2008年09月17日

夢〜天命を待つ〜

アメリカの金融が大変なことになっているみたいで、こんなときに大統領になりたいでぇーすと手をあげちゃった人は大変そうだ。
でもきっと、彼らにはちっとも大変じゃないんだろうな。それが天命ってヤツなんだろうな。

私にとっての天命が何かは未だわからないのだが、わからないままでも、それはそれでいいんだと思う。
もう大統領にはなれないが、ある日突然、世のため人のために役立つ、何か別のものになる可能性は十分あるのだ。
天命を知るというのはどういう気分なんだろうな。
天命を知ったら、私は四十五でも五十でも、七十でも八十でも、動き始めるのだろうか。
その時まで、じっくり腰をすえて、たっぷり栄養を蓄えておきたい。蓄えすぎて動けなくならないように、気をつけたい。

ここのところ、よく思い出す光景がある。
アジアを旅しているときに、かわいいお嬢さんたちがたくさん都会に売られてくるのを見てきた。
私たちがアジアを放浪していた年には、特に売られる娘さんが多かったときく。
日本の凶作を受けて、タイ米が大量に輸出されたため、娘を手放して元手を作り、それで米を作ったのだという。真偽のほどは定かではないが、当時バンコクの富裕層である友人たちはそう語っていた。
噂は真実でなければいいと思っていた。
娘を売った金で作った米を、日本人は「まずい」「くさい」と捨てていたことを知っていたから。
15年前、タイ・バンコク。
大きな書店で尋ねたら、そのときのベストセラー本は、タイ語の本だった。東北から来た子たちには文字の読み書きが出来ない。働くために、彼女達は都会に出てきてまず標準語を覚え、読み書きを学ぶ。だから、タイ語の教科書はいつまでも最も売れる本なんだと、店員は臆面もなく言った。
彼らは格差社会が普通である。目玉焼き一つつくったことがないまま、女中を連れてお嫁に行く娘さんがいるかと思えば、10円の目玉焼きをランチにつけるかどうかで悩む市場の娘さんもいた。目玉焼きを家族に食べさせるために体を張る娘さんも、きっといるのだろう。
歌舞伎町のようなところに行くと、十代の女の子たちがオヤジ達の腕にぶら下がって屈託なく笑っている。
思い出すのは、ノーンのことだ。
好奇心でのぞいた、ダンスバーで、私にしつこくまとわりついてきた女の子がいた。まだ十代前半だった。
一晩買ってくれないかと言う。必死のまなざしだ。一生懸命マッサージさせてもらう、身の回りのお手伝いもする。マダーム、バイ ミー。超片言の英語だった。
1000円しないで彼女の一晩が買える。店にも同額程度を包めばいいらしい。
私が彼女の年齢だった時、夜は自分のためだけにあった。深夜放送を聴いたり、雑誌を読んだり、明日の部活のためにトレーニングしたりする時間だった。怒りに似た震えがおこり、私は彼女を買うことにした。
彼女に少し話を聞かせてもらう。私のとんでもなく下手なタイ語に付き合えるかときくと、彼女はとても喜んで、年下の子どもに話すようにゆっくりとしゃべった。少し私と話したら、あとはノーンの自由時間。今夜は、自由な夜をプレゼントしたいと言ってみた。
彼女の顔は、くすんだライトの下で、みるみる輝く笑顔になった。
昼間、観光で、タイの寺院に行った。あちこちで見ていた、捕まった鳥をわずかな金で買って、空に放つ儀式。小鳥を逃がしてやることで功徳を積む意味があるのだそうだ。功徳はどうでもいいが、彼女を逃がしてやりたいと痛切に思った。
今はまだローティーンなので長袖を着た下働きだが、やがて金色の棒につかまって短いスカートとタンクトップで腰をくねらせて踊らなければならなくなるのだろう。この暗く隠微な鳥かごから大空高く飛び立つことができるだろうか。誰かが彼女の一生を買い受けることになるのだろうか。
里には祖父母と両親と妹や弟達がいて、米を作っているという。そこに仕送りするために、彼女は出稼ぎに来ていた。親孝行という概念とも多少違う。そもそも子どもの人生は親からいただいた、親のためにあるもの。だから親の言いつけを守るのは当然なのだ。タイの仏教徒の考えなのだろうか。文化の差とはいえ、けなげな彼女の手を握って、頑張ってねというのが精一杯だった。
タイ語はまだ習いたてだったから、彼女の話の大半は理解できなかった。それでも、ノーンは歌が好きなのだとか、学校にはほとんどいかなかったので、いつか学校にいきたいと思っているとか、他愛ない女の子の会話は耳に心地よかった。
じゃあ、私はそろそろ帰るね。というと、ノーンはにっこり笑って、
コップンチャーオ。
と言った。
サンキューでもアリガトでもない、コップンカーという標準タイ語でもない、彼女のお国訛りだった。
彼女は、それがタイではさようならを意味する、拝むようなしぐさのワイをして、サワッディーカー(さようなら)と何度も言いながら、店の奥に消えていった。
せめて一晩だけでも、ゆっくり眠れるといいね。おやすみノーン。サワッディー。
その数時間後、私は凍りつく。
歌舞伎町のようなパッポンストリートで、日本人サラリーマンと腕を組んで歩くノーンとすれ違ったからだ。
しかし、それはそれで彼女の時間の過ごし方だった。私の財布には、もう、明日の屋台のごはん代程度しかない。
そうだ、私は彼女を買ったのだ。買うという点においては、日本人サラリーマンと同じだったのだ。
そして彼女は売らなければ、生きていけないのだ…。
私は、不思議と、何か吹っ切れたようなさっぱりした気持ちだった。だまされたとは思わなかったが、寝る間を惜しんで働かなければならない彼女の宿命だけを、憎いと思った。
私はあまりにも無知で無力な、ただの旅行者で、そんな現実が同じ世界で起きていることを、その現実を自然に受け入れている女の子がいることを、そんな瞬間に自分がどう感じるのかすら知らないまま、20代を終えようとしていた。

今の私のお財布にも、明日の夕食代分ぐらいしか、入っていない。
子どもの習い事だ学校だで、忙殺されている毎日だ。
いつか、タイの東北に、子ども達のための学校を作れないか。ノーンのような境遇の子は、契約書がちゃんと読める必要がある。読み書きが必要だ。そのためには学校だ。帰国後はそんなことを思っていたのに、いつしか生活に追われて忘れていた。
最近、素敵な出会いがあって、超へたくそな片言の英語でお習字を教える機会に恵まれた。外国人の子ども達とのふれあいはとてつもなく楽しい。
なれない外国語が、私の記憶のどこかを刺激したのか、タイのそんなある晩の出来事を思い出した。
天が何を私に命じるのかはまだわからないが、宿命をがっちり受け止めて笑って過ごしていた彼女のように、私は私に出来る今をしっかり過ごしたい。
それこそが今の私に出来る天命なのかもしれない。
そして、遠い遠い夢として、タイの東北で学校作りに関わりたい。
ある日、そんな天命を感じられたらいい。フィールドオブドリームスみたいに。
天啓を待ち望むというのも、ちょっとワクワクする話だ。
それは小僧がプレミアリーグに行くと言い張っているぐらい、遠く叶わない夢かもしれないけれど、夢はないよりあったほうがずっといい。

2008年09月17日 23:09