本日のサッカー、一点入れたら、マックでポテト。
という提案だったのでOKしたら、本日の夕食はマクドナルドになってしまいました。
こういうのはアレだね、やっぱり自分の足で稼いだ、と言っていいんだろうかね?
サッカー部では、必要なかったので福助の診断名はカミングアウトしていない。
すると絶賛されるわけよ、福助君。
始まる前も終わったあともシュート自主トレして、微動だにせずコーチの言うことを聞き、課題は決してごまかさず。そして試合の最中一秒たりとも集中が途切れず、たいてい毎回得点にからむ。
ものすごーく正直に言う。
とっても、楽。
まわりのお母さん方に、「普通」に接してもらえるって、ホント、すごい楽かも、と思う。
誰かのネタに、干支を意識するのは年賀状を書くときだけで、夏休みにああ今年はいのしし年だねなんて誰もいわないって言ってたけど、入学当初だけうわさされても、あとはもうすっかり診断名なんて忘れてもらう前提でつきあってくれるといいんだけどなあ。
かわいそうがられたり、こわがられたり、やけにいたわられたりするのが苦手だ。
治るもんでもないんだけど、ちっともかわいそうじゃないし、噛み付かないし、健康で毛づやもいいし。
「この前、道であったときに普通にご挨拶できたのよ、うれしくなっちゃったわ。すごいわねぇぇぇぇ」
なんて大げさに誉められると、なんというかこう、リアクションに困ったりする。
いや、ありがたいのよ。ありがたいんだけどさ。
普通の年長さんならできて当たり前のことだからねぇ。P子のときにはこの程度でそこまで絶賛された記憶がないので、空気が重くなるっていうか、重力が変わっちゃう感じがして、バツが悪い。
その誉め言葉が必要だったのは二年前だったんだと思う。
幼稚園のママたちが率先してやってくれた話は以前も書いた。その教育効果は著しかったんだけど、今はどうかなあというと、うーむ。微妙。
療育の行程で必要になる支援がちがうのは、月齢で使うオムツの大きさと機能がずんずん変わっていくのに似ている。
もちろん寝る前パンツ型がなければ、新生児用横止めオムツだってないよりはずーっとマシなわけで、こんにちわと福助が言ったのに無視する大人よりは何千倍も心強い支援なのだが。
このあたりが微妙な親心だな。
オムツ離れしてから、オムツをお祝いで頂くような困惑っていうか。
福助は普通学級に行くわけで、まるっきり普通に接してもらっていい。
「あのお母さんは療育に自信があるって言うけど、教育委員会の決定を蹴ってるのよ、学級崩壊したりしたらどう責任を取るのかしら」
みたいな気遣いは今のところ(期間限定ですみませんね、将来のことはわかんないんで) 無用だ。
そんな風に心配する声はどんな小声でもちゃんと届くのがちょっと厄介だけど、そう懸念する優秀なお子と見比べても、多分そんなに遜色はない、お奨めの逸品ですよ。
今の弱点は、一度聞いただけで理解するのが難しいところ。
なので、毎晩特訓中。サッカーネタなら想像力も完璧ということがわかったので、退屈な内容でも聞き取れるよう、ちょっと工夫中た゜。あと三ヶ月、成果を楽しみにしよう。
関連して、普通の男の子がするようなことも、なまじ診断名知っていると、全部その傾向と重ねられちゃうことがあって、
「やっぱりそれは……病気だからですか」
と遠慮がちに聞かれたりすると、どう考えても腹が減ってるからだろうよ、というときなんかは、、
「んー、多分お宅のお子さんと感じ方も態度もかわらないと思いますよ」
と、はかなく抵抗してみたりすることもある。
幼稚園ママのゆうちゃん(仮名)は
「うちの子となんら変わらない。男の子だから、うちの子にも同じ傾向を見ることができる。むしろ、才能という点で特出していると思う」
と、真顔で言ってくれたことがある。
自閉症は究極の男子脳。男子ならみんな持っている傾向がちょっと濃縮されている状態と思っていただけると、わかりやすい。勝つことへのこだわり=階級闘争、完璧主義、コレクター魂、空間認識の高さ、孤独の悦楽、想像力より記憶力。そして言葉で女にかなう男は少ないように、言語感覚の弱さがある。
そこからと゜れぐらいいい男になるかは、欲求の強さと自分の努力だ。福助は少しばかり欲求の方向が狭く、少しばかり人より努力しないといけない。
ただそれだけのことで、野蛮なままの人よりは一緒にいて快適な、いい男だと思う。
ある特別な能力で仕事を続けているママ友りんかちん(仮名)は、
「テレビで見てたら、あたしにも当てはまったよ。あれでいくと、全員傾向の人なんじゃん?」
と言った。自閉症ってひとくくりにしても、それぞれみんな違う個性があるからなあ。
半世紀前には花粉症という病気はお嫁にもいけないほど忌み嫌われていたと読んだことがあるが、そのうち自閉症も花粉症レベルになってくれることを祈るよ。
診断名はあくまで目安みたいなもので、個別にいろいろ事情も好みも違うんだという事実が、全国に広がってくれたらいいんだけどなあ。
そして、できれば腫れ物じゃなく、「普通に」接してくれたら助かるなあ。
それでも、がんばってもがんばっても、どうしてもクリアできない部分があるのが障害だと思うんだよ。
普通にできない。
そのときに助けてもらえたら、本当に助かる。
誰にでも折れる鶴が、私には折れない。どんなにがんばっても美しくならない。
哀れまれたり、過剰な世辞より、代わりに折ってと思う。
でも、私にはなんでもなかった50m7秒が、どうがんばっても8秒台、9秒台になる人もいる。
そのできないことを、ことさらかわいそうがられたら、ちょっとイヤなんじゃないかなあ。
もちろん、年老いていけば能力が低下していくので、釈迦に説法、そんなこといわれなくてもわかるかもしれない。今は12秒ぐらいかかります。
障害って、自分の持つそんな苦手意識を拡大してイメージしてくれればわかりやすくなる。
10秒なら陸上選手になれないというだけで、サバンナに住むチーターだったら憂うべきかも知れないけど、幸い人の社会は複雑。別に可能性はほかにもあるんだな程度に思っている。
足で稼げるようになってくれたら御の字だけど、それを親が言うと期待が重くなりそうだから言わないでおくつもりだ。
無限大の可能性を持って生まれて、少しずつ可能性を絞り込んでいくのが大人になるということなら、最初から選択肢が狭かっただけのことで、悲しむべきことでも何でもないです。
大事な大事な友達からもらった言葉で、
”「障害児」というラッピングはちょっと乱暴だけど、包装にごまかされずに中にある宝物の子ども、そのギフト本体をいつくしむ気持"
という表現があって、ああなんてわかってるんだ!と思ったのよ。
どんな子であれ、どんな人であれ、その差は俯瞰で見れば見るほど、「ちいさなこと」。
72センチのおっぱいも、85センチのおっぱいも、99センチのおっぱいも、産めば乳が出ます。そして、乳汁が出るおっぱいはいいおっぱいです。その一センチのためにがんばる若さも、素敵だけどね。
大きな大人の視野で、ひとつ、普通にお付き合いいただければ幸いだと、たらちねの母は思う次第であります。もう、しぼしぼ。
愛読させて頂いております。
最近思うのは、
子供を持てて(産めて)羨ましいなぁ〜
と言うことです。
私自身
十代からの病気と障害が原因で
これまでも、そしてこれからも
(血の繋がった)子供を持つことはないでしょう。
(病気と障害があるから)
「結婚出来てよかったね」と言われたくらいです。
お子さんに障害(と世間では言われる)があり、
日々格闘されている姿に敬服しつつ、
子供を持てない女の、
その哀しみも、ちょっとでいいからわかってね。
横レス失礼します。
ゆう子さんは最初の双生児を生後すぐに亡くされています。
懐妊に至っても、そういう哀しみもあるので、強く生き抜いているゆう子さんを、ほんの少し見直してあげて下さい。
腎臓の病気は私も抱えているので実に痛み入ります。いろいろ調べてみると、「おお、男性はまだましだなぁ」と感じました。
「不治の病気」は受け入れ難く苦しいものですよね。
長野冬季パラリンピックで「障害者だからって、どうしてくよくよしてなくちゃいけないの」と明るく笑うスレッジ・スケートの女性選手の姿で、私もようやくふんぎりが着いた次第です。
今生は一回きり。
嘆いたり恨んだりばかりで過ごすより、ちょっとづつ笑ったり喜んだりしていきましょうよ。
>強く生き抜いているゆう子さんを、ほんの少し見直してあげて下さい。
>今生は一回きり。
嘆いたり恨んだりばかりで過ごすより、ちょっとづつ笑ったり喜んだりしていきましょうよ。
これはもしかして、
私doaranへのコメントですか?(すいません。違ったらごめんなさい)
私は、ゆう子さんと同じ?ラテンの匂いを感じるから愛読しているんです(笑)
日々愉快に&一生懸命過ごしていますよ(^^;;
ご心配ありがとうございます。
トロ〜ロ様は、腎臓のご病気とのこと。
どうぞご自愛ください。
失ったものを嘆いたり嘆いたり恨んだりしている人生は空しいです。私もそう思います。
自分を不幸だとか不運だとか、
私、一度も感じた事ないですよ〜
むしろ心底感謝しているんです。
(判ってもらえればよいのですが)
それら全てをもってしても尚、
「子供を持てて(産めて)羨ましいなぁ〜」
女として?拭い切れない本心です。
人生はポジティブシンキング!
そう思って生きてきたのですが、
doaranさん
コメントありがとうございます。
いつもいつもブログを書くときに、ほんのちょっとだけ心が痛んでいるのは、私にとって幸せは家族、ことに子ども!といい続けている点です。
私の大切な友人に、産まない選択をした人がいます。親友には、産みたいが産めないという人もいます。彼女たちがこれを読むときにどう感じるか、私の指針になってくれています。
もちろん、彼女たちは大変ハッピー。私のハッピーもきっと別の角度から楽しんでくれている気がします。ラテン系というかガテン系というか、こう元気で能天気なあたりがね。
でも、今回ちょっとご指摘のように配慮に欠けたと思います。
幸せにはいろいろな形があります。おっぱいにもいろいろな価値があるように。で、青い、を、若いに訂正しました。でないおっぱいがよくない、みたいなつもりは毛頭なかったんですが、青いだと、ちょっとこう、成熟したら産んで出せ。みたいに多様化を認めないように読めなくもないなあと思って。
たった一言ですが、想いをこめて。
今後ともヨロシクお願いします。お体、ご自愛くださいね。
トロ〜ロさん
腎臓、大変ですね。寒いとよくないってききました。お大事になさってください。
あ、強く生き抜いているってほど立派でもないです、恐縮です。立派なのは、体型だけかも(苦笑
追伸
多分誤解されないとは想うんですが、念のため…。
最初に書いた、「心痛む」のは、同情ではなく、
単純な主張を続けていくことで、そうでない方が
嫌な想いをされないといいなあという意味です。
いろいろな家族、いろいろな夫婦、いろいろな親子。
あるいは、いろいろな個人。
それぞれがハッピーでありますように。
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