2006年08月07日

タイの記録(一週間分)。

サッカーは明日から三日間連続でした。今日はくもんだ。
あぶねぇ、あぶねぇ。
どうもスケジュール管理が苦手です。それでいつも分厚い手帳を持って歩いている。
P子が到着するエアポートにわざわざLA在住の友達が会いに行ってくれたのに、日付を間違えて彼女を混乱に陥れ、それをバンコクから帰国した後メールで知って、青ざめました。とりあえずP子は無事でしたが、なんというか、申し訳なさ過ぎ。
バンコクから帰ってきてまずしたことは、謝罪文の英作文でした。
そういえば昔、女友達とバリ島に行ったとき、なぜか4月に31日が存在し、空港に行ったらすでに飛行機は昨日飛んでいってしまっていたという過去も……。

そんなワケありの記憶力ですから、今回は高いコストにビビリながらもフロントにエアチケットみせて出発日のリムジンサービスとウエイクアップコールを早々にお願いしました。できないところはお金で解決。私も老成したものです。かくして無事に帰ってまいりました。

ご存じの方はご存じですが、時間だけでなく、超がつくほど方向音痴でもあります。
地図を見ていても違う場所に行ってしまう、一度間違えたルートは修正がきかない。
バイク乗りだったため、若い頃に叩き入れた都心環状線のマップはそんなに大きく狂わないのですが、最終目的地にたどり着くために常に30分余分に時間をみてきました。私の人生、さがし物ばかりです。
住所と電話番号を暗記する能力に磨きがかかったのも、一度見た風景を記憶する力に拍車がかかったのも、結局電話でランドマークを説明してもらいながらでないとたどり着けないからです。携帯電話を使い始めたのが早かったのは言うまでもなく。文明の利器なしに、私はまともに都市生活を送れません。

そんなのでも、一人でふらふら海外旅行は大好きで。しかし、文明の利器無しで子連れで行くとなると……。いえね、幸い、大きなトラブルは何もありませんでしたよ、無事に帰国したんですから、まいぺんらい。
もちろん、小さなトラブルは数え切れませんが、それこそが旅の醍醐味ですから。はい。

ただ、旅の醍醐味と関係なく、帰国後、玄関先の鉢植えが見事に全部ミイラ化。メダカのおうちの睡蓮鉢は水位が半分になっていたのはちょっと悲しかったです。
洗濯物がばきばき乾く頼もしい日差しは、旅行帰りには有り難いはずが、バンコクではサービスアパートだったため洗濯を部屋干し、アイロンがけしていたため汚れ物はそんなにないのでした。私の人生、どうにも間が悪い気がします。
日頃の行いがものをいうんでしょうか、バンコクはずーっと雨でした。それも、梅雨みたいな、ちぬちぬ降る雨。

曇天のバンコクで何をしたのかといえば、卓球して、プールに入って、夕方ちょっと近所のマーケットかスーパーか、都心の西友ぐらいの大きさのデパートにふらふら買い物がてら夕飯を食べにでかけました。またはタイ人の友達と会って自宅でゴハンをごちそうになって、過ごしました。
観光なし。遠出もなし。イベントなし。
「のんびりしようよおかあさん。福ちゃん、象もワニも寺も興味ないんだよ」
って言われちゃあしょうがない。
そんな福助の一番のお楽しみは、どこのデパートにもありがちな、100円入れると動く乗り物でした。
日本の童謡を奏でながらタイ風の色彩で怪しく動くそれは、私の子ども時代の思い出と重なります。ゲームもガチャガチャも一回10バーツ、32円。うぉぉぉぉ、大人買いならぬ、大人乗りじゃあ、日本人乗りじゃあ、豪遊せんかーい!! と、毎日、福助にここぞとばかりに100バーツほど握らせます。
「1000円相当。10個、好きな物に乗っていいんだせぇぇぇぇっ」
盛り上げるだけ盛り上げ……嘘じゃないです、ちゃんとコイン入り口には100円って書いてあるもん。1000円相当だもん。
もう日本で乗りたくないほど、乗っておけ。320円でお大尽遊びだ、と母は思うのですが、果たして、福助は満足したのかどうか。100バーツというのがけちくさかった気もするわ。
終わってしまった温泉場の遊技場のようなその隅っこには、古いマッサージ機もおいてある。さらに奥にはタイ式マッサージ(一時間150バーツ)のスペースがありまして。蛍光灯に安っぽいレースのカーテンにマット一枚の布団、ぬるい扇風機の風。遊び疲れた福助がうたた寝し、その隣で私は揉んでもらい、隣のレジャーセンターからは、音程の狂ったカラオケが聞こえてきて、なんだか本当に場末の湯治宿に来た気分になりました。温泉があれば完璧でした。

数少ない貴重な外出に、福助はサムロを使いたがりました。
乗る気満々でそばにいますから、今やエアコン付きのタクシーより高い金額でないと乗せない観光馬車のようになっていたサムロの運転手には足下を見られっぱなしでした。
今はここに暮らしているわけではないんだなあと値段交渉のたびに痛感したけれど、下手なりにタイ語で交渉している私に、「ワンハンドレッバーツ、マダァ〜ム」と言われると何だか無性に腹立たしくて、20バーツ負けさせるためにえらくムキになってしまいました。
今でも30バーツあれば屋台で一食食えるんだという気持と、かつて5バーツだった500mlの水が15バーツになっている現実とで、自分の中の貨幣価値がすっかり混乱していましたが、考えてみるとあの交渉の時間、チップだと思ってその20バーツを与え、気持ちよく遠回りしてもらうなどの工夫をすればよかったな。私の人生、いつも後悔先に立たずであります。
自分の中の貧乏性が、今回の旅行の一番の敵でした。

ところで丸坊主の福助が「サワッディカップ」と両手をあわせてお辞儀をすると、タイ人たちは「イッキューサン!」と喜んでくれます。一休さん、仏教国タイで、現役人気番組です。
あとはハム太郎とドラえもんが絶大な人気でした。宿敵ムシキングは見なかったなあ。ムシ、珍しくないもんな。
何とかレンジャーも、ブラウン管の中ではタイ語で闘っていました。これまた大人気。でも、闘う前にムエタイのように祈りのダンスや両手を合わせる礼儀正しさが欲しいと思ったわ。なんたってバンコクは、マクドナルドのドナルドも、両手を合わせてワイ(ご挨拶)したまま、お出迎えしてくれるんですから。
ドナルド、微妙に顔がファンキーでした。タイでは白塗りした顔は「オバケ」の記号でもあるので、その区別のため、やけに間抜けににこやかにしてあるのかと思われます。どうでもいいけれども、マイケル○○クソンは、タイではかなり怖がられるのではないかなあ……いや、タイ人でなくても怖がるか、アレは。

観光もなくパソコンもない、すべき事の何もない一日(移動日を除く五日間)は、とても長かったです。
実は、これこそが贅沢というヤツなのかもしれません。
びっくりしたのは、そういう生活をすると、ビールが要らないことでした。夜になってもちっとも飲みたくならない。10バーツで椰子の実買ってきて、包丁でかち割って飲む方がずっとうれしい。
キッチンドリンカー気味の人には離脱プログラムとして、情報隔離型バンコク監禁、ちょっとお勧めかもしれません。
サービスアパートはLAN完備と聞いていて迷ったのですが、今、完備に向けて頑張っているところだそうで、完備じゃないじゃん!!  でした。いやあ、持って行かなくてよかったです、PC。
PC前に座る時間って、意外に大きいと知りました。ああ、大人になるね、旅行するとね。

そんなノートラブルなはずはない? そうだよね、バンコクだもんね。
以下、ささやかな思い出深いトラブルの羅列です。
興味のない方は、この段落をスキップしてね。

入国審査で一時間以上待った上、写真とられたり、やけに質問されました。初めてだよ、こんなの。女一人子連れの旅行がそんなに珍しいか!!っていうか、どこかアヤシイのか、私?
その結果、待っていてくれるはずの車とすぐに巡りあえず、ホテルに電話。そりゃあ予定より一時間半以上遅れて出てきたけど、そのためのリムジンサービスなんだから、ちゃんと仕事してね。もう一度周辺を探して、やっと係員みつけましたよ。私は鈴木ゆう子だ、さすきようこじゃねぇ。と、腹立ちを微笑みにくるんでお出迎えボードをやさしく訂正。
チェックインは午前2時近く、せめて入浴して寝たいのに湯が出ず、バスタブで震えつつ水浴びして、最後に仕上げでシャワーを浴びたら今度は熱い。なんのことはない、湯加減コントローラーのひねり加減は私のフォルトで。
翌日、ウェルカムランチをキャンセルして、友達に誘われるまま外出しようとしたら、「プール入ってランチ食べてから出かけるんじゃなかったの!!」と、福助、手がつけられないほど不機嫌になり、外出先でも失礼炸裂。大人の都合で約束を破った私が悪いわけで、以後、無理強いしない、私は奴隷ちゃんの旅と自分に命じる。
15年前楽しかったサイアム(こっちの原宿みたいなところ)にいってみたものの、竹下通りのような場所には私のサイズで入る服などなく、表参道のような雰囲気の「パラゴーン」という超高級デパート に行ってみたものの、今度は見たこともない桁に驚く。日本のデパートで買い物をしない主婦としてはなんだか気後れでドキドキしてしまい、「ミス」と呼ばれた記憶しかなかったのに「マダア〜ム」と呼びかけられるたびに「おばちゃ〜ん」と言われているような気がして気後れに拍車がかかる。迷いに迷ってなぜか何度聞いても誰に聞いても子どものための売り場にはたどり着けないまま迷路みたいな広大なデパートを一時間ぐるぐる歩いて泣きそうになったり、そこで福助が財布なくしたり、情報収集後、二度目のトライで子ども売り場には行けたもののたどり着くまでの電車で子ども料金を払わずキセルと間違えられて警官に捕まったり、そのときに旅行客だと言ってもパスポート持っていないから証明出来なくて、なまじすぐに切符買うから許してよなんてタイ語でいったのがなんか怪しさを増してしまい警官は捕らえた福助に英語とタイ語でずーっと話しかけ続けて福助石になってるし、やっと発見したデパートの子ども売り場、UFOキャッチャーはどれもとんでもなく厳しい設定だわ、乗り物は全部近所のデパートの倍の20バーツだわ、すごく寒いわ、でまあいろいろおみやげを買った時にパスポートがあればVAT(付加価値税)がその場で返ってくるのにと店の人に言われて何だかすごく悔しいわ、ギフトラッピングたのんだらめちゃくちゃ下手で包装紙が足りなくなった部分に別のところから切って足そうとしているからたしなめたりなんかしてーーーはぁぁぁぁ(ため息)。上品な場所はどうにも性に合わないよ。
鳥インフルエンザで死者が出たニュースが入ってきたり、スーパーではクレジットカードが突然使えなくなって現金を作ってきたり、雨続きのプールで泳ぐ人も少なかったのだが何がどうしたのか白人の青年が青くなって救急車で運ばれていったり、プールで一緒に遊んだ少年と福助が一緒に採暖室に入ったとき「うちのお父ちゃん、社長やねんけどな、お母ちゃんとむっちゃ仲悪いねん、ケンカばっかしよるねん。多分この旅行でもう家族が終わるんや」と突然悩み相談室と化して戸惑ったり。
こう、何か邪悪な念にとりつかれてる?  日本で仕事をし続けていた相方の怨念か?(←こらこら)。「うちはおとうさんとおかあさん、ケンカしないよ。おとうさん、ボクたちのために日本で仕事中」と空気読めない福助が少年に自慢してしまい、さらに落ち込む少年、なんかものすごーく困る私。
さて、おみやげは何を買おうか。と最終日の福助にたずねると、「フライパン!!」……なぜ!?
買って帰りましたよ、もちろん。
そして最後に、空港にて、VATを返してもらうべく手続きをとりに行くと、店が用意すべきフォームがないからダメだ、と。ま、いいかいいか、バンコクに寄付したと思えば。と、思い直し、ついでに気前よく持っていた500バーツ札と100バーツ札を王家の寄付金箱に入れた。王家は福祉部門を担当されているので、人々から大変に敬愛されているのだ。街ですれ違う8割の人が24時間テレビのような黄色いポロシャツを着ていたのだって、在位60周年を祝ってのこと。シャツ代は王家への寄付になっているのである。シャツこそ買わなかったけど、ま、寄付ということで。20バーツにきゅうきゅうとしていたのは誰だろうと思いつつ、寄付、寄付。最後の瞬間に欲はなく。
さようなら、バンコク!! また来ようね、と出国審査に行こうとして、また止められる。
「空港使用税を」と言われて、あっ!! しーまーったぁぁぁぁ。と。
寄付しなかったら足りましたね、何やってんだ、私。と、罰当たりなことを言ってみる。
空港のはじっこの換金所に走り、3000円替えればいいかと思ったら、財布にあったのは帰りの成田エクスプレス代金用の5000円札だけだった。
そして、いざ東京行きの飛行機に。乗る前のボディチェックでまたしても止められ、福助のおもちゃバッグ、全面公開。詳細確認。ピストルのような影が映ったそうですよ、もうなんとでもしてくれ。そして、私たちは最後の最後に飛行機に乗り込んだのだった。
隣の人に英語で話しかけられて英語で話していたら、日本人だった。成田について電話したら、用件の前に携帯の電源が切れた。リムジンバスのチケットは一時間先のもので、握りしめていたら半券なくしてしまった。歩くのイヤさにバスにしたら渋滞で、吉祥寺まで2時間半かかり、福助を抱っこしっぱなしで手足痺れまくり。帰宅したら、相方は一人カラオケに出かけていた。そして、相方の誕生プレゼントにと買った、今回一番高かったバッグ(付加価値税は寄付)は、大きさに問題があり、私が使うことになったのだった。
私の人生、とにかく思うようにはならないのよね。
まあ、そんなことを知ることこそが、人生ってもんなのかもなと思います。

長文におつきあい頂き、ありがとうございました。
さあ、通常営業。


2006年08月07日 20:59
コメント

koppunn kape(スペルはあってますか?)
おつかれさまでした。

Posted by: B@a : 2006年08月09日 11:42
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