2007年11月30日

受験道

一夜あけて、本日冷静。
おはようございます。

いやー、おかんの一喜一憂は困ったものだ。
でも、こうやって身もだえしつつ、前進するのだ。

子どもの人生を復讐の道具に使ってはいけないと、しみじみ思う。
自分の果たせなかった夢を重ねるのは、その子の人生をのっとろうとすることなのだから、虐待に近い。
勉強したくてもその環境に恵まれなかったことは、私自身がけりをつけるべき課題だ。P子のしたいことがお勉強ではないのなら、お勉強を薦めるのは間違いだと気づいちゃったよ!
とりあえず家内安全。夫婦円満。
生活も、まあ、やっていける。
好きな習い事も自分たちで選んでやっている。親は親で、ちゃんと好きなことがある。
子どもたちは安心して学校に通っている。

親にできるバックアップは、その程度だわよ。
そういう、当たり前の家内安全は、あって当たり前な話。
それが得られないというのもまたよくある話で、若くて未熟だった親を恨むエネルギーとか、自分の育ちの悪さを呪う時間があるなら、それ、平和利用をしなくちゃ損!と、すでに解決済みだったはずなのになあ。中学受験にはトラウマがあるので、なんかこう、突発性教育ママゴン(死語)になっていた。

その子がとても勉強向きだったり、夢のために行きたい場所があるなら、親はコーチとして伴奏する必要があると思っている。よりよい環境を与えたいと願うのはすばらしいことでもある。
にわかコーチ見習いで受験サイトをのぞいたりメルマガ読んだりしていて、受験の意義も、私立の教育内容や、そこにある熱い気持ちも、うっとりするほど感化されてはいる。
何もわからない子どもに全部を決めさせるのは、これまた親の怠慢、責任放棄だと思う気持ちは、受験は関係なく、ずっと持ち続けてきた持論だし。
でも、うちのお嬢は、そんなに勉強が好きでも得意でも、ないんじゃないか。というのが、今回の模試の結果でわかったことだった。ええーっと、「何のトレーニングもしていないのに、見方厳しすぎです、おかあさん」と予備校の講師の方にも言われたけれども。
わしゃあ、一徹ですから!
お嬢としゃべっていると、本当に頑張ろうとしているのがよーくわかるので、ついうっかりその頑張りに乗じて「お勉強が得意な子が行く学校」をゴールに定め、コーチング計画を練るところだった。が、しかし、そこに原石の輝きはないのではないか。と、思った。
正直に白状すると、ひょっとしてビックな貴石が眠っている?と期待するのは、親としては実に甘美な体験だった
あれは、なんだろうねぇ。彼女の夢に共感して、巨人の星を目指して、さあ磨き上げるぞと思うのは、気持ちいいんだねぇ。
それは子育ての醍醐味でもあるんで、否定するつもりはまったくない。
けど、小僧がサッカーが大好きだからサッカーをやる、それと同じ情熱でお嬢が受験を語っていると思いこんだら、試練の道は地獄道である。
小僧は小1、まだプレミアリーグに行く夢も、バルサの10番をつけるんだという夢も許されるだろうが、もう荒唐無稽の夢が許される時期でもないのかもしれない、小5。
たとえは悪いが、駿馬と騎士が一体になって、早く走ることを徹底的に追求している受験のゲンバに、ノコノコ素人が、足の太い労働馬を持ち込むようなことをしてはいけない気がして、目が覚めた。

きっとP子には彼女にしかない、とっておきの「魅力」があるはずだ。……私にとってはすでに十分魅力的だが、それが誰かのお役に立てるような力になればいい。協力は惜しまない。子育て、私の趣味だから。
でも、都立中高一貫校にとらわれて、成績のためにカリカリイライラして勉強すると、勉強そのものが嫌いになりそうで、おかんはそれを危惧したりもする。
パズル解くみたいに、楽しく本を読んでいくみたいに、世の中の森羅万象を面白がれたら、それは地球に生まれた意味があるってもんだ。って、私、言うことがすぐでかくなるけれども。
おたく道を、もっちりむっちり、追求するもよし。
いろんな面白そうなところの上澄みだけをなめまわるのもよし。
どんなことでも、自分の居場所をちゃんと確保できれば、その人はその周りの人にとって必要不可欠な人になる。
自信を持って生きていければ、嫉妬とか復讐とか嫌悪とか、ネガティブな感情に惑わされずにすむ。
そうやって私自身、案外幸せに生きているのに、自分の唯一誇るべき多幸症の部分を、子どもに投影しないでどうするんだと、母反省。

こうして、経験値がまたひとつあがった!
まだまだ、がんがんいこうぜ!

2007年11月30日 10:02