おばちゃんはさ、
という人称が、いつの間にか「私は」になっていて、それに気づいた瞬間、ああ私この子と友達。と思った。
対等になれるんだな、ということにびっくりした。
彼女の話をもっと聞かせてほしいと願ったし、私の話も聞いて欲しかった。時折、まだ出会って間もないのに、とか、初めて会ったのに、急速にその人が親しい友人になる感覚というのがある。惚れる、というのに近いのかもしれないが、まさか私が三十年もトシの離れた少女に惚れるとは思わなかった。
子どもというのは、話をきいてあげるものだし、話をしてあげるのだと思っていた。大人が、調整して相手に合わせる。
そういう意味では、子どものままの大人のなんと多いことかと思うが、私もまた偏屈なので人のことは言えない。
ところが、このお嬢さんは、娘のお友達にして、精神的には私より大人かもしれなかった。
急いで大人にならなければならない事情か、あるいは持って生まれたものなのか、私は彼女をもっともっと知りたいと思った。そしてテレビを見ている娘を尻目に、夢中で話し込んでいた。
彼女の背景や置かれている立場を完全に理解することはできない。親と自由に会えない、というのは、小学生にはなかなか厳しい状況だろうが、自由すぎる親と気苦労を抱えながら過ごしてきた身としては、想像はできてもおそらく共感することはできない。
「かわいそう」
言葉にすれば実に陳腐だ。だが、なんというか、彼女に一番似合わない言葉だった、「かわいそう」って。
だって、彼女は知っている。事情はかわっても、両親に今もとてつもなく愛されているという事実。過去形になったとしても、その愛や共に過ごした時間は心の中で不滅だということを知っている。世間体のためだけに冷え切った家庭で息を凝らしてずるずると長い時間を過ごした少女時代の私が、彼女を羨望した。ちっともかわいそうじゃない。彼女はカッコイイ。
私が大人でよかったと思うのは、そこに嫉妬せずに、もっと彼女を知りたいと思えたところだ。
クール&ビューティーな彼女への、親としての愛し方を、学びたい盗みたいと思えたところだ。
家族の楽しい時間を満喫した経験というものが、人をこんなに高貴に支えるものなら、私は親としてもっと日常を大事にしなければならない。
P子はまだ幼すぎるほど幼いが、それでもどんどん大人になっている。 まだ対等までにはかなり距離があるが、すでに私を凌駕する部分もある。愛し方は変わらない。だが、付き合い方は、考えていかなければならないのかもしれない。
ステキな出会いになって、うれしい。私の、多分もっとも若い友達だ。春休みには、P子と女三人で、ライブにいこう。
私はそのお嬢の母親と父親に、最大の敬意を表する。
産めば誰でも親にはなれるんだが、いい親になるのは至難の業だ。親業というのも、なかなか奥が深くて業も深そうで、おもしろいもんだなあと思う。
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