首がまわらない。
借金も、おうちのローンは気が遠くなるほど莫大だが、とりあえず自転車操業でも相方はしゃかりきにこいでいるため、なんとかなっている。
比喩でなく、首がまわらなくなった。
今日も今日とて楽しい時間を過ごし、るんらるんら鼻歌交じりに私は坂道を自転車で登っていた。対向車線側だったが、滅多に車の通る道ではなし。
時間をみようと携帯に手を伸ばした瞬間、
一台の暴走自転車がっ!!
対向車線の歩道ぎりぎりいっぱいでなぜか私の方につっこんでくる。「あーっあーっあーっ」とジジイが叫ぶので、とっさに右側にハンドルを切る私、正面衝突は免れた! が、あっ、電柱だ。と思うが早いか、激突!
体が宙を舞った。
ああワンセグが割れる!ととっさに左手で腹に。コンクリにたたきつけられたのだから、ゴム鞠のような体でも痛いはずではある。しかしショックの方が大きくて、痛みは全く感じなかった。ショックで立ち上がれないだけ。びっくり。
急滑走してきたジジイは、かなり向こうで止まったらしい。「大丈夫?」と言ってるので、「はい」と答える。
私が悪い。
でも、そのジジイは手を貸すでもなく、「自転車は左側通行でしょー。左によけるんだよ。左側通行でしょー!!」
と何やら再三怒鳴っている。
道路に座り込んでその声を聞いていたら、無性に腹が立ってきた。
じいさん、ひやっとしたぐらいで何の問題もなかったでしょう? 第一何でそんな遠くから怒鳴ってんの? じいさんがそのまま直進するなり、臨機応変に車道側(右)にふくらんでくれるなり、あるいはブレーキかければ問題なかったのに、じいさんが突然左側、つまり私側につっこんできたから私が右側に押し出されて電柱にぶつかったんだよ。わかってる? しかも、痛いのは私だけなのよ。対向車線側走っていたのは私だから謝らなくてもいいけど、それ以上私を責めるな。怒鳴んないでってば! ……ええーい、うるせぇよ。
と言いたいのだが、声が出ない。まだ立てない。
じじい、左側通行、左側通行といううち、どうやら自分の過ちに気づいたらしい。突然、
「車だ。車の左側を走りなさい。わかったかね、車の左側を走りなさい」
と命令しだしたので、私は「はい」とだけいって自転車に乗った。
どこも痛くない。受け身は完璧。実のところ、私がルールを遵守して車の通らない道でも左側通行していればこんなことにはならなかったんだと思うが、礼儀に欠くのを承知で、もう、じいさんに謝る気にはなれなかった。
ああんもう、楽しい気分が台無しじゃないか。と、それでも大急ぎで次の場所に。
ゴハンも食べて、さぁて寝ようかなあという段になって……。
首が痛いのだ。
しかも、全身、ものすごく痛い。なんだ、これ? 8時間たって、きいてきたの?
効果、遅すぎない?
明日はどうなっちゃうんだろう。ちょっと心配。交通事故の後遺症って、こういうことをいうのかと納得する。相手が車とかバイクでなく、坂道急滑走するじいさんのチャリ本体でもなく、電柱でよかったと思う。そして、これから、相手があったらどんな小さな事故でもちゃんと警察を呼ぶ必要があるんだなと思った。いつ後遺症が出てくるか、わからないもんね。
寸前でブレーキをかけたらしく、右手の変なところが筋肉痛。
でも、ワンセグは無事。予想外デス。
先週の話。
喫茶店で一時間半、コーヒーでミニオフ会をした。
ずーっと前からあいたかった人に会えるのはなかなか感激だ。
「夢じゃないんですよね?」
と自分の顔をひっぱってみたら痛かったのだが、なぜ私は妙齢の、体格も人格も大型な独身男性の前で、会うなり「顔だけスライム」というか、大福餅のようにムニーッと頬を引っ張ってみたりしちゃったのだろうかと思った。
いやーん。
でもおばちゃん、十代の小娘ならくよくよして夜眠れなくなりそうな出来事でも、頑丈だからくじけないわ。ホイミホイミ。
お話楽しかったぁ! 百万の援軍を得た思いになれたぁ! ついでにコーヒー美味しかったぁ! 御馳走して頂いたぁ!
おばちゃんはおばちゃんとして、若い男子とお話しするとウキウキします。心が燃えると、体脂肪も加速度的に燃えていくような気がします。
若い男子はもっと私を誘ってくれればいいのになあ、とちょっと思った。
それは無理。え? 空耳?
大会の朝、夜更けに止んだ雨は空気を少しばかり冬の気配にしたけれど、予報は曇り。そして、この曇り空は徐々に薄日がさすような、期待の持てる雲の厚さだ。私はワクワクしながら目覚めて、窓を開け、すぐに嬉々としてお弁当(と、相方のご飯)をつくり始めた。
気合いが入っている日は卵焼きもものすごーく上手に焼けたりして、昨夜から用意していた飲み物の凍らせ具合もバッチグー。万一のための氷のパックもある。タオルも大中小、渇いているの濡れてるの。着替え、医薬品、所定の持ち物、すべて完璧にして、子ども達を起こす。
あと数分で友達の車が迎えに来てくれるなあというそのとき、電話が鳴った。
「おっはよーっっっ。鈴木でぇす」
日曜の早朝、それは同行する友達以外あり得ない。と、思っていたら、それは別人の真っ暗な声だった。
「本日、雨のため大会は中止になりました」
「え? なんで? だって雨止んでるよ?」
とにかく決定事項だし、すでに出発している人もいるから無駄口を叩いている暇はない、すぐに連絡網をまわせと叱られた。
私の後は、同じ幼稚園のママ友かおりんだ。電話をかけると、
「はーい、Wでぇーっす」
と、異様にハイテンションな声の応対。まあ、休日のこんな早朝にかけてくるのはたいてい試合がらみの何かだと思うようで、その声を聞いた途端、私も真っ暗な声になった。ああそうか、人に告知するときに現実は初めて現実になるのか。
「おはよう。鈴木だけど、大会中止だって。雨で」
「なんで?」
「だから、雨で」
「え? だって、止んでるよ?」
……まるっきり同じリアクションにちょっと笑って、事情を話して電話を切った。
今日、一日、何をしたらいいの? と思う八時前。化粧済み。応援Tシャツを脱ぎながら、電車だったらもう出発していたはずだから、自宅で電話を受けられただけ、ダメージが少なくてよかったんだと思うことにした。
その後、事情を話してテレビゲームを解禁にしても、おさまりがつかないのが福助である。
気合いは乗りまくっている。
夕べのうちに干してしまった洗濯物をベランダに移したら、薄日が差し始めた。お手伝いしながらいよいよもっておさまりがつかない福助。
そこに朋友・サンタ(仮名)からお誘いがあって、昨日見学に行ったFCに、再び参加することに。サッカーで走らせるしか、福助を納得させる方法はない。また鬼監督にご挨拶し、仲間にいれて頂いた。
鬼監督、昨日聞いた話(聞きようによっては自慢話?)をひととおりされたが、あとは実に愛情深く指導して下さる。今日はパパさんコーチもいらしていて、みなさん熱心だ。この熱心さは愛である。と思ったら、こう、打たれちゃったりもするんだ、私。
今日は子どもだけで作戦を練り、子どもだけで試合をする。
試合中はコーチも審判するだけで、とやかくいわない。
小三のチームに入れて頂き、福助、孤高の与作システムだったが、ゴール前に毎回つめてつめて、はってはって、クリアミスのチャンスをモノにしての1ゴール。ちゃんと福助は自分のスタイルを貫き通すんだなあ。サンタはその前に一点、つぶされても必死で守りきり、立派なアシスト前のパス。U-6軍団、勝利にちゃんと貢献しているのである。
ハーフタイムの後、後半からは小三のキャプテン、福助とサンタをバックスに指名。ははは、ある意味、わかりやすい。
そのあとも福助、闘莉王のようにかけあがり、得意の速攻ボレーシュートを2本放った。すでに我が軍の小三2トップが三点を上げており、キーパーはパパさんコーチだったためがっちり止められたが、U-6軍団には味方、誰もパスを送り込んでこないし、ゴール前に走り込むとバックに戻れよと先輩に怒鳴られていた割に、ポジジョンの意味もいまひとつわからないまま、二人ともよく闘っていたと思う。
小学生の練習に出られて満足そうなU-6の二人ではあったが、半袖を着ていても暑いような中で練習を見ながら、私はなんで今日が中止なんだよと大会開催者に毒づいていた。
彼らの冴えた動きは、今日のために準備して気合いを乗せていたからだ。ああん、大会だったら!! 残念だなあ、優勝候補だったのに。自称だけど。
グラウンドコンディションがわるいから? 主催者はきっと、サッカーは野球と違ってオールウェザーのスポーツだということをご存知なかったのでは? 福助は発散したからいいが、私もP子もおさまりがつかないよなあ。と、思っていた。
そして帰宅後、久しぶりに「塊魂」を30分やったら、初めて3D酔いして吐きそうになった。思えば、昨日、数時間しか寝ていなかったのである。喉も痛いし、声枯れは治らないまま一週間以上過ぎている。ああ、福助を学校のFCに預けて、応援してないで昼寝すべきだったのである。
リビングで横になっていたら、P子が頭痛と吐き気を訴え……なんのことはない、多分風邪だ。私たち。試合で吹き飛ばすはずが、悪化したんだ。
いや、都心の大会、その後都内で遊ぼう計画は頓挫して正解だったのかも知れない。
明日からまた、ものすごーく過密な一週間が始まる。
……なのに、なんでこんな時間まで起きているのだ、私は。
トレセンは小四から声がかかるらしい。
トレセンが何の略であるかは忘れた。ハリセンは痛い。マイセンは高い。感染は怖い。疥癬はかゆい。ではトレセンは?
ネットで得た超おぼろげ知識によれば、推薦枠のあるクラブに所属して資格を持ったコーチが推薦すると、チームで一人二人、選ばれる(らしい)。その子たちが各市区町村で集められて、今度は都道府県レベルに絞られ、さらにそこから選抜されて、選抜され続けて、日本代表に近づいていく(らしい)。
事実関係違っていたらだれか訂正お願いします。
すげぇ巨大な規模のイスとりゲームなんだなあと思う。
大半の子どもの「大きくなったらJリーガーになりたいです」という夢は、叶わずに終わるものなのね。
宝くじみたいなものだ。ま、それでも夢見なければ始まらないわけで。
都内にはJリーグの下部組織有り、技術を教えるコーチングスクールあり、クラブチームあり、公立学校のFCあり。福助には近隣でも選択肢が9こもある。
で、いろいろ見て回っているんですよ。
正直、飛び級だのトレセンだの格上だのうっとりする言葉をささやいてくれる有り難いところもあり、ちょっといい気にさせて頂いたりもしましたよ。でもね。
ワタクシ、まちがっとりました。
ははは、何がトレセンだ。
今日、某公立小学校のサッカーチームに見学に行き、勘違いを痛感した。
まずね、グラウンドが普段の三倍以上あるの。練習でヘディングもボコボコやるの。練習試合にはポジションもオフサイドもあるの。体育会系だからコーチの言うことも厳しいの。
U-6って、別のスポーツじゃーん! ぬるい。
で、福助、小二チームに入れてもらったものの、結局、まったく球にからめず。
トレセンなんて口にするだけでおこがましい。止められません、打てません。ただもう走って、へいへーいへいへーい言うばかりで、お前は与作か! 与作には誰も球回しません。俺が俺がのチームの中で、福助一人アウェイ状態。コードネーム<与作>。
楽しくサッカーするのはやっぱダメですかねぇ? 楽しむためにはやっぱり厳しさも重要、と。トレセンを何人も輩出している名監督のご意見を拝聴しながら、心の中で「ごめん、体育会系、おかんがついていけないかもっ!」と思っていた。
40分集中して、足を止めずにいいポジションどりを心がけて動けたのだから、球に絡めなかったことはたいしたことではないのかも。
と思ったり、けど球触らなきゃダメなんじゃないの? サッカーなんだし。チャンスは何回かあったのに!
と思ったり、つかドリブルもシュートも一本もない試合って、初めてだ……。
と思ったり。
もう、帰ろうよ、おかん楽しくないよ、寒いよ、きゅー。←なんの生物?
試合終了で、練習終了。
さあ、ぼかすかシュートが入る、ゆるゆるのU-6の別世界に戻ろう。
あ。明日は大会なのにひょっとして自信なくしたんじゃないかしら。と、にわかに心配になり、
「今日は体の大きさの差がありますから結果は気にしないこと。うちのチームは強いですから、今日の出来にくじけることはないですから。幼稚園児であれだけ走れれば、その積極性と意識と足は、充分評価できると思いますよ」
と、コーチにいわれたから得点出来なかったことは、あのね、あの、ちょっと聞いてる? へいへーい、与作、カマーン! って、なんか一人で上気している福助、人の言葉なんか聞いちゃいないし。
「いやー、楽しかったー!! 大きなグラウンドはいいね! ちょっと後半足が止まったけど、いい動きだったでしょ。何度もオトリになってたし。ああよかったなあー。おもしろかったぁ!」
にっこり笑顔でスキップして帰りやがった。
誰も君をオトリだとは思っていなかった気がするし、そういうのをおかんの故郷ではオミソと呼んだ気もするのだが、ゲームで球に触れなくても、そうか、サッカー、そんなに好きなのか。
その気持を持続し続けられる、いいクラブがみつかるといいな。ゲームで活躍出来なくても、選抜なんかされなくても、サッカーが好きだ、サッカーは楽しいという気持がずーっと続くような。
ええーっと、もちろんいいんですよ、今日見学したところの技術は高度だし、すばらしいチームだ。ここに所属できれば大変光栄なことだ。しかし、できれば体育会系じゃないといいな。おかん、どうも苦手みたいだよ、本物の体育会系。福ちゃん目立たないし。きゅー。
幼稚園に送る→学務課に資料をとりに行く→洗濯物干し→簡単に掃除と洗い物→相方の昼食用意→小僧をお迎えに→芋掘りでドロドロなのでシャワーをあびさせて→就学時健康診断のため小学校に→くもんへ→FC東京Jrの練習体験に→いつものサッカースクールに→P子を英語学校に→福助ピックアップ→P子ピックアップ→お弁当かって帰宅→入浴、就寝。
よし、今日の流れが頭に入った。レッツゴー!
今日、お弁当伝説がまたひとつ生まれた。
今日のお弁当はカロリーメイト、ゼリータイプ。お前はNASAか?
きっと年少組の子は意味などわからず、おかあさんに「ふくしゅけ君、10秒飯」なんて報告して、ああゆう子さんのことだから寝坊したのねきっと。と、思われているに違いない。
何しろ、私はP子に、フタをあけるとドーンとはるさめ一品という弁当を持って行かせて、偶然居合わせた他のおかあさんから「あれじゃP子ちゃん可哀想。茶色すぎ」とダメ出しをされた伝説の人なのである。
P子の時は純粋に喜ぶと思っての過ちだったが、今日の福助には正当な理由があった。
はしゃぐと子どもはジャンプしたがるものだ。
野生の血なのか、あれは?
福助、昨日はお友達が遊びに来てくれて、大はしゃぎだった。そこにもってきて、母が今日は父不在だしと外食を提案したものだから、一人で興奮のどつぼに。
店先で子どもだけ車からおろし、母は駐車場、子ども達は三段跳びで階段を入り口めがけて上がっていった。
母、遅れて店に到着して驚いた。
福助、舌に穴が空き、血まみれになってんの。
はしゃいでジャンプして、会計の台で下あごをしたたかぶつけて、舌を噛んだのだという。
出血大サービス。でも、お店の人誰もケアしてくれず。そこにもかなり驚きつつ、たかが回転寿司ごときでこんなにはしゃいで、と、ちょっとふびんに思う。
でもまあ泣いていないし、本人も絶対に食べるというし、何より腹ぺこだったので、席に着いた。
福助、タオルを口に当て、さび抜き皿を積み上げるが、まったく血が引かない。
P子も私ももりもり食べて
「はしゃいじゃって失敗だったねぇ。ああ、せっかくだったのに残念だねぇ……あ、みなみまぐろがうまいよ」
なんてなことを話しながら皿を重ねる。
お店ではしゃぐことはやってはいけないことと言い聞かせてある。それを破ったのだから、自己責任だ。福助は流れる皿を睨みつつ、納豆巻きを特注した。
そろそろ母の腹が八分目になった頃、小僧、止血してヨダレに変わるも、まだいたくて水も飲めないという。
「寒い、寒いよ、おかあさん……」
福助だって、友達と力の限り遊んでいて、しかもそのあと片づけと掃除まできちんと手伝ったから、腹ぺこなのだ。あんまりにも可哀想なので、いや正直に言えば、P子と私のおなかもいっぱいになったので、帰ろうということになった。
福助の前に並んでいた福助の食べたかった寿司(主にマグロ)を土産にして、ひとまずソフトクリームを食べさせてみたが、痛くて食べられないことが判明。小鳥に餌をやるように、上向きにして喉に流し込むが、それでも痛いという。なんか重症みたいね。帰りに薬局に寄り、流動食をしこたま買い込んだ。
……高くついた回転寿司だなあと笑い飛ばして、買った流動食は車で、帰宅後に、はちみつと高カロリー液を流し込んだ。来週は試合がある。調整、間に合うんだろうか。この摂取カロリーでサッカーなんかしたら、小僧は虐待飢餓児童並の体になってしまう。
そして、今朝の朝ご飯も、お弁当も、流動食。
楽でいいかも……。こらこら。
幼稚園で午後、ハロウィンパーティーがあり、小僧も上手にtrick or treatなんて言って、お菓子をたくさんもらった。外国人が来て、なんだかとっても楽しかったらしく、こどもたちはやっぱりみんな興奮のあまり、ジャンプしつづけていたのだった。
帰って、ああ今夜もまた流動食かなあと思っていたら、小僧、こっそりハロウィンの菓子袋から菓子を取り出して、もさもさ喰っているではないか。
「え。もう食べられるの? 痛くないの?」
と聞いたら、バツの悪そうな顔で、
「痛いんだけど、おなか、すいちゃってさぁ……」
まあよかったよ。おなかがすいた方が痛みに勝つなら、それはそれで回復だ。treat and treat!
って、別に治療、何もしたわけでなく、自然治癒力だけどさ。
で、夕飯は、どんぶり飯にしたのだった。
それにしても、子どもっていうのはどうしてこう、興奮すると跳ねるのかね。
「うわあ、すごくできた息子さんね。こんな子が欲しかったわぁ」
と、スーパーマーケットで褒められた。
福助は買い物を手伝うのがうまい。
子供用カートから買う物をかいがいしくレジ前に並べ、カートをさっさと片づけて、袋つめもすれば袋を持つのもやってくれる。
その姿を見ていた知らないおばちゃんに突然頭を撫でられて、びっくりする福助。でももうフリーズはせずに、恥ずかしそうにうつむく程度だ。知っている人から抱きしめられてさえ、パニックを起こしていた福助が。
買い物は教材だった。人の指示が聞けるようになれば、福祉枠でも就職ができるはずだと思って、スーバーには必ず同行させた。
「きゅうりをください」
最初は私がクレーンのように福助にきゅうりをつかませる。
「物には名前があるのよ!」
気分は、サリバン先生である。ヘレン! うぉぉぉぉぉ。
きゅうりをカートにいれるまで、何度でも何度でもくりかえす。
指示が聞けるようになったら、今度は何本。何個と課題を強化する。
それができるようになったら、何個、もとい、何個戻す。という訂正の指示出し。
札の文字を読ませる。値段を確認させる。
もちろんうまくできれば頭を撫でて大絶賛だ。
野菜コーナーで野菜を買います。角を左に曲がります。レジではお金を払います。と、いちいち行動を言葉にして、言葉をたたき込む。欲しい物をひとつだけ買ってあげるのだが、OKなものとNGな物があり、どんなにダダをこねようと、指針は絶対に揺るがない。ダダをこねつづければおかあさんは彼を店の外に放り出し、置いて先に帰るということになっている。ダダはこねない方が得ということがじきにわかってくるのだが、わかるまではそれはもう……。
その特訓道場で「こんな息子が欲しかった」とまで言われた。
なんとなく、「合格よ」といわれたようで、うれしかった。
格闘の末、手に入れた素晴らしい息子である。
でも、それは表面的なことだけで、要は社会適合性があるフリ、真似の部分だ。
昨晩は、「つるの恩返し」よひょうとつうVer.をお送りした。寝る前のお話タイム、これは福助のリスニングトレーニングである。
これは一度舞台を見ているので、夜の寝る前ストーリーにしては熱演だが、同じなぞるにしても素人落語よりはずっと楽だ。
話を聞かせることに意義がある。だから、常動運動が始まったときには、福助にむかってお芝居をしなければならない。短めのわかりやすい言葉で。それも迫真の演技で。気分は北島マヤである。
他の方には決してお見せ出来ないあたりは、つうの気持が痛いほどわかるわ。
福助、寝る前クイズは満点で気持ちよく就寝……と思ったら、娘の感想を聞いていて、自分も感想を語り始めた。
「怖かった。でも、つうがお空に行って、さみしい気持になった。よひょう、さみしい」
そしてなんと、ぽろぽろ涙をこぼすのだ。
「共感」ではないか。苦手と言われる共感が、彼の身に生じている。人と人のコミュニケーションの根幹。これは真似だけではどうしようもない部分だった。
以前から、ひょっとしてこいつは共感しているけれどもただそれを言葉にできないだけなんじゃないかと思っていたのだが、やっと「表現」することがわかったのだと思う。聞き言葉から意味を探る力が、やっと追いついてきた。
これまた合格、と、どこかで鐘が鳴っている気がする。
今夜はオズの魔法使いにしようかな。
心のないロボットのように思われている福助の病気だが、誰よりも心が欲しかったのはロボット本人だったではないか。オズに行くことで、彼は心を手に入れる。勇気はサッカーで培った。智恵はくもんがなんとかしてくれる。
おうちほど素敵な場所はない。福助の旅は、終わりに近づいているのかもしれない。
「ごんぎつね」の朗読で泣き出した私をにやにや笑って見ているお人の悪いP子、もとい客観的かつ冷静さを旨とするP子よりももしかするとずっと、感受性が豊かに育っている福助を見ていると、困難だった昔を忘れてしまいそうになる。
孤独な子育てに陥りがちな発達障害児を抱えるおかあさんたちに、努力を強いる気はない。だって本当にイヤになることもたくさんあったもの。
でも、イヤになって、自分もわーって泣いて、泣いて泣いて、出口が見えないことに苛立って、当たり散らしたり、やけ食いしたり、お酒がんがんいっちゃったりしても、ちゃんと寝て、ちゃんと食べたらまた元気が湧いてくる。わーってパニックな時には見えなくても、少し冷静になって見れば、すぐそばに必ず一緒に闘ってくれる仲間や、支えてくれる人がいる。
夢は大きく目標設定は低めに。そして、まずはあの場所まで。そこについたら、次はあの場所まで。そうやって、オズを目指してもいい。天竺でもいい。
行くだけ行ってみようと思ったら、その旅を楽しもう。苦行や修行のためにバックパック背負う人はいない。楽しむために行くのが旅だ。見えなかったことが見え、わからなかったことがわかり、その子育ての旅は母親をピカピカに磨いてくれる旅でもある。
そうこうしているうちに、きっと、とりあえず設定したゴールには近づいてくるはずだ。
診断名があるために、小僧にはいつまでも病気がつきまとう。でも、そんなこと関係ないぐらい、小僧は今、健全に生きている。
ちゃんと六才児として合格だ。
親ばか高下駄をはかせている気もするし、別にここがゴールというわけでもなかったんだが、いいのいいの、私の中では立派に合格気分なので、満喫だ。
一歩一歩、前に行こう。焦らなくても、一歩分は確実に、前に進んでいる。
本日、聖地・国立競技場で、小僧はサッカーの試合をしてきた。
JFAキッズU-6サッカーフェスティバル・ユニクロキッズ!in 国立競技場である。
芝生はふさふさして、緑が濃くて、気持ちよさそうだったが、サポーターは芝生には触れられない。
まさに選手だけの特権。今日来ていた大量のサッカーキッズの中から、この芝生を実力で踏む者もきっといるんだろうなあと想いながら開会式をスタンドから見た。米粒よりも小さく見える我が子なのに、ちゃんとどれだかわかる。これが、野生のカン?
「おかあさん、誕生日だね。プレゼントは何がいい?」
ときかれたので、
「お誕生日ゴールがいい」
と言ってみた。いやなプレッシャーをかけたかと不安に思いながら、試合前に今日は何点とりたいですか? とインタビューしてみると、
「三点」
と答えてしまう辺り、ものすごーく子どもらしくていい。
第一試合、挨拶の時にあくびをしている。
国立のピッチで、あくびか……。大物なのか、バカなのか。ホントに大丈夫なのか。
わずか10分間の試合、小僧、いきなり全開で走りまくる。息をのむ攻防。声を限りに応援して、まずはドリブルから一点。危ないところの守備も完璧。何しろ、倒れない。ボールもとられない。走って味方に指示して、残り数分、絶妙なセンタリングをボレーで仕留めた。
うおぉぉぉぉぉぉ、かっこいいぃぃぃぃぃぃ。本当に私の子なのか?
第二試合はベンチに。迎える第三試合、サイドはひらくは、パスは回すわ、スペースは作るわ、この子達ってばいったい……。と、ひょっとして銀河系一強いかも知れない6才児軍団をうっとり見る。(はいはい、親ばかぶりも全開ですよ) 。一点目をリン(仮名)がかる〜くドリブルで運んで左サイドから入れ、二点目はリン同様、福助が相手の股抜きを含む数人抜きのドリブルで、真正面から。そして、三点目は福助がゴール前で囲まれて、しっかりフォローに来たサンタ(仮名)にパスをまわし、ディフェンダーの意表をつくゴール。
そのあと、福助足を痛めて交替したが(フィジカル弱い)、死にものぐるいで走り続けるチームメイトの闘いぶりに、やはり声援を送り続けたため、私の喉は完全にやられた。
団子サッカーといえば団子サッカーなのだけれど、なんかこう、圧倒的に熱い団子。たかが子どものサッカーなのに、気がふれたようになってしまうわ。ちょっと盛り上がりすぎを反省。
その後、母ヨシコも一緒にゴハンをたべて、ごんごん飲み、フラフラで帰宅。娘のマッサージ券を行使したらもう、夢心地でした。P子、今日は脇役なのに渋い味わい。P子のえらいところは、自分が自分が、と出てこないところだな。引くべきところの空気の読み方が、ものすごくうまい。うう、Pちゃん、マッサージの腕があがってるよぉ。地味だけど、かあさんにとっては嬉しくて仕方ない。
「なんだよ福助、ゴール後のパフォーマンスはしなかったじゃん?」
と、ちょっと意地悪く言ってみたら、
「それどころじゃなかったんだよねー。すぐ攻めてくるチームだったでしょ。でも、おかあさんとの約束守ったよ。三点いれたよ。お誕生日、おめでとう」
と言われて、私は銀河系一、幸せ者! と思いながら福助を抱きしめた。
三流女子大中退の私に才能が一つだけあるとすれば、それは幸せを知る才能だ。
それだけは決して枯れることがなく、誰かと競うこともなく、益々精度をあげることすらできる、無敵の武器だ。
夕焼けがきれいだと、小僧は私を大あわてで呼びに来る。
私が何を喜ぶのか熟知している小僧は、まるで忠犬ハチ公のようだ。
そして二人で、娘が帰ってきていれば三人で、私たちはただ夕焼けを見るためだけに広い公園に行く。手をつないで、歌を歌ったりもする。だらだらしゃべり続ける子ども達のエンドレスな、時にわけがわからなくなるおしゃべりは、耳に心地いい。目の前には大空のレビュー。
暗くなってくると、子ども達は私にくっついてくる。
そしてまた、手をつないで家に帰るのだ。
さあ、おうちに帰ろう。おうちに帰って、みんなで一緒にゴハンを食べよう。
これは、誰にでも平等に与えられている、一日の終わりのご褒美だ。
相方と結婚したときに、私は夕焼けがこんなに美しいことを初めて知った。
忙しくて夕日を眺める暇など、なかったから。
一緒にいくつもの夕焼けを見て、ただ何も話さずに暗くなるまで、手をつないだままそこにいる。なんのために生まれたのか、この先どこに行くのか。ずっと漠然と不安だった生きている意味の答えが、そこにあったのだと思った。
たいそうな意味など、ない。という意味。
ただ私がここにいて、幸せだという感情。
存在する、それだけでありがたいと思う感覚。
それが一番大事。ただ、私がいること。ただあなたがいること。太陽は昇り、また沈み、また明日がくるけれど、何も不安がることはない。今日のように、きっと明日もただ幸せな私がいて、その幸せを分かち合うあなたも、きっといつもそばにいてくれるのだから。
晴れた日は一緒に夕焼けを見よう。
そんな安上がりな幸せが、子どもにも伝わっていけばいいと思う。
どんな時でも、どんな境遇でも、地球が終わりでもしない限り、夕焼けはそこにあって、ただ一緒に夕焼けをみるだけで私をしあわせにしてくれた、それぐらいアナタの存在には大きな意味があって、アナタは私にとって誰よりも大切なんだよということを、子ども達が覚えていてくれたらいいなと思う。
心ない人が、小僧に対して差別的な発言をしていると聞いて、悲しく思う。
そんなこと、私に言わなくてもいいのに。
聞こえないものはないこととして生きていけるのに、と、申告してくれた人の親切心も少し疎ましく思う。
娘が、どんな思いで小僧の病気を友達に告知しているか。小僧が入学してその場で生きて行きやすいように、娘は娘なりの判断で友達をひとりひとり味方につけようとしている。
自分の子どもが、小さな弟のために死にものぐるいで笑顔を作って、しゃにむにがんばっていたら、どうだ。そんなことが出来る娘を、私は誇りに思う。そこまで想像できれば、きっと娘の話から小僧の病名を聞いておもしろおかしく変なことを言って平気な親たちは、やがて自分を恥じるだろう。
「周りには告知する方がいい、その方がみんな絶対に、私のことも福助のことも助けてくれるから」
と、堂々と人の善意を信じて行動する娘の意志を、周囲の大人がわかってくれたらいいと思う。
そしてP子と福助のために、私には何ができるのか、一生懸命考えよう。
今日は夕焼けがなさそうだけど、曇りの日もあって、晴れの日がある。
晴れたらまた夕焼けを見よう。
私たちは最強だ。どんなことがあっても、おかあさんはP子と福助と、おとうさんを愛している。
夢のようなメールを受け取り、そのあと、別件で元気が出まくるメールを頂き、なぜか読者の方からもうれしい感想が届き、さらに旧友から心温まるメールが飛び込んできて、めきめき元気に。今日はうれしいメールの日。
こんなとき、言葉の持つ力を実感する。
だから、私が書きちらかしているこんな言葉たちも、もしかして力を持って、読んでくださる方に届くこともあるのかもしれない、と思うと、とりあえずPCに向かおうという気になっちゃうんだけど、いかんせん今日は眠すぎる。
また、知らないうちに、ねむねむ弾を打ち込まれてしまったのかもしれない。確か動物園の猛獣って、健康診断のときにドゴンと打ち込まれて眠らされるのよね?
うー、何で毎日、たっぷり寝てるのにこんなに眠いのか。
そんな状態でこんなこと言うのもなんだけど、この万華鏡を覗いてくださっている方に、改めて、ありがとう。よく知っている人も、見ず知らずの方も、ウェブを通して他生の縁。
人妻のねっとりした、南国フルーツのような熟れ熟れの文章を、これからも楽しんで頂けるよう、精進したいと思います。……なんだろう、熟れ熟れの文章って?
南国、ウクレレ?
サッカー、ウイイレ?
おせちもいいけど、ククレカレー?
眠いと言葉がすっ飛んでいきますね。では、おやすみなさい。
すごい、コンビニって、ちゃんと米売ってるんだー。無洗米だけど。
米を買いました。
そして、今朝の朝焼けは美しかったです。朝焼け見ると、元気になるよ〜。
さ、ご飯炊こう!! 間に合ってよかった。
……水加減、間違えないようにしよーっと。
米がない。
おひつがからっぽだ。
こんなことは18歳のときにもあったんだが、それとこれは事情が違う。
おひつがからっぽだなあということを、今朝は覚えていたのだが、今日のお買い物の時点でなぜか明日の朝はパンにしようと思ってしまい、そこで私の脳がからっぽになってしまったんだった。
明日小僧の遠足なのに、我が家には米がない。おかずはゴージャスなのに。
どうしよう。
コンビニって米は売っていないんだろうなあ。
ごはん、買ってくるかなあ。……だとすると、朝だなあ。朝いちで、コンビニだ。
おにぎりにしちゃうかなあ。
遠足にコンビニおにぎり、というのも、なかなかある意味、思い出深そうだが。
ああ、それにしても、びっくりした。
明日は忘れずに米を買ってこよーっと。
昨日、夕飯を食べた後、そのままイスでうたた寝したので、歯も磨かずに寝てしまった。
この声の枯れ方は応援のせいだとばっかり思っていたが、風邪のせいだったのかもしれない。
そういえば喉が痛い。はかると微熱もある。
日曜日の自転車の移動のせいだと思っていた、この全身の筋肉痛!
全身、かゆかゆ。
うー、肝炎だったらどうしよう、サッカー全日本代表・遠藤の記事読んでて怖くなった。
でも、たいていの「怖い! 症状」は、二三日、水をがぶがぶ飲んで、たっぷり寝るととその症状が引っ込んで、がっちり治ってしまうの。自分のもつ野生の自然治癒力って、実にバカに出来ないのだ。
今回のも、肝炎じゃなくて、どうせ風邪なんだよなあ。
それでも寝込んではいられないのだ。
本日、幼稚園と小学校の親御さん関係のお仕事ではしご、お昼にダンナにゴハンを食べさせに戻って、今度は福祉センターだ。
なんかそうやって走り回っていると、それで元気になっちゃうんだから、安いカンフル。誰かのために動くことは、きっと、自分のためになってんだなあと実感するよね。
上海蟹を食べた。
生きててよかった!と思った。
幸いというか、あいにくというか、食事を共にしたのが「私のやはぎ」ともいうべき、ドッペルゲンガーのような友達だったために、「とりあえず、おぎ」的な私としては、彼女の会話の絶妙さや正しいつっこみ方、その表現が実に面白く、その話術にすっかり酔わされてしまい、つい会話に夢中になりすぎ、黙って無心に蟹を味わう境地にはなかなか至れなかった。蟹は、無心にただ、舐めてしゃぶり、せせってほじくり、いやらしいまでに堪能するべし。と思っていたので、上海蟹よりやはぎの旨味、だったところが、微妙に残念であった。しかし、楽しさで更に味が増しているという可能性も否めないので、結果オーライである。
すっげぇ、うまかったし。
こぉーんな(じゃんけんのぐー=こぶし大)大きさの蒸しガニを、二人で仲良くシェアしました。いやん、主婦でごめんね。徹底的に主婦。だって1570円(消費税込み)もするんだもん。できれば、一人いっぱい、いや両手いっぱいとかのいっぱいじゃなく、一匹の意味のいっぱいね、いっぱいずつ、食べれば良かったのかもしれない。お店の人もそういってたし。
やはぎ、考えてみればえらく遠くから出てきてくれたのに。ごめん。
ヤバイ話題、というのがある。政治・宗教・皇室の話などは、よほど親しくならないと話しにくい。
しかし、やはぎとはかなりきわどい話も難なく出来る。なんでだか、すごーく感覚が似ているからだ。気をつかわないでいいのは、自分と話しているみたいだからだ。もちろんやはぎの方が小さくて細くて賢くて、多少私より、多少、可愛いのだが、なんかこう、カロリーの減り方とか脳内麻薬の出方とか自己愛の加減が酷似している気がする。じゃあまたね〜と別れて、気がついたら4時間強話しっぱなしだった、しかも生まれてこの方ずーっとそばにいたような気がしているが、まだ会って話すのは二度目なのだった。
二度目であんな話やこんな話をしてしまった。私がオトコだったら、この段階で、やはぎにプロポーズしていると思う。上海蟹もあと2匹ずつぐらい余分に食べたと思う。そういう意味でも、異性でないのが残念だった。こういう出会いは、運命に近い。ってことは、異性だったらお互い家庭を捨てて大変な事になっていたのか。
……異性でなくて、良かったのかもしれない。
ダブルヘッダーでその後、別のお友達に会いに。
懐かしかったけれど、久しぶり過ぎたせいなのか、もともと仕事がらみから始まったおつきあいのせいか、なんだか前回とは空気が違っていた。
もちろん楽しいひとときだったし、おいしいビールだったし、相変わらずクォリティーの高い仕事の話を目の当たりにして、そのサクセスぶりは誇らしかったり刺激的であったりもした。笑って過ごす楽しい時間に問題はなにひとつないといえばないんだけれど、なんだかちょっと、無理している感じが見えて、それが心配になってしまった。
別に変な意味ではなく「愛されている感」を感じられないまま、当然こっちからも「愛しているよ感」が出せない遠い感覚のまま、ついうっかり飲み過ぎてしまいそうになった。
愛に生きる者として、私は暑苦しすぎるのかもしれない。
そして、ライブ。
ライブそのものはものすごーくよくて、歌なんか心にしみまくりだったんだが、途中はさみこまれたコントには、いまひとつどう笑っていいかわからなくて、ちくしょう、やはぎめ、素人のくせに面白すぎるんだよと、ちょっと楽しすぎた午前中を思い出したりしていた。
帰宅したら子ども達はもう寝ていた。
「功名が辻」(再放送)を見てから、相方とちょっと話す。何でもない会話なのに、相方仕事中のせいか、つまらないギャグが満載、キレ味鋭く、腹を抱えて笑う。
そうかこの人は今でこそメインはストーリーマンガだけど、根っこはギャグの人だったんだよな。仕事中は機嫌が悪いので、私は大きな体を小さめにして暮らしているのだけれど、笑いに関しては神様が降りてきているせいか、ヘタな芸人よりずっと面白くて、大好きだ。
私は友達とうまいもの食べて、飲んで、ライブ行って、フルに遊んできた一日、相方は仕事して安い弁当を食べて子ども達の面倒もみてくれて、そしてこんなに笑かしてくれるわけで。
上海蟹のみそもうまかったが、こっちのみそもいいもんだなあ。と、しみじみ思う。
よく笑った日曜日だった。
練習試合、全戦快勝。
ところどころで、涙ぐむかあちゃんずを見る。
だって、サッカー部の子ども達、ものすごーく真剣に埃まみれになって、ボールを追っているんだもん。やたら、成長してうまくなってるんだもん。あんな無心な姿を見たらもう。
息子って、それだけで母親にとっては特別だ。
あんなかっこいい息子たちに、何の遠慮もなく熱い視線と声援を投げかけ、熱い抱擁があってその気になればヒーローを独り占め抱っこして寝られるんだもん、特権階級だよね。
福助は、球に絡んで太ももを蹴り上げられ、初戦、2アシストの功績で途中交代。チームは4-0の勝利。
二試合目は開始直後にドリブルで駆け上がり、あっという間に2点入れた報復措置として、突然襲いかかった闘牛に意味もなく顔を殴打され、驚きのあまりフィールドで泣き出すメンタルの弱さを見せつけたものの、試合は6対1で圧勝。
三試合目は1点リードされ、苦戦しながらもうまいパス回しと得意のドリブル抜きで前半に2点決めて逆転、親善試合ということもあって後半はバックに回されたが、他の子に声をかけ続け、集中途切れずの3-1。ナイス!
相手チームには二人、多分別のチームでも練習しているだろう、とても上手な子がいて、その父親も母親も「選手でしたっ」的体型と、気合いの入った応援の声のかけ方だった。
ああ彼に比べると、福助は遺伝子的には不利だ。運動会が大嫌いで前日に学校が燃えればいいのにと念じていた父親(美術部)と、駿足だったので国体常連の陸上部から目をつけられたもののその足を活かしたのは陸上部から逃げまくった時だけというヘタレぶり全開の母親(演劇部)から産まれているんだもの。せめて環境を揃えてあげたいなあと思ったりもしたが、何をどうしたらいいのかわからない。
今所属しているチームのチームメイトの母たちからは「ここではもったいないから、Jリーグの下部組織に移れば?」とも言われたけれど、そこであんなに気合いの入った「どけどけどけぃ、俺様が通るんでぃっ!!」ってなタイプのお上手な子と一緒にやっていくのか(福助も私も)……と思うと、気が重い。
近隣のFCの情報収集はしているが、楽しむサッカーというのでは、福助を活かせないのかなあ。うーん、こんなところでも進路に迷うよ。プロへの道はともかく、大人になってもサッカーが楽しいと思える人であってほしいんだ。仲間と遊べるスポーツだからね。
うちのサッカー部の子たちは、なんだかみんな無心にボールと戯れるタイプで、技術的にはともかく、泥臭く走り抜き、一生懸命なところに大変好感がもてる。もうひとつ所属している地元FC(小学生の部)は、地域の上手い子がみんなJリーグ系列だの全国レベルで上位に顔を出すクラブチームなどに行ってしまうため、大変にのんびりした空気がある。
いくつか福助に体験させてみて、自分で選ばせよう。小学生になるときには、そういう選択もあるんだなあ。
ところで、対戦相手の子ども達が、試合前に、福助のゆっくりしたドリブルと二アポストを狙ったていねいなシュート練習を見て、
「なんだよ、レベル低いな。あんなの、簡単につぶしてやるぜ」
と福助に罵声を浴びせていたのだそうだ。集中しているとそういう声も耳に入らないタイプの福助は、ただ黙々とシュート調整をしていたらしい。
それを見ていたP子が、くすくす笑いながら私に報告した。
なんでそんなに愉快そうに話すんですか! と、罵声と聞いた途端に色めき立つ私に、
「だって、あいつら、ほえ面かくのにさー。ばっかだねー。止められるもんなら、福助のドリブルを止めてみろってんだよねー。勝てるつもりでいるんだからスゴイじゃんケラケラケラ」
……お前はブラジル人か? 余裕、ありすぎだろう。
福助より上手い子も世の中にたくさんいるのだ。勝負は時の運でもあるのだ。P子はイイコなのだが、お人が悪いんだよなあ。時々、P子が怖くなるわと思いながら、そんな罵声を浴びせているヒマがあったら、反対ゴールでシュート練習すればいいのに、そうしない時点で、お前はすでに負けている。なーんてつい思っちゃった、大人げない自分を反省した。
うちの小僧の所属するサッカー部は、ユニクロでチームウエアを作っている。
オンラインショップで冬物超特価品ヨットパーカー790円が並んでいたので、チームの人数分、即買いし、そこにプリントをお願いしようとしたところ、チームウエアの場合は定価販売の1990円になる。と言われてしまった。
単価1200円も違うんですよ、奥さん。二枚買ってもおつりが来るのに、そんなの見せられた後で定価で買う主婦がいると思います?
なぁんでよぉうー。枚数揃って購入するんだから、いいじゃんよぉう。
と、電話口でダダをこねそうになった。
ユニクロって、時々こういう謎がある。
以前、10センチ×8センチのサッカー部のロゴの原版を使って、子ども用のジャケット(5000円程度)に印刷し、防寒ユニフォームをつくろうと話がまとまった。
相談してみたところプリント出来ない素材ではないのだが、「どこにプリントしてもデザインが壊れるので、もっと小さなサイズの版を作り直して欲しい」といわれたのだ。デザインはクライアントである私たちが「それでいい」って言ってるんだけどなあ。原版を5000円も出して新たに縮小版を作る余裕はないのである。
仕方なく全員、上着は断念した。だんねん無念である。
原版を新規で作ることを勧めたばっかりに、何万円もの売り上げを逃したというのがわからないんだ。ま、デザインへのこだわりなのかな。
問題は新しく入ったコーチのために、もう一枚ユニフォーム的Tシャツを作りたいのだが、ユニクロチームウェアは10枚まとまらないとつくれないため、なんとか10枚以上(同一商品でなくてもいい)の注文をしたい。しかし、諸般の事情から魅力的な商品がない状態でつらい。
この際、エプロンとかブリーフとか白衣とかにFCのロゴを入れて、物販でもするか。
ああ、何かいいアイディアはないものかなあ。
んー、私だったら週に一度、クラスのお友達が欠席するっていうの、子どもから聞けば、やっぱり何だろうって思うよ。
本人に直接聞けなければ、どうしたの?って噂にもなると思うんだ。
それで間接的に病名聞いたらびっくりしちゃうし、言われなきゃ気づかないのに、人は「そういう目」で敢えて違うところを探そうとしちゃうと思うんだよね。
それが福助君にとっていいとは思えないの。
と、ママ友かおりん(仮名)から言われた。
なるほどなあ。そういう視点は想像してはいたが、実際にその立場の人から聞くと説得力が違う。そういう視線に触れて、福助がどう反応するか、そういうこともきちんと考える必要があると思う。
かおりんは、元看護師で、病気に対して理解が深い。もちろん、情けも深い。福助のこともよくよく承知の上での、客観的な発言だ。
福助とかおりんのところの息子とは、親友同士と言うほど仲が良いわけではないが、徒競走のライバルで今回のリレーを通じて、何か固い友情をお互いに感じているようだ。もちろん、気が向けば放課後にも遊ぶ、まずまず仲良しな友達である。母同士も、じっくり話し合う機会はないまでも、飲み会なんかでは一緒に盛り上がるし、お互いに好印象という程度には近距離のママ友だと自負している。
就学相談、通級のことはクラス中が知っているので、当然話題にものぼる。
かおりん以外にも、別のママ友から同じような事を言われたことがある。
「通級するなら、噂になる前に、ゆう子さんのことだもん、きちんと病気を説明しなければ気が済まないでしょう。でも、それって得策なの?」
……どうなんだろう。
「事情、知らないのに、勝手なこといったかも。ごめん」
と、後でかおりんからメールが送られてきたが、私は、こういう本音をこそ聞きたかったのでうれしかった。謝る必要などどこにもないのだ。かおりんの息子とは、同じ小学校に行く。当然、かおりんに「あの子、なんで休んでるの?」「ええーっ、自閉症って、何ソレ?」と聞かれる公算は高く、もはやそれは、私と福助だけの問題ではないのだった。
真剣に考えて、一緒に支えてくれたママ友たちにとっても、それは厄介な問題になってくる。
もちろんかおりんはそんな邪心で私にそう言ったわけではないが。
広汎性発達障害なあんて、身内にでもいなければ、そうそう理解出来るものではない。
犬好きでなければ、シェットランドシープドックだとかアフガンハウンドなどと犬種を言われたところで、ピンと来ないのと同じ原理だ。「犬?」ということはわかっても、姿形はもちろん、その犬種固有の特徴まではわからない方が普通だと思う。広汎性発達障害ときいて「なんか、脳の病気?」程度が、一般的な知識だと思う。
鈴木さんち、子犬飼っているんだってという噂なら微笑ましいが、あそこの小一は子犬のようなんだって!、という噂では困ってしまう。でも、脳の病気らしい。というのは、多分によい部分よりは、悪い部分に尾ひれがつきやすかろう。
噂の最も困るのは、訂正のしようがないところだ。
子犬のようだという噂を、「子犬のように可愛い」と好意的に受け取れるのは愛犬家ぐらいなもので、まあたいていは、「子犬のようにはしゃぎっぱなしで自己コントロールがきかないんじゃないかしら、うちの子に悪い影響が、学級崩壊の火種が、ああ怖い。隔離してくれればいいのに」なんてことを思われてしまうような気もする。
杞憂ならいいけれど、多分、それが現実だよなあ。
そういう無知や偏見と闘うためには、福助をきっかけにして「知ってもらう」しかない。だから私はカミングアウトしてきた。
幼稚園はよかったんだ。毎日顔を合わせ、子ども達を預かりあいっこして、みんなが私の子だったし、福助もみんなの子だった。
でも、公立の小学校では、難しい。保護者会ですら、半数もこないのだ。PTAの活動は1割の人たちが動かしている。そんな状態で、どうやって、知ってもらえばいい?
障害は理解されるべきだと、だから勉強しろ、もっと知ってください! 差別、反対!! と熱弁をふるうか。
いや、それ、そんなに愉快なトピックスでもないと、私は思っているんでね。
身近にいればその天才性やら変わり者加減は結構面白いけど、関係ないところで万人が心惹かれる類のネタではないだろう。
たまたま、クラスメイトとか身近に障害児のお友達がいて、時々大変そうだけど楽しそうに生きてるんだなあってことがわかってもらえたら自然と差別はなくなる。大変な部分は手伝おうかと言ってもらえたら、それが何よりの支援になる。
障害に対する知識なんていうのは、実のところ、それで充分すぎるほどだと思うんだ。
「自分の子は障害児でなくて良かった」という本音があったとしても、それを差別感だなんて言い立てるのはきっと間違っている。そう思うのが普通だもの。ただ、そこから進化して「でも障害児だったとしても、障害とか、なんかこう、あんまり関係ないかも」と思ってもらえたら最高。そんな理想を持った育て方や生き方は、模索できるんじゃないかと思うんだ。
You may say I'm a dreamer?
私の場合は身近すぎて福助愛に溺れて(シャーッ)もう障害だか天然だか個性だかさっぱりどうでもよくなっているが、これはきっと身近であればあるほど起こりやすい錯覚なんだと思う。
例えばうちのクラスの子は誰であれ可愛いけれど他のクラスの子どもはそれほどでもない程度に、単純接触は愛を育てるのに大切な要素だ。
「福助君の病気、いいじゃん! っていうか、サッカーに集中するって、それ、病気?」ぐらいにママ友から笑い飛ばしてもらえる昨今、「みんな慣れてくれたんだなあ」となんだか幸せな気分になることが多いんだが……小学校では、そこが難しい。
私は特に犬好きではないけれども、愛犬家と話を合わせられる程度には犬種を知っている。
それでも図鑑でネガティブな記述を読み、「この犬種は飼いたくないなあ」と思うものがある。偏見、ともいうが、身近じゃない、興味がない、って、そういうことだからなあ。
図鑑見たってわからないよ、犬、見て触って、「いやん可愛い!! うわー、欲しい」って思う、その経験がなければね。
逆に言えば、子犬見たら、可愛いと思う。衛生的にはどうのこうの、いやあの顔はむしろ不細工でちっとも可愛いとは思えないなんて言ってたって、例えばパグなんかもうひと抱きしてでろでろ舐められでもすれば、はにゃーんってなっちゃう。
福助は、ぺろぺろ舐めたりはしないけれど、シュートを決めるかっこよさも天然のおもしろさも、身近にいればわかることがあって、その上で犬種、もとい、病名をみんなにご披露する分には問題も少ないが、そのかっこよくかわいい部分(親ばか?)が全く見えないまま、病名だけが一人歩きすることを、やはり私は憂うのだ。
もちろん隠し立てするつもりはないので、私は療育がどんなにうまくいっても、アイデンティティとしての自閉症を追究するだろうし、自閉症もオタクも大好きだし、きっとここにも書き続けていくと思う。しかし、彼のプライバシーや彼自身の意志、権利が発生するころには、もう書けなくなるんだろうなあ。
良くも悪くも「子どもは母親のもの」であるうちだけ、期間限定の福助話なのだと、改めて思う。
告知か、黙るか。通級、行くべきか行かざるべきか。
それが問題だ。
初めて福助が出逢う「バラエティーに富んだ人たちが住む社会」に対して、私自身の立ち位置が決まらないわ。
毎晩遅くまでそんなことばっかり考えているから、家事もお琴も進まないのだ。
でもこうやってのたうちまわっている記録が、いつか笑って読めるようになるはずだと信じて、とことん苦悶するのだ。
基本、様子見という前提がさらに強固になっているのに、それでも先生と会って話がしたいのは、単なる好奇心ではなく、本当に福助の未来を見越してのことか。
知識を積み重ねることで私の中の偏見は消えたが、これをさらに活かす方法はないか。
福助にとって最もいい道、とは。そこに私の自意識はどこまで関与し、どこまで消していけるのか。
自問自答が続く。
今日の失敗。
鰹節をティーパック状の袋に入れて、出汁を取るつもりで、気がついたらそれがなぜか水出し麦茶パックだったこと。みそ汁鍋いっぱいの麦茶って……。
メロネット様より、献上されたメロンを頂く。(「メロネット様、ごちそうさまでした」)
ここのメロンは騙されたと思って食べてみてほしい逸品。
(「メロネット」で検索をどうぞ。)
しかし、P子はここのマスクメロンが最初のメロンだったために、他のメロンが食べられないという弊害がある。友達の結婚式に四歳ぐらいの時に参列して、「おかあさん、これはメロンに見えるけど、香りが違う。メロンじゃない!」とのたまってひんしゅくを買っているから、強くは勧めない。
ああマスクって本当にオイシイ。と、女王様になったような気分を味わった後、この女王様は、うっかり下水道につまらせてしまった種の始末もしなくちゃいけなくて、その下水の匂いに泣きそうになった。
お琴を弾く時間がないのに、もうすぐお借りしていたお琴を返却しなければならない。
楽器が突然上手くなる道具がほしい。お琴を弾いていると突然&必ず、眠くなってしまうのが問題なんだ!!
ママさん英会話教室の日だったのだが、もうまるで、頭が働かない。ヨーコ・オノが、何度言ってもちゃんとヨーコ・オノと発音できないんだもん。
在米経験の長い英文科出身のママ友が流ちょうに話ながら「12、ええーっと、12って何だっけ、ゆう子さん」と言っていたから、今日は何か、こう、気圧配置とかが変な日だったのかもしれない。
初級クラスに至っては、本日出席者が一名だったという。みんな、どうしちゃったの?と先生も不安になっていた。
サッカー部お休みで、福助、お友達の家へ。
迎えに行くと、サッカー部のストライカーたちが、こぞって熱心に、折り紙なんか折っていた。
……明日、雨にならないといいが。
右腿をかばって歩いていたら、左ヒザが痛み出した。
赤上げて、白上げて、赤下げないで、白下げない。というフレーズが、ふっと浮かんだ。
明日はどこが痛くなるんだ?
もう、矢でも鉄砲でも、もってこい!!
痛い。
いやそれは私の寒いギャグではなく、私の全身の、こってりした脂身に大事に包まれた、筋肉がね。
特に、右足の太ももが、かるーく、肉離れっている。
「ああん、おとーさん、太ももが、太ももが」
と言ったら、
「お前の体で太くないところはないのだから、太ももがと敢えて太いを強調しなくてもよい」
と言われてしまった。太い首、太い腕、太い足……波にちゃぷちゃぷ浮かんでる♪
って、歌わなくてもいいんだわ(「カモメの水兵さん」より)。
それにしても、この腿には湿布程度じゃどうにもならん。でもこんなことで病院に行くのは恥。
ちょっとかけずり回っていたのよね、小僧の運動会。会場仕切る係で、嬉々として園庭を走りまわり大声を出してストレス発散していたの。
父兄参加競技で張り切りすぎたのも原因のひとつ。知らないお父さん(もちろんソッコーで好みのタイプとペアになったさ)の手をしっかり握るチャンスは逃さない。そして、もちろん全力疾走。ふっふっふっ。
しかしこういう競技を考え出す先生方もなかなかのモノである。のちのち恋が芽生えたりしたらどうするんだ。……ありえないか。
そんなわけで、片足を引きずりながら、教育委員会に行ってきた。
そして、今後の療育のために、通級の判定基準となった問題点を伺って……ええーっと、うーん、伺うも何も。
なんというか、まあ病名があって、将来的にそういう事態も予測される、と。
んー。……それだけ?
どうやら、それだけらしい。
いや、もっともなんですが。もっともなんですよ、今後、そりゃどうなっちゃうかわかんないんですよ、完治する病気じゃないから。
見立てとして、福助は気分の切り替えが下手、大人がコントロールすれば従えるが、基本的に自己主張が強く、これが友人関係での障壁にならないとも限らない。ということだった。集団の中でその部分をチェックされたわけではなく、つまりは診断名と知能検査の結果から見た、いわば憶測、未来予想ってとこだなあ。
学務課の話っぷりでは、今、急を要するというのでもなく、どうも転ばぬ先の杖、というやつだったようで、ある意味、手厚くてとてもありがたい。幼稚園が大変目が行き届いているために問題が見えていないが、学校はそうはいかない、というのも根拠らしく、まあ公立はなかなか厳しいもんね。それはそういう病気だから先に保険かけておいて吉、というのは充分ありだし、うん、やっぱり有り難いよね。
隣の区では、問題が表面化してから初めて情緒学級に通級というシステムが発動する。
通級の専門家先生方は、在籍校を参観してからその子の受け入れとメニューを決めていくから今申請しても10月からだといわれて、私はそれが理想だと思った。
何しろうちの区は、なんでもかんでも即座に通級通級、診断名がついている以上子どもにとっていいのは通級通級、言われたことに従わないのは悪い親です通級通級、という雰囲気で持って行かれる。どうもそういう雰囲気に、私は感情的な反発を覚えていたのだと思う。
けれどそういうシステム上のバグみたいなところに目をつぶれば、選択肢が増えているのだ。個別の特別指導を、隣の区なら朝から4時限みっちりのところ、うちの区はわずか二時間/毎週だけだが、受けられるのだ。有り難い支援の一つではある。
来年2校、さらに再来年2校、情緒学級が相次いで開かれるそうだ。ニーズはうなぎのぼりとのこと。有り難い支援は今後、少し門戸を開いて、得やすくなるのかも知れない。
だが、福助にとってはデメリットもある。
なにぶんにも、小学校に入学して慣れないうちから、もうひとつ学校に通わなければならないというのは、新しい環境に慣れにくい彼にとって逆効果である。
5月からと言うことになるらしいが、週5日のうち1日を休むのは、学業の遅れこそ取り戻せるとしても、友達関係はあまり好ましいとは思えない。ましてや、福助には体育や算数などの得意科目がある。その自信が今の彼を支えている。それをつぶしてまで……という気もするのだ。
「そこはなんとも言えませんね。お子さんによっても違いますし。行ってみないと正直、わからないですね」
その、行ってみないとわからない事態のために、私は寝ずに情報収集していたのかと思うと多少、徒労感もあるのだが、なんのなんの、経験値が増えたことは大変によいことである。
ここで就学相談の要点をまとめてみよう。
このwebに、迷えるおかあさんがひっかかってくれたらいいなと思う。この部分だけはコラムにもしておこうと思う。
私の経験が誰かに生きれば、それは何よりの喜びだ。
1)就学相談は、自分の療育自慢をするところではないと知ること。
私はこれでミスった。あまりにも正直に赤裸々に生育歴などを問われるままに語ったために、病名が一人歩きし、本来の子どもの能力よりも低く想定されたと思う。現状を見てもらうことが大事。
2)就学相談前に、できれば通級や身障、養護をしっかり調査し、自分の行きたい進路をある程度設定しておくこと。
私は「行かない」前提にあったので、全く調べておらず、後手に回ったため、相談時にはっきりと意志を伝えきれなかった。
ただし、情緒通級は、ある意味、コミュニケーションが難しいタイプの人間にとってはオアシスであり、障害に限らずいつでもそういう場所があることを、健常者の保護者も広く理解しておけば、自信喪失や鬱などの二次障害、不登校、いじめ、自殺などの命綱にもなりうると確信した。
3)就学相談では、目的を明確にすること。
私の場合は、自分の行きたい学校にデータを渡し、特別支援を受ける場合の注意点を促したいだけなので通級は全く希望しないともっとハッキリ、再三わかりやすく言うべきだった。その時点で、情緒学級について知っておけば、より説得力を増したはずだった。
あるいは人によっては強く希望するかも知れないので、そんなときには遠慮無く、強く希望と言った方がいい。彼らだって忙しいから、保護者の心の裏までは読み切れなくても当然だ。
4)通級を勧められた保護者の方は、それを妙な烙印とは思わないこと。
私は説明会の時にひどい説明を受けたため、通級に対して偏見を抱いていたが、たくさんの経験者の方からのご意見で、そこを修正するに至った。偏見は、教養のなさの露呈なので、恥ずかしい限りだ。
通級判定は、特殊学級に行けという命令ではない。選択肢がひとつ増えたという程度の認識で十分だと思う。教育委員会や判定委員会も、ものすごい本気で、ものすごい根拠をもって勧めてきているわけではないと知った。地域差はあるかもしれないけれども。
それよりも直に幼稚園の先生に日頃の問題点を聞いて、客観的に判断する指針にするとよいと思う。ただし幼稚園の内申書は教育委員会から提示してはもらえないため、幼稚園がどういう判断をしているか、本音を知るのは難しいかもしれない。園とよりよい関係を築いていることが前提になる。
5)別の可能性も探ること。
例えば、普通学級に不安があれば、通級ではなく身障も焦点にいれてみるぐらいの柔軟性を持つといい。私は通級にひっかかるはずがないと自信を持っていたために、意図が違うところにある判定を目前に、パニックを起こした。
普通で、通級は必要かなあ…と思ったら、身障も。身障でいけるかなあと思ったら養護もチェックしておくことをお勧めしたい。
そして偏見を捨てて、案外きめ細かく療育して頂けるかもしれないなど、利点をしっかり探しだそう。それぞれの学校では先生の力量が違うため、その辺りの情報収集も徹底して行いたい。
5)-b あるいは、必ずしも公立ではなく、障害に特化した私立もあるかもしれない。不登校になったときのためにフリースクール、プライベートの教師、私塾なども調査しておくとよいと思う。
私は今回、突然思いついて例えば国立の受験、私立の受験というのはどうなのかと想い、徹底的に調べてみた。福助に特に問題がないと確信しているのに、支援を頂かなければいけないと発想するのは、公立の人数の多さと、カリキュラムの不安定さと、一律の指導要綱、その割にバラエティーに富む級友を見越すからだ。
はなから少人数教育を謳う学校、特殊能力を活かす学校、知能指数を重視する学校なら適応できるのではないかと検討し、意外と特技さえあれば適応出来そうな学校や、上手く受け入れて能力を伸ばしてくれそうな特色ある学校も多いと知った。
今年のお受験に対応していなかったので今回は見送るが、そういう手もあったかと発想の転換が遅かったことを悔やむ。先行して兄弟を入学させるという戦略もあった。中にはまるっきり抽選という学校(国立)もあるので、できるなら引っ越すというのもひとつの方法かも知れない。
今から就学までに何年かある人は、自分の子どもの伸び方を想定して、学校を国立や私立に絞ってみるのもありかもしれない。
6)決定したら、なるべく早く、所轄の学校に行って、子どもに合ったメニューを作って頂くこと。
私たちは情緒学級も見学した後、おそらく今年いっぱいは様子を見たいという意志をお伝えすることになると思う。そこに通うべき決定的な理由が見つからないからだ。在籍校には、その理由も含めて、すべての情報を開示する予定で、即座に支援して頂きたい部分を話し合う手はずを整えた。
もしこの先、決定的な理由を自分たちでみつけたり、あるいは別の形で納得して、通級することになったら、やはり即座にそこの先生方と話し合いを持ちたいと思う。今回情報収集中に、特別支援教育に携わる先生とお話しして感じたのは、「包み隠さずに何でも話せば、相手はプロ中のプロである、必ず解決の糸口が見つかるのだ」ということだった。大収穫である。
助けて欲しい、というのは恥ではない。できないことは、人間なのだから、だれにだってあるぐらいの気持でいよう。そのかわり、私ができる部分で、学校に貢献しようと思う。もちつもたれつで、世の中は動いているんだ。
というわけで、まだ片足を引きづっている私は、子ども達に買い物袋を持たせ、相方にたたんだ洗濯物を二階まで運んでもらっている。家族にはかなりもたれっぱなしだが、な〜に、これも、何かでお返しするからいいの。もちつもたれつだ。
運動会が終わってしまい、この問題も終焉に向かっている。
うーん、つまんないなあと思っていたら、この秋はサッカーが待っていましたよ。ふっふっふっ。
来週から続々練習試合や大会で、スケジュールみっちみちだった。
もう別の異性とお手手をつなぐような嬉しいイベントはないけれど、やっぱり走り回り叫びまくるチャンスはあるのだ。ああん、太もも痛めてなんかいられないわ〜。頑張らなくっちゃ!
園庭で相方とがっちり握手した。
秋晴れの運動会、最後の種目で福助がゴールテープを切った後、閉会式がまもなくでそこが雑踏めいた瞬間に、私と相方はどちらからともなくがっちり握手した。多分同じ思いだった。
まだ陽も高いし、どこに行こうか?
温泉がいい!! と行ったのは福助だった。そして、私たちは近所にある「美しの湯」に出かけた。
もう福助は女湯には入らない。男湯に入っていく二人を見送って、私はP子とふたりでのんびり湯につかる。他愛ない話をして、ああ今、君たちのことがないなら死んでもいいほど幸せだよというと、P子にこう言われた。
「私たちがいなかったら、そんな幸せもなかったんだから、私たちのことがない前提なんか、おかあさんにはないんだよ」
……その通りだ。これからも私はおかんとして誇り高くしぶとく、生きていくよ。生きてこそだよな。
つらいこともある。
泣きたいことも、悲しいことも。
相方ともずーっと、一ミリも違わず仲良しだというわけでもない。愛が枯れない暑苦しいタイプの私が、相方には息苦しいことも多々あるだろうし、私にもそれなりの理想はあるし。
でも、私たちは夫婦で、そして、子どももいて、家族なんだ。
越えなければならない壁を共に手を携えて登っていくなら、私には今、相方以外は考えられない。
……そんな、握手だった。
温泉でよれよれになって、帰宅して卓球をする子ども達。
温泉の後には卓球、というきまりでもあるかのように。
そして九時を回った辺りで、
「大変だ、まだお風呂に入ってない!」
と福助、大あわて。おいちょっと待て、今、どこに行ってきたんだ?
いつものルーティンだと、この時間でパジャマを着ていないことがないからね。
温泉はいいなあ。身も心も、ゆったりほぐしてくれるよ。
今日ばっかりは、もう特殊学級の話も何も考えないで、運動会の楽しかった思い出を噛みしめて、ゆっくりゆっくり眠ろう。
二年前は、練習に参加出来ずに、見学を申し出ていました。周りの方にご迷惑になるのは、よくわかっていたからです。
園長先生の強い強い「全員参加なんです。大丈夫、任せてください!」の後押しがなければ、多分私は当日恥ずかしさのあまり欠席も辞さなかったかも知れません。
P子の特訓につぐ特訓で、やっとなんとか線の上を走れるようになっても、幼稚園での練習となれば、裸足で廊下を走り回っていたり、突然砂いじりしていたりしたなあ。
徒競走、先生は一体どんな魔法をかけたのか、やっと走って、そこから集団生活にうまく入って行き始め、去年の運動会は何の問題もなくとても楽しげで、そして今年は。
いくつかの見せ場ではしっかり見せ、満場の拍手をもらい、最後の選抜リレーではアンカーを勝利で飾り、ガッツポーズでゴールテープを切りました。
長い長い療育の日々の、これはきっとご褒美なんだなあと思いました。
目が合わないから、まずはいないないばあを繰り返し、とにかく私の声を覚えてほしいから毎日おいかけっこをやって、そこからストップすることを教え込んで、毎日のお買い物は指さす方向に注目させて指示を与え、クレーン現象からの脱却を目指し……。
雨の日には自転車で5分の幼稚園に、いろいろなものにひっかかるから40分かかっても、いっしょに雨音を楽しみしずくを見つめ続け、この子に寄り添って生きていくことは困難だがきっと面白いんだ、その中におもしろさがきっとあるはずだと自分に言い聞かせた。それでも参観日に一人ですみっこで脅え、歌も歌わない、踊らない、絵も描かない、書いても黒と緑と紫しか使わない、いきなり教室を飛び出して走り始める、……みんなと同じ事が出来ない姿に、こっそり途中退席して、泣きながら帰ったこともあったよなあ。
それでも、誰もあきらめませんでした。
先生方も、私も、毎日が闘いだったけれど。
園長先生と諸先生方の素晴らしい指導がなければ、福助は、本当にこんな風に幼稚園生活を楽しめなかったんだと思います。
そして今日、ゴールに向かって必死で駆けてくる福助を声を限りに応援しながら、この光景を私は一生忘れないと思いました。
「走れ! 福助」
と叫びながら、もう走れといわれなくても自分から走る、それも誰よりも早くぐんぐん走る、そんな子に成長してくれたことが、とてもとても嬉しかったです。
このゴールは、これから幾度となく、彼をきっと支えてくれると思います。
そして、私をも支えてくれると思います。
福助の療育はこれからも続くけれど、また何年後かにこんなご褒美が待っているかも知れないと期待して、頑張りましょう。これが人生最高のプライズかもしれなくても、それはそれとして。
気力で30代には勝てても、体力ではもう勝てないのかも知れない。
ここのところ一日三時間ぐらいの睡眠で、ぶんぶんいろいろな研究を進め、ばりばり人と会い、フルスロットルで考え事をしていたら、昨日、フリーズした。
なので、そのままぐーすかぴー。
いやあ、寝た寝た。
いろいろ予定が台無しになったりもしたけど、何はともあれ、秋晴れの運動会だ。
老体に鞭打って、がんばってきまーす。
まずはお弁当、お弁当!
pretending=ふりをする。
ミスター・プリテンディング福助は、健常者のフリがとても得意ですが、やっぱり一緒にいっぱい話をすると、ほころびがあります。そのほころびは、家族という団体では「笑い」となって、鈴木家の爆笑王として君臨していますが、1対1で「何か」について語るとなると、サッカー以外の話題は厳しいなあと思いました。
じーっと精悍な瞳で見つめられると、我が子ながらうっとりするんですが(親ばか)、ぐっと押さえてちょっと真剣に話をさせてみました。
都合が悪くなると、話題を変えてしまうんだな。
もう一度強引に戻すと、機嫌が悪くなる。
福助は表情がとても豊かなので、楽しいか眠いのかおなかがすいているのかどうか、子猫よりもわかりやすいです。
私はその辺りの彼の感情をコントロールできますし、気分のかえ方もお手の物ですが、これ、初対面の人が敢えて苦手な所をつつきだしたら、反応としては最悪。きっと感じ悪く思うよなあと思いました。
そうか、これでひっかかったんだ。
と、私なりに納得してしまったわ。昨日、学区は違うんだけど、何はともあれ、情緒学級の先生にアポをとり、たっぷりお話してきました。そこで集団適応出来ているのにチェックされたとすれば……という話を伺い、なるほど、と。
上手に「フリ」を特訓してきたけれど、初めての場所で全く違う他人とお話するなんて訓練は、私ではできないもんなあ。やられた!(って、勝負か?)
まあ、男の子なんてそんなもんでしょう、という思いこみと、いや、もしこれを通級の個別対応で大きく変化させることが出来るのなら、という想いと。
得意科目だけをビカビカに磨き上げ、不得意分野に目をつぶって世渡りしてきた私は、「じゃあ初対面の人と話すような仕事に就かなければいいんじゃん?」と思ってしまうわけですが、それでは彼の可能性が伸びないわな。
「できなくてもいいんだよ、でもやってみようよ。できないって言ったらできないから、どうしたらできるか考えようよ」って、口癖。
何度となく福助に言い聞かせながら、実は私自身がその言葉に癒されているのだと思います。できないこと、多すぎなんだよね、私。
だから出来ないことを強要されて泣きたくなるような気持ち、よくわかります。逃げたい気持ちも。
私は要領よく、できる部分とバーターにしてもらうという、商人のような生き方に進化しました。夏休みの宿題、何枚風景画と読書感想文をかいたか。その代わり数学のドリル、英語の宿題はキレイに仕上がって返ってきます。
寮にいたときには、先輩の宿題、特にレポートは得意中の得意でした。字の形や使う言葉まで真似して書き、それで家事関係の当番を代わってもらっていました。
結果的にそういうのが仕事になったんで不都合は感じなかったけれど……でもまあ、うまーく逃げていたんだということが、今になってわかるわ。
そもそも男の子なんてみんな人の話は聞いてないし、自分の狭い得意分野でしか語れない生き物のように思っていました。おしゃべりな相方の方が例外で。
相方にしたって、べらべらよくしゃべるくせに、話題はたいてい理系だし、決して愛を語らない。まったく「オトコってやつは! 」と日常、くさくさしているんですが、飲んで帰ってきたときにコンビニで何か買い物をしたついでなのでしょう、なにげに「デカビタC」を買ってきてくれたりすると、なんかこう、それだけで千のアイラブユーよりどでかい愛を感じたりするから、それでいいのかと。
……ああ自分が安い女で、いやになっちゃうわ。
叶姉妹だったらハナで笑うわね。テーブルの私の席にどでんと置いてあるのがダイヤモンドだったりすると、もっと喜びは大きいのかしら?
でも、ダイヤ、食べられないし。
小僧も、そういう愛想のふりまき方は上手いんだから、何も受け答えの練習までしなくても……けど、やっぱりプリテンディングだけじゃ一ヶ月つきあって終わっちゃうだろうし……なんて、不器用な男が花婿学校に行く前の母親の気分に近いわ。こんなので情緒学級を考えるのは不謹慎かしらねぇ。
でも、実際は、大人になってからオタク(サッカーから離れた途端に、確実にアキバ系になるだろう福助は!!)を艶雄(アデオス)に変身させようと画策するより、今ココでがっちり人とのコミュニケーションを学んでおいた方がいいに決まっている。そして、通級の先生にはその力があるのだと、情緒学級の現場の先生と都合四時間語り明かして、確信するに至りました。
やはり、現場の先生はすごいよ。工夫の力もさすがプロだし。
手作りの教材を見せて頂き、感動しちゃった。
そもそも、学区外の私の話に、二日間に渡り、ものすごい時間を費やしてくれるエネルギーと溢れる慈愛に打たれます。
情緒学級って、そうか、要は人間関係の補習校と考えればいい。
そこが苦手でもなんとかなるかもしれないという考え方もあるけど、補習は楽しかったなあともまた思うわけです。
例えば私、数学に関しては赤点ギリギリでした。でね、一年時の穂刈先生と三年時の豊田先生は個別指導をやってくださったんですね。マンツーマンだとするするわかる。なんかとっても数学って面白いわけです。
そうはいっても、完璧に下駄はかせてもらって卒業したクチなんですが、一年の時には夏休みの補習のおかげで二学期学年上位に躍り出ちゃったし、三年の最後の最後のテストでは、泉ちゃんと二人きりの補習、最後に高得点をとったときには抱き合って喜んだものでした。(この結果だけで、一、二学期のテストをチャラにしてくれた豊田先生は偉人でした)。
そんなわけで、苦手な数学、今は加減乗除しか使いませんが、補習は楽しかったという記憶が、現状どうやって指導しているかの記録ビデオを見ながら、蘇ってきたのです。
補習は受けるチャンスがあるなら、受けた方がいいに決まっている。ギリギリセーフ!!という人を羨ましく想う気持ちが、今の情緒学級判定を不服とする感情に似ているのかもなあ。でも、ギリギリだったヤツより豊かな数学の時間を知っている自分たちの方が、ラッキーだったよねと泉ちゃんと負け惜しみとも本音ともつかない話をしたことまで、思い出しました。あの頃好きだった、グラスに入ったレアチーズケーキの味と共に。
学習塾もいいんだけど、もっと人間関係を学ぶための塾があればいいのにと思います。ギリギリセーフで補習を受けない人用の、人間関係を学ぶ私塾。
それは数値に表れにくいけど、人間力をつけるみたいな。
コミュニケーション能力を謳う本はたくさんあるのに、そういうのが産業になっていないのはなぜだ?
自閉症の子どものための私塾はちらほら、都内に出来ているようです。ああ、私に資格があれば、乗り出すんだがなあ!! と、今頃になって中退したことを惜しむわ。福助が一段落したら、再び自分のキャリアを活かせる道を探しましょう。それまで、もってくれ、この体! 伊能忠敬だって、50歳から地図作りを始めたんだし!!
あと、約8年後、歩き出せるようにしておきましょう。
有り難い出会いがあって、またひとつ、自分の閉ざされていた目が開かれた想い。
普段滅多にいわれない褒め言葉も、情緒学級の先生はふんだんに使うのね、慈愛の人だから。それで、心のコリもほぐれた感じ。
そういう場所が大人にもあればいいのに。
……あ、それがホストクラブなのか。殿方用にはお手軽なスナックもあるな。今頑張っている自分がイイコイイコしてもらえる場所。……8年後は、チイママか? おっと別にもう若くも小さくもないんですけど。
あっちに揺れたり、こっちに揺れたりだけど、蛇行しながらも要所要所で収穫があって、ちゃんと目的地に近づいている確信が持てているのが、とてもうれしいです。頑張ります。そうだよ、私の取り柄のもっとも自慢出来るところは、頑張りがきく。それだけなんだもの!!
できなくてもいいんだよ。
でも、できないっていったら、できないからね。
どうやったらできるか考えよう!
ちょっと憂鬱になってきたときは歌を歌う。
♪ドン・キホーテ サンチョパンサー ロシナンテ & 俺
笑えて泣ける、変な名前♪
この「天国生まれ」は歌っている内に愉快になって来ちゃう素晴らしい秘薬なんだが、興がのってくると気分が盛り上がり、本当に大声になってしまうのが困ったことだ。気がついたら、すれ違った人に笑われた。
道路で、自転車をこぎながら歌う歌ではなかったみたいだ。
スーパーで買い物をして、お漬け物を買い忘れていたことに気づいた。
「この、うつけ者めが!」
と声色を使って自分を叱ってみたら、腹の底から笑いがこみ上げてきて困った。殿様系の声色がまずかった。スーパーで一人で笑っているのはアブナイ。
ま、たいていの陰鬱はこの程度でシャットアウトできる。
さて、なんでそんなに陰鬱になっているかというと、お友達の、(いやこの際知り合いのに格下げだ、いやもうなんだったら通りすがりの人でもいい)お子さんがつい先日、自閉ちゃんかもしれないという知らせが届いたからだ。
類は友を呼ぶのか、世の中に自閉症はこんなにメジャーな病気なのかよと最近勘違いしそうになるほど、その手の話が寄せられる。実はちょっと傾向が、とか、息子の従兄弟が、とか、友達の子が、とか。
いいぞいいぞ、身近な人への愛こそが知識を浸透させる媒介になる。こんな私でよかったら、何なりと聞いて。話もブログも長いけど、ありったけをお見せするわ〜ん。と、いう姿勢でお待ち申し上げている。
ジヘイちゃん、という事実は永久不滅ポイントなので、それなりに大変だが、私はジヘイちゃんマニアにして、ジヘイちゃんを愛しているので、気落ちする必要は全くないじゃーん、おもしろいぜぇ。といつものようにお返事した。
そしたらさーっ(ここから怒りモード突入なので、心穏やかに過ごしたい方は、ここでお別れです、ではまた明日)。
もう完全に「きっぱり、認めません。うちの子はそんなへんてこな病気なんかじゃありません。こんなとことこんなとことこんなとこが違うし!」なんだ???
認めたくない気持はわからんでもないが、んじゃうちの福助はどうなんだよぉうっ!! 何だとおもってやがったんだよぉうっ!! と、憤慨したのち、気鬱になったのだ。
てめ、やってるこたぁたいてい同じなんだよ。
お天道様が登って朝起きて、ご飯食べて、やるべきことやって夕焼け空を見たらおうちに帰って、ああ極楽ぅなんて言いながら風呂に入って、うまいなあと思いながらゴハン食べてさ。で、今日はこんな幸せな事があったよって、家族で幸せを分かち合って、歯を磨いて寝るんだよ。いい夢、見てな。
それは、健常でも障害児でも同じなの!
親が子に与えられる最大の幸せは安心。
子どもからの見返りは、その存在。
その幸せの質に、大差ないの!
健常だから幸せが1.5倍増しってこともないしね。
そんなこともわかんないなんて、ばっかじゃないのー!!
私の尊敬する友達には、健常のくせに、何故か虫に異常に固執したり、協調性が皆無だったり、オヤジへの媚が抜群だったり、都市整備と東京の未来をずーっと考えていたり、女の子なのに鼻の穴に綿をたっぷりつめてガッツ石松顔で鼻血ケアしても全然平気で学校に行ったり、母親名義のどうぶつの森の住宅ローンをあっという間に完済する孝行息子だったり、英語しゃべってたり、珠玉の名言を吐く詩人だったり、レゴの名手だったり、逆にまるっきり普通すぎて個性が発見出来なかったりする、ある意味突拍子もない、育てにくい子どもが多い。そのグレイゾーンみたいな変わり者のお子たちがよりよく生きられるためにと親たちはみんな涼しげな顔をしつつ、歯を食いしばって子育てしてんだよ。
「うちの子、変でさぁぁぁぁ〜」
と、嬉しそうに自慢してんだよ。そういう中に、福助の「サッカー狂」もいれてもらってんだよ。お・ん・な・じ・だ。
まったくもー、どこからが個性でどこからが障碍だ、そんなに偏見があって障碍がイヤなら、ちゃんと線引きしてみせてみろってんだ!! 障碍なんて、とびっきりの個性じゃないか。個性的な子がいいんじゃないのかよ、自慢こそすれ、卑下する必要なんかどこにもねぇよ。
「社会の迷惑」などと2ちゃんねるで書かれているのを読んで傷ついたと言われても、悪いが共感出来ないな。君がそう思っているから、そんなくだらない言葉が心に入り込むんだろ。鼻で笑ってやればいいんだよ、男だったらしょんべんひっかけてやるぜ!ぐらいの気概を持てよ。それでパソコンにひっかけても何だけど。
と、憤怒は続くのだ。
自分が傷ついててどうするんだ、子どもを守れなくなるぜ。
そういう意見を公然と書くヤツもどうかとは思うけどさ、そんな見たこともない関係ないヤツが何言ったって関係ないねッ! 自分に関係がある自分の周りにその分、気を遣えって。万一、子どもが迷惑かけてんなーと思ったら、自分が働いて還せばいいじゃんか。
一生懸命子どものために働いている親に向かって、面と向かってそんなこといえるヤツがいたなら、そいつこそが社会の迷惑だって、黙っていたって社会が審判してくれる。
第一、そんなくだらない板読んで泣いているヒマがあったら、本の一冊も読めって。その方が百倍、子どもと自分のためになるだろう! 方向が違う違う違う!! 人様の目を見るな、自分の子どもの目だけ見とけ。目線があわなかったら、まず目線を合わせることを目標にしろ!!!
ああちょっとサッパリした。やっぱ、憤怒はいいわ。気鬱より憤怒だな。
時々、健康のために、憤怒しよう。
受け入れには時間がかかる人がいる。
それは自分の中にある偏見や不安との闘いだからだ。
逆に言えば、偏見を取り除き、不安に対して見通しが立てられれば、ひとまず状況は飲み込めるということだ。そういう闘いはどんどんやればいい。やる気まんまんマンになって、どこまでも闘うんだ。自分の体力と知力がムキムキしてくることの喜びも同時に感じられる、醍醐味いっぱいの育児が待っている。
自分強化トレーニングになっているのが、子育てのもっともおもしろいところだ。たまたまそのトレーニングコースが、優秀な子女を育てるみたいな、らくらくハイキングコースではなく、問題の多いがちがちの登山コースだったというだけで。
なんの、どんとこーい! K2!!
中には初心者なのにいきなり厳寒の冬山がご用意されていて「ピクニックのつもりだったのにぃ」と泣きたくなっちゃう人もいるかも知れず、それはよーくわかるんだけどさ、泣いている間にも、子どもは食べて眠って、成長し続けているからね。
大丈夫、仕切り直して装備整えていけばね、きっとなんとかなる。
助けてくれる、経験豊富なシェルパもいるから。
頑張ろう。泣いて過ごしても60年、笑って過ごしても60年だ。
頑張ろう。笑い転げながら、生きていこう。
今、身近なママ友の中にひとり、息子さんの広汎性発達障害をまだうまく受け入れられない方が。告知されて半年、まだ動き出せずにいる。福助のことをいつも気にかけてくれた人なので、福助の存在が今度は彼女の助けになればいいなと思う。
彼女にしても、彼にしても、うまくスイッチが入ってくれればいいなと、心から祈る。
刃物男、ーーーーーキターーーーーーー!
あ、あの可愛い顔文字が使えないわ、ババアだから。
集団登下校になってます。
ちょっと青ざめるPTA。
で、本日もまた不審者情報が携帯メールに飛び込む。
ドイツ人、ーーーーーキターーーーーーー!
……って、ドイツ人って何? 不審者はドイツ人限定? なんでドイツ人ってわかったの?
「アルトバイエルンッ」
とかいいながら、ゾーリンゲンでも振り回していたんだろうか。
そして、深夜にまた携帯メール、ーーーーーキターーーーーーー!
「ドイツ人は、昨日の刃物男と同一人物、の謝りでした。謹んで訂正します」
今日いちばんワラタ。
それから、誘われてある学校の文化祭に行ってみたんだけど、そこにメイド姿の女子学生がいてひっくり返った。ロリ萌え〜とか、もう、普通なんだね、教育現場では。けど、若い男性の先生は大変なんじゃないかなあと、しみじみ思ったりしました。
ハァハァ。使い慣れない用語を使うと、大変に疲れますので、今日はこの辺で。
大量にお弁当を積載し、ちょっとふらつくおばちゃりで、小僧を後ろに乗せたまま暗い道を行く。
「あ、あの人は」
と、後ろに積んでいた小僧が、その女性を抜かす間際、叫んだ。
「あ、ほらやっぱり、戸沢さんだ。戸沢さーん!!」
後ろを向いて手を振っている。まるで、青春ドラマのように。あたかも、旧知の方のように。さもなくば、幼稚園のお友達のような気安さで。
戸沢さんは相方のアシスタントである。今回で三度目のお目見えである。小僧は、前二回、ご挨拶をちらっとしただけに過ぎない。
「歯が抜けてさー」
と、五万回、幼稚園のママ友をつかまえては一人一人に繰り返した話を、併走して一緒に家に向かう戸沢さんにもする。
戸沢さんがいい感じに受け答えしてくれるのがうれしくて仕方ないらしく、弾む会話。
すごいなあ、人見知り、しないなあ。なんでだ? 戸沢さんが小僧のタイプなのかな?
買ってきたお弁当、普段は決して食べないおでんのゆで卵にも手を出してみたりして、それなりに男らしさをアピールしているつもりなのがおかしい。いつもなら、コレ食べられない。と言うのに、今日は私に目配せして、食べられないゴメン!と手刀で訴えている。お、高等テクニックだね。お弁当で好き嫌いをするのはかっこ悪いことと徹底教育されている園児なので、なんかこう、男を張りたかったのだろう。
大人であったら、「まずはお友達からお願いします」と、握手を求めたかったのだろう。
夜のおとぎ話。といっても夜伽のことではなく、毎日の読み聞かせ、本日の演目は「裸の王様」。
ワハハ本舗の「ダンス王」初演の日に、ちなんでの。
ああ、ファン愛である。
ワハハに直接興味はなかったが、ポカスカジャンのタマちゃんが音楽を担当したとか、のん様も痛い肉離れを押してぎったんばっこん踊っていらっしゃると思うと、応援の力も入るというものだ。
最近、私の創作編はキャラの作り込みとして、王様や殿様がバカっぽすぎると相方からだめ出しが出ていた。そこで、今日はチョイ悪オヤジっぽさを出して、イメージとしてはジロラーモさんにしてみた。家来のキャラは濃いめ、インチキ商人は意外にもスマートなキャラに立ててみたら、案外ウケちゃう。笑ってもらうと例え子どもでも嬉しくなっちゃって、寝る前クイズ込み1時間近い大熱演になってしまった。その場で勧進帳なものだから、際限がない。二階では戸沢さんがコツコツ仕事をしてくれているというのに、私ったら深夜に、何、腹式呼吸で、声色変えて、汗までかいて。
明日は通常どおり、何か無難な、きちんと書かれた童話を二冊、音読するにとどめたい。でも、おもしろくないと読んでいても、つまんないのよね。
昨日から始まった朝のテレビ小説「芋タコなんきん」が抜群に面白い。
私は藤山直美さんを心の底から敬愛しているので、彼女の出るテレビは必ずチェック、舞台も時々見に行っているのだったが、今回はすでに初回から、がっちり心を握られてしまった。
この人の番組は見る、という役者さんは、阿部寛さんとか香川照之さんとか、まあいるにはいるんだけれども、最近は時間なのかトシのせいなのか、ドラマそのものを見続けることができなくなっている。
映画なら全部見るけれども、そもそも映画があまり好きではないので、大ヒット上映中か、役所広司さんとロビン・ウィリアムスとトム・ハンクスとフォレスト・ウィッタカーの出る作品ぐらいしか、チェックしていない。
音楽は洋楽を話を合わせる程度にしか知らないし、好きなライブはお笑いライブとか寄席ばかり。お芝居は逆に歌舞伎から学芸会まで、何をみても楽しい。ある意味、とっても偏ったかっこ悪いンターテイメント趣味であるから、レビューは一切書かないのだが、「藤山直美はいい」。これだけは、もう、絶対に。
あんな女優さんになりたいか、と聞かれると、畏れ多くてとんでもないが、あんな人と友達になりたいか、と聞かれたら、友達なら、さぞ楽しく、さぞ自慢だろうなあと思う。
自慢の友達、なんてさりげなく書きながら、友達ってどこまでが友達なんかなあ。と、ちょっと思う。
テレビの中の人は全く別世界の人か、というと、俳優さんにこそ知り合いはいないけれど、友達と呼んでも多分相手も怒らないだろうという人たちが、普通に時々、テレビに出ていたりする。
このあたり、距離感が難しい。恋人なら、二度目に致したらもうつきあっているといっていいみたいな指針があるが、友達というのはハグした数では計れないからなあ。
例えば、お仕事を一度させて頂いてから、私はタマ伸也さんを「お友達」だと思っている節があるが、メアドは知っていても(仕事だからね)、もちろん住所などは全くしらない。6日に「ダンス王」を厚生年金会館に見に行くつもりだが、当然そこでは全身全霊、ファンである。
mixiというソーシャルネットワークでは、ともだちを「マイミク」と呼ぶが、そういえば本名も知らない「友達」がたくさんいることにも改めて驚く。それでも何人かとは精神的距離がぐぐっと近づいていたりするから、ネットって不思議だ。
ここ万華鏡のD面さんのコメントで、「西原理恵子さんが復縁かな?」と知っても、彼女のファンとしてよかったなあと心で手を合わせるぐらいで(こらこら、黙祷してどーする!)、わざわざ「うわあおめでとうございます、私もうれしいです」と申し上げるのも、紅白まんじゅう持ってお尋ねするのも、こう、何か出過ぎた真似な気がする。
相手が有名すぎるから萎縮しているというよりは(それもあるけど)、優しく礼儀正しい西原さんが、私がひどい落ち込み状態にあるとき、元気づけてくださる贈り物があり、感激した私がまたつまらないものを送って、みたいなことが何度かあった程度で、感激している私の度合いは本人だからわかるけれども、サイバラさんが私に感じる友情など鼻くそほどかもしれないなあと思うからである。実際お目にかかったこともない。例え、私が彼女に感じる敬愛が韓国あかすりエステでこぼれ落ちる全身の垢ほどだったとしても、である。
だってビッグネームだもの、常に友人に対し全身の垢の量をキープしていたら、肌がずるむけになるだろう。鼻くそもまた、よし。
小僧の世界に、なぜすんなりと戸沢さんが入り込んだかは謎だが、友達になりたいと思うのは偶然の波長なのかもしれない。
ただ、その友情をキープして、友達でいるためには必然がなければならないのだなあと思う。
二十年近く前に偶然友達になって、長いこと必然的に友達だったのに、ここしばらくなぜか音信不通になっていたアメプロ業界の第一人者・斉藤文彦氏とmixiで再会した。
彼は相変わらずハッピーかつヒッピーに暮らしていて、それがすごくうれしかった。
うれしかったけれど、彼の近況を、全然知らない人から聞いたのは、寂しかった。
なつかしいね、また会いたいね。と、お互いにメールを交換しても、実際に会ったら、夜通し一緒に遊ぶみたいなことは、大人だからもうできない。
当時、一緒にフラフラ遊んでいた友達Agは、気がついたら社長になっていて、ここ烏山からどうやら自転車で行ける距離に家を買ったらしいのだが、決して会おうとはしない。
Fumiとも、そのAgとも終生、友達だと想うけれど、友達というのは、どこからが友達で、どこからが知り合いなのかが難しいなあ、などと、青臭いことを考えている。その度合いはうまく計れない。まあ、そんなのもあり。
こっちが好きだから、それでいいか。
小僧がこれから行く小学校に、小僧の最も仲良しなクラスメイト数人は通わないことを、福助は今日、知ってしまった。ボクもその子と一緒の学校に行きたい!と言いだしていて、ややこしい。
その事実で小僧は少ししょげていて、そんなときに戸沢さんをみてなぜか元気を取り戻していて、今日はなぜだか私の友達について想うところも多く、おかんはぼんやり「友情」について考えていたのであった。
ご近所のスーパー、今日は一人でお買い物。
「鈴木さ〜ん」
と声をかけられてP子のクラスメイトのママさんが私の後ろに並ぶ。
いつものように世間話……なのだが、ああ、気まずかった!
そこのスーパーは、お値段読み上げをするのだが、半額シールが貼られたものの時にはご丁寧に値段の後、「半額に致します」と言うのだ。
そして今日私の籠に入っていたものは、のきなみ半額だったのよ。
世間話の合間合間に「半額に致します」「半額に致します」「100円引き致します」「半額に致します」って合いの手が入るって……これ、結構、罰ゲーム。
奥さん、どう思います?
今日食べるものだ、半額上等!! と思うから、普段なら何でもない。
むしろ、賢い主婦じゃん!
なのに♪どうしてなの、今日に限って安い半額を買ってた……っていうかさ、普段はここまで半額づくしじゃないのにさ。しかも、半額商品だけで今日はいつもの倍、大量買いしててさ。
間が悪いよ、悪すぎるよ。
この半額シールは子どもにもしっかり根付いてしまっているらしく、しっかり者の娘P子は母・ヨシコと買い物に行った時、半額シールがついているかを確認して肉を買ったことがあり、母・ヨシコは「大事な女の子に、けちくさい教育して!」と憤慨していた。
しかし398円のオージービーフなら、800円の上州牛半額の方がいいと思うんだよ。国産牛しか食べないクチのおごった娘をけちくさい呼ばわりされてもなあ。
ところで、お店屋さんごっこが流行っている我が家では、現在、福助がTシャツ屋さんを営んでいる。商品一点ずつにコピーと値段が付いているのだが、これがナイスなの。
「なんとマクラをもらうと このTシャツをプレゼント」
……商品はいきなりオマケだったりするから。
「なんと! あたりくじがあたると あんしんO円」
……ほしいかもしれない。
「なんと 中国のTシャツ 上からかくと すごいきもちいい」
……絶対、ほしいだろう。
「ブツブツで いいヅボン」
……なんとシリーズ終了かいっ! そのほか、
「すっきりして ある<け>やすい」短パンだったり、「ミッキーハウス」というバチモン帽子だったり、「らくちん かわらない ラララ」Tシャツだったり、とにかく彼のTシャツおよび服にかける愛と意気込みだけは、確実に伝わってくる名コピーの数々。
ただし、福助の店は、どれも高級品である。
買いに行って、「半額にしてよ」と値切ると、片手に電卓を持って寄ってきて、にこにこしながら「このお値段でどうですか?」なんて言う。
しっかりアジアの商人のようでもあり、逞しいが、決して大きな値引きはしてくれない。
2歳の頃から着る物へのこだわりは人一倍で、嫌いな服は絶対に着なかった。
この服にはこの靴、というのにまでこだわるので、言葉が出ていない幼少期にはなぜ靴を抱えて泣いているのかさっぱりわからず、勘弁してくれ〜と思うこともあった。
当然、今でも幼稚園に着ていく服は、それぞれテーマをコピーにして自分で全部コーディネイトしている。ちなみに今日は「秋色のシャツと悲しい空のズボン」だそうで。(註)あかね色と紺と白のチェック柄シャツと、グレイパンツ。
ブティック福助に並ぶシャツ類も、結構綺麗な色味の組み合わせなので、見ていてとても面白い。
一緒に毎日のようにスーパーにはお買い物に行っているというのに、福助はご近所のスーパーに関してのみ、半額シールがついているのがキライだ。多分デザインの問題なんだろう。
そのせいなのかそれともTシャツへの愛ゆえか、福助は絶対に半額にはしてくれない。
「やっすいですよ〜、このお値段でドウデスカ?」とにこにこ電卓を叩くだけ。
しかし、二つ買うので、三つまとめて買うので、これこれいくらでどうか。というと、突然ものすごーく安くなったりするから、時々誤魔化してそんな風にまとめ買いする。賢い主婦だなあというよりは、なんかこう、騙しちゃイケナイものを騙してしまったような罪悪感が残るんだけど、この続々生産されるコピー読みたさに、やっぱりたくさん買い物してしまうのだった。
迷ったときには、まずどこにいるかを確認しよう。
そして、目的地がどこだったかを思いだそう。
深呼吸したら、その目的地にたどり着くための、最大の努力をしよう。
註)またしても長文になってます。
活字マニアでない方、すみません。私のゆるゆるな「学校観」について語ります。
アジアを相方と、ぬる〜く放浪したことはあるが、そこで暮らしたことはない。
一人で出かけた海外は、長くてもせいぜい1ヶ月かそこら。
友達の家だったり、サービスアパートだったり、ホテルだったりしたが、すべて「そこ」に住むための手続きなどは不要だった。
まあ、ふらふらと、バブリーなおねーちゃん(165センチ・53キロ・ナイスバディ)が留学もどきで遊んでいたわけで、ひと皮ふた皮むけて巨体になった今でも、私は海外旅行が大好きです。
んでね、何が言いたいのかというと。
これって、ものすごーく、今福助の置かれている状況に、似ているなあと。
海外に行っているとき、私は同胞を避けて、現地人と友達になりたがった。
現地で遊ばなければ時間が惜しいとすら思った。
同じ寿司バーでも、日本人が握る江戸前のいい仕事がしてある寿司より、韓国人が握ったファニー寿司を食べたいし、そこでみそ汁の汁椀を持ち上げて飲んで「行儀が悪い。汁椀は置いて、顔を近づけてスプーンで飲め。まったく、マナーを知らないな」などと叱られてビックリしたのが嬉しかったりするのだ。
異文化コミュニケーションだよね。
どこにいっても中国人と間違えられる団子っ鼻のYukoだから、日本人じゃないフリも楽しかったし、日の丸をみるとちょっときゅーんとしたりするぐらいにはホームシックにもなったりし、それはそれで日本人を噛みしめたりもした。
数々のハンディーがあるから、パーティーでは完全な仲間には入れてもらえなくても、そこで暮らすわけではないのだから構わない。
その適度な距離感が、私を閉塞感から救っていた。
さらに、仲間として誘ってもらえたら、それはそれで嬉しい。
特技が何かひとつあれば、すぐに友達ができることもそのときに覚えた。筆ペンを持参すると、たいていのパーティで人気者になれた。日本の伝統や歴史に興味をもったのもその辺りが遠因だ。
福助の学校生活って、私の海外生活と同じようなものなのだろうとどこかで思っていた。
自閉の国からやってきたちょっとチャームな王子様は、適当に異文化を楽しみ、ときどき健常のフリしたり、やっぱりアイデンティティを思い知らされたりしながら、馴染めないときもあるけど、基本的に楽しく遊んで学べばいいやと思っていた。
マイノリティーで、ハンディがあって、そこがすべてにはならないスタンスで。
だけど、楽しいから、大好きな場所。
学校が、そんな風なところであればいいなと思っていた。
まあどうしても水が合わなければ、帰ってくればいいんだし、渡航先を変えて仕切り直せばいいんでしょう。ぐらいの気持ちでいた。
逃げ道がないことぐらい、つらいことはないもんね。
間違えたら、何度でもやり直せばいいんだよ。
家庭と、もうひとつふたつ、居心地のいい自分の好きなことや場所。
そんなのがあれば、充分ハッピーに生きていけるだろう、と思っていたからこそ、私は最初の診断の告知にもそんなに落ち込まなかったんだ。
ドクターが言った「おとうさん自由業ですか! 福助君が育つには最高の環境です。もうひとり、アーティストがいると思って、大切に育ててください」という言葉も、ずーっと私を支えてくれていた。
私も相方も、学校にはそんなに重点を置いていない。
アーティストに学歴は要らないし、勉強はしたいときにすればいつからだって間に合う。
そして学生時代には見えなかった面白い学問が、社会に出てからはたくさん存在していて、学びたいことでこの世は満ち満ちているからだ。
面白そうな、夢中になれることがひとつでもみつかれば。
海外(=普通学級)に行って最低困らない程度、できれば楽しめる程度には英語を学んでおけ、とばかりに、療育を施してきた。まずは入国管理局がOKを出す方向で、気軽に旅行を楽しめることを前提に、おかんは時にスパルタで、あるいは忍耐強く、準備は万端だったんだが……入管でちょいとひっかかったね。
家庭と、もうひとつふたつ、居心地のいい自分の好きなことや場所、と書いた。
それが、通級かもと思ってみたり、すでにサッカーがあるんだからいいんじゃないのと思って、迷ってみたりだよ。
で、考えていく内に、どうしても私にとって、通級が「日本人会」や「日本人街」みたいな存在なのだと気づいた。
もちろん、暮らすならそういうコミュニティーが必要になるのも、仕事でも海外行ってるから、よく知ってる。
いいところだったりすれば、当然暮らすことも想像するからね。想像はタダだ。
定期的に自国語が話せる環境は必要不可欠だろうなあ。マイノリティーが言葉もろくにできないのに、一人で何もかも背負うのは無理だよなあ。偉大なる先人の切り開いてくれた道を行くのが懸命ってもんだと、女一人生きていくなら「日本人村」の居心地のよさをきっと再確認することになると思うのだ。
ほら、通級と似ている。
マイノリティーが、自分たちの言葉を理解しやすく、それが大きな息抜きになり、同時にそこで生き方を学ぶあたりも。
しっかり手続きとらないと入れてもらえないところも。
ふらりと一見さんでも運が良ければいい人に巡り会えるなんてところも、実際に素敵な人がたくさんいる辺りも。
学校だけに、「暮らす」のことを考えないといけませんな。
って、大喜利か?
だが、福助にとって学校という存在が、第二の祖国状態になる場所とはやっぱり思えないんだ。
そんなにがっちり根ざすことはないだろう、と思えてならない。
入学して生徒になると言うことは、地域も込みで行動することになり、学校は生活の一部あるいは全部になる。
つまり、旅行者が現地人のフリをするようないい加減なことではなく、ちゃんと手続きをとって在外日本人として保護されるべきは保護されつつ、生きていくということなのかもしれないんだけれども。
それはP子の経験でよくわかっている。
P子はそれでいい。顔も十人並みのマジョリティーの権化だから、学校によく馴染み、成績もよく、友達とも上手くやっていて、この先も学校で多くを学ぶだろう。学校を第二の祖国として、第一の祖国、我が家同様、居心地のいい場所として楽しめばいいと思う。
だが、福助は……。
がっちり、日本人会へのご挨拶や決まり事もあって渡航するとなると、私ならつまらない。
同胞とつるむことは、とけこむべき、新しい異文化への壁となる場合もある。
どうしても困ったときの駆け込み寺として日本人会があるのは実に心強く有り難いが、企業の赴任地として渡航した経験がないものだから、海外に行くなら、「そこでやるべき仕事がまっているから効率よくこなそう」というよりは、「自分に向いていそうな何かへの出会いの場」であって欲しいのだ。
困ったときの通級でいいじゃないか。学校で出来ない仕事があっても「しょうがない、でも、ボクにはサッカーがあるからいいや」で、いいんじゃないか。あるいはサッカー以上の何かがみつかれば、多少人間関係でしくじるのもまた、試練を知ったということで、価値がありはしないか。
自閉症と知ってから、学校とはその程度のあっさりした関係だろうと思いこんでいた。
平均的に優れた人間を作るラインに乗ったら、福助の個性は輝かない。
普通においしい、って「それってほめ言葉?」にもあったけど、普通においしいだけじゃ食っていけないのが自由業なのだ。
そして、自由業っていうのは、自由業しかできないから自由業をやるんであって、福助は多分、「それしかできない」何かをもった、自由業系の人なのだ。
たいていの自由業者が学校にうまくフィットしなかったように、最初からそこには期待していないから、がっちりシステムに乗っかるのが腑に落ちなかったのだ。
ああ、なんか整理できて、ちょっとさっぱり。
方向を間違えている感じというのは、自分の主軸がぶれたからだったのか。
私ははみ出し者を恥じてはいない。だから、はみ出し者をはみ出さないようにするつもりもない。
腹の肉ですら、堂々とはみ出させている中年女である。怖いものはない。見苦しかったらごめんなさい。福助がおこすかもしれない問題を、菓子折もって謝りに行く覚悟なら、いつでもできている。
そして多分、いまのところその懸念がないことが、自由旅行へと誘うのだ。
命に別状がない病気なのに、告知されると真っ暗になっちゃうのは、きっと「きっちりふつうにおいしい」人生を送ってきた人だからで、それ以外のサンプルがないから不安になるのだろうが、自由業には自由業の、気楽さと楽しさが待っている。
もっと安心していいんだよ。
全部会社が請け負った上でタイに赴任したがノイローゼになり自殺した人がいる一方で、ふらふらとタイに自由旅行してそのまま住み着いちゃう人もいる。だから、学校という異国との関わり合いが、人によってまるで違うという前提は踏む必要がある。
ただ、ものは考えようで、前者のようなものごときっちり考えるタイプでも、自分の子どもだけは「特殊能力が備わった、天才かもしれない人」として生を受けてしまった以上、何の因果か、その「人類史上大事なお子を育てる」勇者として選ばれちゃったのだと思えば、こんなに面白い冒険もない。
そうやって育ててきたんだから、とりあえず学校は「適当」でいいような気がする。
……さすがにそんな結論だけ見たら、それでも親ですか、と言われるかもしれないなと思う。
自信を持って、「それでも親なんです。福助のことを誰よりも愛しています」と答えよう。
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