2007年04月29日

弱っている。

風邪なのかインフルなのか。
動けなくて、やたらしんどくて、とにかく寝る。
すると、怖い夢をたくさん見るのがいやだ。

明日は小僧の大会なのに、小僧が私と同じ咳をしている。
相方は締め切りできりきりしている。
娘がお茶くみなどの雑事をこなす。

役員の仕事も休んでしまった。
仕事のオファーもお断りした。
お友達からのお誘いも、全部全部先送り。

みんなごめんよー。世界中の悪いことの責任が全部自分にあるような気がする。

2007年04月26日

久々に風邪

滝のような鼻水と、容赦ない咳こみ。
風邪ひいたんだろうか、連日の夜更かしがたたったかな。
昨日は楽しみにしていたライブだったんだが、諸般の事情ででかけられず。
そのかわりに深夜、相方と一緒に映画を見て、四時間ほど話し込んだ。
とりあえず、相方と話していると実に面白く、飽きることがない。もう14年もずっとこんなことを繰り返していて、それでも毎回ワクワクするんだから、限りなくバカップルに近い。
私たちはお互い自分のことが一番大好きで、その自分によく似たパートナーと出会ってしまったんだなあと思うよ。
会話だけなら、七代生まれ変わるハリクリシュナーもびっくりなぐらい、交わしあっているので、すでに老夫婦の呼吸である。代名詞で会話が成立しちゃうぐらいは序の口で、そのうち目あわせて見つめるだけで……いや、さらに進むと目をみなくても会話がなくても、平気になるんじゃないかと。もしかしたらもしかしたらそうなのかしら。
もろちん、不満もお互い様で飲み込んでるから、うまくいってて。いやー、よかった、よかった。
……それで寝不足で風邪ひいてちゃしょうがないんだけどさ。
さて、今週から黄金週間! 味の素スタジアムが待っている。このゴールデンウィークは、とにかく小僧のサッカー三昧なのだ。風邪引いてる暇はない。気合いれていかなくちゃ。

ちょっと昼寝しようと思ったら、もう帰宅時間だ〜。一年生、早っ!

2007年04月24日

嫌われたとしても

出る杭は打たれる文化圏に暮らして43年、金槌木槌もって追いかけてくるやつには慣れた。
私が嫌いでもいいよ。
私も同じエネルギーで嫌いになってると身が持たないから、そういうのはちょっと放っておくけど。
ネガティブなエネルギーがどこかでポジティブに変換する可能性もあるから、出来るだけ私からは愛せるように努力するよ。努力してみる。…便利な言葉だな。

最近、新しく友達になった人に、なんとなく嫌われちゃったみたいで。
ママ友だちは全員仲良し、って方が普通じゃないんだから、久しぶりに「普通」に直面したんだと思う。私は、ちょっといいなと思っていただけに、残念なんだけど。
まあ仕方ない。嫉妬されてるのは誤解だと思うんだけど、あえてこっちの弱点を喧伝する義理もないしね。
大人なんだから、うまく距離をとっていこう。

そんな私には、福助がいる。
なんとなくむしゃくしゃするとき、福助のサッカーの練習を見るだけで、気持ちがスカッとするわ。
今日の練習試合では、ハットトリックだった。途中のドリブル数人抜きにも、カットにも、パス回しにも、惚れ惚れするばかりで。うっとり眺めていたら、投げつけられたちょっと差別的な哀しい言葉も、嫉妬交じりのちょっとした嫌味も、全部忘れていた。
ありがとう、福助。
なんて親孝行な子どもなんだろう。キミの自己実現は、すでにお母さんをこんなにも救い、こんなにも支える。
哀しい人にはたくさんの哀しい言葉。私は福助のおかげでたくさんの幸福な言葉に満ちている。

あ、でも、うまい。うまいぞ、福助。という掛け声は集中できないからやめて。と、今日、注意を受けたんだった。
頑張れ、がいいんだってさ。頑張れ! と言ってくれって。
頑張れ、福助。
頑張れ、みんな。
頑張れ、おかん。頑張れ。

わかんないよな、私にだって、最近とっても好きになった、苦手だった人がいるじゃないか。
はっきりものを言う私は彼女にもはっきりものをいっちゃったし、彼女も私にかなりきつめの言葉を投げてきたし、それでお互いどこかで近よらないようにしたんだけど。
だから彼女は私のことを多分、今も苦手だと思うんだけど、私は彼女の洞察力と仕事の出来具合と、そして、ギャグセンスの切れが、ここのところ、やけに気になっている。もっと話をしてみたいって、思う。そして一緒に飲んだりしたら、案外とても気が合うんじゃないかしらなんて、思ったりもし始めた。
きっかけなんて、いつどこに転がっているか、わからない。
距離を取りつつ、心閉ざさず。
大人の付き合いは、奥が深そうだ。
実は、中年以降、このあたりからが人間関係の醍醐味なのかもな。


2007年04月23日

本の日

息子が、文部科学省から保護者の皆様へと書かれた、大変立派な厚紙に印刷された広告をもらってきた。
つやつやで、印刷コスト、いかにも高そうだなあ。と思いつつ、表題は、「子どもの読書活動について」。
これ、全国の子どもに配ってるんだろうか。
一応本日配る意図なんかも書かれているのね、4月23日は「サン・ジョルディの日」だから。社団法人読書推進運動協議会が定めた子どもの読書週間だから。シェイクスピアの命日でユネスコが世界・本と著作権の日」を宣言しているから。
ってことは、きっと今日、とにかく今日、何が何でも今日、配布されたんだろうと思う。いったい、こんなくだらないことに、何億かけてるんだろう。
いわく、本を読まなくなった子が増えてるから、本を読もう。本はこんなにいいのであるということがかっちりした日本語で書かれているのだが、果たしてこのかっちり感にどれほどの訴求力があるのだろうかとものすごーく疑問に思ったよ、私は。
もうちょっと美しい日本語で書くとかさ、目を引くコピーを考えるとかさ、せめてデザイン凝るとかさ……。
閣議決定された読書活動の推進とか、推進に関する法律とかいう字が躍っちゃう段階で、なんかこう、読書の楽しみから離れていくような気がしてならないの。強いられてする読書が楽しいわけないじゃないか。面白い本、漫画でも何でも、与えておけば勝手に読むもの。

ただ、愛すべき点もあった。
四箇所も誤植があって、正誤表が挟まってるの。
それ、全部助詞が抜けてたり、間違っていたり……。読書してもダメなんじゃーんという抜けた感じは、ちょっと笑えてよかったんだけどね。


2007年04月22日

宴の翌日

昨日は楽しい飲み会だった!
でも、もう昔のようには飲めなくなっていることに、ここ何回かで気づこうね、私。
うこんも役に立たないし。
またしばらくは禁酒の日々。でも、昨日のパーティーのすばらしい仕切りの手腕に敬意を表して、キリンのTHE GOLDは箱買い決定。幹事さん、キリンの社員さんだったのよね。それはもう感動的な面白さでした。お店はキリンビールじゃなかったから、せめてもの。
……というのを「発泡酒で十分なんじゃないの」という相方への口実にする。実は、あのビール、すごーく好みの味なのよん。

渡世の義理は大事にしたい。
選挙もこの歳になるといろいろしがらみが。でも、こっちはすばらしい政治手腕を見せ付けられたわけでもないため、投票にはいったけど、ごにょごにょごにょ。
誰かが影で一生懸命動いてくれる姿には感動するし、感動は人を動かすんだなとthe gold買いつつ思う。宴会以上に、政治だって、きっとどこかで誰かが一生懸命やってくれているはずなんだよなと思いつつ、その働きを知る機会が少なくて。
公示のマニフェストが書かれた広報誌読んで投票するだけだもんな。
マラソンしてみせる、そろいのウィンドブレーカーで町中を練り歩く、言語道断の宣伝カーよりは騒音がない分まだマシだが、結局そこで名前を連呼しているだけじゃ、罰ゲーム見せられているような気持ちになるばかりだ。

さて、明日からまた学校に通う毎日。
今日は半日だらだらすごしてしまい、自己嫌悪に陥りそうだったのだが、その間、子どもたちがとっかえひっかえベッドに遊びに来ては、くっついたりくすぐったりおなかや心臓の音を聞いたり質問全開だったり、べたべたいちゃいちゃする時間になったので、とても楽しそうでよかった。
大盛り上がりだったのは、ベッドを船に見立てて、冒険旅行するごっこ。二日酔いでも、海老型荷物の役ぐらいなら果たせる。そしてそんなのが「カリブの海賊」に乗った以上に、興奮を呼ぶわけだから、子どもの想像力ってすばらしい。
使い物にならない自分の使い道というのもあるんだな。と再発見したような気持ちだった。

迎え酒せずに、たくさんの米を炊いて、夕飯を作り、今日は速く寝よう!

2007年04月21日

筋肉痛

筋肉痛は好きだったから、私は多分、プチM体質なんだろう。
でも、まともに歩けないほどのプレイはやりすぎだと思う。
今日の私はおそらくホモサピエンス・エレクトスよりもエレクトせず。初期の人類より二足歩行が下手である。

一昨日。
新しくなったカッコイイ表札に浮かれてデジカメを持って走り出したら、玄関の階段を滑り落ちた、尻で。
普通だったら尾てい骨を割っていると思うのだが、私には幸い、防護服のような体脂肪がある。
ものすごーく痛いんだけれど、とりあえず歩行はできた。
銀ちゃん、カッコイイ……とかいいながらヨロヨロ歩き出す自分の不心得に含み笑いしつつ、壊れたカメラで表札を激写した。表札、カッコイイ……。何か支えがあると、人は強いな。
下半身に大きな打撲あとが出来たのでしばらくは「美しの湯」には行けないが、仮にDVだと思われても、スーパー銭湯で筋肉癒したほうがいいのかしら。
水の中でリラックスしていたら突然人に触られたヒトデ、というのを思う。突然の階段滑り落ち事態はやはり体には大きな負荷で、その緊張は私の全身をくまなく硬直させ、昨日は全身が筋肉痛だった。ヒトデが全身筋肉痛になるのかどうかは知らないが、次からはいたずらに触るのはやめようと思った。また、ひとつやさしくなった。

そんなんで、昨日私はテニスコートに行ってしまったのね。
そして一年ぶりぐらいにラケットを握り、2ゲームをゆるゆると楽しんだ。
それぞれの学校で役員の人気職が違う話や、委員会決めの工夫や、給食や担任の話。1人、ロマンスグレイの独身紳士も混ざっていたのだが、体より口を動かす、おばちゃんたちのおしゃべりテニスにがっちりつき合わせてしまったわ。別の意味で疲れさせちゃってたらごめんね、田中ちゃん。

テニスはいいなああああ!
と思いつつ、小僧と帰宅すると、相方が娘と一緒に餃子を作っていた。99個。
これがうまうまで。
餃子はいいなあああああ!
こういう大当たりな日があるから、相方への不満が募らない。
そのあたりもうまうまで。ビールなんか飲んじゃったらもう、あっという間に幸せの塊になり、入浴したらそのまま眠ってしまい、多分あのまま死んじゃっても天国とは地続きだったと思うような気持ちよさで。冷えた湯であわててベッドにもぐりこんだらここがまた気持ちよくて、泥のように眠って、今日……幸せすぎる筋肉痛がさらに加算されて動けないんだから、いい週末だ。

さあ、このあと小僧の少年団サッカー。ファンとしては練習見るだけで、うれしいうれしい。
それにしても、毎日あんなに走ってて筋肉痛がないって、いったいどんな肉なんだろうなあ。

2007年04月18日

社団法人・落語協会万歳

パソコンってすごい。
インターネットって偉大!
居ながらにして落語会が。今、まさにここに。
せめて気分出すために、浴衣なんか着ちゃって、きちんと襟を正して聞いてます。

寄席に出かけていかないなんざ、粋じゃない気はするけどさ、落語通検定に挑もうかという今、こういう勉強ができるのはありがてぇってもんだよね。
もちろん愛するキョンキョンの話は子守唄代わりに聞きながら寝るんで、勝手におおとりに。えっ。おおとり、ケースケじゃなくね。

昭和の匂いがするギャグ、増量中。by 万華鏡。

社団法人・落語協会万歳。時そばだの、ぞろぞろだの、今じゃ国語の教科書に載る時代だ。百人一首なら千早ふるもいいし、明日P子にも見せてあげようっと。
ちょっとクサクサした気分のときには、落語がいい。
そして便利な世の中になりましたね、いまやネットで噺がきける。ただこうやってつい夜更かししちゃいそう。ネット−だけに、やかんがつきものです。デデケデデケ……。


2007年04月17日

初めての給食

初めての給食は楽しかったよー。
と開口一番。
うれしそうに帰ってきた福助である。まだ帰宅は二時前、幼稚園のころよりずっと早い。
あー、おなかすいた。何かない?
は?
あの、今給食の話をしていませんでしたか?
給食、足りないんだよ。おかわりしたけど、全然足りないの。と、ランドセルを下ろす。
おかあさん、明日の授業は何? 僕、こっち準備するから、おにぎりつくってよ。
明日の準備をさくさくとして、プリントを手渡しし、しぐさだけ見るとすっかり立派な小学生だ。ランドセルを部屋に投げ捨てて朝ばたばた大騒ぎなP子より、キャリアすら感じる。
初手でしっかり刷り込みすると、この人は几帳面だから楽チンだ。
けど、ご飯はどんぶりと刷り込まれている以上、そこは変更できず、ずっと飢餓感との闘いなんだろうかな。うう、不憫。人として、腹が減ってるって、とっても悲しい。
レトルトのカレーで、カレー皿大盛りいっぱいをぺろりとたいらげた。もちろん、夕食もどんぶりで食べる。我が家は今、おやつを含む夕飯が五合食べきりになっている。この前、二キロだけの無洗米を買ったら、二日でなくなって驚いた。

それでも、私を除く家族はみんな細い。福助なんて、黒くて硬くて細くていつも泥だらけで、ごぼうみたいだ。
運動量の差なんだが、いっしょになっておいしいおいしいとご飯を食べていると、私だけが成長してしまう。
メタボかあさんとからかう相方。その外側につけているウレタンはいつ脱ぐんだ?
と、最近はギャグを言いつつ、すでに目が哀しい。意地悪なニコニコ顔ではなく、哀れみを湛えてすらいる。
おかあさんはやせたら困っちゃうよ。ふわふわがいいよ。
と言ってくれる娘と小僧がいるので、なんとなく肝っ玉と下っ腹は太いままでいいかなあという気になっている。ぶくぶく、と言わないところが、子供たちの心遣いである。ニクい。


2007年04月16日

朝一番で

八時にはもう子どもたちは出かけてしまう。
最初の一週間は役員仕事もあって学校に行きっぱなしだったので気がつかなかったんだけど、あらまあ。小学生の母って、こんなに時間があったのねぇ。

大変な時期はあまりに大変すぎて大変だと思うまもなく、あとになって気づくのかもしれないわ。
泣くほど自分の時間が欲しかった夢があっさり手に入って、ちょっと気が抜ける。
私みたいな「動きたがり」は、役員ぐらいやってて、ちょうどいいのかもしれない。
いやその前に、平成新山を平地にして、せめて一週間に一度は掃除機をかけようかな。「捨てる大魔神」を引っ張り出して、家の中を快適にしたいものだ。

バルサに入るのだと誓いを立てた福助は「ぶえのす でぃあす」といって元気に起きてきて、「僕はスポーツ小僧です」という服装を身にまとい、朝から納豆飯をどんぶり一杯食べていく。バルサの寮に入るならベッドメイクはきちんと。といったら、それはそれは丁寧に布団をたたんでいた。
昨日はあんまりにも楽しそうにサッカーボールを蹴っていたので、ワケを聞いたら
「サッカーはいつも笑顔でするものだって、ロナウジーニョが」
むっちゃありがとう、ムーチョグラシアス、ロナウジーニョ! あなたのおかげで、躾がものすげぇラクチンです。

先週一週間、P子は福助と手をつないで学校に通った。
一緒に学校に行った朝、
「これが夢だったのよ」
と感慨深げなP子を見て、危うく泣きそうになった。
昨日は公園で一対一のミニサッカー、ゴールにハンディーつけて尚、7-1で勝つ福助に、
「もー、うちの弟はほんとにカッコいいんだから。自慢、自慢!」
と言える女だ。そんな貴女が私の自慢よ、Pちゃん。
親ばかは、傍目にはバカだが、当人はいたって健やか。
高らかに「親ばかってすばらしい!」と叫びたい。
福助が聴くダイソーのスペイン語CDに軽く焦りを覚えたのか、同じくダイソーの簡単英会話のCDを聞き始めていたから、お互いに支えあって刺激しあって、いい感じで行ってくれたらいいなあ。

じゃ、あたしは落語のCDでも聞きながら、台所でも磨きましょ。


2007年04月13日

晩ごはんのあとで。

腐るものと腐らないものを分別するという問題を子どもたちに出していた。
親「椅子は?」
子「くさらないー」
親「牛乳は?」
子「くさるー」
親「お茶わんは?」
子「くさらないー」
親「みかんは?」
子「くさるー」
日常生活の中で、科学の芽を根付かせようという親心である。といえばカッコもつくが、何のことはない言葉遊びから発展した他愛ない話。鈴木の夕食後はたいていこんなバカ話で過ぎていく。相方のお仕事待ってくださっている編集の方、申し訳ございません。
親「魚は?」
P子「くさる」 福助「くさらない」
えー。みんなで福助を見ると、堂々と、
子「生きた魚は泳ぐでしょ。だから腐らない」
ほう。
腐敗という概念に、より近づいてきたねと拍手して、さて。
相方が福助にたずねてみる。
相方「じゃあ、死んだ魚は?」
得意げな顔になる福助。
福助「食べたほうがいいね!」
……そうね。
「おいしいからね!」
出来れば、腐る前にね。ははは。
福助の好物は青みの魚と赤みの魚である。

普通学級養成ギプスは、こういう日々の積み重ねが大事だが、我が家にちゃぶ台をひっくり返す者はなく、福助の飛び道具みたいな視点から繰り出される言葉に爆笑するばかりだ。
客観的に言えば、まあ、笑われているのだが、笑わせているのだと勘違いした福助は、発言の失敗を恐れない。
こんなふうに教室でも話せたらいい。その発言は否定されないといい。それは、どんな子の、どんな言葉も、だ。
違うタイプのキャラがいてこそ面白い、という前提が根付くといいな。
仮に教室がダメでも、我が家の楽しい団欒に、福助は不可欠だから、いいんだけど。
あとは少年サッカーのフィールドと、それから、それから。
不可欠な場所は、心地いい場所になるだろう。そんな基地が、小学校でも、たくさんできればいいな。


2007年04月12日

Day off

昨日はゆっくり休んで、かなり元気回復。
体調悪い自分というのがどうもキャラにあわない気がするので、なんとなく弱音が吐けない。結果、野生のイルカのように直前まで元気でいて、突然スイッチが切れるように動けなくなる。
イルカだと敵に食われてしまうわけだが、私だと味方が「休んでればー」と言ってくれるので、イルカでなくて本当によかったと思う。
横になってても、薬を飲んでも、珍しく胃は痛むし、眠れないし、慣れない毎日で精神的に疲弊しているのを感じる。こんなとき、人のような複雑なものでなく、単純な野生の動物になりたかったと思う。ミジンコレベルだと単純すぎるが、イルカレベルなら幸せかもな。……って、矛盾しとるわ!

私の友達は言葉を扱う同業者も多いから、商売道具を使ってもらうメールはどれもゴージャスで、ものすごーく癒される。
だけど最近、それ、言葉が巧みだからうれしいんじゃなくて、ちゃんと想いがみっちり詰まってるから凄みがあるんだってことに気づいちゃった。今頃そんな単純なことに気づいてるわけです。銀シャリはやっぱり美味しいとかさ、桜の花ってしみじみ美しいなとか、単純な中に、涙出そうなほど慈しみたい想いがある。
だからきっと、好きです、だけでもいいのかもしれない。短くて響く言葉が使えたら、とてもいい。好きな人に好きですといわれたら、それだけでとてもうれしい。後悔しているときにそれでよかったんだよといってもらえるだけで、一気に前向きな失敗にランクアップする。
私は、そういう婆ぁになりたいな。
好きな人に好きだといえて、その人のことも、その人の行動も、肯定できる強い婆ぁになりたいな。
私の困ったちゃんを赦された分、相手のミスをすぱんと赦せる婆ぁって、カッコイイじゃんと思うんだけど、これでなかなか偏屈だからいけないや。
それでも成長はしているはずだから、老後に期待する部分は大きい。
今よりさらに大きくなるぞ。胴回りではなくね。

2007年04月11日

いちねんせいになったら

星一徹、がんばりまっす!
大リーガー養成ギプスより強い母の愛を束ねてつくった、普通学級養成ギプスをがっちり福助にはめ込みました。
特別支援施行のせいなのか、校長先生のご指導なのか、一年生にはありがたいことに毎日の時間割と何を学ぶかがしっかり見渡せるプリントが配られています。何時間目に何があるか、そのときに何をやるか。福助のような子どもには見通しと予習が大切だから、私はへたくそなキーボードを弾きながら一緒に「いちねんせいになったら」も高らかに歌います。
ぱっくんぱっくんぱっくんと。ああ、ファンキーな歌だ。パックンマックンも、もっくんやっくんふっくんも、みんなでおにぎりを食べたいものです。

P子もこうやって丁寧に育てられたらよかったな。手がかからない子だから手をかけないのは、親のお楽しみが少ないってことだ。

「おかあさんって、うちのクラスでは若いって評判よ〜。もう四十過ぎているっていったら、みんなが三十台にしか見えないって」
「へえ、そりゃあ残念だね」
「なんで? 若く見られるっていいことでしょう?」
「うん、まあね。でも、私は自分の四十二年間を愛しているから、歳相応がいいんだけどな」
P子は多少、世辞を言ったつもりだったのかもしれなかったのに、つい、マジレスしてしまったわ。
「あらあ。そんな風に歳をとれるって素敵なことね」
ははは。
即座にそう切り返せるP子に、営業職の適性を見た。

何もしなくても言葉巧みな娘と、IQは平均値なのにサッカー以外の言語だけ飛びぬけてダメな福助。
子どもが百人いたら、いろんなバラエティーがあって、さぞ楽しいんだろうな。でもおかあさんは、かっくんかっくんだろうな、百人も育てたら。

2007年04月10日

どんなに好きでもダメなんだよ。

幼稚園に、福助たち卒業生一同から「約束のお花」が届いた日。
「約束どおり、元気な一年生になりました」
という子どもが書いたメッセージを添えて。
入園する子たち、おめでとう。それから、
後輩たちにも、がんばって楽しい思い出をいっぱい作ってね!の心を込めて。

在園児のママ友から、先生方も喜んでくださった旨、届いたお花の写メと共に一斉メールされた。
みんなで決めたこと。これが私たちからの、最後の卒業記念品。
謝恩会で全員が先生に誓った、約束の言葉「元気な一年生になります」を、ちゃんと具現化したものだ。これで完全に「門出」が終わった。さあ、気持ちは前へ、前へ。

新学期はとんでもない早さで過ぎていく。
我が家の平成新山・洗濯物版が大きくなって、私はいつ何を食べているかわからないまま、着ぐるみ怪獣のようになっている。このウレタンにファスナーはないという、残酷な現実。

そんなときに限って怒涛のように迫りくる友達や知り合いの素敵な話。困った話。いらだつ話に、笑っちゃう話、泣いちゃう話。
忙しいと心のやわやわ部分が敏感になるのか、何でも吸い込んでしまう。コレクター魂がうずうずする三文話の数々が、むこうからぴょーんと飛び込んでくる。なんで、みんな、どうしたの?
春だからかな。いい恋、してね。

久々に体調不良気味。気持ちがひどくすさんでいるわ〜。どうしたことだ。
思い出より恋より、今は、おやすみなさい。私の場合はね。


2007年04月09日

結論・告知せず。

ほっとしたね、ゆう子ちゃん。娘が嫁に行ったときみたいな感じなんじゃない?
と、公園で幼稚園ママに言われた。その邪心のない満面の笑みに、危うく、涙ぐみそうになった。

入学式のあと、着替えてラーメンを食べ、福助と私はドクター診に行った。予後観察をしてくださる児童精神科医に診察をしていただくのだ。
担任の先生の名を問われて意気揚々と答えたのはよかったが、先生の年や特徴を聞かれると答えられない。一度「わからない」モードに入ってしまうと、ときどき<わからないの波>に飲み込まれて撃沈してしまうことがあるので、あらららと思っていたら、
「わかんないんだけど…でもさ、美人なんだよね」
と再び急浮上。次の質問にも快調に答える。恐るべし、美人パワー。ああ、福助好みの先生でよかった。
問診と簡単な知能検査。母親への問診では、とりあえず病気と個性のぎりぎりのところで、今は困っていることはない旨、申し上げる。
「困ったことがないか。うーん、たとえば去年の今頃だと……くるくる回転してしまうのは?」
「そこにボールを置くと、ジダンルーレットみたいになります。ただくるくる回るならボールも蹴りなさいといいましたら、誰よりもドリブルがうまくなりました」
「てのひらをひらひらさせる常動運動は?」
「指を選手に見立てて、手サッカーをやるようになりましたが、それをみた周りの方は福ちゃんホントにサッカーが大好きなのねと」
「偏食については?」
「そんなんだとJリーガーにはなれないよといえばなんでも一口は食べます」
お医者様はこのあたりで笑い出す。
「やるなあ、おかあさん!」
いえいえ、それもこれもサッカー様のおかげです。社会性も何もかも、サッカーで培いました。御神体のボールでも祀るかな。

治る病気ではない。
金髪碧眼がどんなに「私の名前はリコピンでーす。日本語特訓シタ、上手デス」といっても、外国人なように。でも、それで日本人以上に日本人とコミュニケーションが出来る外国人もいる。福助は大好きなお友達を介して、健常の世界にちゃんと片足を突っ込んだのだ。ありがたい、お友達パワー。福助のいいところは、なにしろ強運なところである。
多少風変わりな言語すらおもしろい人と位置づけてもらえたのは、ママ友とその子どもたちによる強大な愛のなせる業だった。私たち夫婦の周りにいる風変わりなお友達の存在も大きかった。そんな話を少しだけ。話すと止まらなくなるからね。
すると、お医者様はこういうのだ。
「貯金みたいなものでね。楽しいことや幸せなことをたくさん知っていれば、このあと来る生きづらさや困難も、多分、貯金を減らしながらも、乗り越えていける。また補填する方法もわかる。だからできるだけそういう貯金を増やしておいたほうがいいんだよ」
それはもう、友達だけでいったらどかーんと宝くじに当たったようなもので。私は福助が障害者だと診断されてからも、ほとんどいやな思いをしないで今まできている。母親がさほど落ち込んでいない、むしろウェルカムトラブルみたいなスタンスで張り切っているわけだから、福助もそんなにストレスを感じなかったと思う。そして奇跡の幼稚園生活があって、だよ。稀有なことだと思う。

悩んでいることといえば、私自身の問題で、と、クラスメイトへの告知の件を尋ねてみた。
うわさが流れているのは知っていた。それがあまりよくない方向だということも。まあ、実体のない声には踊らされないようにしようと思っている。おばちゃんの「みんな」は、たった一人だったりすることが多いからね。だが、誤解なら解いておきたい。人の口には戸が立てられないのだから、いつかクラスメイトも知ることになろう……。
「今は、言う必要がないと思うよ」
と、ドクターに言われて、肩すかしな気分になる。へ、そうですか?
「今の彼を見て自閉症だといったら、多分周りが混乱すると思う」
再度言う。治る病気ではない。この先も、生きにくさは抱えていくんだが、確かに今は典型的な自閉症からはかけ離れつつあるのだ。リコピン、お前ホントは日本人なんじゃないの?みたいな状態である。
というわけで、具体的に支援して欲しいことができたときにキャラバン隊として出動できるようにしよう。今は、告知せず、おとなしく75日がたつのを待つことにした。

で、その話を公園でママ友ゆきちゃん(仮名)にしたところ、冒頭の喜び発言。
福ちゃんは、もうわかんないぐらい社会性がついたってことだよね。ゆう子ちゃん、がんばったんだよ、よくやったね。ほっとしたでしょ。……私がうれしく、ありがたいと思うのは、こんなことを見方をかえて一緒に喜んでくれる友達が、こんなにも身近にいることだ。

告知をしないとなると、彼女をはじめ、同じ園から上がってきた人にご迷惑がかかる公算が大きい。直接私に尋ねる猛者は多分いなくて、普通は福助をよく知る大人に聞くだろうからね。彼女は聞かれたときにはどう答えればいいかと聞いてくれたので、ああそうか、そういう指示をさせてもえばいいんだなと知る。かかわりの中で教えられる。それは大人になっても然りだ。
告知しない旨と事情をママ友にメールする。「もし聞かれたら、自閉症は治らないけど、早期療育が功を奏して健常のフリはとっても上手になったと答えてください」と回答マニュアル。いつまでもこんなことにつき合わせて申し訳ないと思いつつ。

すると。
合点だ! まかせとけ! 悪いうわさは払拭しよう! 負けるな! いつでも力になる! 福助の底力を見せてやれ! 的確な支援方法がわかってうれしい! 私たちがついてる! と続々メールが……。
ええーっと、正直、ちょっと、泣いた。メールで返事はなくても、力になってくれそうなママ友たちの顔も次々浮かんできて、勇気百倍。なんていうかさー、幸せモノだなあ私。ほっとしていいんだよと教えられて、さらに励まされてさ。しかも、福助は楽しそうに新一年生になって。
幸いというかあいにくというか、こと福助に関しては仇役みたいな人には出会ったことがないのだが、この先もし敵キャラが出てきたとしても、なんかあんまり怖くないかもしれない。
そうはいっても障害児でしょう、と隔離したい人には、この喜びはわからないと思う。
平たく見れば、人はそうそう変わらない。育児は健常でも障害児でも、同じように大変で同じように愉快だ。そんなことを身をもって知っている大人たちの、極上の友情の味を知ることができて、本当によかったなあ。

2007年04月05日

ボールは友達

わけあって小学校に。
娘は新学期を前にして、体調不良。
大人の話をしている間、小僧は校庭でボールを蹴ってるねと走っていった。

雨が降り出して、校庭で遊んでいた子どもたちがみんな軒下に集まってきた。
中断して、外を見ると、小僧、楽しそうに小学生のお兄さんたちと話している。五年生く゜らいが2人と、三年生ぐらいが1人。息をはずませてるから、サッカーしていたんだな。うちの学校って、お兄さんたちの面倒見がいいのねと再発見する。
「福助〜、雨降ってきたから、強くならないうちに、先に帰ってて〜」
と声をかけると、機嫌のいい笑顔で、
「いや、お兄さんたちの家に遊びに行きたい」
って、ははは。それはダメだ。すぐに同じ学校の先輩になるんだろうけど、まだ私の知らない子だしね。
「家にひとりで帰れるよね〜、通学路通って、先に帰っててよ〜、おかあさんもすぐ帰るから〜」
雨足が少し強くなる。
「わかったー。じゃ、さよなら!」
元気に先輩方に挨拶して、今度は正門の方に駆けていった。

ボールさえあれば、ホントに誰とでもあっという間に友達になれるんだな。
そして、1人でそそくさと帰れるほど、強くもなれるんだな。
問題は、小学校にマイボールを持っていけないことと、休み時間に必ずしもボールを蹴らしてもらえるわけではないことだけど、校庭走るの大好きなんだし、とりあえず大丈夫そうな気がしてきた。
先行する悪いうわさとの戦い、いつどのタイミングで告知していくか、果たして誰が味方で敵なのか、なあんて、私だけがちょっと神経質になりすぎちゃっただけなのかもよ?

帰宅すると、福助は室内用ボールを抱えたまま、バルサTV(スペインサッカーリーグのチーム。尊敬するロナウジーニョと、かくありたいと願っているデコやエトウが所属している)を見ていた。
「僕、スペイン人に生まれたかったな」
という福助。
いや、福助は日本人の福助だからこそ、よかったんだと思うよ。
日本人っぽくはないけど、スペインなら異端に見える「らしくなさ」も目立たないから、そのうちリーガ・エスパニョーラ目指す手はある。
何より、ボールがあればどこに行っても困らないんだから、スペインでもどこでも行けばいいんじゃないかなあ。
そう思えたら、小学校での杞憂なんてちいさい、ちいさい。という気がしてきた。


2007年04月04日

愛と禁断症状

狂おしいほどに、福助のサッカー姿が見たいと思う。
四月も半ばにならないと、練習は始まらなくて。
気がつくと、部屋中、絵になる福助のサッカーの勇姿、写真が貼ってある。
ああ、大ファンなんだなあ、私。
自分の息子にこれほど入れ込むとは思わなかったんだが、サッカーしている福助は本当にめちゃくちゃかっこいいのだ。ポストやバーに当てる精度が増して、曲芸に近くなりつつあるシュート練習も見ていて気持ちいいのだが、練習試合でピッチに立ったときの彼の動きに、その活躍に、とにかくどきどきわくわくするものだから、練習がないと私自身が禁断症状だ。

サッカーがなくても、私は果たして、小僧を愛せるのか。
回転寿司の職人になりたいという夢を、Jリーガーへの夢と等価値で支持していけるか。
私が情熱的にサッカー小僧を愛していることで、福助を追い込みはしないかと心配になる。

漫画家の相方が転職したら、私は相方を愛せるのだろうか。
私は彼の作品のファンだ。
今でこそ、それ以前にまず私の愛する娘と息子の父親という係累だから、どんなことがあっても彼と一緒にいると明言できるけれども、それでも正直、彼の作品の持つ力が私の忍耐の器量を大きくしているのは否めない。才能に惚れたという言い方は相手の重荷になるということもわかっていて、どこかで追い込んでしまっているのかもしれないとしりつつ、素の彼に付随する彼の才能が好きだ。
鶴の恩返しでは、つうが羽をむしりながら機を織り、華麗な反物を作り出した。同じ工程で相方は作品を作る。美しいからもっと織れ、我が家の都合がかかっているという、よひょうのような言い分が、我ながらいやらしいなあと思う。相方の羽ははげはげのぼろぼろなのかもしれないのに。それでも一こま一こまから広がる世界をきっちり描きながら、相方は今日も睡眠を削ってペンを握る。

せめて、おいしいものでも。
気持ちだけはあるのだが、私にとって美味しいものは寿司だったりする上に、美味しいものを作るテクニックがないものだから、想いだけが空回りする。

いまさらながら、いい女になりたいと思う。ひとまず、相方のために。
そして、P子にとってはよりよい手本に、福助にとって無二の、いいおかんになりたいと思う。
自分の欲望と、相手を活かすことと。
押し付けがましくない愛は、どうやったら身につくのだろう。


2007年04月02日

自閉症だって、大丈夫!

春期講習のプールには、クラスで一番仲良しだったこうくん(仮名)といっしょに。
なんだかとっても楽しそうで、初めてのスイミングスクールにしては上出来。

福助は、耳から入ってくる指令が今ひとつ理解しにくい特徴をもっている。
だから、誰かモデルになってくれる優秀な人を探し、それを真似するというワザを徹底させた。目で見ればたいていのことは真似できる。わからないときには自分で考えるのではなく、もう一度説明を求めるのでもなく、「わからないから、やってみせて」とお願いするように訓練した。
園でのモデルはこうくんだった。だから、こうくんが間違えると福助も間違える。なぜか二人だけが帽子を被っていたり、二人だけが靴下を脱いでいたり、笑ってしまう間違えもなくはなかったのだが、こうくんは賢い子だったので彼の真似していればたいていうまくいった。賢い上に、やさしい子でもあったので、福助が出来ないことはきちんとフォローもしてくれた。
そんなわけで今日も安心して任せてはいたのだが、見ていると、こうくんの真似ではなく、いっしょに楽しく浮き身やら背浮きやら素潜りだので遊べているじゃないか。
少しずつ、また、福助は進化している。
入学式こそチョコレートをえさに座らせつづけて普通のフリが出来たが、そのあとの奇行たるや、はははは、思い出しても笑っちゃうほど、いや、そのあと情けなくて泣けてくるほど、幼稚園では伝説をいっぱい作った。
福助ががんばって勝ち取った平和だけど、先生やお友達や家族親族、周りにいた人たちの忍耐も、忘れてはいけないと思うわ。
福助は水を怖がったら一生怖がる。去年の夏に私自身歯を食いしばってにこやかに指導しつづけ、水と友達になれたからこそ今日の笑顔があるのかもと、多少自画自賛してもいいことにしよう。

そう、福助は、多くの自閉症児がそうであるように、耳から入る言葉での指令が理解しにくい。
目で見たことは難なく真似できる。ただし、一度上下左右逆転して入力すると、データが削除されず、修正がほとんどできないため、最初が肝心なのだ。感情も、一度恐怖で入れば恐怖はついてまわり、その記憶はなかなか消せない。逆に楽しいと思えば、とことん愛する。
だから最初にママ友にお願いしたのは、その一点だった。
「視線合わせなくて挨拶も出来なくて感じ悪くても、どうか楽しげに挨拶をしつづけてやってください。脳の一部に問題があるため、普通の子のようにすぐには反応しないのですが、そのうちに挨拶をすることが正しいのだとわかります。うまくすれば、真似し始めるはずです。根気強く私も促します。やがて、なんだかこの集団は居心地がいいぞ、楽しそうだと思えば、必ず興味を持ちます。興味を持てば努力が苦痛ではなくなるはずなんです。普通の人のように過ごすことを学ぶためには時間がかかりますが、私はあきらめません。そのために、何より、皆さんの助けが必要なんです。よろしくお願いします。かかるご迷惑は私がこの体で(以下自粛)」
そしてママ友は誰一人嫌がることなく、福助に明るく挨拶しつづけてくれて、半年後、奇跡のような福助の快進撃が始まったのだった。

どんなに努力しても、世界水泳には出られない人がいるように、(私なんてクロールするとおぼれているようにしか見えないし)、人にはそれぞれ限界がある。その子なりにがんばっても人とコミュニケーションを取れないタイプの自閉症もいるので、福助に対するやり方が必ずしも功を奏するとは限らない。
私は素人なので、自閉症について語るときには常に「福助限定」である。
そして、福助の持ついくつかの特徴は、自閉症のお子さんにはありがちな傾向だが、自閉症は十人十色、福助の特性が即、全自閉症に当てはまるわけではないのだ。
世界的に見て、日本人の特徴といわれる出っ歯にめがねに寿司好きに優柔不断に拝金主義だって、何も全員が全部当てはまるものではないのと同じである。
典型的な日本人に見えなくても、日本人である前提があるのなら、多分誰しも、その日本人的なる部分を認め、愛すると思う。それがアイデンティティというものだ。
できれば、ただなんとなく日本人らしいよ、というより、一度違う環境に身を置いて、まずはじっくり日本と日本人そのものについて学び、果たして自分の中同じ要素はどこで、逆にどこが違うのか、整理整頓すればよりしっかり日本人としての自分が見えてくる。確固たるアイデンティティを築くと、迷うことがなくなる。……どうも日本人的ではないアプローチという点で矛盾するたとえになっちゃったなあ。
何が言いたいのかというと、
つまりは観察する目をもって。
ということなんだ。
自分の子の発達が人と微妙にズレるなら、どうずれているのかをまず知ろう。個性という考え方はある。だが、平均なくして個性はありえないのだから、私の場合は、個性という言葉に逃げるのではなく、平均を知った上で、どう個性的なのかをより理解したかった。
そうすれば、どうすりあわせればいいのかも見えてくる。
泣いているひまがあったら、泣きながらも観察だ。祈祷にすがる余裕があるなら、祈りながら書物を買って読もう。
私は福助を、とにかく観察した。どういうところが自閉症的で、どういうところが健常っぽいかを知るために、まず自閉症について学習し、そこに福助を重ね合わせた。すっぽり隠れる部分も該当しない部分もあって、福助探しの旅は実に興味深かった。そのときはただただ夢中だったけれど、今となっては豊かな時間だったと思う。

福助の場合は、修正がききにくいというのを観察によって知っていたから、私はとにかくよりよいモデルパターンをと考えた。
たとえば、三歳のときに療育の一環として、集団活動が難しい子どもたちによるグループ学習を薦められたことがあったけれども、私たちは一貫して、お断りした。福助にはファーストインプレッションが大事なのだから、多動傾向のあるお子さんと一緒になれば多動が、泣き叫ぶお子さんと一緒になればパニックが、通常のこととして身についてしまうことを懸念してのことだった。
専門家に言われれば気持ちが揺れることもあったが、なんと言われようと、信念が変わらなかったのは、福助をたくさん観察し、福助の特性を誰よりも理解していると自負していたからだ。わかっていれば誰に対しても説明が出来る。福助の異端な行動に責任もとれる。
これは、ハンディキャップの有無にかかわらず、親として私が学べてよかった点だ。
正しいモデルケースとしては、P子の存在も大きかった。
P子には福助の病気を理解させ、がっちり生活指導して規範になってもらい、福助用療育マニュアルを覚えてもらうところから始めた。P子なしでは今の福助はありえなかっただろうと思う。
だから、P子が福助の病気を語るのを、私はとめようとは思わない。
偏見の目にさらされることになっても、それを難なく乗り越えていく知識と強さがP子にはある。それは、偏見を持つ人が恥じ入るほどに強い、まっすぐな視線だ。
P子は、いつでも福助の重荷を喜んでいっしょに背負ってくれた。その試練は、彼女の足腰の強さになっただろう。彼女に背負わせたその荷物を、子どもには重過ぎると私に言った人がいるけれど、なんの、情けは人のためならずだ。 P子は多分その発言をした彼女にはわからない、大事なことをすでに知っている。
人は孤独ではないことを、つらいときには家族と友達が必ずつらさをシェアして助けてくれることを、そして、支えるということが実は形を変えて支えられているのだということを。
与えているつもりが、こんなにも多くのことを与えられていた。これは福助のような子どもが生まれてきてくれたおかげで知った、最大の収穫だった。

新学期になれば、きっと、また新しい生活が始まるたくさんの人がいると思う。
診断されたばかりの人、周りへの告知をどうするか迷う人。
全部一人で背負い込まないでね、と言いたくて、こんな長文になってしまった。そして、渦中にあると負にしかみえなかったことも、ちょっと余裕ができればかなりいい感じになるからね、必ずなるからね、とちょっと先輩ぶってもみたくなっちゃったのだった。

2007年04月01日

エイプリルフールなので

なんか大きなうそをついてやろうと思って午前中いっぱいずーっと考えていたんだけど、ぜんぜん浮かばない。
ちょっとうそつきな人のことを「作家性がある」というらしいが、私に作家の才能はないのだわ。

明日から小僧の春期講習。世界水泳を見ていて、気持ちだけ北島になっている小僧が、現実とのギャップで挫折しませんように。なんたって、超初級・水慣れクラスに入るわけで。
ただわからないのは、小僧はじーっと見るタイプなのだ。サッカーのシュートも、イメージトレーニングによるところが大きい。練習しないリフティングはたいしてうまくないのだが、試合の時にはどこから記憶を引っ張り出してくるのか、すごいワザで敵を抜いたりする。だから、これで本当に突然泳げちゃったりすると、( 北島レベルは望まないまでも) 親としてはとても便利なんだけど…まあ、そううまくはいかないんだろうな。

まずい。
昨日、気鬱、なんて書いたら、本当にちょっと憂鬱になってて。
桜が満開なのに、小僧に指摘されるまで気づかなかったり。
軽く頭痛がしていて、もう本当に何もかも放り出したくなってしまっていたり。
通りすがりに言われた言葉なのに、なんだかネガティブにとらえてしまったり。
いけないわ、「右から左に受け流すの歌」(By ムーディ勝山)でも歌って、笑い飛ばさないと。
……ダメだ、東京砂漠。私の心が黄砂まみれ。笑いの神様は吹き飛ばされてご不在です。ああ、右から右から何かが来ている気がするのに。
多少暗くなってても、さあいっちょやったるか!ぐらいのテンションで日記を書いたほうが、万事うまくいくのだの法則を発見したわ。小さなうそだが、そういううそは、必要なのかもしれないなあ。

というわけで、血沸き、肉躍るほど元気です。
ファイト! 一発!と、意味もなく叫んでみたりするぐらい。