2006年12月21日

「やさしさ」について

たぬきだった?
いや、夢だったのかも。
しかし、朝、空きペットボトルが転がっていたので、あれは夢でも狸でもなく、私の大切な友だちだったのだと確信した。狸にしちゃ、いい匂いだった。

深夜、電話が鳴り、道路にパジャマにコートを羽織った彼女が立っていた。
私が落ち込んでいるのを知って、車で遠くから駆けつけてくれたのだ。
ペットボトルのミルクティーをポンと渡され、その温かさはそのまま、彼女の温かさだった。
車の中で愚痴をこぼしたら楽になって、飲み干したミルクティーで体も心も、温かくなった。
あんなにおいしいお茶を、今まで私は知らなかった。
誇りたい。私の友達は最高だ。
そんな友達がいるんだもの、そんな私も、きっといい人なんだという気がしてきた。

立ち直り、早っ。
はい、それが私の取り柄でした〜。
ふふん、私の体の鎧は厚い。脂肪、百万馬力。

私も、私がただそばにいるだけで友達が幸せになってくれるような、彼女みたいな人を目指そう。
体重が彼女の倍なので、まずは彼女の半分ぐらいのフットワークを目標に。

卑怯だとわかっていても、見えないところで言わないではいられないような、強い希求が、私にはない。
私は嫌いな人には近づかないんだもん。
何かのためにこうした方がいいと思うなら、人に注意を促す前に直接働きかけちゃうんだもん。
だから、ものすごーく理解に苦しんだけれども、どんな悪業三昧をしてしまったかと反省するうち、いい子ぶっていた子ども時代にまで遡ってしまい、本当にひどいことをいったりやったりしている自分に落ち込み、自己嫌悪にも苦しんだけれども、わかったよ。
私は面白がって人を揶揄する人を哀れむ。世の中、もっと面白いことがたくさんあるんだぜ。
このサイトを見に来てくれる人は、こんな駄文にすら面白さをちゃんと感じられる感受性を持っている人だ。楽しい時間を過ごさなければ、せっかく生きている意味がないと思う。

寝る前に、やさしさについて、考えた。
トラブルメーカーである私に対して寛容な友達と、厳しい人の差はなんだろう。厳しい人だって、愛する人がいて、その人には優しいはずだ。

本当のやさしさって、おこるだろうトラブルを懸念して行動を制限することじゃないんじゃないかと、あっちでゴツンこっちでガツン、ぶつかりまくる自分を省みて思う。
それを見守り、傷んだときに痛みを分かち合う姿勢こそが、やさしさなんだ。
そのためには強さがいる。賢さがいる。手間がいる。そういえば、私の友達には強い女性が多い。

たとえば、やさしいお母さんとは何か。
転ぶから行くなというのは母親の陥りがちなミスだけれど、そんなのやさしさでもなんでもない、実に職務怠慢なのである。転んだら痛みとともに起こしてやるのが母親の仕事だ。起きるのを待ってこその親じゃないか。
同じ匂いを、私はクレーマーに感じたのだった。
やさしい善意のつもりの匿名のクレームも、実はリボンをかけた暴力なのかもしれない。
責任をとらない提案や思い込みは、相手に強いる犠牲や負荷を計算していない。ここが暴力に等しい点だ。
私の母ヨシコは一丁目のマザーテレサと謳われるほど善意の人でありやさしい人と自他共に認める女だが、しばしばリボンをかけた暴力を持ち込むことがあり、私はそことずっと戦ってきたんだった。
恐怖に近いほどの落ち込みは、幼少期の自分の抱いていた絶望感がフィードバックしたからだ。
勘違いした「やさしさ」で子どもを育てると、その娘は大人になっても苦悶する。子ども時代って、大切ね。

でも、戦うより、今は平和を愛する。母・ヨシコの未熟さも天然さも赦して、仲良しでいたい。
親として、上手な立ち直り、上手な仲直りを子どもに手本として見せるのも、また大事な仕事だから。

あなたのことを思って言うのよ。
あなたが傷つかない方法はこれよ。
あなたが人に迷惑をかけないためにしてはいけないことよ。
本当のやさしさには、こんな言葉いらない。だってこれ、全部大人の都合なんだもの。
私はP子に「自分で考えて、経験して、学びな」と言おう。
私ならこうしたけど、あなたはと゜うする?
それが私には不都合な結論でも、娘には娘の人生だ。失敗したときにはできるだけそばにいて、リカバリーに尽力するよ。
迷惑をかけたら、かけた分、何かで返すから許してね。というスタンスを、なぜか福助だけに適応させてきたけれど、P子にも私自身にもちゃんと適応させていけばよかったんだ。迷惑かけるのは、障害児も健常児も、たいした差はないことをよーく知っていたのに、ダメだな。私は。

私のブログがご迷惑をかけたらごめんなさい。不快だったらごめんなさい。
その分、笑えるネタをちょこっと増量できるよう、おもしろおかしく生きていくわ。

またひとつ経験値が増えた。
人とかかわるのはめんどくさいけれど、それが大きな糧になる。
私のような者には、こんな試練も必要なのだろうと思う。


2006年12月21日 15:20
コメント

ゆう子さんのその強さ、好きです!
私もそんな柔軟な強さがもてるようになりたいです。

Posted by: makisuke : 2006年12月21日 19:09

ふんばれ同輩!
自分の良いところを知っているというのは強い!
反省することを知っているというのも強い!
素晴らしい友達が居るのは大きな資産!

Posted by: なかい : 2006年12月21日 22:22

元気を取り戻されたようでよかったです。一読者として、事態を危ぶんでおりました。人の気持ちなんて時と場合によってくるくる変わるもの、厳しい意見を吐いたその方とて、ルールに則ってリニューアルしたブログを読んで「つまらなくなった」などど思うかもしれません。
書き物は全て、新聞であれルポルタージュであれ、人間の目と手を通して伝えるものは何であれフィクションだ、と私は思っています。主観が入っていればこそメッセージが伝えられるのだと考えます。何をどう受け取るかは人それぞれ。もちろん発表する立場として考慮しなければならないことは多々あるでしょうが、1人2人のクレームのために、私の愛する万華鏡の雰囲気を変えてしまわないでくださいね。
ご主人は昔から漫画で存じ上げておりますが(だからこそこちらのブログに出会えました)P子ちゃんも福助くんも、お母様やもちろんゆう子さんご自身も、万華鏡ワールドの中に生きているのですよ。これからも、おかしな話、悲しい話、くじけた話そして立ち直った話を楽しみにしております。

Posted by: きゅー : 2006年12月21日 22:56

落ち込んで浮上してまた落ち込んで。
人生山あり谷ありで、それも高いのから深いのまで、
私の起伏はどうなってんだと思うのですが、
まあこれがありのままなので、
仕方ないのかなあと思ったりもします。

そんななのに、いつもおつきあいいただいて、
ありがとうございます。
こんないい加減でもいいんだなあ、
という気楽な気持ちになっていただけたら、
幸いです。

雰囲気を変えたくてもきっと変わらないです、
書き手がこれですから(笑
ブログのルールは明文化こそしてこなかったけれど、
ずっと守ってきたことでした。
私は市井の人なので、市井の人たちのことを書きます。そこでは、誰がやったのか、より、何をやったのかに、私は興味があります。それを私がどう思ったかを言わずにはいられなくて、毎日PCの前に座ります。
そこのところをわかっていただける方も大勢いらっしゃるのですが、当然、誤解される方もいる。自分のことを書いたと怒る方もいらっしゃるかもしれません。
いつの日か、わかってもらえたらいいなあと祈るばかりです。

Posted by: ゆう子 : 2006年12月27日 01:53
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