2007年11月30日

受験道

一夜あけて、本日冷静。
おはようございます。

いやー、おかんの一喜一憂は困ったものだ。
でも、こうやって身もだえしつつ、前進するのだ。

子どもの人生を復讐の道具に使ってはいけないと、しみじみ思う。
自分の果たせなかった夢を重ねるのは、その子の人生をのっとろうとすることなのだから、虐待に近い。
勉強したくてもその環境に恵まれなかったことは、私自身がけりをつけるべき課題だ。P子のしたいことがお勉強ではないのなら、お勉強を薦めるのは間違いだと気づいちゃったよ!
とりあえず家内安全。夫婦円満。
生活も、まあ、やっていける。
好きな習い事も自分たちで選んでやっている。親は親で、ちゃんと好きなことがある。
子どもたちは安心して学校に通っている。

親にできるバックアップは、その程度だわよ。
そういう、当たり前の家内安全は、あって当たり前な話。
それが得られないというのもまたよくある話で、若くて未熟だった親を恨むエネルギーとか、自分の育ちの悪さを呪う時間があるなら、それ、平和利用をしなくちゃ損!と、すでに解決済みだったはずなのになあ。中学受験にはトラウマがあるので、なんかこう、突発性教育ママゴン(死語)になっていた。

その子がとても勉強向きだったり、夢のために行きたい場所があるなら、親はコーチとして伴奏する必要があると思っている。よりよい環境を与えたいと願うのはすばらしいことでもある。
にわかコーチ見習いで受験サイトをのぞいたりメルマガ読んだりしていて、受験の意義も、私立の教育内容や、そこにある熱い気持ちも、うっとりするほど感化されてはいる。
何もわからない子どもに全部を決めさせるのは、これまた親の怠慢、責任放棄だと思う気持ちは、受験は関係なく、ずっと持ち続けてきた持論だし。
でも、うちのお嬢は、そんなに勉強が好きでも得意でも、ないんじゃないか。というのが、今回の模試の結果でわかったことだった。ええーっと、「何のトレーニングもしていないのに、見方厳しすぎです、おかあさん」と予備校の講師の方にも言われたけれども。
わしゃあ、一徹ですから!
お嬢としゃべっていると、本当に頑張ろうとしているのがよーくわかるので、ついうっかりその頑張りに乗じて「お勉強が得意な子が行く学校」をゴールに定め、コーチング計画を練るところだった。が、しかし、そこに原石の輝きはないのではないか。と、思った。
正直に白状すると、ひょっとしてビックな貴石が眠っている?と期待するのは、親としては実に甘美な体験だった
あれは、なんだろうねぇ。彼女の夢に共感して、巨人の星を目指して、さあ磨き上げるぞと思うのは、気持ちいいんだねぇ。
それは子育ての醍醐味でもあるんで、否定するつもりはまったくない。
けど、小僧がサッカーが大好きだからサッカーをやる、それと同じ情熱でお嬢が受験を語っていると思いこんだら、試練の道は地獄道である。
小僧は小1、まだプレミアリーグに行く夢も、バルサの10番をつけるんだという夢も許されるだろうが、もう荒唐無稽の夢が許される時期でもないのかもしれない、小5。
たとえは悪いが、駿馬と騎士が一体になって、早く走ることを徹底的に追求している受験のゲンバに、ノコノコ素人が、足の太い労働馬を持ち込むようなことをしてはいけない気がして、目が覚めた。

きっとP子には彼女にしかない、とっておきの「魅力」があるはずだ。……私にとってはすでに十分魅力的だが、それが誰かのお役に立てるような力になればいい。協力は惜しまない。子育て、私の趣味だから。
でも、都立中高一貫校にとらわれて、成績のためにカリカリイライラして勉強すると、勉強そのものが嫌いになりそうで、おかんはそれを危惧したりもする。
パズル解くみたいに、楽しく本を読んでいくみたいに、世の中の森羅万象を面白がれたら、それは地球に生まれた意味があるってもんだ。って、私、言うことがすぐでかくなるけれども。
おたく道を、もっちりむっちり、追求するもよし。
いろんな面白そうなところの上澄みだけをなめまわるのもよし。
どんなことでも、自分の居場所をちゃんと確保できれば、その人はその周りの人にとって必要不可欠な人になる。
自信を持って生きていければ、嫉妬とか復讐とか嫌悪とか、ネガティブな感情に惑わされずにすむ。
そうやって私自身、案外幸せに生きているのに、自分の唯一誇るべき多幸症の部分を、子どもに投影しないでどうするんだと、母反省。

こうして、経験値がまたひとつあがった!
まだまだ、がんがんいこうぜ!

よく頑張ったね!

全国模試の、娘の成績が返ってきて、ちょっと絶句した。
覚悟はしていたんだがなあ……。
ええーっと、我が家の「ゆとりちゃん」は、可能性に満ち満ちた成績だった。
見ようによっては。
もう、可能性しかない、可能性の塊といっても過言ではなかった。
……はっはっはっ。元気が1番。

高望みはしないという点において、
早く開眼してよかったと思う。危うく、とんでもない妄想が暴走するところだった。
変な親の期待に応えようと間違った茨の道を行くことはないのだ、娘よ。

予期していなかった現実に、感情がすぐに態度に出る私。
予備校の先生が電話で戸惑っている。
「人格重視の学校」という苦し紛れの表現に、ちょっと笑った。
さすがプロだなあ、ものはいいようだ。

学校の成績って人格重視だったのねーん。
いいんじゃないかなあ、人格重視。
よし、娘ちゃんは、人格者を目指そうよ。

人生、楽しく生きた者勝ちだ。
楽しく生きるために、とりあえず社会科は要らないかもしれないしなあ。
必要になればきっと、いつか自分でやるだろう。
必要でなければ、それはそれできっと幸せだろう。

娘ちゃん、ちょっとしたきっかけがあって、全校生徒の前でスピーチをすることになり、一生懸命台本を練っている意気込みやよし。
でも、発表が月曜日、原稿チェックは金曜日がリミットという、今日になって、初めて、懸命にキーボード打っているんだよなあ。
その「締め切り間際でムチ打って、奇跡的に仕上げていく体質」だけは、なんとかならんか。とは、思う。
でも、相方を20年近く見ていれば、時間厳守がなんともならないことはもう、よーくわかっているからね、いやもう、色即是空よ。はぁ、人格、人格。←ちょっと錯乱。


2007年11月28日

遊んでいる。

小僧たち、仲良くWiiで遊んでおります。
なんというか、本日はきれいどころばかりでどきどきしちゃうわ。
wiiだと、部屋がぜんぜん散らからないではないか。
しかも、女子はすごいなあ、お菓子をもっと出せというわけでもなく、飲み物もジュースないのとか言わずに、お水をリクエストしたりするですよ。
しかも、華やか。ピンクとか、赤いのとか、髪の毛なんかも編んでいたり結んでいたり、ああ、いいにおいしそうなんだもの。とりわけ本日は美人ぞろい三人衆、プラス男子一人です。小僧が踊りながら帰ってきた理由が、よくわかるなあ。
本当に踊りながら帰ってきて、踊りながら迎えにいって、踊りながらつれてきました。
そこまで、ご機嫌か。
男子はこんなときにも男子だなあ。
何言っても笑ってくれる女子たちに、ものすごーくうれしそうにギャグをかましている小僧を見ていると、((実際、ギャグのレベルも高いよ、小僧!ナイスシュート!な感じだ。知らない間に、成長したなお前)、ううう、このまま健やかに成長してくれるといいなあと母ちゃん、お星様に祈っちゃうよ。
喧嘩しないし、走らないし、ボール投げつけないし、楽しそうにけらけら笑って、ああいいもの見たなあ。

本日、主婦なり

子どもたちが学校に行くって、それだけで素敵なことだったのねぇぇぇぇ。
深呼吸、深呼吸。
我が家はだんなが在宅なので、一人っきりの空間と時間!るんららら〜。という状況は、ほぼないのだが、それでも子どもがいないだけでなんかこう、……気楽。
相方は地下室にこもった瞬間、気配がなくなるし。
モンスターズインクのランドールみたいな人なのよ。性格はマイクなんだけれども。
最後の晩餐だったら絶対におすしと決めている、おすし好きですら、毎日食べたら飽きちゃうからさ、どんなに子どもが大好物でも24時間ずーっとくっついていたらハードだ。
週末からずーっと一緒だったので、なんだかとっても疲れた気がする。
しかし、幼少期は、有無を言わせず、ずーっとくっついていたんだったな。特に小僧はずーっとおんぶしていたんだよな。
……えらかったな、ワタシ。

さあ、衣替えだ!
本当は映画にも行きたいし、時間があれば寄席なんかものぞきたいし、お友達とランチやショッピングも捨てがたい魅力なのだが、今日こそばっちり、完成させよう。
ごそごそやってると「おかあさあああん」と呼ぶ、甘えた声はないのだし。
昨日のカレーをカレーうどん用のスープにリメイクしてあるので、お昼も簡単。

いやな予感がするのは、今日、小僧が友達を呼んで帰ってくること。
風邪が完治していないので外で遊ぶよりはいいかと許可したのだが、どれだけ片付けても、お友達がくるとまたごっそり散らかるのよね……。
メビウスの輪を全力疾走している気がするけれど、この疾走は必ず何かにつながっているのだと信じて。何かが何であるかは、深追いしないのよ、生きる知恵として。

2007年11月27日

さて、休憩終了。

風邪引き小僧は学校を休んでサッカーを見ている。
娘の怪我は一進一退、また今日も整骨院に行く予定。
悪いときには悪いことが重なるものなので、ぎっくり腰に注意しながら、家事にいそしもう。
あ、まだ大丈夫です。
家事は全然好きじゃない仕事だが、教育の一環だと思ってがんばる。
考えてみると私がだらしなくジャングルクルーズを成長させていれば、娘だって洋服をしまえない子どもになるのだ。
お嫁にいけなくなっちゃうわ、ただでさえ、気立て以外、とりえがないのに。
今週は部活、もとい、役員の仕事がないのでつまんないが、子どもが病気だ怪我だというときには、気兼ねなく子どもに費やせる自由な時間がありがたい。
役員仕事は子ども最優先で子どもの病欠なら自分もお休みという形で許してもらっているが、同じ仕事でも金銭の授受がある労働だと、こうはいかないんだろうなあ。勤労母のお子達はたくましく育つだろう。そばにいてよおかあさん、なんて言って手をつないでサッカーを見るような甘えた子どもではいられないのだ。
そう考えると、これはもう、私の趣味なんだとわかる。
そうやって甘えられるのが大好きなのね。子離れしていないだけなのね。
いよいよ、「子離れ」なんかも、自分の課題の一つになっていくわけか…と、思う。「とらば〜ゆ」には、母親からの転職については載っていないだろう。
母親のキャリアが活かせる仕事が見つけられるといいんだが。
教育の一環だと思うと、重い腰もきちんとあがります。妻や嫁や恋人としてだったら、なーんにもやらないんだけどね。

さあ、休憩終了。
いざ、魑魅魍魎のうごめく、寝室とその上の屋根裏部屋へ……。


2007年11月26日

発達障害 渦中を過ぎて

街でばったり会って、幼稚園時代のママたちと久しぶりに立ち話をした。
お友達とのトラブル、お友達ができない苦悩、勉強をさせる工夫。
悩みの質が幼稚園時代と全然違うけど、いつもいつも新しいステージで新しい敵キャラにめぐり合うたび、経験と英知をフル稼働して戦っていく点は同じ。
幼稚園のころは大変だったなあ。と懐かしく思い出す。
軽度発達障害、というのは、検査基準が変わったのか、化学物質か何か原因があって増加しているのか、割とポピュラーになりつつあるが、幼少期、まだ育児経験も浅いときに手のかかる子どもを育てていくのは相当にきつい。
今きっと同じ渦中にいる人が、このブログを読んでくださっているに違いないけれども、いやマジで大変でしょう? ホント、生半可な大変さじゃないですよね。わかるっ!
変わり者というのは、全部親のせいにされちゃうし。
しつけが悪いことになっちゃうし。
変な子扱いの目って、意外に冷たいし。
よくよく見れば、呼吸して鼻たらして食って糞して泣いて笑って、ちっちゃい子なんかそんなに大差ないのに、幼少期は這えば立て立てば歩めの親心だからなあ。
うちの小僧は、這わなかった。寝転んでばかりいて足がダメなのかなあと思い始めたころ、いきなり立って、走り出した。走り始めたら、親の声を無視して走り続けた。
最初に話したのは英語だった。
おもちゃはおもちゃ会社の人が考えたのとは絶対に違う遊び方ばかりした。
一度はじめると、ずーっと一つのことで遊び続けた。あらこれは今も同じね。
それが、すなわち、発達障害。発達の仕方が、健全な人と微妙に、あるいは大きく、違う。
常識から外れたところで子育てしていたつもりの私ですら、結構大変だったのだから、社会的にきちんとした人だったりすると、その苦悩たるや私の何倍にもなるとお察しします。
でね、今、小学生。
私はただ一人だけ、今、凪のように小僧に関して悩みがないことに驚いた。
重箱の隅をほじくれば一つぐらいは出てくるのかもしれない、洗濯物が多すぎるとか。犬みたいなにおいがするとか。
でも、今、本当に彼に関して悩みがないのだ。
こんな日がくるなんてね、渦中では想像もしなかったけれどもね。
友達は大勢いる。
特にラブラブといってもいいぐらい、仲良しの友達もいる。お前らアラブ人かと突っ込みたくなるような、同性の仲良しさんがいる。
テレビゲーム系で悩むことはない。
ボールで遊びすぎるきらいはあるが、ドッヂボールが強すぎることはマイナスにはならないし、サッカーをやりすぎるのはもうとっくに諦めがついている。
お友達とのトラブルもない。
喧嘩の怒鳴り声と泣き声がもとより大嫌いだから、すぐに謝れるし、謝られればすぐに許せる。気持ちの切り替えはむしろ誰よりも早いほうだと、担任は言う。
信じられないことに、クラスのムードメーカーですらあるという。担任の力によるところが大きいのだが、体が大きなアナタは腕相撲も強くて力が強いのだから、常に人を助けてあげてね、という責任感の持たせ方が、彼を思いやり深い人にしているのかもしれない。
それが一見、そういう人のフリだけなのだとしても、うそも百度重ねれば本当になる、生真面目で、暗示にはかかりやすいタイプなんだもの。
勉強は今のところ大好きだ。
計算がクラスで一番早いのに気をよくして、サンプルでくるドリルや学年誌の問題までクイズを解く感覚でやってしまう。くもんの宿題は日課なので難なくこなしている。
そして学校が、お友達が、大好きだ。
今日も発熱しているのに、検温のときに37.5度を超えた段階で脇からはずして、冷まそうと試みたりするほど、学校に行きたい。給食を食べたい。体育をやりたい。
何か一つの自信で、オセロで黒から白にひっくり返っていくように、今はものすごーく楽になった。
何か一つのきっかけ、それが同じ障害で悩む親の子たちに(子どもは多分まだそんなに悩んでいないはずだ)、みつかるといいね。みつけてあげられるよう、がんばってね。
「うらやましい、ゆうこさん!」
と言われて、苦笑する。幼稚園時代のママ友は、偏見のない人が多くて、その知性に実に救われたのだが、そこまで言ってくれるといっそくすぐったい。
最近友達になったママには、「妹をぜひ嫁に!」と言ってもらった。もちろん、発達障害だということを知ってなお、そういう冗談が出てくるのが本当にうれしい。
今の小僧を、偏見ではなく、ちゃんと正面から、見てくれる人がいる。
診断名は消えないから、まだ時々「変な子扱いの目」で見てくる人もいるにはいるのだが、そういう人って決まってご自身のお子に問題がたくさんあってしんどそうなので、まあ与太郎として存在するのも悪くないとは思う。
ただ、比較の中に幸せはないよ、とは思うんだよね。
うちの子は福助君と違って障害者じゃないんだから、与太郎じゃないんだからまだマシ、なんて福助を上から目線で見て自己満足してる人を見ると、熊さん、大きくなってとんだ間抜けっぷり……なんてことにならないといいけどなあ、と憂慮してしまう。
誰かより、何番、秀でる。
のではなく、
自分の子が一番大好き。
って、それでいいんじゃないのかなあ。母親は。

個人面談で言われた、あえてあげると……の、小僧の欠点は、「何でも100パーセント過ぎて疲れそうなこと」だった。
今はまだいいけれど、大人になるときには少し手を抜くことを覚えないといけない。
100点が取れなくなったときの、負けたときの、気持ちのなだめ方をしっかりケアしていかないとならない。まわりに似たようなタイプの大人がたっぷりいるので、そんなレクチャーもおいおい。
でもさー。
将来を憂いたらきりがない。
そのときがきたら、また悩めばいいやと思う。何度も同じ事を繰り返すようだが、ここまでの親孝行で、もう十分だから、多少の問題は大歓迎なのだ。私の育児スキルも上がるしさ。
健常児だって、子育ては子育てってだけで、十分大変。だからこそ、おもしろいんだもの。

2007年11月24日

お琴だ。
今はおことのことだけを考えよう。
おとこのことだけを考えるのは、そんなに難しいことじゃないのに。
発表会、間近。
……全然、へたくそで、悲しくなっちゃう。巾為斗の区別がつかない!と書くと、おこと業界の人はほほう、といってくれるんだろうか。それとも特異なことなんだろうか。

というわけでゲルマニウム椅子を買ってきた。
床から20センチぐらい、でっかいきのこのぬいぐるみというか、きのこがが生えているかのような形の、正座用椅子。
正座して背筋を伸ばす効果があるらしいので、これに座って琴を弾き、あわよくば健康になろうという魂胆だ。お琴がうまくならなくても、健康になったならそれはそれでいいとしよう。

今日、時間を作るとすれば、小僧のサッカーを応援せずに弾きまくるという手があったのだが、小僧のサッカーを応援するのは私の唯一のストレス解消なので、どうしても抜けられなかった。依存体質の私はアルコールとはきっぱり縁を切って、飲んでも週に一度程度になったが、サッカー見物からは当分離れられそうにない。お琴のことだけを考えたいのに。

明日は、なんとか時間をやりくりして練習するのだ。
はじめちゃえば、今度はとまらなくなるほど楽しいのに、はじめるまでにちょっとした覚悟がいるのはなぜなんだろう。
ずっと習いたいと思っている三味線には、お琴がこんなんである以上、いまだ手を出せず仕舞いだ。音が出てくるまで10年はかかる、と聞いているので、今からはじめたって還暦にやっと一人前だ。早くスタートしないと……と思いながら、小僧のサッカーのほうにかかる比重。
「教育ママ」というのが、私の趣味のひとつなので、仕方ないのかもしれないが、小僧には小僧の人生。私が一人になる還暦には、ちゃんと自分だけの「打ち込める何か」、おことでもおとこでも、そんなのがないと、小僧にとっても大迷惑な存在になってしまうわ。

40代は不惑の年だなんて、誰が言った。惑わされてばかりの、昨今だよぉう。


2007年11月23日

全国統一模試

あんまり勉強すると馬鹿になるよ、
あんたはいまさら何をやったって変わらないんだから、
勉強しようなんて思わないで、
唯一ほかの受験生より優れている点、睡眠時間の確保だけをやっときな。

と、夕べ早く寝かせた。

朝ごはんを食べながら、

今日一番大事なことは、周りの受験生たちはこんな顔をして試験を受けるんだ、
という会場の空気を感じることだ。
成績なんかどうでもいいんだから、ちゃんと周りを観察して、それをお母さんに
ばっちり伝えることだけがミッションだ。
わからなかったら、マークシートは適当に塗れ。あたったらもうけもの。

といって、全国統一模擬試験に送り出す。
今頃、カリカリ問題を解いている最中だろうか。お嬢さん、11歳の晩秋。

学校に出さなければならない気合の入る作文は、もう一度書き直したのでチェックしてくれと置いていった。
これが、実に面白かった。
最初からこういうのを書いてこいよなと思いつつ、公に出すには表現がぶっ飛びすぎている部分を、赤線を引いて注意する。下書きとしては十分、さらに推敲して、書き直せばできあがりだ。
何を思って、手を抜くのか、娘よ。手間は倍になる。

学歴は、実力があれば別に必要じゃない。
だから、やみくもにとりに行くべきタイトルだとは思わない。
だが、タイトルのない人間だった私は、タイトルがないがために、仕事の上で、しなくていい苦労をしなければならないときがあった。何度か悔しい思いもした。
そして、こんな年になって今まさに学歴や資格があれば仕事の展開が広がり面白くなったかもしれないのにという局面に立つことがしばしばで、受験から逃げたヘタレな過去を苦々しく思うこともある。
大事な勝負のときに手間を惜しんで、労力を増やしてきた……あら、娘は私に似ていたのだわ。

まあ、どっちにしろ、みんな、いつかどこかで苦労するんだよな。
お嬢、がんばれ。


2007年11月22日

フキゲンジョウキゲン

寒いっ! 寒いってんだよ、コンチクショー!
ただ寒いというだけで、なぜこんなに腹立たしいのでしょう。
……カルシウムが足りていないのかな。

忙しすぎるんです。
ここにきてまた、お嬢は英語劇団の公演、お琴の発表会、それぞれの準備と、半月板損傷の治療に毎日整骨院。さらににわか勉強に余念がなく、彼女自身もイライラしている感じ。
一緒に牛乳を飲もう、小魚を食おう。
小僧はサッカーの試合と、あまりにストレスのかかる厳しい水泳教室からゆるゆるの水泳教室への転校、さらにどうしてもと懇願されての、サッカースクールの見学体験も予定を組まなきゃならなくて……。
リビング以外は、常にとんでもなく散らかっている状態。とうとう、衣替えの途中で作業が中断されている寝室は、ジャングルクルーズのように服の森をかき分けてベッドにたどり着かなければならない有様で、毎日強制的にディズニーランド気分の相方がふびんだ。
すまん。

こんな状態なんだもの、子どもが部屋を散らかし放題で何の文句が言えようか。
と思う。
……思うけど、言う。
ああ、大人って勝手だな。
せめて、私の聖地、リビングにだけは脱ぎ散らかすな!床に物を置くな!食べたら台所まで片付けろ!と、ママゴジラは朝から炎を吐くのである。

忙しいと散歩の時間が取れないじゃないかっ!と思っていたのだが、先日買った万歩計、昨日の分を見るとしっかり一万歩を超えている。
主婦というか母の日常って、結構ハードなんじゃないの!生活そのものがエクササイズ。
なのにこの巨体をキープしているのは、もりもり食べるからよ。食べ方も攻撃的なのである。

いつも小走りで、太ってるもんだからなんか汗ばんでて、寒いんだか暑いんだか、わかんない日中。
ばたばたわたわたしていて、あれもこれも手を出して、そんなだからまあたいてい上機嫌だ。
「鈴木さんって、楽しそうに生きてるよねぇ」
と、悩み一つ抱えていないように見えるらしいが、確かに抱えていない。楽しいときは楽しいことでメーター振り切るほどなの。
しかしこんな私も、ひとたび家に戻ると、しわ寄せがきている家事を絶望的な思いでみつめていたりする。立ち尽くしていないで、体を動かせ。とも思うのだが、夜になるともう電池が切れたように動けなくなって、パタッと眠るだけの毎日。
そしてまた、朝が来る。
寝室のジャングルは静かに成長していく。

セレブな奥様たちの時間の使い方をぜひみてみたい。
寒さに腹を立てない優雅な朝、子どもを怒鳴らないで育てられるゆとり、そういうのってどうやったらいいんだろう。
何を読めば書いてあるんですか?
それとも、何か種類が違うんだろうか。

2007年11月20日

夢路

いただいているメールに返事が全然追いついていません、すみません。
この場をお借りして、ごめんなさいです。
いつも、ありがとうございます。>各位

いろいろ書きたいことはあるんですが、今日はもう寝ないと明日、多分全然起きられないです。
今日は、きょんきょんの声に抱かれて眠ろーっと。
というのも、携帯用のちっこいアイポッドなんちゃってナノを1980円で購入しましてね、喬太郎師匠の落語CDを入れまくり、このなんちゃって本体を「師匠」と名づけました。
いつか師匠にサインしていただこうという、野望がふつふつと。
そして、近日、もうひとつ購入して、「PSJ」バージョンを作る予定です。
ひとつにまとめればいいんじゃないかという説もあるんですが、たとえばうとうとしたときに突然ノン様ボイスになったら、ちょっとドキドキして眠れなくなってもいけないし。
音楽版はまた別に。
そこは平井堅が元ちとせと隣り合っててもちっともイヤじゃないのでね、音楽でひとつ。
そうだ、ポルノグラフィティーも入れて、山下達郎入れて、奥田民生いれて、ブルーハーツ系入れて、サザン入れて、小田和正入れて、ユーミン様入れて、中島みやき入れて、クレージーケンバンドいれて、井上陽水いれて、ドリカム入れて、ミスチルいれて、スピッツ入れて、ザ・ピーナッツと美空ひばり先生と越路吹雪先生と……うるさいよっ。ごちゃごちゃだよっ。だめじゃん!!
自分でこんなことができるようになるなんてと文明開化にうっとりしながら、多分すごく面倒くさがりなので、そんなにまめなお手入れはしないと思った。特に音楽にはたどり着けない気がした。
ま、いっか。

というわけで、それでは「まかしょ」の出囃子で、夢路に急ぎます。おやすみなさーい。

2007年11月18日

今週末の鈴木家

週末、娘が左ひざの半月板を損傷するというアクシデントがあり、病院だ整骨院だ彼女自身の予定変更だ習い事の送迎だ、ついでに週末の学校行事だ、そのために私の一連の予定変更、中止、延期、遅刻などの連絡だけで目が回った。
小僧のサッカーまで手が回らないので、お父さんもフル稼働。
育児参加、とか言うレベルでなく、つまり「参加」なんてお客さん扱いでなく、片輪を担ってもらう。
主だって育児は私の担当だが、かわいいとこどりは許されない。
っていうか、うちの子たち、忙しすぎだよ。と、アクシデントで気づいた。
それでもやりたいことの半分だという。いったいどれだけやりたいことに満ち満ちているんだ! 子どもの持つエネルギーの大きさって凄いなあと思う。相方は働けど働けど首が回らない状態だが、この際だからかじりにかじられるスネ、弁慶も弾き飛ばすほど、強くなってくれ。
子どもにとっちゃ、かじってナンボの商売だ〜。

娘と相方は、ドライで現実的ですごくアバウトに生きているところがそっくりである。
一方、小僧と私は、暑苦しく一生懸命一途に不器用に生きているところがそっくりである。
コンビを組むには、似ていないほうがいいのだろうが、一緒にいて楽なのは俄然似ているほうだ。
ところが、私は先週末から娘と過ごす時間が多くなっており、この人の自分と真逆な部分が、どうも共感できずに、説教モードに入ってしまうことがしばしばなのである。ちなみに、相方は相方で、小僧の考えていることや行動がさっぱりわからないと苦悩することが多くあるらしい。あんなに、わかりやすいのにぃ。
今、ここに娘が学校に提出する作文がある。
ご近所のくもんお教室始まって以来のごぼう抜きで昇級した娘は、小1レベルからはじめる見事な遅れっぷりだったのが、一日30枚の宿題をこなし続けて、あっという間に追いついた。そういう崖っぷちのがんばりは持っているので無能ではないのだと思うのだが、時々私には彼女がわからなくなる。
珍しく気張った提出物なので添削してくれとおいていったのだが、添削を前提に手を抜きまくっていることが透けて見えて、なんというかこう、非常に腹立たしい。
どうせ直すのだから、と、それはそれで合理的なのだろうが、漢字も消しゴムも使わず走り書き。お父さんのネーム(下書き案)か?  熟練の編集者しか読みこなせないぞ。その上、仕上がりはネームと微妙に違っていたりするあたりまで、雰囲気をなぞっているのである。遺伝子って、遺伝子って。
なぜ全力でみっちり書いたものを見せようとしないのだ、娘よ。熱い気持ちがあるのなら、それを鉛筆にこめ、文章にのせずして何の作文だ。
ものすごーい、下手だし。
……なので、添削なんかしないことにしようと思う。
「これでいいんじゃーん」
と言ったとき、彼女がどういう顔をするのか、出方をみる。おかあさん、ヘトヘトなんだもん。こんな宿題は、自分でやれ。と、思う。
しかし、彼女は知っているのだ。私が不器用な熱血母であるがゆえに、このヘタヘタ作文に口を出さずにいられないことを。ああもー、そういう見透かされ方がイヤだ。ホントに知らないったら知らないんだ。

少年サッカーの交流試合はいつもどおり大変楽しかったが、周りの子達が順当に成長してきて、小僧がすでにあまり目立たなくなっていた。別のチームの監督に名前を聞かれていたようだが、私がオシム監督なら代表に小僧は選ばないだろあと思ったりもした。(ああ、オシム監督ぅぅぅぅ!心配) 
毎回、自分なりに考えたポジションどりと戦略があるので、黙ってみているわけだが、今日はシュートの精度も欠いていた。一応、終了後ビデオを再生して小僧の解説を聞くのだが、今回は言い訳が多くて、つい熱血かあさんは説教モードに入ってしまった。
男が言い訳するとは何ごとぞ。ここは素直に反省!と、鬼軍曹に変身するのである。
ああ、ここんとこの疲れはまだ取れていないんだな、どうも怒りっぽくてイヤだ。
最後の最後にサッカーを続けられるかどうかは熱い気持ち次第なんだと思うのだが、そこのところだけ小僧は私と違い、気持ちを語らない。これは父親譲りであろう。
父親である相方は、余計なことはよくしゃべるし、日々笑いに満ち満ちた会話は軽妙洒脱であるが、大事な「思いを伝える」分野で、何かが著しく欠落している。小顔になった私に「気のせいだ」という男である。いや、実際気のせいだとしても(以下きりがないので省略)。
小僧は思いを伝える代わりにサッカーを見て、サッカーで表現する。
ピッチで派手なアクションをして審判に訴え、コーチに「福助、ヨーロッパリーグ見すぎなんだよ」と失笑されるほど、欧州リーグとサッカーを愛している。
この、見ようによっては痛いほどの愛の炎が消えることなく、その切ない愛が、どうか何らかの形で成就しますように。
ついでのようでなんですが、オシム監督が早く回復されますように。
心から祈っちゃうのである。

疲れには睡眠。
私が疲れをためて、説教モード切替ボタンがバカになってしまうと、主軸のブレが子どもたちに影響する。いかん、それはプロの母として、やってはならないことだ。
自分以外の人がみんな立派に見える。
誰もが、ものすごい疲労感をきちんと処理して、金になったりならなかったりするそれぞれに与えられた取替えのきかない仕事に、きっちり挑んでいるのである。
私ごときが、忙殺忙殺などといってるのはちゃんちゃらおかしいほど、まさしく死ぬほど忙しい人はいるはずなのだ。
それでも、ちゃんといろいろなものを溜めないで、あるいは溜めても見せないで、がんばっている。
お疲れ様です。さあ、週の始まり。今週もまた忙しいはずだが、がんばっていきまっしょい。

2007年11月16日

働きマン

昨日、私はピカピカのすっぴんで、若者の街・下北沢を歩いた。
すっぴんで外を歩くなんてありえないことだったけど、
背筋をしゃきっと伸ばして、胸を張って、颯爽と歩いた。

下北沢にあるエステティックのゴッドハンズに、フェイシャルケアしてもらう。
鏡を見た瞬間、「こ、小顔になっとるがな〜!」と驚いたのだった。
関西弁なのは、紹介者に影響されている。
30代の若い友達がいるってすばらしい。
40過ぎた主婦の間ではすでにエステなど、話題にも上らない。どこのマッサージは下手だとか、整骨院はどこがうまいなんて話題はあってもさ。
普段着でいく。納豆でご飯を食べてから行く。いつもの日常で私は灰かぶりだ。
でも、サロンに行って私は魔法をかけてもらったのだ。
鏡に映った自分を見て、本当に驚いた。
ウシガエルが、ニホンアマガエルになっている! いやそれはちょっと大げさか、しかしモリアオガエルぐらいには、なった気がしたのだ。例えがわかりにくいか。
よそ様が見てもわかりにくいかもしれないが、確実にその魔法は、魔法なのだった。

しみは取れないが、全体的に色が白くなっていた。
がさがさだった肌が、しっとりもちもちになっていた。
むくんでいたあごの線が、ちゃんとしゃっきりアゴになっていた。
肩のコリがなくなって、体も軽くなっていた。
施術されながら、全身がぞくぞくしたり、ぽかぽかしたりした。
「うわあ、ほんとにお疲れだったわ、もう、今までお疲れ様! でも、もう大丈夫よ」
とゴッドハンドは言いながら、スポンとコリを取り去ってくれたのだった。
例えは悪いんだが、きれいになった下水道管のような気分だった。
バブルのころにはよく通った、どのエステティックサロンより、効果絶大だった。

主婦だって、働きマンなのだ。
安野モヨコさんの漫画読んで、ドラマ見て「当時の出版社にあんなきれいどころはそうそういなかった気がするが」と微妙なずれは感じつつも、若いころにがむしゃらだった自分をちょっと思い出したりした。
シーズンもステージも変わったが、がむしゃら振りには拍車がかかっている。
なのに、私は自分にかける投資を著しく減らしすぎなのではないか。
自分の時間やりくりして、自分のお金やりくりして、ちゃんと自分にかけてあげないとダメだと思ってよかった。気づかせてくれてありがとう、松方弘子!※「働きマン」主人公
清水の舞台から飛び降りる覚悟の8800円、安かった!!

帰りに、1サイズ小さいTシャツを衝動買いした。
自分の中で何かが変わった。
女として旬は終わっちゃったからって、率先して日干しになってしなびることはないのよ。
健康的に元気でいるためには、芯が汚れてちゃダメだ。
ちゃんとピカピカした芯を、自分の中に持っておこう。と、思った。

喜び勇んで帰宅して、相方の仕事部屋に飛び込んだが、私を一瞥した相方は
「気のせいだ」
と言った。
世の中、たいていは「気のせい」なんだ。
だが、その気のせいで、私はすっぴんで外を歩けたのだ。この調子だと炎の上だって歩けるのだ。よし、れっつゴー!どこまでも、調子に乗っていこう。

http://www.rey.co.jp/

2007年11月15日

ゲーム機の取り扱い規約

小僧がアウトドア系ボール星人だったので、うっかり気づかなかったのだが、昨今立派な小学生ともなればDS、wii、なんとかカードは三種の神器で、対戦ゲームやったりソフト貸しあったりカード交換したり、するらしい。
そこで面倒な問題が起こる。
新しいゲームを買った子の家に、今まで来たこともないクラスメイトがどどどっと押しかけ、ゲームだけして帰っていく。ニシンが来たことを知らせるカモメのような状態である。上げ潮、上げ潮。
それで楽しく遊べれば問題もないが、まあ、今まで遊んだことがないっていうのはそうそう気が合うってわけじゃないんだから、ゲームの取り合いで喧嘩になる、順番が守れない時間が守れない、態度が悪いなど、もう、親がどこまで関与していいかの線引きからして迷うことだらけだという。
あるいは、ゲームだけやっている状態について、どう考えるか。
難しいねぇ。
福助はサッカーだけやっていれば幸せな点で、ゲーマーである。
たまたま精密機械が、ボール一個に取って代わっているので、原始的な分、問題が起こりにくい。
年上も年下でも、同級生ならもちろん、それでもめたこともいやな気分になることもますめったにないので、「日がな一日好きなことをやりたがる」という共通点がありながら、インドア系男子の苦悩について考えたこともなかった。
おかあさんって仕事は、子どもの種類によって、学部学科が違うぐらい、別の課題を抱えることになるんだなあ。いわば、幼稚園前が教養課程で、集団生活が始まれば後は専門みたいなもんだ。
考えて考えて、学んで学んで、観察していじくり回して、スキルアップする。
んー、母親というゲームぐらい楽しいものはないよなあ。

と、横道にそれた。
ルールはそれぞれの家で考えるべきものなので、参考までに鈴木さんちのルールを。

我が家のDS、本体はおかあさんのものである。
何か手伝ってくれたときに喜んで30分、貸し出す。
小5の娘さんは、友達に家に持って行ったりもしているが、そのバンス(前借)のとりたてはお手伝い要求が大変なことになると判断してか、まああまり貸し出し希望はない。現在の彼女は忙しくて、ゲームする時間もないというのが本当のこところだ。
小僧はDSよりはWiiが好きだ。これはサンタクロースがくれたものなので、一人持ち時間30分、特に対価なく遊べることになっている。
遊びに来た友達がインドア派の場合、大活躍するわけだが、それでも一人30分、合計一時間以上はやらせないルールが書き出してあり、合意しなければスイッチを押せない。
一時間に限定してあるのは、そうしないと完全にwiiだけで終わってしまい、あるいはおやつだ別の遊びだを 取り入れた場合、最大二時間を消化しきれずに、帰宅時間が遅くなってしまうからだ。
福助は、家族ともwiiであそびたがる。
一人だと30分というルールは、二人なら1時間。そのほうがおいしい。
元ソフト部の名に懸けて、野球だけは落合が乗り移ったかのように冷酷に叩きのめすが、その他のスポーツもゲームも、すでにたいてい、本気の小僧にはかなわない。最近では小僧が私にわざと負けてくれることもあり、なんとなく母親としてはむむむむと思う。思うが、負けたときには真剣になくほど悔しがり、馬鹿にしたことでも言おうものならもうやらないとダダをこねるので、福助はちゃんとゴキゲンをとるのである。そして、どんなに本心悔しくても立派な勝者を讃える、というのも絶対に忘れてはならない。そういう、さまざまな行動を見せてこそ、親がゲームにつきあう意義があると思うからだ。
……だから、余裕のないときには、ゲームそのものに付きあえないんだけれども。
カードのトレードに関しては、福助は「レートはこだわらない」「お付き合いのためのツール」「二人きりでトレードすることはなく、必ず近江商人のようなトレードの達人を仲介に入れる」と位置づけているようなので、それを尊重する。
ムシキングの失敗で学んだことが、ちゃんと生きているのでよかったよ。

カードに関しては、小僧が勝手に導き出した答えを唯一のルールとし、親は口出ししない。
だが、それ以外のことは話し合って(誘導して)、きめてきた。
「自分のことは自分で決めなさい」というのは自主性を重んじているようで、責任回避をしていることになる。決めさせてもいいけど、決定したルールは親子で確認しあわないと、最後に親が責任を取ってやれない。
何であれ、子どものトラブルの責任は親が取る義務がある。
子どもは責任を取れないのだから、ルールを勝手に都合よく変えないというのが、子どもの義務になる。
そんなことをりくつをこねくりまわして徹底してねちねちやってると、口うるささに子どもは案外めんどくさくなって、自分の好きなことだけをやればいいかー。と思うようになるようで。
娘さんの独立心が旺盛なのも、小僧が逃げるように一つのことに集中しているのも、すっげぇ口うるさいおかんがいるからだとすると、まあそれはそれで一応存在意義があるからいいんじゃないかしら。とも思うのだ。
RPG「おかん道」、口うるさいキャラで、爆走中。バッドエンディングにならないように、がんばります。

2007年11月14日

糖尿病

http://honeyblood.blog41.fc2.com/

私の魂の姉妹、うみのやよいが、糖尿病日記を四コマに!
さすが転んでもただでは起きない女。それでこそ、私の姉妹。
というわけで、みなさまにもご紹介でございます。

どなたか出版関係の方、私喜んで記事書きますので、「糖尿病」で一冊、作りませんか?


メール

でたがりだから、あの人どうせまた役員やるわよ。
と、噂されていたらしい。
でたがり、といわれて、まああんまり喜ぶ素人はいないわけで。

メールで役員の友達に
こんなこといわれちゃってたらしいよ〜と送ったら、

「わかってないねぇ。でたがりなんじゃなくて……大好きなんだよ」

と返信があった。

あははは、そうだよ、私は役員仕事が大好きなんだよ。
そんなこと、書いてくるヤツもな。

2007年11月12日

スポーツの秋

wiiでは常に団子勝ち、プロ級の小僧、いい気になってテニスコートに行く。
21センチのテニスシューズに履き替え、素振り。なかなかよいフォームだ。
隣には17センチのテニスシューズを履く少女。
この、一緒に打たせてもらった子が、光栄にも将来有望な英才教育を受けている子で。
頭一つ小さな彼女との大きな差に耐え切れなくなったのか、バーチャルでは無敵の自分と現実では敗れない敵ばかりの自分とのギャップに耐え切れなくなったのか、15分で挫折。早っ!!
「次は、何やりたい? ストローク? ボレー?」
というコーチの声に、
「……サッカー」
と答え、休憩時間に持ってきたボールを蹴って落ち着く始末。

水泳のクラスがどうしてもあがれず、すでに3ヶ月もの間、延々背浮きをしている。
このままだと僕はラッコになってしまうのではないかという危機的状態である。
しかしどうしても左の足首が硬いと再三言われ、言われれば言われるほど意識してがちがちになっていく彼なのである。
先日、体育館で無防備に馬とびをしている子どもたちを見て、「危ないから頭をさげて。頭をいれなさい」と母親たちが注意していた。でも、誰一人として聞かない。ああ、これは!と思って、とっさに「へそを見るようにして!」と叫んだら、みんなちゃんと頭を隠すようになった。
スポーツは感覚だから、言葉で説明するのは難しい。福助が本物のラッコに進化してしまう前に、あるいは水泳の時間にもサッカーボールを蹴りたがる前に、何とかしなければならない。

できなくてもいいのだ、できないことはあって当然なのだと、今後ぶち当たるたくさんの壁も想定して、軽い挫折感をたくさん味あわせようと思っている。
スポーツというのは、わかりやすくていい。
福助はまだ逆上がりができない。一輪車にも乗れない。
体操王国ニッポンを背負うには体が大きすぎるし、中国雑技団に入れる予定もないので、それはできなくてもぜーんぜんかまわない。案の定、やろうともしない。
ちょっとだけトライするそぶりを見せても、次の瞬間にはサッカーボールを蹴っている。

猿め。

親猿の相方は、毎日10キロ走って、とうとう駅伝にまで出た。テニススクールはまだ続いている。カラオケで声帯のトレーニングにも余念がない。
姉猿の娘さんは、この秋、試合が立て続けだ。英語劇では派手なダンスシーンもあり、これまた汗びっしょりでがんばっている。

私は今日も一日、子どもの関係で、あっちこっち自転車で走り回っていたが、自分の時間をうまくコントロールできずにイライラするばかりだ。ちっ、今日は歩くことすらできなかったぜ。ウォーキング猿と化したとカミングアウトした途端、邪悪なサタンが私のお散歩の楽しみをとりあげる。 
ああ、何かスポーツしたい。
スポーツを望むのが贅沢なら、スポーツのようなことでもいいんだが。
……と、勢いで書いていて、何だろう、スポーツのようなことって。

〔くさい警告〕友情

うれしいことがあった。

例の加害者少年は、今日、ちゃんと公園で突き飛ばした子に謝ったという。
軽く怪我をした方の友達の母親から、その旨メールをもらったのだ。
「ゆう子さんの言葉が彼にちゃんと届いていた、うちの子にとっても学ぶチャンスになった」という文字が、とてもうれしかった。
またあの公園に行けば、彼は福助にも謝ってくれるかもしれないが、私はあいにく、器量が小さい。
そして、正直、まだ怖い。
でも、その彼女を筆頭に、私の周りには丁寧な子育てをしているママ友達が大勢いるのだ。
大丈夫だ、きっと大丈夫だ。
福助の窮地は、きっとそういう大人にしっかり育てられた周りの友達によって、助けられるだろう。
たくさんのアドバイスを、日記を読んだ別の友達や読者の方からもいただいて、世の中、そうそう捨てたものではない、信じていいのだと思った。
善意は、悪意に勝る。
言葉に乗せた善意が、簡単にすぐに手元に届く時代に生きているということが、すでにちょっとばかり、うれしかったりした。

これは、考えるいいきっかけになった。
落ち込みは、もう十分だ。
さあどう展開しよう、時間はまだまだたっぷりある。
いいアイディアが浮かびますように、ちゃんと形になりますように。
まだ今は何も見えないけれど、きっと何か方法はあるはず。

それから、加害者の彼も、将来ちゃんといい大人に育ちますように。

今日、いいことの二つ目は、相方が娘のサッカーの試合に応援に来てくれたこと。
娘はかつてないほどに力を発揮していた。といっても、まあ、とほほではあるし、第二試合では、なんだかすっかりいつもの彼女に戻っていたけれども、いいのいいの、泥だらけでがんばったのだから。
子どもを見守る父親、応援する父親の姿は、私の夢の一つなので、それはうっとりするほどうれしいものだった。……安い女だなあ、と、ちょっと思うけどさ。こればっかりはね。

もういっちょ、うれしいことは、その娘のチームに、私の親戚みたいな旧友の娘さんが入部するらしいこと。
で、今日は雨だというのに試合をわざわざ応援しに来てくれたし、その後いっぱい話もできて、なんだか心がほくほくしたのだった。
友達は偉大だ。
ちょっと前、やはり大切な友人と他愛ない話をしたスタバの、座っているそこはちょっと木枯らしで冷たいのに心だけがぐんぐんあったかくなっていく感じが、妙にうれしかった。ハグして別れて、なんだかちょっとジーンとするぐらい、そのハグがぬくぬくだった。
私の友達は、そのまま福助のよき理解者だ。
福助はこんなにも理解者がいるんだ、何をひるむことがあろうか。と、確信する。友達を信じる強さで確信するのだから、これは強固だ。

好きだったけど突然別れを告げられちゃう、そんな友情もあったし、大切に思っていてもなかなか会えなくなってしまった友達もいる。友情はいつもいつもやさしいばかりではなかった。
でも、それはそれできっとお互いに密着を必要としなくなった成長の証かもしれないな、なんて、今までの友達を思い出しながら思う。
出会ったり別れたりしながら、これからも続いていくのだ。
ええーっと、こんな熱血でいて単純な、器量の小さな私ですが、今後ともなにとぞよろしくお願いします。>各位

ああなんか、連日生真面目な日記を書いているわ。
めっきり来訪者も減った昨今、のんびりやっていきまーす。

2007年11月10日

〔シリアス警告〕ぬれぎぬ

うちの小僧は相手の機微を読むのがとてもうまい。
でも、それは感受性が高いのではなく、訓練によって相手の表情を読めるようになったからだ。
計算する犬は、本当に計算しているのではなく、主人の顔から答えの数字を読むという。
その原理に、よく似ている。

今まではそれで何の問題もなかった。
相手がにこやかなときにはにこやかになり、相手が泣けば頭をなでてあげる。誰かと一緒の時には、できるだけ楽しいうれしい気持ちになろうとギャグをかまして笑いをとる。
それが習慣(パターン)になっているのだから、「やさしい福ちゃん」は、ある種理想の男子像ですらあったと思う。
けれど、ちょっと怖い思いをした。
顔を読むだけではどうしようも適応できない事件が起きたのである。

ある上級生が、ありえない展開で別のお友達を怪我させた。
寝転がってふざけていたかと思ったら、いきなり首をひじで引きずり、次の瞬間、その首を支えていたもう片方の腕をはずして、頭を落としたのだ。

たいした高さではなかったので大きな怪我ではなかった。加害者少年は、あわてて被害者を抱き起こしていたから、悪意があったわけではないのだろう。
大人たちが集まってきて、加害者の子に説明が求められた。
その子はニヤニヤして、その現場の横で遊んでいた何の関係もない福助に、濡れ衣を着せたのだ。
「この子が押して、倒れたところを僕が支えて」
私が偶然その瞬間を見ていなければ、たぶん言葉巧みな上級生の加害者を誰もが信じただろう。福助には、複雑なことを理解、説明することができないのだから。
福助はパターン認識を記憶することでコミュニケーション部分をフォローしているため、パターン以外の感情、特にあからさまではない悪意に疎い。
大きくなって人間関係が複雑になってくればくるほど、パターンは無限に広がっていくが、自分の世界が広がれば広がるほど、訓練の時間はどんどん減っていく。

私の声は震えていたと思う、
「事態はこうだったはずだ」と、わかりやすく丁寧に解説し、「こういうときはなんというべきか、君も大きいのだからわかるはずだ」と言って短い説教は終わった。

絶望したのは、それでも謝りもせず、いつか犯罪を犯しそうなその子に対してではなく、指差されたときの福助の表情に対してだった。
まったく、理解できないのだ。にやにやと指差される経験など初めてだから、福助にはわからないのだ。
そして、そのときの福助は、私の怒りの表情からとっさに「しまった、ごめんなさい」という言葉を導き出そうとしていた。いつもの呼吸で私はそれを察知して、正直、どこかに突き落とされるように深く深く絶望していくのを覚えた。
もし福助が謝ってしまったら、事態はどうなっていたのだろう。
どんなときでも元気なお返事、よい挨拶をする福助だ。ごめんなさいもありがとうも、大きな声で言う。
そういう福助だと知ってやったのだとすれば、私は加害者少年を許すことはできない。
知らずにやったのだとしても、濡れ衣を着せるような生き方は大嫌いだし、謝らない性格も大嫌いだ。

将来、こんなことが起こったら……。
これにはどう対応したらいいのだ。うまく説明できない、取調べでも、裁判でも。そんなことがおきてしまったらと思うと、胸がつぶれる思いだった。
私は福助の肩を強く抱きしめた。
もう、あの公園に行くのはやめよう。でも、悪意に触れるたびに、ひどいしつけの子どもに会うたびに、遊び場をひとつずつ減らしていくわけにも行かない。
まだ、守れる。だが、彼の背が私を超える前に、私は彼に何をどう教えていくべきなのか。

簡単日記

今日は、本当にたのしい一日でした。

明日は、サッカーのしあいです。あさ、はやいです。
がんばります。

と、これだと小僧レベルの日記。
でも、もう頭回らず。

しかし、私は大切な試合の前日、何を 夜更かししているか。

相方は駅伝なのに、娘は英語に、息子はサッカーに。
私は子供たちをそれぞれに応援し、それぞれに送り、サッカー部系の買出しに行き、その後、それぞれにお迎えに行って、一日が終わるのだわ。明日の夜は早く寝よう。ああ、明日があるってすばらしい。

雨っぽいなあ、いやだなあ……。

2007年11月07日

ぼんやり頭で考えた。

今日、明日と来客が続くので、気合をいれて掃除をしていたら、今日は全然お散歩が出来なかったのだった。
なので、リビングとダイニングの雑巾がけというものをしてみた。んー、多少の運動にはなるが、我が家が体育館程もあるならまだしも……。
せめて買い物は遠くのスーパーに行こうと思っていたのだが、小僧リクエストにより本日のおやつはフライドポテトだったため、揚げ油が残っている。
これを使わないのは惜しい、という主婦のせちがらさで、冷凍庫の奥深くに眠っていた海老フライをそのままフライパンにぶち込んだ。ソーセージをタコにして、揚げる。野菜炒めを作る。キャベツを刻む。思いっきり、ありあわせメシである。
コストは安いが、カロリーは高い。
さらに、私の揚げ物は、うまい。
なんたって下北沢の超美味しい店、SUNAGAのシェフ直伝の揚げ方なのだ。小僧は、私のフライドポテトが世界で一番カリッとしていると確信していて、今日は「さあ、皆でカリッとしようぜ」と、友だちを誘って帰ってきた。どういうコピーだ。
七時になって、夕食が始まったのだが、なんとなく全面的に敗北感が漂う。
小僧も私も、お客さんたちと過ごした時間はとても楽しかったので、そこに着目すれば今日は花丸なはずが、日課をこなせなかった悔恨が、なぜか私をお酒に走らせ、缶ビールを一本飲んでしまった。ゆるゆるでいいと決めていたはずなのに、完全主義が陥りがちな、とんだ転落人生である。

で、久しぶりに飲んでみてわかったことは、夕飯の時にうちでビール飲むと眠くてその後の夜のフリータイムが台無しになることと、運動して心地よくだるいのと、ビールで得られる心地よいだるさは、酷似しているのだということだった。
だったら消費カロリーが高くて、コストが安いほうがいい。
実験による発見はあったのだ。
成果はあったのだ。
今日はママ友とおしゃべりして実に愉快な楽しい日でもあったのだ。
そして、今日一日がダメだったからといって、明日からまたアル中への道に路線変更する必要はないのだ。ここが、ゆるゆるのみせどころである。
明日からまた歩けばいいし、明日からまた禁酒すればいいのだ。
ダメダメだって、いいのだ。

しかしまあ、世の中は政変だオイルショックだで大騒ぎなのに、揚げ油一杯から始まった、たかがこんなことで、主婦はもんどりうつのである。
それをばかげていると思うか、細部に宿った神に触れる瞬間(←こりゃまた大きく出たね)と思うかで、自分の中の「主婦の価値」がわかる気がした。
働いてお金をガッポリ儲けるのも豊かで素敵だが、無償の労働の中に機微を見出すのもまた豊かで素敵である。
どっちかだけに存在価値の比重が傾くのがきっと、何か間違いの素なんだ。多様だからこそ世の中はおもしろいと、私は思う。

では、アルコールのまわったぼんやり頭は、寝ます。おやすみなさい。


2007年11月06日

一歳半効果

一歳半の赤子が我が家に遊びに来て以来、勢いづいて毎日掃除機をかけている。
やっぱりホコリの少ない部屋は気持ちいい。
そして、あのにぎやかな感じ欲しさに、「お友だちを呼んで来なさい」モードに入った。
そういえば我が家には実によくお友だちが集まっていたのに、役員さんになって掃除していない状態が続いて、そのうえ年中、親が学校に出かけちゃってるか別のところに出かけちゃってるかしているわけだから呼ぶに呼べなくて、しばらくお友だちが遊びに来ることがなかったのだ。
子どものためにPTAやってて、子どもを犠牲にしたら本末転倒である。
というのが今期役員の了解事項で、できるだけ子どもイベントを優先させるのだが、こういう瑣末なイベントとも呼べないイベントは、やっぱり犠牲になるよな。
一歳半がきてくれてこその、気づきであった。

小僧の中の何かがはじけたらしく、今度はいつ一歳半が我が家にくるのかと大変である。
一歳半を笑わせるために、転んだり踊ったりボールで曲芸して見せたりのエンターティナーぶりを発揮していた。
「リフティングはきっと喜ぶんじゃないかなあ」
といってみたところ、それだ!と普段は嫌いなリフティング練習にも熱を入れだした。
小僧の目下の望みはワールドカップで得点を上げることらしいが(小1らしい夢・笑)、それが万一かなったら素晴らしい「一歳半効果」であろう。

一歳半が来るので久しぶりに派手な服を着たり、一歳半が来るので念入りに手を洗ったり、一歳半と一緒にたくさん歩いたりおんぶしたり笑ったり。
私もなんかちょっと、若返った気がする。

そのうえ、ここのご家庭はご丁寧に大量のケーキをお土産に下さったのだが(ありがとう)、ふんぞり返って恩を着せられたって文句ナシなぐらい、たくさんのお楽しみタイムだった。

小さな子の貸し出しシステムみたいなのがあればいいのになあ。
子どもが小さな頃、自分の時間が一時間でも言いから欲しい!と思ったことを思い出すと、お互いにとって、とてもいいはずなんだけどなあ。
というのをシステム化したのが、区にあったのだった。保育ママさん、いいじゃーん!!
というわけで、区のベビーシッター講座を受けることを決意。だって私、子育てが趣味なんだもん。
早速申し込んでみよーっと。ふふふ。

2007年11月05日

変化あり。

11月だ。
信じられない。
あと正味8週と二日で、今年が終わりますよ。

43歳を機に、節制を始めてみた。
まずは禁酒……といっても、飲み会はアリという、ゆるゆるな禁酒。
でも、これがなんかとってもいい。
家計を圧迫していた酒代も、浮く。
最初の内は代替品として炭酸水が欠かせなかったのだが、およそ一ヶ月たつ今、お茶でOKというところまで更生した。
これで55歳前後でアル中で死ぬ確率が、がくんと減った気がする。
「おかあさん、ずーっと一緒におでかけしようね。僕が104歳になっても一緒におでかけしてね」
と、吉祥寺に向かう電車の中で息子に手を握られた日には、私は140歳まで生きよう。決心も新たである。

一日意識的に一時間以上は歩こう。
そう決めて三週間、それまでは人類の英知・自転車や、文明の利器・自動車を使わないなんて!! とウォーカーやジョガーを未だちょんまげ結ってるのと同様の白い目で見ていたのだが、これがまた案外楽しい。わかり始めたマイリボリューションである。
重い荷物もエクササイズ。
買い物時間や小僧のお迎えが主に散歩タイムで、結局毎日必ず30分は費やしてい時間を、スニーカーに履き替えちょっと多めにした程度なので、なんとかやりくりはできる。
小僧のロードワークにも、自転車でなく付き合える日がきっとくるだろう。

喘息患ってから咳き込みだけはとまらないので、なんかとっても重病人のように見えるし、実際朝飲む薬の量は尋常ではなく、なんか朝食後のお茶をすするすっかり気分はおばあちゃんなのだが、よく眠れるし、体調は上々。体の調子がいいと、なんとなく前向きになってくるのよ。これがまた、いい感じ。
そして、メシがうまいっ!! たとえばさんまなんか、一尾100円でこんなにうまくていいんですか。と、思っちゃう。

だから、痩せない。体重計は見事に動かない。
まあ、結果が出てくるのは三ヵ月後だ。それはそれで、ちょっと楽しみだ。
腰と膝にかかる負担が減れば、だましだましでもまた、テニスを楽しめるかもしれないし。

でも、この丸い体を、私は気に入っていたりもするのよね。
子ども達が抱きしめられて喜ぶこの肉襦袢はそれなりに価値があると思うので、簡単に手放す気もないから、きっと節食ができないのだなあ。
今は検査するとびっくりするほど上等な健康体の数値をたたき出すB型の血が流れる私だが、家系は全員血液型がバラバラの糖尿病体質である。
深刻になる前に自制心だけは強い母ヨシコは趣味のダイエットを展開して克服してしまったし、すい臓の悪い弟は全力で小学生にぶつかる熱血教師、土日にはパパコーチを買って出る体育会系で、甥の団子鼻三兄弟は全員少年野球の選手であるため、義理妹の栄養管理はバッチリだ。……ああ、なんか私の実家って、暑苦しい。
もうちょっとゆるゆるでいいのにー。
血糖値にリスクを折っていることは頭の隅っこに置いておきつつ、スポーツの秋と、ついでに食欲の秋も満喫しよーっと。


2007年11月04日

非なるもの

小僧が「白米」を「しろごめ」と読んでいたので、正しい読み方を教えたのが、今朝。

さて、オーストラリアから帰ってきた娘が、オーストラリアンクイズを出していた。
結構おもしろかったので、つたないオーストラリアの知識で、クイズを出し返すと、これがクイズ合戦に発展し……。

私の出題の番。

「では問題です。アボリジニのかつての主食は何でしょうか。一番、昆虫。二番、カンガルー。三番」そこに小僧が飛び入り参加して、「くろごめ」という。
なんだ、黒米って。太古の米?と、しばし中断した上で、小僧に聞く。「えー。黒……米だよ」
「じゃあ、黒って何だよ、苦労して作る米か」(←相方、突っ込み方がオヤジだわ)
「黒は、犬のクロ」

なぜ! なぜそこに、犬のクロ。

唐突なのだ、小僧はいつだって。

そういえば、娘ちゃんのお出かけ前日、最後の英語の特訓をしていた。吐き気は何で言うの、下痢は、頭痛は腹痛は。
では、コレなんですか。お勧めはなんですか。トイレはどこですか。いつ来ればいいですか。ちょっと失礼します。
「建築家は誰ですか」
……なんだ、それ。
小僧が横から参加してきて、いきなり出した例題が、そんなんで。
たぶん、小僧が知っている最も難しい日本語の単語だったんだろうけれども。建築家。
多分、使わない。
いや、娘ちゃんには、一生使うことがない例文だ。そういうのが真剣なさなかにスコーンと挟まってくると、余りのミスマッチに、笑いがとまらなくなることがある。

しかし、ミステイクを笑ってばかりもいられない。
私は娘が帰ってくるまで、ずーっとアポリジニだと思っていた。
アボリジニ、だったのね。ぼとぽの違いは、大きい。勃起とポッキーは、形状がまるで違う。

娘ちゃんがいなかったら、間違えっぱなしだったわけで、ありがたいことだ。
小僧の間違いも、笑いながら訂正しつづけていたら、いつかもう少しまともになっていくだろうか。
いや、今のままの方が正直、面白くていいんだが、笑わせてるのと笑われてるのはまた、ずいぶんと違うからなあ。


2007年11月03日

おじょぉぉぉぉぉぉ。

無事、お嬢がホームステイから帰ってきた。
ちょっとの間、学校休んで出かけていたのだ。
おじょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
ひーん、金髪碧眼に囲まれて生活していたにも関わらず、相変わらずこけし顔のままだが、日に焼けて年季の入った、古物商で扱っているこけしのような色合いにはマイナーチェンジしている。
心なしか、大人っぽい。
ああ、長かったなあ。
学校休んでいた分追いつけるかどうかとか、不安はいろいろあるのだが、何はともあれ無事で何より。おかえり、お嬢。
意外だったのは、一緒に出迎えた小僧が泣き出したことだった。
「Pさーーーーーーーーんっっっっっ」
って、姿見つけるなり、ぶんぶん手なんか振っちゃって、ドラマじゃないんだからさ。
という私も、目がうるうるで困っちゃって、なんというか、情けない親子。
照れくさそうにしながらも、片頬で笑って、実にクールなお嬢なのであった。

英語はまったく役に立たなかったらしいが(だめぢゃん!)、楽しさはとんでもなかったらしく、ホームステイ先で別れる日に号泣したとか(珍しい)、意外にジェスチャーでなんとでもなるんだと思ったとか(だめぢゃん×2!!)、友だちになった日本人との絆とか(それ、外国でなくてもよくね?)、絶対に留学するのだと決めたとか(おとうさん、がんばれ)、マシンガントーク炸裂。
「すしすしすしすし、寿司食べたい」
というので近所の回転に連れて行ったが、しゃべるほうが忙しくて七皿で終了。少なすぎ。明日豪雨にならなければいいが。
帰宅後も写真を見ながら、解説たっぷり。
静かな夜は、もう、帰ってこないのだ。彼女が次に留学するまでね。
それ、一体いつのことなんだろう。
そんなに遠い将来ではないのなら、今は彼女のマシンガントークを、多少耳がキンキンしつつも楽しんでおかなくちゃなあ。んー、っていうか、楽しむ境地に達せるような、そういう大人物になりたいなあ。10のうち、1つ2つは「へぇ」があるんで、十分といえば十分だが、できればメロンパン入れとまではいかずとも、高得点の「へぇ」が欲しい。
おじょぉぉぉぉ、一緒に涙橋を渡ろう。もうちょっとこう、オチを想定して、ひねるように打つべし打つべし打つべし。などと、思う。

欲張りな親だ。

ただ、今日はさすがに深夜便で疲れているらしく、ぱたんと早寝した。
明日はさらにパワーアップして、すごいのがぶっ放されるに違いない。
……明日の覚悟を決め、私も早寝して鋭気を養っておかないとな!!


2007年11月02日

天使到来

ひょんなことがあって、友だちの子どもを預かれることになった。
最近出番の少なかったピンクの服を着る。
赤子には顔のシミで判断するすべはないのだから、明るい色を着ていれば母親に近い年だと勘違いするのは必至。
そして、丸くてふわふわの体型には絶対的に弱いのが赤子である。
ふっふっふっ。
作戦成功、泣かずに連れ出せたわ。

帰宅するや、突然、好々爺とする相方。
声なんか裏返っちゃって、「おおおお、きたかきたか。どれで遊ぶんだ、これか、あれか」とまあ、いいじいさんぶりである。
じじいにちょっとの間見てもらって、あっという間に掃除をする。赤子がくるのに、これではいかん!というホコリだったことを忘れていた。
我が家は久しぶりに、人をお通しできるお部屋になった。

それにしても、作戦などなくても多分その子は泣かないのだということが、徐々にわかっていった。
むちゃくちゃいい子なのだ。なんていうか、ものすごく丁寧に育てられた子という感じがありありとあって、子育てってこんなに楽だったっけと思うぐらい、素敵な豊かな時間だった。
落し物をしたら、ひろってくれて「あー」。
階段のゴミも拾ってくれて、「あー」。
靴が脱げれば「あー」。
きー、とかパニックにならないの。すごい大物。
転んでも泣かない。
あざを作るほど、机の角におでこをぶつけたときにはさすがに号泣したが、冷やして抱いていたら、すぐに泣き止んでしまう。
そのあとは指をもって行きたいところを示唆するので、その子のリクエストにお応えするふりをしつつ、学校に連れ込んだのだが、ここでも上機嫌。
飼育小屋に大興奮し、飼育係のご配慮でアヒルにガンガン餌をやり、もう大喜びだ。
途中、何度も転ぶのだが、ニコニコしてすっくと立ち上がる。
酔っ払いみたいな足取りなんだが、「歩ける僕」が嬉しくて仕方ないという喜びが、全身から放たれちゃってるの。
そして多分、今日は東京タワーの半分ぐらいまで到達するほど階段昇降をし、日本橋から新宿にたどり着きそうなほど歩きに歩いて走りに走った、学校の廊下と校庭と学校の近隣を。
すごいなあ、人類はアフリカで発祥し、大陸を歩きに歩いて、ここにたどり着いたんだなあ。という、ちゃんとそういう凄みを感じさせる持久力を見せた、一歳半だった。
美形にして愛想がいいので、小学生に絶賛される。
だっこさせて〜と争奪戦になる。
廊下をよたよた歩いていき、名前を呼ぶとくるりとふりむいて、豹変するところが、なんかこう、むちゃむちゃいい。でっかいおしりで、猛スピードだ。幼稚園の徒競走でブッちぎるタイプだ。
……おばあちゃんの孫自慢か?
上手にできると、にこにこしながら自分で拍手して、私を見上げる。一緒にニコニコしながら拍手をしていると、ああもう1人欲しいなあ。としみじみ思う。
小僧がこの年には……と思い出すと、苦笑いだ。確か、お嬢の時がこんなだった。お嬢は歩くのが遅かった以外、たいていのことはさくさくできて、とても育てやすいいい子だった。
育児は修行ではなく、こんなにお楽しみがいっぱいだったんだなあと、久しぶりに思い出させてもらった。
15キロをおんぶしたりもしたので、おばあちゃんは肉体的にちょっと疲れたが、こんな心地いいエクササイズなら毎日でもいいなあと思ったのだった。
で、明日のスケジュールを調整して、また明日も貸し出してもらう予定。
ほくほくだわ〜。