遠征にいってきました。
とかいうと、U−8でもかっこいいなあ。
もちろん、お団子サッカーなのですが、ほら、うちのC・ロナウドがドリブルで抜いたり、シュートしたりするものですからね。ほほほ。
後でとっておいたビデオを見ると、客観的にはああこんなもんかーと思うのだから、試合会場ではどれぐらい脳内親ばかフィルターがかかっているか。
でも、いいの。だってかっこいいんだもん。私の目にだけは。
今日も4試合4得点4アシスト、チームも絶好調、よい試合内容でした。
活躍したらキャプテンかも!という周囲の大人の言葉を真に受けていた小僧、本日試合終了後、キャプテン決めのじゃんけんで負けて、それが一番悔しそうでした。
キャプテンタイプじゃないから、全然よかったと思うんだけどね、活躍したら……の条件付けが、多分彼を傷つけました。大人にとって何でもない一言に、子どもが勝手に期待して、夢破れて傷つくのは、案外多いのかもしれないなあ。
そうやって大人になるのだ、小僧。
同時に、なんでもない一言、私もきっとよく使ってるよなあと反省しました。
優勝したのに落ち込んでいたので、かねてより優勝を条件に約束していたトレシュを、帰りがてらの吉祥寺に買いに行きました。
ところがC・ロナウドモデルが品切れ。
奈落の底まで突き落とされて、まさしく心の底からがっかりする小僧。
結局、トレシュは取り寄せてもらって、かわりにかねてよりずっと欲しがっていたけれど購入を渋っていた、審判のイエローカードとレッドカードのセットを買って帰ってきました。こんな二枚の板切れが670円もするってどういうこと? と、私は心の底で苦々しく思っていましたが、小僧は突如、心の底からうれしそうになっていたので、まあいいかと思いました。
何でこんなものが欲しいのか、全くわからない……。
こういう美しく楽しい戦いの時があって、生きていると実感します。
Jリーグのサポーターとか、すごく気持ちがわかる!
ごひいきのチームは、小僧の所属する地域のチーム。
ここ、またコーチがすごく熱心で、いいんだわ。メンバーもどんどん増えています。
本当は旗を振って、ユニと同じ色のシャツ着て、応援歌を歌いたいわ。
小僧は帰宅後、ずっとプレミアリーグを見ています。
私はそろそろご飯の支度をしよう。ご褒美もらったような一日は終わり。
また明日から日常が始まります。
Jリーガーが大変礼儀正しいので、それを真似て小僧が練習の後必ず、
「応援ありがとうございました」
という。ありがとうはこっちの方だ。毎回、一緒に悔しがり、一緒に熱くなり、練習だというのに実に楽しませてもらっている。私には、君のドリブルが生Cロナウドを見るより素敵な時間。
ここまででもう一生分、親孝行だ。
と思う反面、親の欲って尽きないもので……。這えば立て、立てば歩め、歩いたら走れ、走るなら速く!の親心。自戒しよう。
仮眠のつもりで起きたら、朝だった。
なんかとっても損した気分。
精神的なストレスは小僧のかっこいい姿で癒されるとしても、肉体疲労は蓄積しているみたいだなあ。昨日の夜も夕飯を食べ終わったら即座に沈没してしまったのだった。
不惑の40代、睡魔とのガチな闘いです。
疲れているには理由がある。
週末は、ちょっといやな気分で過ごしていた。
犯罪者が発達障害者だったという報道はいいんだけど、発達障害者について知らないで不用意に書かれると、発達障害を持っている人は犯罪予備軍みたいな印象で困るなあ。
犯人が花粉症でも、容疑者は花粉症だったとは書かれないわけで。
でも仮にそう書かれたとして、花粉症がまだあまり知られていなかったら、花粉症、ものすごく怖い病気みたいでしょう?春にマスク、できなくなっちゃう。
大半が、犯罪を犯して、鑑定して初めて発達障害だとわかるというシステムも何とかならないかなあ。
初手で発達障害と格闘しておけば、対策は立てやすいのに。
発達障害の自覚がないから、二次障害ともいうべき引きこもりやら、いじめのトラウマやらが起こりやすい。
発達障害ってのは、方向音痴と似てる。
自信がある普通の人は地図は確認しただけで持たずにどこにでもいけるけど、方向音痴だとわかれば、ナビ持ったり、地図持って出かける、それだけのこと。
方向音痴なのに地図も磁石も持たずに出かけて迷い込んじゃったら、まず最初にやるべきことは方向音痴だという自覚だ。
でも、方向音痴だって迷いやすいけど、目的地には着けるわけだ、場合によっては方向音痴じゃない人よりも早くね。
あるいは方向音痴じゃないと自信を持って出かけて、やっぱり迷っちゃう人だっているよね。
迷い続けて方向音痴だったと大人になってから知る人も。
世の中の流れに迷ったら、方向音痴かどうか疑ってみてもいいかもしれない。
とにかく、方向音痴かどうかは、たいてい自覚以外、ないわけで。
似てると思うんだよ。でもさ。
地図を持つのを恥ずかしいって親はいないのに、発達障害は恥ずかしがる。
あるいは、子どもが何度も迷っているのに、地図を持たそうとしない。
地図を持って迷いながらもがんばってい子どもを、あら、地図なんか持ってるわ!と心のどこかでバカにする人もいるね。
このあたりは、私には理解不能な部分なんだけどさ。バカにしてる人の子どもが時々迷い込んでいたりするのを見ると、かわいそうになあと思う。子どもは多かれ少なかれ、迷うからね。
で、報道は、
「犯人は、方向音痴だとわかりました。でも、地図は持っていなかった為、二次障害に苦しんでいた模様」って、ちゃんとそこまで言ってくれないと。方向音痴に罪はない。
方向音痴じゃなくても迷うって前提もね、ぜひとも欲しい。
迷い込んだヤツは何らかの形で方向音痴、突発的に方向音痴もありだとすると、それはもう、保護の対象でもなんでもないしね。
当事者としてどう思う?と、親しい友人から聞かれ、私は犯罪当事者じゃないよと笑う。
別に彼に悪意はないからいいんだけど、犯罪者を見てこの犯罪の傾向は発達障害の影が、みたいな憶測の話が横行しないといいなと思う。
同時に発達障害が犯罪予備軍だと誤解させる報道で、そういう特別な目が、発達障害を持つ人に向けられたら、ものすごくいやだな。
発達障害は、スパイラルだよ、自分の中にとんがった個性があれば、それは多少なりとも引っかかってくる。全然没個性ですという人以外ね。
それで生きにくさを感じていれば発達障害だろうし、感じていなければ健常圏か、克服したってことだ。
発達障害は治らないけど、適応はできるんだよ。
たくさん課題があるけど、克服する可能性は大きい。
なんかさ、そういう希望の光も、きちんと解説した上で、診断名を事件と絡めてくれないかなあ。
賢い人にはわかっている前提、読者や視聴者は賢いという前提なんだとしてもね。
私は個性的な自分を愛しているし、個性的な家族を愛している。
愛のあるところに、多少の間違いはあっても大きな間違いはないと信じて、気持ち切り替えてまい進していこーっと。
このブログを通じて、発達障害に対する誤解をといてくれる健常の方たちの温かさも信じて。
応援、ありがとうございます。
さて、今日もサッカーなのだ。
私自身、この小さなストライカーのサポーターでいられる幸せを、ちゃんと自覚したい。
ゴールデンウィークには観光地下田だ。
相方の実家が観光地って、こういうときにいいかもしれない。ただし毎回長期休暇には渋滞必至だから、今回はちょっと思い切って、スーパービュー踊り子でビューと行くことにした。ビューだなあ。ビューだ。うふふ。
今年は初の茶摘体験をしたいなあ。アカネだすき にすげの笠〜である。はぁ ちゃっきり、ちゃっきり。などと張り切って母に打診したところ、きっぱり断られた。
姉は今、六時起きしてみかん農業を手伝い、一日中結構な重責を担う会社での仕事の後、父と兄の見舞いを欠かさない。一般職に就く彼女の体力にはかねがね敬服していたが、いや増して、スーパー体力である。電話ボックスでむりむりむりっと着替えをしているんじゃないかというほどの、スーパーぶりである。
みかんのかごは一個15キロ、それを背負って山道を上下するんだそうだ。
そこにこの時期、茶摘の作業が入り込むのだ、遊びじゃないのよ茶摘は。みんなくたくたになっているのだ。五月は静岡県民の指先に力が入る。(憶測)。信じられないほどのお茶を消費する人たちは、お茶で鋭気を養いつつ、ずんずん茶摘をしていくに違いないのだ。普段からコーヒーばっかり飲んでマッタリしている東京者に摘む茶葉など、きっとないのだ。
茶摘はまだしも、みかんは腰痛もちのお前には無理だと言われて、その通りだと思った。
しかも、足がなければ姉に迎えにきてもらわなければならない。駅から歩ける場所ではない、何しろ、携帯は圏外なのだ、いまや海外でも通じるという時代に!
トイレ掃除だけでも来いと呼びつけ、何もできないことを責められたって文句は言えない役立たずな嫁なのに、母はまず仕事の効率を考えた。そして私の身を案じて、帰郷に及ばずといってくれた。ありがたい。椎間板ヘルニア抱えて、慣れない農作業して、みかんの木から落ち、私まで腰の骨を折ったら、それこそ笑うに笑えない。
Gペンより重いものを持たない相方も、体力があるといったところで走るばっかりでは意味がないし、娘は姪その2と遊びたがってきっと立派な労働力である姪その2の働きを邪魔するし、小僧は一人でつまんないよとかいいながら山道でサッカーボールを蹴って、ついうっかり下まで転がってしまい、大泣きするに決まっているのだ。……あらー、えらく、役に立たない一家だったのね、うち。
というわけで、最近やけに気が合う姪その1と会えないのはなんとなく寂しいが、ゴールデンウィークは、東京残留組と決定した。
かあさん、ねえさん、ごめんよー、こっちでゆっくりさせてもらうよー。
さて、何しよう。
体の奥底から、久しぶりに、うずうず沸き立つものがあります。春です。
ビオラやバイオリンに対して、チェロやウッドベース。
ウルトラマンのように、巨大化した楽器が好きです。
低音がね、たまらなく好きだ。
でも、バンドの真似事をしたときも、ベースには手を出しませんでした。私はリズム音痴なんですね。
だからドラマーに弱いです。
ライブハウスに行くと、ずーっとドラマーばっかり見つめる癖がある。感動的だよね、ビートを刻めるって、その才能が。
お琴にも、十七弦、巨大なお琴があります。普通は十三弦なんです。
そのうっとりする低音を初めて聴いたときから、触ってみたい!とは思いましたが、自分には到底そのパートを勤める勇気はありませんでした。だからただじーっと見つめるだけで。
ところが今日のお稽古で、先生が特別に触らせてくださったのです。
しかもあろうことか、練習してもいいと!
夢?
初めて触る十七弦は、憧れの先輩とデートしたときのようなときめきでした。
でも、当然ちっともいい音は出てこなくて、ただぎこちなく、幸福と挫折感が入り混じる、奇妙な感覚で、お稽古の三時間が本当に15分ぐらいにしか感じられず、びっくりしました。すごい。すごい。すごい。楽器ってたのしーい。超下手でも、その音がとにかく心地いいと、もうダメだ。恍惚感に近いよね。
なぜか鼻の下を伸ばすというか、唇を内側にかみしめるクセがあるので、ずっと猿の物まねみたいな状態のヘブン顔で、三時間弱のトランス状態でした。
いいお師匠さんというのは、感応力なのかなあと思います。私の考えていることも、生活も、性格も、好みも、特技も、なんとなく見透かされてしまう。
ただ体がでかくて手がでかい、という、そういう理由で抜擢されたのかもしれませんが、とにかく好きな楽器には触れるだけでなんかとっても幸せだわ。
また初心に戻って、しっかり練習していきましょう。
ええーっと、十七弦はもし購入するとなるとおいくらぐらいで……と伺ってみたところ、百万からね。と、にこやかにいわれ、絶句。多くの先人は、板に糸を張って、その配置の感覚を磨くといいます。うはー。早速工作だわ。
そんな高価な楽器を扱うに値する自分にならなければ、いかんです。
ああ、20年若かったら!もっともっと耳が喜び、指が動いただろうにと思うと、なんとも残念ですが、幸いまだあと20年は生きられる。多分。おばあちゃんになったとき、自在に弾きこなせていたらいいなあと思います。四十の手習い、この高揚感は、わるくないなあ。
三味線への道も、うずうずうずうず……。
ああ、春っぽいなあ。
出張お習字講師のお話が舞い込んできました。
うーむ、高校時代にとった毛筆と硬筆二級を、確固たるものにするか。文部科学省認定の一級の楯、かっこいいしなあ、などと春風に誘われてよこしまなことを考えたりしています。
それがちょっと面白そうなのは、英語がらみだったりすることで、私の英語は北島のかっこいくてタイムが早い平泳ぎのような流暢なものではなく、100メートル犬掻きでやっとこさ泳ぎきるような英語ですが、それで何とかなるものなら、ぜひとも乗ってみたいお話です。
また一生懸命英語も学ぼうという気になるというものだわ。
FOX Crimeで、犯罪関係の英単語にばかり触れているけれども(病んでいる?)もうちょっとこう、違う英語もね。健全にね。
明日は、お琴のお稽古日。
何日ぶりかなので、ちょっと怖いです。軽くさらっておいたけれど、とうてい滑らかには弾けないし。
でも、ドキドキしながらお稽古なんて、ちょっとイカスでしょ。
三味線も始めたいけれど、コストを考えると子どもにかけたい。欲張らずに、お琴をもうちょっとマシに弾けるようになろう……と思いつつ、お琴弾いてると眠くなっちゃうのが大問題。
春だからかなあ。
邦楽は、癒しの音なのかもしれないです。
ああ、なんかここだけ読むと、大店の奥様みたいだ。(奥様、講師しないし、三味線の授業料で悩まない気もするんだけど)。
想像の中ではなんにでもなれると教えてくれたのは小公女でしたか。
今日のおかずは、二尾198円のオランダ産「かれい」の煮付けでも、お琴ひとつで気分はセレブ。
華麗、華麗。加齢、加齢。
どっちをひっかけるかはお好み次第なんですけど、今日はなんたって前者ですわよ。二尾198円、上等でございましょ。おほほ。
週末、ちょっとしたお出かけがあり、和服を着た。
自分としてはこう、いかにもな普段着だけど春めいた感じのウールに、一応草木染のおしゃれ帯締めて行ったんだが、、、周りがおしゃれ着なら小紋、中には付け下げ訪問着クラスの方もいて、大変に華やかだった。
これはアレですよ、平服で。と書かれていて、ジーンズで行ったら、タキシードまでいて、ドレスコードありだったんじゃん!と入り口で大慌てする、あの気持ちですよ。若い頃に一度ある。
若かったら、ウールでもジーンズでも、よかったんだ。でももう、今はちっとも若くなくて、なんか実に無教養な感じが恥ずかしかった。こういうときにはせめて紬(つむぎ)だったなと、学んだ。
そのとき、襦袢代わりに着ていたのは、浴衣だ。半襟だけちゃちゃちゃっと縫い付けて。
しかも、雑な着付けだ。
こういう場には、もっときちんと時間をかけて着付けしていこう。
次こそ。
って、次はあるのか?
きっとある、私もいい加減、いい大人なんだしさ。
私の着付けは細紐だけの祖母直伝、着ていて実に楽なんだけど、傍からみているとだらしないと思う。渡辺淳一の映画に出てくる人たちの着付けは大変に美しいが、あれはやはり脱ぐことが前提だからだよなあ。どんなに細くても、補正下着もつけていないし。※補正下着=細い女性を和服体型の筒型に変える、魔法の下着があるのです。
やっと補正下着の要らないずんどうな体型に成長して、着物は身近なおしゃれ着になったのに、これが絶対に、勝負服にはならないということよね。
いいのか、もう勝負はしなくても。
しかし春になったので、とりあえずダイソーの200円ブラではないブラジャーも購入してみた。
見ようによっては勝負っぽく見えなくもない、下着である。
太平の世にても、武士はその刀をなまくらにしなかったというのに、200円ではあまりになまくら、ここはもう一息、贅沢をしてもいいのではないかと思ったのである。
磨くべきは、別のところにあることはわかっている。そこをつっこまないのが、武士の情けである。
春はお出かけの季節。
花粉症も大分緩和されたし、雨もしばらくはなんとかなりそうだし、ちょっとおしゃれして、出かけよう。見も心も元気になりそうだわ。
……ああ、お出かけも、まずは、一から営業、営業。
初対面の方と会うときには、胸を張って大きな態度でいくと、デブを一瞬、巨乳かなと勘違いしてくれるので、(すっかり別の意味になってるけど)勝負ブラ、重要かもしれない。
まさか、和服で営業にはいけないからね。スーツ、入るかなあ。
ああ、なんか、わくわくしてきた。頑張って仕事ゲットして、大島紬を買いたいわぁ!
相方の髪が真っ赤になってました。
‥‥若い。
ちょっと、柳家紫文師匠に雰囲気が似て、なんともいい様子。
「うわあ、師匠みたいでかっこいいわ」
と私が言うと、福助が指差して、
「あ! 東京ボーイズの人だ!」
‥‥確かに、東京ボーイズの仲師匠は、金色に白髪染めされているが。
♪東京ボーイズというやつを 謎かけ問答で解くならば 種を蒔かない畑です いつまで経っても芽が出ない〜
というネタでおなじみの。
ええーっと、ご存知ない?
♪鈴木みそというやつを 謎かけ問答で解くならば 種を蒔かない畑です〜
こらこら。
娘・もじゃんぼちゃん(改名)だけが、「ハナワみたいね。佐賀の人」と、まともなコメントを。
‥‥全部、お笑い芸人だ。
さて、ご来訪者増加の秘密がわかりました。お知らせくださった方、ありがとうございます。
そしてご紹介くださった方も、ありがとうございます。
過分にお褒め頂き、なんかとってもうれしいです。
この際、相方の髪の色のことなどではなく、せっかくご来訪者が多いうちに、こう、世界の恒久的平和について語るとか‥‥幸せになる壷の広告を貼るとか‥‥。いろいろ考えたんだけど、ま、素顔のままですわ。
私とそっくりな毛質と、そっくりな地肌の特徴の、祖父ヨシヒロも、母ヨシコも、還暦を過ぎても黒髪は艶々として白髪が全くなかったが、唯一のハンディーは、薄毛になっていくことだった。
私もいまだに一本の白髪もないが(以下認めたくない現実なので省略)、だから怖くて、地肌にダメージを与えそうな「髪を染める」ということも、「パーマをかける」ということも、できない。勇気がない。‥‥とてもさみしいが、すでにさみしさが募り始めている昨今、これ以上違うところがさみしくなるよりはと、若返れないさみしさに耐えるのも、また大人の女である。なーに、毛なんかフサフサしていなくとも、痛くも痒くもないわ。むしろ、毛がない、ケガない、家内安全。ってなもんである!と開き直って、ストレートのおばちゃんヘアである。毛先はねまくり、立派な「もじゃんぼ」っぷりである。
ああ、血は争えないようでございます。
でも、ホントのことをいうと、最近ちょっと若作り目の帽子をいくつか購入、昔の変な帽子コレクションも引っ張り出してきて、いつも深目にかぶってます。
もちろん用途はソレなんですど、ズラ代わりとは呼ばないで。
昨日遊びに来た友達が、ランドセルを忘れていった。
あははは。
小学生男子のお約束だよね。いいなあ、こういうおおらかなのは、すごくいい。
小僧も私も、その友達の大ファンである。
ところが小学生男子なら誰でもあることが、うちの小僧に限って言えば、小学生というカテゴライズより自閉症というレッテルのほうが重くなる。
仮に同じ笑える失敗が、小学生男子だなあというより、病気だからなあという、そこはかとなくほの暗い雰囲気がかもし出されてしまうのである。ラップというよりは演歌、というか。全然根拠のないたとえだけれど。いや、お好きな人にはたまらないんですがね。
私はうちの小僧が自閉症と診断されていることを隠そうと思わない。
そもそも自閉症という言葉が私のイメージとして天才的な人たちと同義語であり、そんなにネガティブではなかったことと、治らない病ならそれはそれで折り合っていくしかないんだ、人間完全無欠なやつなどいるはずがないというのがあって、まあそれはそれで個性ぐらいに思って育ててきた。
左利き、とかね。
在日外国人、とかね。
芸術家、とかね。
ちょっと人と違うのは、逆にカッコイイでしょ!とすら思っていた。
アインシュタイン、とかね。
エジソン、とかね。
ニュートン、とかね。
坂本竜馬、とかね。
変わり者だが、面白い。
美形で、執着と集中力が人並みはずれていて、そのくせ正直者。うーん、理想のおのこではないか。もしこの子がどこから見ても平均値で、めちゃくちゃ個性がないという個性だったらそれはそれできっと溺愛していた気もするが、同じようにめちやくちゃ個性的に資質に恵まれたわけで、それはそれでとっても幸せなことだし、やっぱり溺愛しちゃうのである。
最初に産んだ男の子を二人も亡くしている。
それと同じ顔の小僧がどんなに育てにくかったところで、生きてるんだから。すごいよ、生きているということは。おめでたいよ。
そして、溺愛されて育った自閉症は、まあそんなに問題なく育つんじゃないかと最近思う。
だって子どもは大人よりずっと柔軟だもの、最初に困るのは子どもではなく親の方だったりするのだし、その親が真剣に取り組む課題がちょっとばかり多いというだけで、何か世間に恥じるようなことは何一つないんだもの。
ないのにね、それでもあからさまないたわりが心に痛かったりすることもある。
これが、ラップの明るさに対して演歌というか、日向の輝きにたいして日陰のイメージというかね。
小僧を持つまで、病名に対して、知らなかった感情を逆に植えつけられている感じもある。
いや、それでもね、多くの人たちは優しさでそういってくれているのだから、たいていはありがたいなあと思うんだ。小僧は強運で、実際、直接の知り合いはみんなとても普通に接してくれる。
ただ、ネットなんか見ていると、中には自分の子どもの不利益になる、迷惑かける子どもは出て行けというモンスターペアレント的な発言があったりして、がっかりしちゃうよね。
子どもなんて、五十歩百歩なんじゃないかと思う。
小学生で、いったいどれほど立派な完成されたお子様をお持ちで?と、そういうお高い方には、ちょっと意地悪のひとつも言ってみたくもなっちゃう、腹真っ黒な私。
ゴールは、小学生じゃないのにさ。
この先、人は死ぬまで生きるんだからさ、たくさんあるよ、いろんな修羅場が。逃げられない、運命や試練が。
そのとき、困難を乗り越えるための生きる力を、たっぷり蓄えておかないとね。
まだ柔軟な時代に、いろいろな人と接して、いろいろな知恵や価値観に触れて得られる経験をフルに活かして。
やさしさや、いたわりや、多分道徳の教科書にはのっていても実践できないことが、日常にはたくさん転がっている。
意外に、そんなにがんばらなくても、ただ愛してくれる人が一人が二人いれば、何とかなっちゃうという真理もね。
親が最初に、どんな子であれ溺愛できたら、その子の人生、大半はうまくいきそうな気がする。「親御さんの理想の完成形」じゃなくてもさ。
そういう大事なことをちゃんともらって育った子は、きっと大人になっても大丈夫なんじゃないかと思うんだ。体の内外、心の内外、環境要因、どんなところに障害を抱えようがね。
立派で完成されたお子さんが、途中で親の期待に応えられなくなって、疲れてしまわなければいいと思う。お子さんに、罪はないからさ。
今、自閉症というと、誰もが「ええーっ」と驚く、小僧。
「自閉症の」小僧ではなく、小僧自身を見てくれてる人が多くて、助かる。
それが結果的に自閉症の理解につながっていけばもっといい。
小僧は友達が大好きで大好きで、学校が大好きで大好きで、先生が大好きで大好きで、家族が大好きで大好きで、生きていることが大好きだ。
日本通の外国人が早速日本人くさくなるように、落語が好きと思ったら早速通になるべく娯楽にさえ真剣に努力してしまう私の血が、小僧を自閉症らしくない自閉症にしてしまったのだと思う。
治らない。でも、適応している。
それは生きる力だ。
私自身が、最近どうもいろんなネガティブワードに触れる機会が多くて、見方がぶれてしまい、やけにうらぶれたイメージを勝手に描いては、イライラしていたんだけど、ちゃんと軌道修正しなくちゃなと思った。
だいたい、周りの人たちの善意と支援を、誰よりも知っているのは小僧と私たちだ。
ありがたい。小僧が特殊状況でなければ、多分私は知らないまま生きていたと思う、人の持つ大きな力。
大人の善意で、子どもは育つ。善意をたっぷり浴びて育った子どもは、大人以上に善意を放つ。
遠く離れた、友達でもない人の悪意などに翻弄されるのは馬鹿馬鹿しいと思え、私。
溺愛だけでは解決しないもろもろの問題があることもわかっている。
マジ、課題は多い。
けれど、一番大事なのは、溺愛だと思う。
ああ、うちの小僧はかっこいいし、かわいいし、馬鹿だけど、ほんとに素敵。大飯くって幸せそうにしていて、サッカーしか興味なくて幸せそうにしていて、本当にすばらしい。自慢、自慢。
あっちに振れたりこっちに振れたり、親の私だってまだそんなにキャリアがあるわけじゃなく、問題に対して迷いに迷いながら答えを出していくわけだけれども、なんかね、これだけは絶対だと確信がある。
愛がすべて。愛にこそ、きっと答えがあるんだ。
どんな変わった形の子どもでも‥‥耳がほかの象より長くったって、一寸しかなくておわんの船に乗り込む法師だって、生きていることに、大きな意味がある。
娘も息子も、私のところに生まれて来てくれただけで、本当にありがたいことだよ。‥‥忘れ物番長と化した粗忽な小学六年と、一点突破全面展開な小学二年。
かあちゃんはね、君たちがとても好き。
なんですか、まったりしたカウンターだったのに、突然増加のご来訪人数。
春だから?
舞い戻ってこられた方なら、どもうご無沙汰しています、おかえりなさいまし。あいにく、本日、よいネタ仕込んでいなくて、申し訳ない。
最近では、すぐに地雷を踏んだのではないかとドキドキして心臓に悪いわ。
なんかいろいろあった一日なのですが、いろいろあった一日はひどく疲れてしまうもので、本日の営業は終了です。これ以上、災いが降りかかりませんように。
事情をご存知の方、メールください。
yuko@misokichi.com
背筋伸ばして書いてますけど、知り合いからは何気に登場人物にされてしまうと不評なので、カバのような見かけながら、ウサギちゃんのように心はいつも震えているのです。
それでも、書いちゃうんだけどさ。←馬鹿。
では、おやすみなさい。
話の腰を折るのが得意技であった兄が、腰の骨を折って入院したらしい。
笑い事ではないのだが、痛がる兄の情景描写をする義理母の話があんまりにもおかしくて、なんかこう、電話を切った後は笑いつくしていっそすがすがしい気分。
兄、楽しい話題提供をありがとう。もとい、お大事に。
この語り部の息子であるから、相方もまた実に話が面白い。
ここのところ、なぜか毎日少年時代のエピソードで笑い転げている。これがまた次から次へと、よく飛び出す。しかし、私たちは15年一緒に暮らし、最初の一年はアジアで、その後の一年は無職で、ほとんどべったりしゃべってばかりいたのに、まだでるか、新作!
今日は蛙の卵を間違って飲み込んじゃった話だった。まさしく、胃の中のカワズだ‥‥。生卵という点では、ロッキーみたいだが、ずいぶんと格差がある。
「バーバー吉野」という映画は、ほぼ相方の少年記であった。写真に残る幼少期の相方は、かっちり「よしの刈り」である。なんかこういう輝く宝物みたいな少年時代を持っている相方に、私は軽く嫉妬するなあ。
小僧が大きくなって思い出すのはサッカーのことばっかりなんだろうか。
もじゃんぼ娘が大きくなったときの少女時代はどんな風景が刻まれているんだろうか。
私が若い頃一番好きな映画は「スタンドバイミー」だった。
大人になる前の、誰からも何からも拘束されない、自由な時間。世界は自分のためだけにあって、明日どんな楽しいことが訪れるのか、わくわくして仕方なかった時代。同時に抱いていたはずの不安。それを克服していく喜び。
子どもに楽しい子ども時代を送らせてあげるのが、私の仕事だ。子どもたちの出逢ったパートナーが、腹をよじらせるぐらいのすごいエピソード満載な、楽しい子ども時代を与えたいなあ。
アジアに行ったときのブリーのバックパックが、あらら、かびていた。
修理して使っていたから、つぎはぎだらけ、あまりにも汚い。
ホームレスの方々もまたいで通るだろう。
捨てるしかないんだけど、惜しくて、「捨てる前提箱」に入れたまま逡巡している。
思い出は心の中に。
それでいいのかもしれないなあという気もするんだけど。
眠い。というのを通り越して、気絶。
昨日の夜は八時過ぎに仮眠するつもりで横になったが最後、全くおきられず。
そして、今朝、五時に、近年珍しく、気持ちよく起きました。
ジーパンのまま寝てしまい、化粧も落とさず、歯も磨かず。
そういうと、ちっとも気持ちのいい睡眠と結びつかないんだけど、何しろ気絶ですから。
とりあえずお風呂のスイッチを入れて、さて、この台所だよ。
夕べの食べ残しのいなり寿司、テーブルの大皿に三個、かるく干からびて残っていました。マッコリはしまってあるのに、なんたる差別!と思いつつ、朝食がわりに頂いてお皿は食器洗浄器に放り込み、昨日の宿題をばりばりこなす私。生ごみはこの時期、朝まで放置で結構臭うなとか思いつつ、かなり元気な自分にびっくりした。
朝はいいなあ!小雨振る中、リビングのラグを外につるして、殴り続けてホコリを落としたら、すっかりストレス発散。家族は私を呼ばず、来客も電話もメールもなく、誰にも中断されずに自分のペースで家事ができることがこんなにすがすがしいとは。
ちょっと盲点だったなあ。早寝早起きで活動するのは、ものすごーくいいかもしれない。
今日は日曜日でもあり、オハラショースケさんも身上をつぶしたという朝風呂も満喫してみました。すごい、幸せ。労働して、満腹で、お風呂上り。このあたりが、幸せの最大要素かもしれません。
ひとつだけ問題があるとすれば、私はそこかしこにぶつかってしまうので、そのたびに結構な音が響き、家人が目を覚ますのではないかと思うことです。抜き足差し足で歩いてもあんまり意味がなくなっちゃうの。絶対に泥棒にはなれないわ。
先日、大変向学心にとんだ友人から聞いた言葉に、
「富裕層の大半は、自分の人生の目標を明確に持っており、うち三割は目標を明記して常に持ち歩いているものだ」
というのがあり、ひれ伏しつつ、だから私は富裕層じゃないのかと思ったものですが、なんとなく私のほうが楽しく笑いながら生きている気もして、「いいよこのままで感」をいっそう強くしました。
目標は、面白おかしく生きることだわ。で、そんなことは明記するほどのことでもないのでした。
キリギリスみたいな生活なので、きっとろくな死に方はしないのかもしれないけれど、私は今日の目覚めが理想的で、今日の朝の過ごし方みたいなので十分幸せになっちゃうなあ。
これは、ファーストクラスで旅行に行って、リムジンで送ってもらって、スィートルームで目覚めるのと、実はあんまり大差ない気がする。明日、どっちの目覚め方がいいか選んでいいよと言われたら、そりゃあ後者を選ぶけど、でも金額の差ほど、幸せに差が感じられない気はするんですよ。
で、ぬくぬくのベッドで小僧が呼んでいるのだ。はにゃ〜ん。
小僧とくっついていちゃいちゃしたら、なんかもう、それでいいや。休日は決まって、娘も自室から降りてきて、ベッドに乱入してきます。三人でくっついていられたら、それが一番かもしれないなあ。
じゃ、これから小僧とハグタイムでーす。
初めて取得したクレジットカードはアメックスだった。
丸井も、セゾンも、ぜひぜひ申し込んでくれと再三勧誘されて、いつも保証人のところでひっかかっていた。
1980年代の話である。
私は若い女の子で、持ち家などなく、フリーランスで仕事をしていたから、親が保証人にならなければ駄目だったのだ。
しかし、18で家を出て以来、アパートを借りる以外、親には世話になっていない。
両親も自営業だから、保証人にはなりたがらないのだ。たがか部屋を借りるだけで、いろいろややこしいことを言い出す両親に、つまらない話を持ち込みたくはなかった。
こちらからカードが欲しいと申し込んで審査で駄目だったなら納得が行く。
だが、ぜひぜひともみ手で近づいてきて、保証人がいないから審査に通らない、親がいないのか片親か、実家は持ち家か田舎はどこかなどといちいち問われるのは大変腹立たしく、絶対にカードなんか作るものかと心に決めていた。そもそもローンで物を買うのが間違いだ。すぱっと現金、いつも財布に三万円。
ところが海外旅行に行くようになって、特に先進国ではカードがないことが大変に不利益なのだった。まずまともなホテルに泊まれない。
そこで私は駄目もとでアメックスに申し込んでみた。
1988年のことである。
確定申告書か、通帳の写しなどを提出したかもしれない。よく覚えていないが、親が保証人にならなくても申請できたのだけは、はっきり覚えている。
私を、「若いフリーターもどきの女の子」という見てくれだけでなく、初めて「きちんと経済的に自立した大人」として扱ってくれたカード会社だった。
それからアメックスは生保、海外での支払い、国内での買い物に大活躍だった。世の中はバブルに浮かれていて、私もたくさん消費し、カードを切るたびに誇らしい気分になったものだ。
ただ、勢いに乗って、別のゴールドカードを取得し、その金色が海外とくにアジアでは大変威力を発揮することも覚えてから、アメックスはだんだん控えになっていった。
結婚してからも、個人的な買い物は自分の口座から落としていた。アメックスのゴールド切り替えの勧誘も頂いて、それは大変魅力的だったが、お高くなる年会費を考えると二の足を踏み、グリーンカードのままだった。年会費がアメックスとほぼ同じの別のゴールドカードでたいていは事足りて、だからただ金色のカードにするだけにしてはコストがかかりすぎだと思った。
それでもアメックスのカードを廃棄しなかったのは、初めて手にしたカードの喜びのせいだ。アメックスのフェアな精神がうれしかったからだ。あのグリーンのカードは、いつも私のもうひとつの身分証と命綱だった。
当時、海外でカードをなくしたときに即日発行してくれたのはアメックスだけだったのと、海外での支払いトラブルが一度もなかったのもまたアメックスだけだったので、海外旅行が趣味だった私としては、アメックスだけはお守り代わりとしても手放せないと信じていた。
実際、先進国に行くときだけは控えから頼もしい先発になる。そんなカードだった。
でも、先進国に行くこともなくなった今、ほとんど使わないカードに年会費を支払い続けるのはつらくなり、お付き合いも20年目、アメックスさんにご恩は返せたような気がして、更新をせずに解約することにした。
担当の方に、簡単な事情と、丁重に感謝の言葉を述べた。裁断することを約束して、電話を切ったがこのカードだけはずっととっておきたいと思う。
私の自立の、一番の記念品だ。
アメリカンエクスプレス、長い間、精神的な支えを、どうもありがとう。
雨の中、私立小学校の入学式やら中学高校の入学式があったようで‥‥
関係者各位、おめでとうございます。
ざんざん降りの雨だったのがこう、とても気になりましたが、無事ご帰還、何よりでした。
雨降って地固まる。前途洋洋の学生生活になりますように。
雨降って地固まるって、こういう「おめでたい日に天候が悪い」ときに、とっても便利な格言ね。
それ以外で使ったことがない言葉でもあります。むむむ。
桜も散っちゃった。
この横殴りの雨の中、小僧はそれでもお友達の家に出かけて行き、時間通りに戻ってきました。
「楽しかったよ。ピタゴラ装置を一緒に作って遊んだんだ」
と言い、もくもくとくもんの宿題を始めたので、それはよかったねぇなどと気にも留めず、お友達の家にありがとうメールを送りましたところ、ちょっとしたトラブルが勃発していたという報告を受けてびっくり。
小僧をもう一度尋問します。‥‥割と、深刻な話なんじゃない? 君、そんな扱い受けて、怒らないのか?
「いいんだよ、傷つくことを言われたけど、それはちゃんとヒロシ(仮名)にもイヤだといった。ヒロシのおかあさんにも話した。僕はヒロシが好きなんだし、楽しかったんだ。嫌な言葉は忘れちゃえばいいんだから、いいんだよ」
ホントに、君は自閉症なのか?
言語に問題があるとずっと言われていたのに、巧みな言葉を操るようになった。駄洒落のうまさといい、むしろ言語感覚が面白い方向に伸びてきた気がする。
いろいろな言葉を面白がって質問して、すごい勢いで吸収しているのがわかる。
けれど、彼が決して質問しない言葉がある。
我が家では普通に使われている、「自閉症」という言葉だ。うすうす気づいていて、避けているのだろうと思うから、私も無理には押し付けないし、最近ではその名詞をあまり出さない。
ネガティブに使うことはない。自閉症は天才の別名だ!ぐらい、超ポジティブに捕らえているのだが、それでもそこに流れる微妙な空気を、福助は感じているのかもしれない。
「嫌な言葉は忘れてしまえばいい」
私も、そうありたいと思ったよ、福助。
病名を気にしすぎているのは、私の方かもしれないね。
あるいは自閉症だから、自分で記憶をコントロールしようとしているのだろうか。
彼なりの適応の方法なのかもしれない。でなければ七歳でこんな発想はできないように思う。
正直、すごーく昔に言った言葉や、すごーく昔に行った場所、何かのときの状況やそのときの服装まで、福助は記憶していることがある。ふいに、三歳で受けた知能検査の時に出された問題と答えが飛び出してきたこともある。このままこの人は飽和量に達するまでいいことも悪いこともどうでもいいことも記憶し続けて、そんな風に生きていくのは苦しくないかしらと思っていた。
でも、最近は本当に上手に忘却するようになっている。相変わらず顔の記憶は鋭くて少しの変化も見逃さないが、身近な人に限定されるようになってきたし、名前の記憶もサッカー選手でキャパを使い果たしている気がする。
自分にとって楽しいことだけを覚える。それがまた、喜びを生むと、わかったみたいだ。
普通の人の振りをしていたら、本格的に普通の人になってきたようで、デイブスペクターの血中日本人度と同じぐらい、日本になじめてきたように思う。
記憶コントロールも、異星陣福助・日本人化の一環だ。
福助は悪いことや嫌なことを日記に書きたがらない。彼の日記は、楽しいこととうれしいことに満ちている。日記に反省文を書かせようとしたとき、ものすごく抵抗したのも、きっと記憶の定着と忘却のコントロールができなくなるからだったのではないかと、私が反省する。
ここまで書いてきて、ひょっとして担任の先生の言葉なのかもしれないと思った。
彼女は若いのにものすごい力技で、クラスを母子ともども温かく魅了している。
使う言葉に魂を吹き込んで、子どもたちの生きる根幹を鍛え上げる。
たとえば「このクラス、やるときは、やる!」と、わかりやすく短文のスローガンにして、クラスに貼り出す。目で見せて確認させ、何度も声に出させて、子どもたちに訴えかける。
子どもたちがどんなにふざけていても、すぐには押さえつけず、余裕である程度騒がせた後、
「じゃあみんな、いくよ。このクラス、やるときは?」と呼びかける。子どもたちは「やるー!」と応えて、即座に「やるときはやる」体勢に入るのだ。
そうなるまでに一体どんな魔法を使っているのかは知らないが、この指導を見たとき、名人芸だ‥‥と思った。
たくさんの言葉が、福助とクラスメイトに降り注げばいい。言葉が気持ちを決めるのなら、素敵な言葉をたくさん使える人になれと願う。
そしてできれば、どんな言葉にも、愛がこもればいいと思う。
「自閉症」という単語が、ただ異星人のような理解しがたい嗜好と思考を持つ人を指す「ラベル」だけではなく、その人の個性の入り口として認識されるぐらいになったら、この世の中はまたさらにちょっと生きやすくなる気がするんだけどな。
ところで、ヒロシはその後、福助を傷つける言葉を反省するに至ったそうで、ちゃんとママからメールが来ました。
もしかすると福助がヒロシを不快にした可能性だってあるから、私もそうだったらごめんねメールを送りつつ、それでも悪い言葉なんかじゃびくともしないほど福助がヒロシを好きだという事実は変えがたいのだからと、そこに私は安心しているのでした。
言葉の持つ愛の力と、言葉によらない愛と。
今日、七歳児に学んだことでした。
全国的に入学式かと思います。
おめでとうございます。
うちの学校も、和やかで、明るくて、いいお式でした。
新しいPTA会長さんのはつらつとしたご挨拶を聴きながら、
「ああ、これで本当に役員のお仕事が終わりなんだなあ」
と、しみじみ思いました。お疲れ様でした、私。
そして、全国津々浦々の、役員さん、同志の皆さん。
‥‥がんばったよね。
役員経験者にしかわからない、あれやこれやもあったでしょう。お寄せいただいた、うれしいメール、切ないメール励ましメールに愚痴メール、ご心配メールのいずれも学校は違えども、共感しつつ読ませていただきました。
ありがとうございます。これもまた、役員やった特権でした。
そして、みなさん、本当に本当に、お疲れ様でした!
これから一年間、やる気に満ちて、あるいはええーっとあの、多少不本意だったりする場合も、学校と子どもたちのため、正義の味方になっちゃった新役員さんたちには、心からのエールを送ります。
でも、忙しすぎたり、つらくなったときには、我慢しないでね。
ボランティア活動、決してがんばりすぎないでね。
素敵な役員仲間がいるはずだから、がっちりスクラム組んで問題をひとつひとつ解決してほしいと思います。
私にとって、役員仲間は一生の友達になりました。
笑い続けた一年間、心なしか、免疫もアップした気がします。(仕事が終わった途端、体調が悪くなるほどにな!)
一年間の長丁場、自然と友情も育って、劇的なこともたくさん起こりました。
うふふ、来年の今頃、経験値増えまくりですよ!
どこにでもいる、これまたまるでドラマの敵役みたいな心無い人がいたら、言わせておけばいいんです。そういう人には決してできない、すごいことを、今、実践しているのは、あなた自身なんだもの。見ている人は見ていてくれるものだなあというのが、私の感想です。
誇っていいと思います。
誰よりも、子どもが見てます、あなたの背中を。
多分、ちょっとばかりお人よしで、そんなだからこそ子どものためにPTA活動に献身しようという、愛に満ちたあなたの、子どもに生まれてきてまったくもーこの幸せ者め〜。
と、全国の新役員さんのお子に、この言葉をささげたいと思います。
新入学、新学期。
桜の花びらが祝福してくれる季節に、新しい扉が開くのは、本当にいいものです。
おめでとうと言える友達がいることが、なんかもう、ひたすらうれしくて、新入生に便乗してすっかりおめでたい気分で。
さあ、また本年度もよろしくね。
気持ち刷新、胸を張って行きましょう!
これはアレだね、気が抜けているらしいね。
新一年だ、役員だ、娘が突然受験と言い出した、さらに英語劇、息子の特別支援ケアのお願いと、一方でサッカー送迎と新しいサッカー進路、とにかく何やかやとめまぐるしい一年間がようやく終わって、春。
忙しすぎた一年が終わると、こんなものなのかも。
疲労感、倦怠感、虚脱感‥‥。
特に、複数男子を持つ母親にはおこりがちらしいと先輩ママさんからの助言を受けてすごく得心が行ったので、母親同業の皆さん、どうかお気をつけてくださいまし。
娘P子の髪型が70年代フォークジャンボリーみたいなのだ。
着るものにも髪型にもまったく興味のない娘は、かなりいい加減に髪をとかす。いや、とかさないことさえある。劇団の公演に向けて、とりあえず伸ばし続けて真ん中分けにしているため、あの頃二人のアパートは裸電球まぶしくて、銭湯にも毎日は通えないような、そんな雰囲気が、どうにもフォークジャンボリー的なのだ。さらにベルボトムのジーパンなどをはいていた日には、もう思いっきり。
あんまりな髪型の時には「ジャンボリーちゃん」「略してジャンボ」などと呼んで注意喚起していたら、小僧が「モジャンボ」と呼び出した。
ポケモンのキャラである。しかしこれがなんとも、ぴったりなのよ。うちのモジャンボ、もとい、Pちゃんに。
小6最高学年になるモジャンボ、今年はどんな一年になるのか。
まあ、そろそろプライベートなことは書き込めなくなってくるよなあ、いろいろと配慮が必要なお年頃だ。
漫画家一家の家庭内事情、一風変わっていたり、実はきわめて普通だったり、泣いたり笑ったりをたらたらと書き綴ってきたけれども、うちのモジャンボが「暴露、やめてね」と言ったときが、この万華鏡の終わりのときなんだなあと思う。
とりあえず、まだうちのモジャンボがモジャンボと呼ばれても大丈夫なうちは、もうしばらくおつきあい願います。
今日のお気に入り。
「寿、限りなしと書いて、寿限無はどうじゃ」と言った私を真似して、小僧、
「寿、カジリムシ?」
‥‥都会のお尻は苦かった。
「何、食べたい? 俺、吉野家の牛丼」と言った相方に対して、小僧、
「かつおだし、さらにどーん!」
‥‥それ、丼じゃないって。
さあ新学期も、笑いを取りに行けよ小僧。モジャンボは、髪をとかして行けよ。
いよいよ、明日から、新学期です。
元気のない姿をだらだら見せても仕方ないし、なんとか面白いネタを探そうとするんだけど、どうにも駄目なときには、駄目なもんだね。ここんとこ、弱り目に祟り目。かゆみとまらない目。
三時間ほどキーボードを弾いて歌い続けて、ちょっと元気が出た。
相方の印税が入ったら、ドンキホーテで安いギターを買おうかな。
三味線に手を出したいと思いながら、その分は息子のサッカー用具に消えていく昨今。今から新機軸の技術の習得は難しくても、とりあえずストレス発散の歌伴奏く゜らいなら過去にとった杵柄で。都都逸や長唄もいいんだけど、とりあえずサザンとかユーミンとかドリカムとか奥田民夫とか。
内緒だけど、アニソンも。
私は一人カラオケに行く勇気がないので、寝室に引きこもって歌うのだ。
そんなときもあるよね。
うまくいかないときもさ。
憂鬱で、悲しくて、切なくて、どうしようもないときも。
疲れきってて、育児の自信がなくなってみたり。
疲れたときには休もう。
無理しても駄目なものは駄目。
ちょっと休んで、また元気だして。
歌って飲んで、即物的かつ自堕落な憂さ晴らしも、許す。
とりあえず、自分のことだけは愛しておこう。嫌いにならないようにしよう。
私を私以上に理解し、私以上にケアするものはいないのだ。
そういう自分がいることを、寿ぐ。
自分を愛せない者に、家族や友達が愛せるものか。
なんだかパソコンがぐるぐる回っています、酔って書き込むのはやめようと決めたんだけどなあ。
いいや、緩々な、こういう私もまた私のうち。
お友達の家に合宿。
という、小僧的には夢のような一日が始まり、そわそわしっぱなしなのだった。
二日分の公文の宿題をあっという間に仕上げる。
……やれば出来るなら、枚数を増やそうよ、小僧。普段は30分以上かかっているのに。
自分で荷物を詰めたら、禁止されているDSを入れて、持ち物リストにあったWiiリモコンを忘れていた。っていうか、ちゃんとチェックしない私が悪いわ。歯ブラシは途中のコンビニで買う、いい加減さ。うう、マネージャー失格だわ。
合宿所になるお友達の家で、母たちはお茶会。
子どもたちが遊んでいる間、とにかくずーっとサッカーの話題で盛り上がる。飽きないんだなあ、少年サッカーの話って。
また、私がその合宿に参加している子達の大ファンということもある。
青田刈りもはなはだしいというか、田んぼの泥狩りだが、その泥の中に大量のミジンコが、いやもう才能のきらめきが、うっふっふっふっ、彼らの将来が楽しみで楽しみで。
サッカーが仕事になるかどうかはさておいて(情報過多なため、変に冷静)、みんなひとかどのものになりそうな子どもたちなのだ。ピカピカよーん。
合宿計画を練ってくれた友人Cは、密かにマジックまで練習してくれたらしい。
涙ぐましい努力だ……。ううう。
今度はぜひ私が合宿所として名乗りを上げたい。マジックはとうていできないけど、子どもたちと一緒に遊べる今がチャンスかもしれない。彼らのやり取りをじっくりこっそり聞いてみたいと、Cからの報告メールを読んで身悶え。
楽しそうなんだもーん。
そういうことを心から楽しんで演出してくれるCに感謝しつつ、そういう「友達」に、私もなりたいと思う。そういう人柄に、近づきたいと思う。
明日はお迎えがてら、また少年サッカー談義が出来ると思うと、わくわくする。少年団の抱える問題について、いろいろな角度からの意見は実に興味深い。晴れれば、あの子達の練習を見ることも出来そうだ。うれしーい。
少年サッカーを趣味にして、小僧の所属チームのサポータになってしまうと、これがもう、喜びが日々に満ちる。ママ友達の語らいは、後援会幹部の会議なのである。小僧が出てない試合だって、応援に力が入りまくりよ。小僧が伸び悩んでいるときでも、朋友が絶好調ならチームは強いし。そして、少年団だから、転勤でもない限り、選手のトレードはないわけで。ビバ、少年サッカー!
小僧は四月から、スクールに通って技を磨く。実は少年団にはそういう子がすでに何人もいたのだった。コツコツなひたむきな7歳たち。筋肉質。さらさらヘア。俊足。はにかみ笑顔。激しい高揚と、時に涙。うはは、青春時代に夢見て手に入らなかったものが、すぐ近くで笑ってくれる。
自分の小僧に限っていえば、抱きしめてもキスしても一緒に風呂に入っても、オッケーよ。特権、特権。
もっとも、みんなの前でハグしてキスしていい?と聞いたら、「やめろ、きもい」と言われたけれども。わはは、立派な男の子である。
少しずつ成長し、消せない情熱をチームに持ち帰って、貢献するがよい。選手諸君!!
果てしなく応援するぞ。
どうでもいいが、小僧はサッカー選手の後、引退したら、本屋さんになるといっている。
理由を聞くと、お父さんの本をたくさん売ってあげたいからだそうだ。
よくよく聞くと、どうも原稿料という概念は理解できず、我が家に献本される漫画本だけが、お父さんの報酬で、お母さんが密かにそれを売りさばいているのだと思っていたらしい。
それで本屋とは……。親孝行な小僧である。
っていうか、若いうちに引退しなければならないスポーツという概念を持っているあたり、しっかりしているのか、根性がないのか。
本屋の星になる前に、悔いなくサッカーをやれるように、かあちゃん頑張る。いや、どうかこのまま、頑張らせてね。
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