2007年03月16日

明日、卒業式

卒業を前に、私は軽く憤っている。

幼稚園教育の現場には男性が不可欠だ。
チビ猿たちには、ボス猿がいて、初めて秩序が保たれる。遠慮容赦ない肉体派の遊びは、男性の教諭がやはり最適だ。そうして触れ合う中に、この人には絶対にかなわないという想いと、近づきたい、追い越したいという憧れが生まれる。そんな幼稚園時代は、男子には特に貴重だと思う。
けれども、現実は厳しい。
幼稚園教諭の薄給では、妻子を養うのは難しく、結局、結婚退職するのは、男性の先生だったりする。経験を重ねて、すばらしい指導力を発揮する頃、やめていかれるのだ。

小僧が通う幼稚園の先生方は、ふくらはぎが違う。
広い園庭と体育が盛んなため、女性教諭であっても、スポーツ選手並みの体力が要求される。もちろん、絶対音感をもっている方もいれば、折り紙工作の達人、手品の名人など、それぞれの持ちネタもすごいのだが、共通しているのは、どなたも20分の高座もといお話程度ならやすやすとソラで聞かせてしまうこと、そして人のお話をじっくり聞く姿勢を持ち合わせていることだ。それが園の方針なので先生方が鍛えられるのは当然なのかもしれないが、さらに鍛えたふくらはぎを使って、トンボ並みの広い視野でとらえた揉め事や怪我に対応すべく、先生方は常に走っている。
喧嘩なら、じっくりと両者の意見を聞き、お互いの立場を説明して和解させる。
この鍛え抜かれた「動と静」が、この園の真骨頂だ。
友達を大事にしない言動は厳しく律せられるが、仮にそうだとしても、「なぜそうしてしまったか」の気持ちを話させるところから叱責が始まる。それは、親にはとても出来ない、プロの技である。
そのやり方に慣れていたP子が小学校に入って、ランドセルの色が違うとからかわれ、毅然としていたら蹴られたという事件を訴えたのに、喧嘩両成敗と逆に叱られたことで「アンフェアなジャッジだ、信じられない!」と号泣したのを覚えている。
よくもわるくも、「世の中」というものを学ぶ場所が小学校なんだなあ、と覚悟が決まったものだが、人間関係の初手、基礎を培うなら、幼稚園生活において自分の言葉に懸命に耳を傾けてくれる大人と出会えたわが子は幸福だ。

そんな価値あるプロフェッショナルは、もっとその価値を認められていいのではないかと、私は憤るのだ。
力ある先生方には評価とそれに伴う報奨があっていい。役員などをやってうちの園の内情を知ってしまうと、先生方は奉仕の精神に近いものがあり、あまりに高貴な姿勢に頭が下がるばかりだ。
民間企業なのだから、企業努力を……と言うのは簡単だが、子どもは減る、公立との授業料の格差が大きすぎる、補助金申請の条件は厳しい、幼児をとりまく状況は悪くなるばかりだ。
やめていかれるのをとめられない、仕方ないと思う。けれど、すばらしい人材を失い続けるのは、地域の、いや教育の根底と考えれば、国家レベルの、大きな損失だ。
少子化の原因の根幹は、環境だ、不況だ、いろいろといわれるが、もっとも大きいのが、子どもを産んで育てることにとてつもない喜びがあることを、信じられないからだと思う。
こんな素敵な幼稚園ライフを送った身としては、「産めよ増やせよ」を自信をもって推奨したい。おかんほど素敵な商売はないといいたい。それが病気の子だとしても、そんなことはまったく問題にならないぐらい、母親業はおもしろい。
ラクしようとしたら、楽しさからは遠ざかる。
「補助も出すよ、ラクさせるから少子化対策で、産んで」という姿勢はどこかが違うように思えてならない。
それより、よりよい幼児教育者の確保だ。
たとえば、こんなすばらしい幼稚園に出会える喜びで、子どもがぐんぐん成長していく喜びで、もう一人二人、産んじゃおうか。と思う人はいっぱいいると思う。ほらね、国家的損失なんだよ、すばらしい先生を、特に立派な男性教諭を失うというのは。

福助以外にも、ボーダーにいる子、境界を越えてしまっている子がいるが、先生方には経験に裏打ちされた余裕があるから、どんな子も赦されている。そのゆとりが、うちの園の子達の、どんなお友達もまるごと受け入れるでかい器量につながっている。
そういうやさしさは、勉強して身につくものではない。誰かを支えることで、自分が成長する。そういうやさしさは、日常生活の中でゆっくり静かに注がれ、じっくり浸透していく。
そういうご指導をしてくださったのは、園の先生方だった。
周りに否定されない、受け入れられいてる安心感。そんなお友達に近づきたいという気持ちが、福助の大いに変貌した三年間になったのだと思う。
それは、子どもが最初にはぐくむべき、人間関係の土台の感情だ。
私の宝くじが当たったら、喬太郎師匠に着て頂く羽織代をひいて、ぜひ園に寄付したいものだが、あいにく私は宝くじを買わないから、解決策はみえないままだ。軽く世情に憤ったまま、卒業していかなければならない。

明日の卒業式には別の色無地を着ようと思う。母ヨシコが私の小6の卒業式で着たものだ。彼女は35歳だった。……43歳の私にはかなり派手目ではあるが、いいものは歳月を越えていい。
幼稚園もそうだ。いいものは歳月を越えるのだ。
最新設備はなくても、心がある、本当に素敵な園だった。
大切なことを全部教えてもらった、すばらしい幼稚園を明日、卒業する。
憤っているのは、実は、切なさの代替行為なのかもしれない。

 

2007年03月16日 22:24
コメント

私の母校の下部組織に
ttp://www.kokugakuin-jc.ac.jp/blog/column/kyoiku/
があります。ご参考までに。
[追伸]ご主人のブログ復活を祈ってます。

Posted by: B@a : 2007年03月17日 17:20

一部、読ませていただきました。興味深かったです。ありがとうございます。さらに読み進めます。

相方のブログ、復活しております。
私のところからも飛べますよん。よろしくお願いいたします。

Posted by: ゆう子 : 2007年03月18日 09:25
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