2007年06月14日

小児病棟(しんみり警告)

小僧がらみで、成育医療センターにいってきました。 
とてつもなくでかい病院。都内屈指の、小児専門病院です。
明るく楽しい雰囲気で、バルーンアートあり、プレイルームあり、売店では輸入おもちゃあり。小僧なんか大喜び。

でも、かあちゃん、その明るさが逆になんかとっても切なくて。
みんなみんな元気になれ。苦しさを乗り越えるのに、この明るさは正しいんだと思いながら、これはなんでしょう、どうしたことでしょう、そこにいるのがつらかったんです。

うちの長男坊は都立母子保健院で、次男坊は国立小児病院で亡くなりました。
超未熟児でうまれてしまった、一卵性双生児。福助とそっくりな顔です。
どっちも、病院病院した病院でした。そこが統廃合される形で成育がでっかくなったと聞いています。
都立母子保健院で初めての出産をし、その子は最初から厳しい状況で、五日後に息を引き取りました。遺体を抱いて表玄関を出ることは避けてくれといわれ、亡くした当日に夫が買いにいった新品のおくるみを着せて、裏口から出て、葬儀のためにそっと車に乗りました。
何も知らない掃除婦さんから「おめでとうございます」と声をかけられて、ひどく動揺したのを覚えています。
助かると目されていた次男坊でしたが、半年後、一度も乳を飲むことなく逝きました。毎日面会に行っては、小さな小さな彼をなで続けました。彼の小さな爪を切ることだけが私に許された仕事でした。私の指をてのひらで握ってきた彼の小さな指と、めん棒で与えられた砂糖水をなめたときの彼の笑顔が忘れられません。それだけが、たぶん彼の幸せでした。一生で最大の贅沢が、砂糖水でした。
でも、手術に手術を重ねた国立小児病院は、薄暗い廊下で何時間もただじっと震えて待っていた記憶がもっとも鮮明なのでした。彼と過ごした時間だけを覚えていたいのに、暗い病院、寒い廊下、殺風景な保育器、臨終の瞬間、断片の記憶は残酷です。

私のような悲しい思いをした人が、これからする人が、この希望に満ち溢れた雰囲気の病院に、おそらくいるのだ。雰囲気が希望に満ち溢れていたからこそ、切なさが増したのかもしれません。
いや、どんな病院であれ、小児科の重症病棟というだけで、勝手に思いを馳せてしまって、胸が痛んだだけかもしれないんですが。

今、病の淵にある人が、少しでも楽になりますように。
愛する人たちがそばにいて、心地よい時間をすごせますように。
心から、祈ります。見知らぬ人であっても、同じ痛みを知る者として。

風邪をひいたらしくちょっとだるいけれど、こんなことでへたばっているわけにはいかないわ、かあちゃんは。と、思いました。
いつもいつも、天国の双子が私に元気をくれます。 本当に親孝行な子どもたちです。
もちろん、今生きてる二人の子どもも、とっても親孝行です。だって、元気に生きてるんですから。

2007年06月14日 17:46
コメント

ゆうこさんお久しぶりです。コメント復活ですね。
私自身、双子の片割れなんです。片割れは私と同じ顔で、出産時に亡くなりました。もう36年前ですが・・。なので私の誕生日はそのまま姉の命日になります。なのでゆうこさんの息子さんたちのことは人ごととは思えず、心に沁みます。
今日は息子の運動会でした。大きな行事に何とか参加でき、音楽に合わせて踊る我が子に鼻の奥がツーンとなりました。夫はまだまだ不満のようですが・・・。ホント子どもに感謝デスネ。
子どもってすごいな〜。

Posted by: めぐみん : 2007年06月17日 22:48

・・・泣きました。
こんないいかあちゃんで、双子ちゃんは幸せだったことでしょう。
砂糖水よりも、お母さんの暖かい手でいつもなでられていたことが、弟くんの何よりの幸せだったに違いありません。
頑張ろうね、ゆうこさん!
だって子供達、大好きだもんね。
子供が生まれる前から読者ですが、娘が生まれた今、ひときわ心に沁みる話でした。

Posted by: まめ : 2007年06月18日 01:55

子供ではなく、私の母の話ですが、
母が亡くなる前、最後に口にしたのは大好物だった白桃と巨峰の汁でした。
姉の友達もその時お見舞いに来てくれてて、母がかすかに「美味しい」と喋ったのを聞き、その友達がうわっと泣き出したのを思い出しました。
亡骸と共に病院を後にする時、とても言葉では言い表せない様ななんとも辛く寂しい思いでした。
(真夜中でしたし)
亡くなった後に出来た二人の孫を見ることなく逝った母ですが、私の事も私の子供達の事も、暖かく見守ってくれているでしょう。

Posted by: あんな : 2007年06月27日 22:04
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