朝から風見しんごさんのお嬢さんの告別式中継見ちゃって号泣。
娘と同じ年。
P子がいなくなったら、私は生きていけるだろうか。
お嬢さんの生きた十年間はきっと一生分幸せの詰まった十年だったと思う。
そういう幸せな十年を与えたすばらしいパパとして、それまで意識したことなかったタレント(ごめんなさい!)の風見しんごさんが、私の中で、突然、評価急上昇している。
もちろん悔やんでも悔やんでも悔やみきれないだろうけれど、なんとなく「幸せ」って満期が来たら、「はい、終了です」と、天国に連れて行かれちゃうような気がしている。
ささやかな幸せが、ずるずる長く続くタイプと、強烈な幸せがどーんと来ちゃうタイプと。
運ってあるとは思うけど、その総量は人が一生食べる分のご飯が決まっている程度の誤差で、そんなに変わらない気がするんだ。
無責任な言い方で恐縮なんだが、大事なのは生きた長さではなく、その内容、生き方なのではないかと思えて仕方ない。
人からとっても愛された人は、神様からも愛されてしまうので早く逝ってしまうという慰めの言葉があるが、私の周りの早逝した人はみな、とてつもなく愛されていたものだから、ちょっとそんな風に思う。
私には双子の息子がいて、1人は生後五日で息を引き取り、もう1人は生後四ヶ月で亡くなった。
二人とも乳が飲めるほど大きくはならなかった。ちょっと長く生きた方は、多分、砂糖水をめんぼうに浸したものを吸う時間だけが、一生で最大の喜びだったと思う。私のてのひらの上で息を引き取っていった彼らが私に与えた喜びと悲しみの大きさは計り知れない。私の中で存在すら危ぶまれた、錆びついて開くこともないと思っていた「人を愛する」というスイッチをオンにして一気に天国に駆け上ってしまった彼らに、私は与えられるばかりだった。では、私は彼らに何を与えてやれたか。
彼ら自身の喜びを考えると親として苦しくてならない。苦しみだけを与えたのではないか。今も私を苛む消えない過去だ。
そんな想いを経てP子や福助を授かったのに、不器用な私は、子どもたちに限りない愛とおなかいっぱいの幸福を与えている自信がない。
縁もゆかりもない方のことを語るのは僭越だが、愛情たっぷりが垣間見える風見さんは親として立派だったと思うし、加害者を責めない姿勢にも打たれる。私はこれからアクセルを踏むとき、ちょっとだけお嬢さんのことを思い出して、安全運転を心がける。何千人というドライバーが、きっと安全運転を心がけるようになる。お嬢さんの偉業だと思う。
心からご冥福を祈りたい。
昨日サッカーの試合で振るわなかった息子が突如「引退」を表明してしまい、夜中、それまで耐えていたものが堰をきったように大泣きして、それについて書く予定だったのだが、急遽予定を変更してお届けしました。それはまた、今度。
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