か言葉を司る領域が壊れたんだろうか、日本語でも、かなり噛む。言いたい言葉がすぐに出てこない。うまく笑いに繋げられなくてイライラすることもある。
この、日本語に対する不自由さは、実際、切ない。子どもをうまく叱れない。
話芸とかで食べていたなら、引退の時期かもしれないが、おかんはたどたどしくてもしかることができるので助かる。

先日、私は娘の中学に向かって車を走らせていた。
ところが、気がつくと全く違う場所に向かっていた。右折を忘れたのだ。いや、目的地を。目的地への道も。引き返して、ショートカットを通ろうとして、知らない道に出た。
かつての私なら、「狐に化かされた」とでもいうのだろうが、今や超常現象は私の脳内で起こり始めている。
あまりにも怖かったので、PTA仲間に話してみた。遅刻の言い訳が、道を間違えたというのも、かなり難しい。
「ゆう子さん、疲れ過ぎていると思う。休みが必要なんじゃない?」
と言われ、そうかもしれないなあと思う。教科書をひらくと条件反射で寝る、というのを、まずはなんとかしないといけない。

母の認知症を見てから、遺伝を否めない恐怖もあり、その取り憑かれ感から逃れることができない。
認知症だからどうこう、という忌む気持ちはないけれど、好んでなりたい病気はそれがなんであれ、ないよね。

アルジャーノンに花束を、を読んだ時の気持ちを思い出している。
私は、どんな私でも私だということを忘れないでいたい。
言葉をなくしても、記憶をなくしても、生きるための機能が少しずつ衰えて使えなくなっても、何もかもなくして尚、そこにある自分が生身の自分。
本当に人格をしっかり磨いておかないと・・・。
何もかも失った時、私はそれでも心のなかに希望と感謝を保っていられるだろうか。
人格京成って、47からでも間に合うかなあ。

老いへの恐怖は、私の場合、失うことではなく、むき出しになることなんだと思う。
むき出しにしても大丈夫な人になるべく、今から近づく努力をしよう。


2011年12月13日 01:15